NO16  
企画展「独楽と羽子板」で、日本のお正月再発見を
     (2006年11月25日 井上 重義)
                              

 本日から1号館で企画展「独楽と羽子板」展が始まりました。
初公開の羽子板(明治〜昭和初期)


 1号館は来館された方が最初に入っていただく正面入り口の展示館であり、いわば当館の顔ともいえる大切な場所です。そのため、季節毎に展示替えを行い、新鮮な印象を持ち帰っていただく努力を積み重ねています。ただ6号館のように数日間閉鎖しての作業はできず、展示替えは休館日の水曜を利用して行います。展示ケースは奥行き45cmの縦ケースが約15m、幅90 cmの平ケースが4,5mあります。6号館と比べて長さは半分、面積も3分の1以下ですが、火曜日の閉館と同時に展示資料を撤収、翌水曜日1日で新しい展示に切り替えるハードな作業です。今回は小さなものですがミニチュア展の展示資料が1000点もあり、大変な作業になるのではないかと覚悟していました。展示替えスタッフは私も含めた学芸関係者4名と協力者1名の5名。尾崎学芸員の企画構成に基づき、2日間深夜近くまで作業にあたりました。撤収は火曜日の午後11時過ぎに終わり、水曜日の午後11時ごろには心配も杞憂に、「独楽と羽子板」展の展示がほぼ完成。満足できる展示になりました。いつもながらスタッフの熱意には頭が下がります。展示は独楽が約240点、羽子板が130点とミニサイズ70点の200点。合計約500点です。独楽と羽子板の展示は4年ぶりで、初公開の資料が何点もあります。
雪の上で回すため、芯の先が半円に。
ずぐり独楽(青森県)

 独楽は北海道から沖縄まで、地域ごとの展示です。日本列島の各地に、さまざまな形の独楽があることに驚かれると思います。実は世界の国々の玩具を収集しているからいえるのですが、わが国は「独楽の宝庫」ともいえる国なのです。こんなにも美しく楽しい独楽を持つ国は世界でも例がないと思います。
長崎の独楽(昭和初期、左)
ポルトガルの投げ独楽(右)

 青森地方には「ずぐりゴマ」と呼ばれる雪の上で回す独楽があり、東京には機知に富んだ仕掛けゴマが、九州にはラッキョウ型をした独特の形の独楽があります。不思議なことにラッキョウ型の独楽は遠くポルトガルやスペインにもあるのです。江戸時代に伝来したのか、しかし九州以外には、なぜ広がらなかったのか、不思議が広がります。
 遠い昔から、日本のお正月の遊びを楽しく美しく彩ってきた独楽と羽子板。その色と形に、美しい日本の昔を再発見していただく場となれば幸いです






NO15  
「開館満32年を迎えて」
                    (2006年11月10日 井上 重義)  
                                                             
井上郷土玩具館(1974年)
 当館が開館したのは1974年11月10日。本日、開館満32年を迎えました。
 私は1963年に『日本の郷土玩具』という一冊の本と出会い、庶民の文化財とも言えるモノが忘れられている現状を知り、後世に残す必要を痛感して勤めの傍ら各地を歩き収集しました。凧の収集で立ち寄った大分県豊後高田の提灯屋で「大英博物館から凧の注文を受けたが国内の施設からはない」と聞き、各地の博物館や資料館を見学しても玩具や人形が博物館資料として認知されていない状況を知りました。評価を高めるには公開する施設が必要だと考えて、新築した自宅の一部47uを展示施設に、日本の郷土玩具5千点を資料に井上郷土玩具館としてスタートしたのです。
 以来32年、1984年には将来を見据えて日本玩具博物館と改称しましたが、現在、その名に恥じないものになったと考えています。施設は6棟約700u、コレクションは世界150カ国8万点になり、玩具博物館としては規模内容からも国内の施設を代表するものと認知され、世界でもトップクラスになったと自負しています。個人立である小回りのよさを生かし、一貫した方針のもと、よきスタッフに恵まれたことが大きな成果に繋がったと考えています。

