NO48
日本一の虎玩具展によせて                 (2009年11月22日 井上 重義)

 昨日から1号館で「日本一の虎玩具展」が始まりました。予定では約350点を展示するところが、それが500点を超え、会場は
広島の首振り虎(昭和8年)
まさに虎尽くし。賑やかな展示になりました。
 総数では1000点を超える虎コレクション中から選んでの展示となり、選ぶのにも時間がかかり、作業日の17・18日の両日とも終わったのは午後12時前。いつもながらスタッフの熱意に頭が下がります。

 タイトルの「日本一」は少し大袈裟ではないかとの意見もありましたが、これだけの貴重
大正10年の神農さんの虎
神農さんの虎の腹部の文字
な虎の玩具が並ぶのは国内では他に例がないでしょうし、それに日本一の虎コレクターとされていた長尾さんを顕彰するためにも「日本一の虎玩具展」が相応しいということになったのです。12年ぶりの展示ですが、改めて資料の貴重さを認識し、これほどの資料が一個人の手で収集され遺されたことに感動を覚えました。
 とりわけ第2次世界大戦以前に廃絶した、「幻の虎玩具」と言っても過言でない貴重な資料が多いのです。岩手県気仙高田の首振り虎、宮城県気仙沼土人形の虎、東京の西新井の首振り虎、長野県松本の首振り虎、新潟県三条の首振り虎、広島県広島の首振り虎、徳島県徳島の張り子の虎、福岡県柳川の虎車、沖縄県那覇の虎など、恐らく現地でも残る作品が無いか、あっても大変少ないと思います。

 長尾さんが収集を始められたのは大正10年、今から88年前です。大阪の神農さんの虎との出会いが契機ですが、その記念すべき虎もコレクションの中にありました。収集品の虎のお腹には、その殆んどに産地名と収集年が達筆な文字で書かれて
金沢の虎(左:昭和8年/右:昭和40年)
います。「昭和5年 静岡」「昭和12,7 東京亀戸」など、それにより収集時期と産地が判明し勉強になりました。例えば、来年の80円切手のデザインに選ばれた金沢の虎ですが、今のものと昭和初期のものとでは顔の描き方に違いがあるのです。それに虎を北から南へ地域毎に並べると、不思議なことに静岡以東のものには胴に渦巻模様が多く見受けられ、名古屋以西のものは渦巻き模様が全くないのです。
 館長室からのNO26で、達磨が東日本と西日本ではいろんな違いがあり、西日本には鉢巻を締めた達磨が、また目無し達磨は東日本に多いなど、地域による特色があると申しあげましたが、虎にも同じようなことがいえるのです。ご覧いただくと、なるほどと言っていただけると思います。私にはその理由が分かりませんが、東日本文化と西日本文化があるのでしょうか。



渦巻き模様のある虎、左から金沢・静岡・会津若松 縦の模様の虎、左から宇土(熊本)・姫路・高松
 当館の日常の活動が評価され、長尾コレクションのほかにもこれまでに貴重な資料をいくつも託されました。それらの評価を高めると共にきちんと後世に伝えることが、今後の大きな課題だと考えています。


NO47
開館満35年を迎えて・・・
博物館の使命とは                    (2009年11月10日 井上 重義)


入口の野地菊が咲きました。
 本日、当館は開館満35年を迎えました。1974年11月10日に新築した自宅の一部約47uを展示室にして、私が収集した5千点の郷土玩具で出発しました。それが6棟700uの展示館と8万点を超える資料を所蔵する博物館として大きく育ちました。厳しい環境を乗り越えて、よくぞここまで来れたものだと、感慨深いものがあります。
 暖かく見守り支えて下さった大勢の皆さまに、心からの感謝とお礼を申しあげる次第です。