 設立以来、私は博物館にとっての生命はコレクションであると考え、資料の充実を計ったのが「正解」でした。保存や公開を重視する当館のような博物館は旧世代の博物館であり、新世代の博物館は参加型で最新式の展示技術を駆使した施設であるべきだと考えられた時期もありました。しかし立派な体験設備を持ち、最新の展示技術を駆使したいくつかの豪華な博物館を見てきましたが、来館者も決して多いとはいえず、私は虚しさを感じました。
最近、コレクションに加わった三十六歌仙の押し絵箱
 最近、コレクションに加わった三十六歌仙の押し絵箱

 世界の人々が子供の健やかな成長を願い、長い歳月をかけて創りあげてきた玩具や人形は、単なる子供の遊び道具ではなく、各民族の歴史を背負った大切な文化遺産です。その色や形は悠久の歴史や民族の心を表現し、来館された大人も子供たちも、玩具や人形を前にして、想い、憩い、疲れを癒されている姿を目にすると、このような博物館を創った喜びを感じます。
 博物館を取り巻く状況は、指定管理者制度の導入や、入館者の増加のためには何でもありという状況を目にすると、将来に大きな不安を覚えます。私は博物館の最大の使命は、人類の文化遺産を収集し保存し、後世に伝えることにあると考えています。これからも当館は来館者がモノと出会い、感動を与える場でありたいと考えています。

 現在は来春出版される『ちりめん細工 傘飾り』(日本ヴォーグ社)と、たばこと塩の博物館との共催により、東京渋谷の同館で来年2月10日から開催される『ちりめん細工の世界』展に向けて頑張っています。
 開館満32年を迎え、今後とも変わらぬご指導とご支援を、心よりお願い申し上げます。




NO14  
「世界クリスマス紀行」展が始まります           (2006年10月18日 井上 重義)  

 今月21日(土)から開催の「世界のクリスマス紀行」展の準備が完了し、一足早く来館者の皆様にご覧いただいています。「素晴らしい
羽のはえたサンタクロース(インドネシア)
展示ですね」と来館者の感動の言葉をきくと、大変だった展示換えの疲れも癒されます。今回の展示作業も、「世界の鳥の造形」展が終了した10日の閉館後、1000点にも及ぶ展示資料を撤収し、新たに1000点を超えるクリスマス資料を展示するという大変な作業でした。6号館の展示ケースの総延長は約30m。私を含めた学芸関係者4名と協力者2名が尾崎学芸員の指揮の下、連日深夜近くに及ぶ作業を続けました。14日にはほぼ完成。15日の日曜日には大勢の皆様が一足早くクリスマス展を楽しんで下さいました。
 世界のクリスマス展を始めた1985年頃は、コレクションは約350点。それが現在は3000点を超え、展示品の選定に時間がかかるまでになりました。しかし、いろんな切り口での開催が可能となり、今回は、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカと地域ごとの特色を皆様にご覧いただいていますが、初公開の展示物もあり好評です。

アルザス地方の菓子のツリー飾り(フランス)

 「こんなにも、資料をどうやって集められたのですか?」と、よく尋ねられます。「資料収集にはタイミング、長い歳月の積み重ね、さらには大勢の協力者のお陰です。」と、答えています。これらは、海外から輸入する専門業者からの購入や、私たちがクリスマスシーズンに現地に出かけての収集、海外の博物館(ハンガリー、ルーマニアなど)との資料交換、さらにはここ数年、国内の協力者からドイツやフランスのクリスマスマーケットで求められた貴重な資料の寄贈を受け、それらが展示に深みを醸しています。
尾上小学校からの親子連れ

 このところ小学生たちが、学校から大勢団体で見学にやって来ます。地元の姫路市だけでなく、加古川市、明石市、神戸市、宝塚市といった遠方からもです。嬉しいことに、団体でやってきた子供たちが、再び家族を連れて来てくれるのです。帰宅後、家族に当館での楽しい思い出を話し、それならと家族揃っての来館になるのでしょう。先日も4号館の世界の玩具常設コーナで熱心に見学している親子連れと出会い、声をかけると「先日、子供が尾上小学校から団体で来ましたが、もう一度行きたいと言うので来ました。」との答え。子供たちも体験コーナで昔の玩具や世界の玩具で遊ぶだけでなく、展示物にも心が動かされるのでしょう。楽しそうに見学する親子ずれの姿が目立ちます。

 羽の生えたサンタクロース、パンやお菓子、ガラス、麦わらで作られた多彩なツリーの飾り、世界各国のクリスマスの飾りを見て、子供たちの目は生き生きと輝いています。きっと楽しかった玩具博物館での思い出を、胸いっぱいに詰め込んで、持ち帰ってくれることでしょう。




                  
NO13  
 大盛況だった「ちりめん細工の世界」      
            ・・・・博物館の使命とは

                               (2006年8月30日 井上 重義) 

 8月10日から21日まで大阪府守口市の京阪百貨店守口店7階京阪ギャラリーで開催された「ちりめん細工の世界」(主催/朝日京阪ギャラリー「ちりめん細工の世界」新聞社、出品協力/日本玩具博物館)には、連日500〜700人もの入場者があり盛況裡に終了しました。会期中、私は会場に4日間出かけましたが、最終日に会場監視員から「大盛況でしたね。この百貨店は地域密着型で普段の展示は近隣の方が多いのです。このたびは遠方の方が多く、それに滞在時間も長く、驚きました。」と嬉しい言葉をいただきました。確かに会場は、大阪の都心から少し離れたところに位置していましたが、この展覧会を見るため、広島、香川、徳島、静岡、千葉といった遠方からもわざわざご来場下さったのです。館長室からの前号で紹介した「傘飾り」も大好評でした。「値打ちのある素晴らしい展覧会をありがとう。」と、私も何人もの方からお言葉をいただきました。今回の展覧会は、展示構成も素晴らしかったのですが、来場者に満足感と感動を与えたのは、なんと言っても展示品の持つ魅力でした。当館が20数年間にわたり、こだわり集めてきた資料が大きな力を発揮したのです。

 私は、博物館にとって収蔵資料の充実を図り、個性的なコレクションを築くことが、何時の時代でも忘れてはならない大切な使命であり、博物館を活性化することにつながると考えてきました。しかし、博物館ブームが去り、来館者が減少する中で、サービス充実や集客対策など、目先の活動に重点をおく館が増えていると思うのです。先日もある公立館の学芸員から「年々予算が削られ、収集予算はゼロに等しい」と聞かされ、博物館の将来に不安を感じました。


 博物館についてイコム(国際博物館会議)は、「社会とその発展に貢献するため、研究・教育およびその楽しみの目的で、人間とその環境に関する物的資料を収集、保存、研究し、これを伝達、展示する、人々のために開かれた非営利の恒久的機関である」と定義。わが国の博物館法も、「歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクレーション等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関で規定による登録を受けたもの」と定義しています。

 「博物館のあるべき姿」を原点に戻って、再確認する必要はないでしょうか。




NO12  
 「ちりめん細工の世界」展の傘飾り     (2006年8月3日 井上 重義)      

 8月10日〜21日まで大阪の京阪百貨店守口店7階ギャラリーで朝日新聞社主催による「ちりめん細工の世界」展が開催されます。展示品は当館所蔵の新旧あわせて約600点のちりめん細工です。当館では30年前から女性の伝統手芸であるちりめん細工が伝える世界の 素晴らしさに気付き、江戸や明治期に作られた数々の作品や文献資料を収集すると共に、20年前から技術伝承のための研究会や講習会を開催して、復興に本格的に取り組んできました。長年の地道な活動が実を結び、地方の小さな博物館が取り組んできた活動が手芸の世界に大きな波を起こし、その輪は全国に広がっています。
合同製作した雛飾り五基