 当館が開館した1974年当時、兵庫県内の博物館施設の数は約40館でした。最も古いのは1931年開館の白鶴美術館。次いで50年開館の有年考古館と黒川古文化研究所、60年に菊正宗酒造記念館、64年に滴翠美術館、66年に兵庫陶芸館、69年に丹波古陶館、71年に香寺民俗資料館、72年に香雪美術館、74年に当館と高砂美術館と続き、いずれもが民間施設で公立館は十数館でした。  
 自治体が競うように博物館施設を造るのは1980年代になってからです。1979年に大平首相が施政方針演説で「文化の時代」の到来に言及して以来、これからは文化の時代だと、県内各地で競うように博物館施設が造られました。1982年に神戸市立博物館、83年に姫路市立美術館と兵庫県立歴史博物館、85年に加古川市総合文化センター、89年に赤穂市立歴史博物館と竜野市立歴史文化資料館、91年に明石市立文化博物館と芦屋市立美術博物館、その後も続々と造られ、現在県内の施設数は120館を超えます。いずれもが巨費をかけた素晴らしい施設です。
 それが現在、公立館の多くが予算がないと収集費を削り、経費の節約や効率化を理由にいくつかの館に指定管理者制度が導入され、民間企業に運営が任されました。それに入館者数を増やすことが最大の課題となれば、市場原理に走っているといわれても否定できないと思います。
 現在の博物館界の状況を考えれば、民間や公立(公設)館といった設立母体にかかわらず、「その館がどのような目的を持って造られたのか。どのような使命を持ち、どのような活動をしているか」が検証されるべきではないでしょうか。
解説する尾崎学芸員

 私は開館以来、博物館のあるべき姿を追い求めてきました。そしてその最大の使命は「消え行く文化遺産を収集し、後世に伝えるためにある」と考えて実践してきました。誰かの真似をしたり、話題のものを収集するのではなく、私なりの視点で、子どもや女性のもので忘れられ消えようとしている大切なものを精力的に収集し体系化してきたのです。これまでにも何度か当「館長室から」で申しあげてきましたが、収集にはタイミングが必要です。消え行く寸前に多くのものを収集し、当館でないと見ることができない幾つものコレクション群を築きました。それらは当館が集めていなければ散逸し、消えていたでしょう。それが人を惹きつけ、感動させる大きな力になったのです。 博物館の価値は、収蔵品と企画力(人)とで決まるのではないでしょうか。
 先日も来館者から「たばこと塩の博物館でこの館のコレクションを見て以来、ぜひ一度訪ねたいと考えていました。思った以上に素晴らしい博物館で感動しました。念願が叶い来てよかったです。」と嬉しいお言葉をいただきました。
 昨日、NHK教育TVの「美の壷」の取材がありました。6号館で開催中の「世界のクリスマス物語」の展示品である各国のクリスマスツリーの飾りを紹介したいと、東京からわざわざ取材にお越し下さったのです。放送日は12月18日。少し先ですがお楽しみ下さい。

 35年間を振り返って、思うことがいくつかあります。私は利を生むことを目的に活動したことはなく、文化遺産を後世に遺すのが博物館の最大の使命であるとの認識を基に活動してきました。しかし民間施設というだけで、営利目的と見られることが何度かありました。確かに当館は今も私の個人経営で資料も私有財産です。青色申告をしており、個人商店と同じです。20数年前に登録
世界のクリスマス物語展・取材風景
博物館を目指して財団法人化を考えましたが3億円必要といわれ、そんな大金は用意できる筈もなく諦めました。世話になっている税理士から有限会社の設立を勧められましたが非営利組織の博物館に営利法人はそぐわないと考えて現在まで個人経営できたのです。幸いにも先般の法改正で300万円の基金があれば財団法人化が可能になり、検討をしています。