 ちりめん細工が今後さらに暮らしの中に根を下ろすには、その歴史をたどると共に、作品一つ一つに込められた意味や、造形的な工夫や知恵を押さえる必要があり、「ちりめん細工の世界」展はそれらを大勢に認識いただく絶好の機会だと考えています。
 さらに私はこれまで、ちりめん細工を暮らしの中に活かすためのさまざまな飾り方を考え、出版物などで発表してきましたが、この「ちりめん細工の世界」展では、「ちりめん細工の傘飾り」を当館ちりめん細工講師や研究会員の協力を得て製作し展示いたします。

 傘飾りは、傘にちりめん細工を吊るして飾るもので、山形県酒田市の本間美術館に「傘福」と呼ばれる傘飾りが所蔵され有名です。しかし庄内地方で雛の季節に一般家庭で傘福が飾られる風習はなく、有名になったのは本間美術館の雛人形と共に傘福が紹介されたからです。伊豆の稲取や福岡県柳川の雛の吊るし飾りの影響を受け、今年から酒田でも「傘福」が町おこしの目玉として登場、私も実際に庄内を訪れて傘福を調査しました。確かに華やかで豪華な傘福は目を引きましたが、作品の完成度にも問題があり、稲取の吊るし飾りを参考に作られたという印象を受けました。

 当館では、傘は「末広がり」でお目出度く、また、傘の略字の「?」が八十に見えることから長寿の祝いとして使われ、祭りの山車にも傘を飾る「傘鉾」があることから、傘を利用した独自のちりめん細工の下げ飾りに取り組み、日本玩具博物館版の素晴らしい傘飾りが完成しました。それらを「ちりめん細工の世界」展でご覧いただきます。日本女性が創り上げた、ちりめん細工の素晴らしさを再認識いただける場になれば幸いです。

 約90名から寄せられた作品を製作メンバーが配置を考え、傘に吊るして完成しました。

      
製作風景                        製作メンバー


 
NO11  
 「世界の鳥の造形展」によせて     (2006年6月26日 井上 重義)

 6号館特別展会場で「世界の鳥の造形展」が始まりました。世界70カ国から1000点にも及ぶ鳥の玩具や造形物。展示品の全てが当館
孔雀/インド/真鍮
孔雀/インド/真鍮
が約30年の歳月をかけて収集した資料です。恐らく国内では第1級のコレクションを形成したと自負しています。展示品の中で現在収集可能なものは2・3割。廃絶したものが多く、さらに収集できても質の低下が著しく、本当に集めた時期に恵まれたのです。

 当館は1977年から世界の玩具の収集に取り組んできました。収集方法は、海外の玩具や民芸資料を輸入する業者、国際見本市やギフトショウ、海外での現地収集(ヨーロッパ各地・アメリカ・ブラジル・アジア各地)、世界各地の博物館やミュージアムフレンドなどとの交流によるものでした。集めた時期がよかったのは、この20年ほどの間に、民芸的な玩具などが急速に世界中から姿を消したから
です。収集にはタイミングが必要です。今後これほどの資料を収集するのは不可能です。
 世界の国々で作られた鳥たちの、造形の面白さや楽しさを存分にお楽しみ下さい。

木彫のフクロウ/タンザニア/木
木彫のフクロウ/タンザニア/木

 さて当館は開館以来、個性あるコレクションの構築にこだわり、毎年1000点を超える資料の収集を計ってきました。館としての収集方針に基づき、消えゆき忘れ去られるものを収集。集大成したコレクションを企画・特別展で、その素晴らしさや大切さを訴えてきました。私はコレクションこそが博物館の生命であり、博物館の存在理由は「貴重な人類の文化遺産を保存し後世に伝えることにある」と考えて資料収集に励んできました。そして学芸スタッフの努力で、収集した資料を見やすく楽しく解りやすく展示し、来館者から、「驚きや感動」の言葉をいただくことが増えました。大人だけでなく子供も「よかったです。たのしかったです。すごかったです。」と感想ノートに残しています。

 現在、博物館の多くがコレクション充実よりも集客対策に躍起のように思えます。しかし一過性の集客イベントよりも私は文化遺産を守る砦である博物館は、文化遺産を後世に伝えることにこだわるべきであると考えています。入館者数だけでなく、博物館として、人々を感動させる展示こそが、博物館をより魅力的なものにして、博物館冬の時代からの脱出を図る道が開かれるのではないかと考えています。
 この特別展、愛鳥家の皆様にもぜひご覧頂き、ご感想などお寄せいただければ幸いです。