 当館が所在する香寺町が姫路市と合併してから3年余が過ぎました。心配なのは合併がプラスにつながらず、入館者数は上向かず、年間入館者が3万人を割り込む厳しい状況が続いています。合併後、姫路駅前から姫路城・姫路市立美術館・県立歴史博物館を経由して香呂駅前に至り、柳田國男の生家がある福崎行きの神姫バスが、合併前の1日14便から僅か4便に減少。香呂駅前の弁当屋も、駅近くの喫茶食堂も閉店、近くの香寺民俗資料館も館長が亡くなられて以来、閉館状態です。地域力の減退が入館者減に繋がっていると考えられるのです。
 当館は文部科学省から博物館相当施設として認められた社会教育施設ですが、不思議なことに合併後、姫路市の教育委員会や博物館に関係するセクションからの接触は未だありません。まさかと思うのですが、私立イコール営利施設とみなされているからでしょうか。
 民間の美術館博物館の多くは、箱は貧弱でも公立館に負けない貴重な文化遺産を所蔵しています。ところが私立館にたいする行政の支援はゼロに等しく、厳しい環境のなかで当館と同年に開館した私立高砂美術館が数年前に閉館し、滴翠美術館など、活動を休止している館が増えています。それは地域力や文化力の低下につながり、社会的な損失であると言えないでしょうか。
 民間博物館の所蔵資料は、私有財産であっても地域社会にとってのかけがえのない文化遺産であり、いろんな意味での公共財産であると思います。民間博物館が所蔵する膨大な資料が地域社会にとって必要で、大切なものであると認識されるなら、社会も私立博物館の現状に目を向けて、ご理解とご協力をお願いしたいのです。
 来館された外国人に再三聞かれるのは、「日本はお金持ちではないのですか。このような素晴らしい博物館に支援がされないのは、なぜですか?」という質問です。



NO46
こけしのふるさとを訪ねて                  (2009年11月1日 井上 重義)

 当館の古くからの友人であるドイツ在住のへルベルト古本ご夫妻から、訪日する機会に東北のこけしの産地を訪ねたいとのご意向をお聞きして、それではと去る10月23〜25日まで東北のこけしの産地を案内しました。ヘルベルトさんには1994年に旧東ドイツ領の木工玩具の産地ザイフェンなどを案内いただき、また貴重なドイツの木製玩具の入手にご協力いただいたご縁もあり、少しでもご恩返しができればと出かけました。
みやぎ蔵王こけし館(遠刈田)

 私にとって、こけしの産地訪問は1985年以来24年ぶりでした。以前から後継者がいないなど、こけしを取り巻く状況の厳しさを聞いていましたので、この機会にこの目で現状を確かめたいとの思いもありました。
 2泊3日という限られた日数では、東北各地の総てのこけし産地を巡ることは不可能で、宮城県と福島県の主な産地をレンタカーで巡りました。訪問先は仙台駅−カメイ記念展示館−秋保工芸の里−鳴子温泉(泊)−日本こけし館−宮城蔵王こけし館−遠刈田温泉−弥冶郎こけし村−白石(泊)−白石蔵王駅構内こけし展示場−原卿のこけし群西田記念館−土湯温泉−福島駅でした。

秋保工芸の里で売られていたこけし
8寸 1,500円
 訪問先で目にしたのは、こけし業界を取り巻く予想を超える厳しい状況でした。昭和50年代〜60年代初めのこけしブームが去った後、こけしの需要は低迷して売れず、ほとんどの産地でこけしの値段がここ30数年間変わっていないと聞かされました。確かに1本1本手づくりされた高さ6寸(18cm)のこけしが1500〜2000円で売られ、これでは材料費や工賃などの経費を考えると後継者が育たないのも無理はないと思いました。またこけしコンクールなどで内閣総理大臣賞や文部科学大臣賞を受賞した工人の作品も、受賞したからといって特別な値段は付かないようです。
西田記念館
西田記念館からの景観

 こけしのメッカ的な存在であった鳴子温泉は、行楽のシーズンというのに街中を散策する人の姿は少なく、温泉街も空き家が目立ち、かつて訪れたときとは大きな落差がありました。遠刈田でも、こけし工人の工房が連なる新地こけしの里も、土曜日の午後というのに訪ねる人の姿はなく閑散としていました。