世界各国の鳥たち
世界各国の鳥たち

 関連企画展




NO10
 わが町が姫路市と合併して         (2006年6月5日 井上 重義)

 当館が所在する香寺町は去る3月27日に姫路市と合併、2ヶ月余が経ちました。神崎郡香寺町は姫路市香寺町になり、姫路市内の文化施設のひとつになりました。郡から市になり、以前は冬場になると『雪が積もっていませんか』といった問い合わせも、姫路市内というので地理も理解され、そんな電話はなくなりそうです。これからは世界文化遺産国宝姫路城から北北東に約10km、車だと20数分の距離にあることを訴え、姫路城との連携も考えています。しかしJRなどの公共交通は不便で、昼間時は姫路駅発が40〜50分に1本、その点が大きな課題です。


 当館では住所が変更したのを機に、内容の充実を図っています。近々、常設展示場である2号館を日本の近代玩具の歴史をたどる展示にかえ、さらには3号館を節句の人形と伝承手芸の展示にかえる予定です。また新しく入館券を作り変えました。絵柄の違ったのを12枚、毎月違った入館券をお渡ししています。新しく英文パンフレットの作成にも取りかかりました。

 姫路市は国際観光都市として観光行政に積極的に取り組んでおられ、当館も重要な観光資源として認知いただき、新しく発足した(社)姫路観光コンベンションビューローの理事に選出されました。私も「姫路の観光振興に役立ちたい」と提言をまとめました。姫路は世界文化遺産国宝姫路城という得がたい大きな観光資源を持っているのですから、他所の真似をするのでなく、姫路城を支える魅力的な観光資源の発掘や紹介、創造が必要であると考えています。

 姫路と合併する以前、当館は人口2万の香寺町の「町の顔」として認められ、町民の皆様がわが町の誇りだと言って下さっていました。また「人口の倍の年間4万人」の入館者も、当館の売りでした。その2点が手の届かぬものになりました。しかし、個人が設立した施設でありますが、32年間の努力が実り、玩具博物館としては名実ともにわが国を代表するものと認められるまでになりました。当館ほどの内容を持つ玩具博物館はアジアにもアメリカにもなく、世界的にもトップクラスと言えると思います。姫路市民の皆様には観光施設としての認識だけでなく、世界文化遺産を持つ街に、合併により大きな文化遺産を受け入れたことをぜひご理解いただき、ご支援やご協力を賜りたいのです。わが市の誇りだといって下さる市民の方が、ひとりでも増えることを心から願っています。

NO9
 ちりめん細工展によせて        (2006年4月17日 井上 重義) 


 春爛漫の季節。当館の1号館前にある大きな八重桜(関山)が五分咲きになりました。他にも2号館と6号館前に八重桜(普賢象)があり、白壁土蔵造りの当館が桜の花に美しく彩られます。花の季節にふさわしく、1号館では「ちりめん細工の美」を開催中ですが、同展には遠く全国各地からちりめん細工に関心のある皆さまが来館されています。先日も来館された方が九州の柳川からと分かり感動しましたが、昨日も感想ノートに「ちりめん細工に夢中で、どうしてもこの博物館に来たくて、とうとう東京からやって来ました。満足して帰ります。64歳主婦」と記されていました。ちりめん細工に関心を寄せる方にとっては当館がメッカ的な存在になりつつあるようです。遠くからの来館者が「期待を裏切らない展示内容だ」と言って下さることは、私たちスタッフにとって、大きな喜びであり大きな励ましです。
きりばめ細工・三番叟の袋物(明治時代)


 今回の「ちりめん細工の美」では当館が約30年かけて集めた江戸末期や明治・大正期のちりめん細工約350点を展示しています。これまでに当館は新旧あわせて約3000点にのぼるちりめん細工資料を収蔵していますが、このようなコレクションを所蔵する博物館美術館は全国でも例がないと思います。女性が作り上げてきた作品の多くは手芸品の名のもとに評価されることは少なく、価値評価の定まらない資料を収集する博物館は大変少ないからです。 