 こけしの展示施設である日本こけし館(昭和50年開館)と蔵王こけし館(昭和59年開館)は土曜日でもあり、それなりの入館者で、運営は地元のこけし組合が委託されていると聞きました。しかし学芸員の配置はなく、気になったのはこけしの退色が進んでいることでした。貴重な資料が取り返しのつかない事にならない内に、照明の専門家などの意見を聞くべきではないでしょうか。
 弥冶郎こけし村は展示施設と数軒の工人の工房で構成されていて平成5年に開館。展示施設の入館料無料はここだけで、工房では若い工人さんが仕事に励まれている姿を目にしました。

 原卿のこけし群西田記念館は吾妻連峰の山麓に位置し、教会を中心に洋風の建物群で構成されたアンナガーデンの一角にあり平成7年の開館です。財団法人東邦銀行文化財団が運営。学芸員を置き、年間3回企画展を開
土湯温泉の画廊喫茶
催。第44回企画展として「蔵王系こけし」が開催されていました。こけしの理解や評価を高める為の活動がなされており、館内からの吾妻連峰の景色も素晴らしく、こけしの展示施設では最高でした。
 最後の訪問地は土湯温泉。街の中にこけしを展示する洒落た画廊喫茶や展示施設があり、街角にはこけしを模った提灯が吊るされ、こけしが街の中に溶け込んでいました。また東北各地の若手工人を纏める人の存在もあり、これまでの産地の現状を見て暗い気持ちに覆われていたのが、この地に来てこけしの将来に明るさを感じ、ほっとしました。

 3日間の旅を通して気になった点がいくつかあります。ひとつはこけしの展示施設のどれもが洋風の建物だった点です。蔵王こけし館ではタイからの
土湯で入手したこけし
観光客がこけしの絵付け体験をされていました。これからは海外からの観光客が増えると考えられ、そのためにも東北の伝統的な人形を収蔵する施設は、風土にあった和風の建物が必要ではないでしょうか。また繁華街や工人の住まいと離れたところに展示施設が造られたのも、工人の工房を訪れる人が減った要因であり、今後の大きな教訓です。
 伝統を守るだけでこけしが画一化した産地は、確かにこけしの魅力が乏しくなっていると思います。形式や描彩などの伝統を守りつつ、今の人々にも受け入れられる工夫も必要ではないでしょうか。土湯ではその点、バラエティに富んだ楽しいこけしを見受けました。またこけしに使われている塗料は、黒と赤は退色が少ないのですが緑や黄色は退色が早く、古いこけしの多くは黒と赤だけが残っています。こけしの美しさを伝えるためにも、今と変わらぬ色調で退色しない塗料の研究が必要ではないでしょうか。
 伝統こけしはこれからもしばらくは厳しい時代が続きそうですが、工夫次第で人々の心を捉えられると思うのです。





NO45
トルコの玩具博物館から                  (2009年10月6日 井上 重義)

ランプの家での撮影風景
 このところ海外から玩具博物館関係者の来館が続きます。当館がHPの英語版を持ち、情報発信をしているからでしょうか。
 去る7月下旬にはエストニア第2の都市にあるタルトゥ玩具博物館の関係者3名が来館され、次いで今月3日(土)にはトルコ共和国からイスタンブール玩具博物館の館長Sukru Sunay Akin(スナイ・アクン)氏が来館されました。海外でも玩具についての関心が高まっているのか、近年、各地に玩具博物館が設立されています。タルトゥ玩具博物館は1994年、イスタンブール玩具博物館は2005年の設立です。

 私は1985年にスウェーデンのストックホルム玩具博物館を見学以来、デンマーク、ベルギー、スイス、ドイツ、オーストリア、スペインなど、ヨーロッパ各地の玩具博物館をいくつも見学し、見聞を広めてきました。
 世界で最も古い歴史を持つ玩具博物館は、ドイツの旧民主共和国領内にあるゾンネべルグ玩具博物館です。1901年の開館で国立でした。その後長い空白があり、ヨーロッパ各地で玩具博物館が造られるようになるのは1970年代からです。有名なニュールンベルグ玩具博物館は1971年。ザルツブルグ玩具博物館は1978年。ストックホルム玩具博物館は1980年の開館です。
イスタンブール玩具博物館館長と
硬い握手を交わしました。

 1960年代になってヨーロッパでも古い道具への郷愁がおこり、昔のおもちゃへの関心が高まり収集家が登場します。その収集品の散逸を防ぎ守る為に1970年代から各地に玩具博物館が誕生したのです。このように見ると今年開館満35年を迎えた当館は、世界の玩具博物館の中でも最古参の部類です。そして、私が35歳と若くして玩具博物館を設立し、海外の玩具博物館の事情を踏まえて個性的なコレクションの構築を計ったため、世界でもユニークな存在の玩具博物館として認められるまでになったのです。世界150ヵ国から3万点を超える資料を収集した玩具博物館は、世界でも類がないと思います。

 ヨーロッパでは個人が集めたものでも、それが社会にとって有益で大切なものであれば、行政府や自治体、市民が立ち上がり、玩具博物館が設立された歴史があります。ニュールンベルグ玩具博物館もバイヤー博士が収集した資料を後世に伝える為に市が設立し、ストックホルム玩具博物館はオールドタウン内にある小学校を街の活性化のために収集家に提供。スペインのトレドにある玩具博物館もEUが街の活性化を計るため、個人収集家を支援して立派な玩具博物館が設立されました。
寄贈した雛人形

 先日、当館館報『おもちゃと遊び』26を発刊しましたが、金融機関にお勤めで海外生活も長く、玩具事情にも精通された東京在住の山口照二氏が『イギリスの玩具博物館と日本玩具博物館』と題してご寄稿下さいました。氏は「当館を個人立とはいえ、その思想と哲学は趣味の域をはるかに超えている。館長の献身的なご努力の結果、世界に名だたる内容の充実した玩具博物館になり、建物にもディスプレイにも温かさに溢れている。他国の玩具博物館をいろいろと巡ったが、ここのように何度でも来たくなり、来るたびに新鮮な驚きと癒しを与えてくれるところは多くない。」と高い評価をして下さいました。
 8万点もの膨大な資料を持ち、季節毎にいろんな角度から玩具に光を当てた展示をしている玩具博物館は、正直なところ世界でも数少ないと思うのです。
 35年間で貴重な数々の資料を収集し、優秀な博物館スタッフに支えられて、海外からも注目される玩具博物館に成長したのです。

 この度、イスタンブール玩具博物館館長のスナイ・アクン氏が来館されたのは、外務省広報文化交流部総合計画課の招聘によるものでした。同氏の本業は舞台俳優で詩人、著述家です。2010年が「トルコにおける日本年」であることから、事前広報をかねて同氏をレポーターにして日本の各地をテレビ取材され、その一環として当館にも立ち寄られたのです。当館の紹介や私とアクン氏との対談も収録されました。11月にトルコで放映されるそうです。また同氏からぜひ雛人形を同館で展示したいとの要望が寄せられ、当館から1950年代の雛人形一式を寄贈しました。トルコからも伝統的な玩具や人形が届く予定です。
来年はイスタンブールで再会しましょうと、アクン氏と硬い握手を交わしました。





          
NO44
「人形遊びの世界」によせて             (2009年9月23日 井上 重義)

彼岸花
 当館の東に広がる田んぼの稲刈りが先日終わりました。当館の庭の6号館への小道には萩の花が咲き、ところどころに真っ赤な彼岸花が咲いています。
 「館長室から」は、少なくとも1ヶ月に1回は号を重ねなければと思いながら、仕事に追われてご無沙汰をしてしまいました。館の秋の企画展設営作業に続いて、先週は宮崎歴史文化館の「音と遊ぶ展」資料の撤収と門司港海峡ドラマシップでの当館監修出品による「
なつかしのリカちゃ
海峡ドラマシップの展示風景
ん&ジェニー」展設営のために尾崎学芸員と出張していました。海峡ドラマシップの展示は19日から始まりましたが好評と聞き喜んでいます。天井の高い多目的ホールに展示ケースを並べての展示で、当初は皆様に満足いただけるか心配でしたが展示が終わると、洋風の雰囲気がリカちゃんとジェニーにマッチして楽しい展示になりました。