 当館は社会での弱者である子どもや女性にかかわる文化に光を当て、後世に伝えることをひとつの使命にしてきました。私がちりめん細工を知ったのは今から40年も前、全国の手まりや姉様人形を収集する過程でした。当時、ちりめん細工を作る人はなく、忘れられた存在でした。1970年にちりめん細工の秘伝書ともいえる『裁縫おさいくもの』(明治42年・大倉書店刊)を神戸の古書市で入手し、ちりめん細工が日本女性の美意識や造形感覚を表現し、手の技を伝える芸術品であることに気付きました。そして今から20年前の1986年に当館で初めてのちりめん細工展『明治のお細工物と郷土雛展』を開催したのが大きな反響を呼び、それを契機に作品の収集とちりめん細工の復興活動に本格的に取り組みました。
からくり袋(明治時代)

 実は「ちりめん細工」と言う言葉も私が15年ほど前に考えた造語です。正しくは縮緬の裁縫お細工物というべきところを易しく『ちりめん細工』として私が監修した出版物で使いました。1994年刊のNHK出版『ちりめん細工』が最初で、その後5冊のちりめん細工関係の本を出版し、『ちりめん細工』は市民権を得たのです。

 地方の小さな個人立博物館が取り組んだ活動が20年間で全国区になり、伝統手芸の復興に大きな役割を果たし、結果的には館の知名度を高めることにも繋がりました。ちりめん細工は当館が収集に取り組んでいなければ、価値のないものとして数多くのものが消え去り散逸したと思います。資料を系統的に収集し、価値付けることは博物館にとっての大切な仕事であり、それが博物館の活力源にもなると考えています。

 当館のちりめん細工コレクションは8月10日〜21日まで大阪の京阪百貨店(守口)で朝日新聞社主催により「ちりめん細工の世界」として展示され、来春は2月10日〜4月8日まで東京渋谷のたばこと塩の博物館での特別展開催が決定しています。




NO8
 花の季節を迎えて       (2006年3月19日 井上 重義)

ツバキ 4号館の北側にあるサクランボの花が三分咲きになりました。21日の春分の日過ぎにはピンク色の花が満開。やがて真っ赤なサクランボの実が鈴生りになります。これから4月中旬頃まで、当館の庭や周りには春の花々が次々に花開き、一年中で一番美しい季節を迎えます。実は当館には展示品だけでなく、「お庭の花が楽しみです。」という方が結構多いのです。その庭、手入れの行き届いた庭ではなく、四季折々に和の花が咲く自然いっぱいの庭です。

 こんな庭造りを思い立ったのは今からおよそ30年前、5号館を建てた1977年でした。私は姫路南部の港町飾磨に育ち、また当館を造ったときは神戸にある山陽電鉄本社に勤めていました。下町育ちの私は、田舎にある博物館だからこそ自然溢れた庭が相応しいと考えて、当初は山野草やお茶花類を植えました。カタクリ、タイツリソウ、ミツマタなど、ところが数十本もある椿などが大きくなると、それらの花はいつの間にか姿を消し、今は椿園さながらです。しかし同時に植えたロウバイ、土佐ミズキ、利休梅、マンサク、花桃、八重桜などが大きく成長して季節ごとに美しい花を咲かせます。
 ところで庭を造った頃、何人もから手入れをしない荒れた庭と指摘されました。が、今は違います。自然風の庭に心が癒されますといってくださる方が圧倒的に多いのです。
アブラチャン
当館入口に咲くアブラチャン

 これからの季節にぜひお勧めしたいのが、4号館2階の窓からの景色です。アメリカ花水木や利休梅の花は下からよりも上から眺める方が綺麗とされているのですが、そんな花木を窓から見えるように植えています。東の窓から今はサンシュの黄色い花、ピンクの梅、真っ赤な椿のお花畑です。まもなくコブシや利休梅の白い花が眼前に広がります。北の窓は今はサクランボの花、まもなくアメリカ花水木の花です。南の窓は4月下旬には八重桜の花が目の前に迫ります。

今、1号館の入り口南側には小さなアブラチャン、北側には土佐ミズキと、いずれも黄色の可憐な早春の花が咲いています。雛人形展を開催中の6号館へは石畳の細い小道を行きますが、両側にさまざまな椿の花や白いアセビの花が咲き、頭上には大きな黄色い甘夏、アンズの花のつぼみも膨らみ、足もとにも優しい貝母ユリが咲きます。

 美しい雛人形やちりめん細工の人工美に、椿の花の自然の美。この季節には「命の洗躍にきました。」と来館される方が多いのです。
 博物館は展示物だけでなく、雰囲気づくりも大切だと考えています。


 4号館北の窓から(3月26日)  小道の上に咲くアンズの花 
4号館北の窓からサクランボの花(3月26日)              6号館への小道の上に咲くアンズの花


 当館庭に咲く季節の花ページへ


NO7
 雛祭りの季節を迎えて
     (2006年2月13日 井上 重義)

 女児の健やかな成長と幸せを願って雛人形を飾る、雛の季節が今年もやってきました。当館では毎年6号館において雛展を開催していますが、今年は雛道具に焦点を当てた特別展を開催しています。
享保雛(江戸時代後期)


 雛展が始まる頃、庭には可憐な早春の花が咲き始めます。雛展が開催されている6号館へは、椿やロウバイやマンサクの花が咲く細い石畳の小径を歩いて行きますが、引き戸を開けると、そこは豪華で美しい雛人形が整然と並ぶ別世界です。館内に入ると同時に、『ワー』とか、『スゴーイ』とか、感嘆の言葉を多くの方が口にされます。

 6号館で雛展が始まったのは、この建物ができた1989年から。しかし当初の頃は鄙びた全国各地の郷土玩具の雛たちが中心でした。それが1995年の大震災を契機に大きく変わります。震災から3ヶ月ほどたったある日、被災された当館友の会会員が来館され、「雛人形が粗大ゴミとして出されているのが悲しい。何とかこの博物館で助けて欲しい」と切々と話されました。それを受けて当館は行き場を失った雛人形などの引き取り活動を展開し、結果として京阪神地方で飾られていた膨大な数の雛人形や道具類が寄せられたのです。翌年に「被災地から来た雛人形展」と題して特別展を開催したところ大きな反響があり、それ以降展示の中心は、素朴な郷土玩具の雛から、衣装雛中心の展示に変りました。また寄贈品だけでなく、その後、雛人形の歴史や変遷を理解していただくための資料収集にも努力し、江戸期の享保雛や古今雛など第一級の資料を入手しました。展示の主力は衣装雛に変りましたが、雛人形の楽しさをいろんな角度から知っていただける展示をと考え、一昨年は郷土雛、昨
大正期の勝手道具
年は江戸から昭和のお雛様展を開催しました。所蔵する500組を超える雛人形を一堂に展示することは不可能であり、これからもいろんなテーマで雛人形の魅力を紹介する特別展を開催したいと考えています。

 雛道具がテーマの今回は、雛道具が子どものために作られたものであっても、当時の一流の工芸技術を駆使して作られた手抜きのない作品であり、その魅力や素晴らしさに感動いただけると思います。展示スペースの関係で所蔵品の一部、明治期に作られた勝手道具が中心ですが、当時の台所の様子が具体的に再現されています。単なる子どものものでなく、そこには大人社会が忘れ去ったものが遺されており、見る人を遠い昔に誘ってくれます。

 トサミズキやアブラチャン、サンシュユの花もまもなく開きます。美しさに感動し、古きと出会う、日本玩具博物館の雛祭りにどうぞお越し下さい。



 関連企画展

世界のクリスマス物語




最新の館長室





Mail:info@japan-toy-museum.org


〒679-2143
兵庫県姫路市香寺町中仁野671−3

TEL: 079-232-4388
FAX: 079-232-7174