 当館1号館の秋の企画展「人形遊びの世界」も、去る12日から始まりました。展示品のなかで昭和の人形遊びである文化人形、着せ替え遊び、ファッションドールなどは玩具メーカーが生産した人形であり、残る資料も少なくありません。しかし姉様人形や首人形は1点ずつ手作りされた作品であり、それらは文化財として評価されることが無かったために、古い資料で遺されたものは大変少ないのです。前号の「館長室から」でも触れましたが、当館は神戸で小児科医をされていた尾崎清次(1892〜1979)先生の収集品の寄贈を受け、その中に大正〜昭和初期の姉様や首人形のまとまったコレクションがあります。歳月を経た貴重な資料だけに普段は収蔵室にしまっており、今回約10年ぶりにその一部(姉様=仙台・会津・神戸・松江・松山・宇和島・熊本、首人形=山形・佐渡・淡路・徳島・松山・大洲など)を展示しました。恐らく現地の博物館でも見ることができない第一級資料です。

姉さま(仙台) 姉さま(会津) 姉さま(松江) 姉さま(松山)

首人形(佐渡) 首人形(淡路 首人形(徳島) 首人形(大洲
 展示品の神戸・高砂・姫路の当地方の姉様人形は商品化されたものではなく、いずれも母から子へと伝承されてきたもので、私が40年ほど前に集めた資料です。神戸と高砂では「おかたさん」、姫路では「ぼんちこさん」と呼ばれました。姉様人形を「ぼんちこさん」と呼ぶのは全国でも例がないと思います。また呼び名だけでなく、神戸・高砂と姫路の姉様とでは顔と髪の付け方に違いがあります。同じ地方なのに、呼び名や髪の付け方に違いがあるのはなぜなのか。そんなことを考えながら見ていくと興味津々です。
姫路の姉様 神戸の姉様


 姫路のぼんちこさんは、幸いにも作者が元気な頃に尾崎学芸員がその作り方を伝授されており、当館では伝承のための講習会を10月25日に開催いたします。ぜひご参加下さい。



NO43
「神戸人形と世界のからくり玩具展」によせて       (2009年7月10日 井上 重義)


おはぐろトンボ
 雨続きの毎日ですが、梅雨明けも間近になりました。緑に覆われた当館の庭には、おはぐろトンボが姿を見せ優雅に飛び交っています。
 今年、当館は開館35周年を迎えましたが、それを記念して当館の誇るユニークなコレクションの数々を1号館(企画展)と6号館(特別展)で順次公開しています。神戸人形コレクションもそのひとつです。

 当館の開館は昭和49年ですが、私が収集を始めたのは昭和38年(24歳)からで、以来46年の歳月が流れました。収集方針は基本的には変わらず、評価されずに忘れられ消えようとする子どもや女性の資料を集大成して後世に伝えることにあります。結果として8万点を越える貴重な資料を収集し、全国でも類を見ない数々のコレクション群を構築しました。また当館が収集するだけでなく琉球玩具や大正から昭和初期の玩具の尾崎清次コレクションや虎玩具では日本一と称される長尾善三コレクションなど、貴重なコレクションの数々の寄贈も受けました。

神戸人形展示風景
 神戸人形は、明治時代の野口百鬼堂の作から現代に至る150点を所蔵していますが、国内の博物館施設では類のないコレクションです。神戸人形は1点ものの手づくり作品であり、動かして遊ばれたことや、明治から昭和初期の作品の多くが神戸を訪れた外国船観光客が持ち帰ったことから、国内に残る作品は少なく、コレクション形成は困難でした。幸いなことに平成12年にニューヨーク在住のコレクターから明治から昭和初期の神戸人形43点の譲渡を受け、さらには神戸人形の4代目作者として活躍され、平成元年に没された数岡雅敦さんの遺族より約60点の作品を譲り受けるなど、二度にわたる購入により、大きなコレクションが形成されたのです。過去に作られた数百種に上る神戸人形の全体から見ると微々たるコレクションですが、初代とされる野口百鬼堂から4代目の数岡雅敦までの作品が揃い、神戸人形の全貌を掴むことができる楽しい企画展です。
 神戸人形は見るだけでも楽しいのですが、奇知に富むその動作は感動ものです。そのため特製の大型の神戸人形を会場に配置し、自由に動かして楽しんでいただけるようにしています。さらに夏休み中の日曜日とお盆には、各日の午後1時30分から展示ケースの中から神戸人形を取り出して、その面白い動きを紹介する実演会も開催します。
 1号館の「神戸人形と世界のからくり玩具展」と6号館の「なつかしのおもちゃ博覧会」。この夏のふたつの特別展は、皆さまを懐かしさと感動の世界に誘う、当館ならではの見逃せない楽しい展覧会です。ぜひお誘いあわせてご来館下さい。

野口百鬼堂作 出崎房松作 小田太四郎作 数岡雅敦作

NO42
資料と共に懐かしい思い出も保存。            (2009年6月25日 井上 重義)
ねむの花
晴天が続きだった天候も、7月が近づくと雨の日が多くなりました。当館の道を隔てたところにあるねむの木にも優しい花が咲き、遅咲きの紫陽花も花をつけて、雨の季節の風情を醸し出しています。
 好評だった「リカちゃんとジェニーの世界」は23日で終了予定でしたが、好評のために次の展示期間までの余裕もあり、1
週間延長して30日(火)まで開催いたします。この展示も「昔遊んだ。懐かしい」「欲しかったのに買ってもらえなかった」など、「子供の頃の思い出が蘇えった、来てよかった」と大勢の皆さまに喜んでいただきました。リカちゃんとジェニーが目当てで当館は初めての方も多かったようですが、当館が「リカちゃんやジェニーだけでなく何もかにもが楽しい」「雰囲気も最高です」と言ってくださる方が多く、フアンが増えそうで、嬉しいことでした。
 当館は歴史系の博物館であり、これまでの展示では平成時代の資料を展示することは稀でした。今回の展示ではリカちゃんが42年前、ジェニーが23年前から作られるようになった新しい資料であり、展示品の多くが平成時代に作られたものでした。それに「懐かしい」と大勢の皆さまが喜んでくださったのですから、私にとっては「目からうろこが落ちる」思いでした。思い出につながる資料は、近年のものでも大切に保存しなければと再確認しました。しかし、どんな資料でもよいわけでなく、歴史的資料や子供の心を育んできた良質の資料を中心にと考えています。
 懐かしいといえば、6号館の「なつかしのおもちゃ博覧会」。皆さまに懐かしいと言っていただける資料が沢山並んでいます。私にとって懐かしいのは昭和20年代。西部劇が流行り、百連発の煙硝鉄砲をパンパン鳴らして遊んだ思い出が蘇えってきます。来館者に聞くと「ビーズマジック」「リフティングゲーム」「仮面ライダーカード」「黒ひげ危機一髪」など、年齢の違いによって様々ですが、久しぶりに出合ったおもちゃの前で、感慨もひとしおの様子です。
 皆さまにとって懐かしいおもちゃは、どんなおもちゃでしたか。懐かしさと出合いに、どうぞお越し下さい。







NO41
「なつかしのおもちゃ博覧会」によせて            (2009年6月18日 井上 重義)

 当地方も梅雨に入りましたが、このところ晴天が続きます。当館の庭もすっかり緑に覆われ、6号館への小道はさながら緑のトンネルです。その6号館でこの20日から「なつかしのおもちゃ博覧会」が開催されます。
明治時代の貴重な「置き飾り絵」
 当館は開館35周年を迎えたのを記念して、これまで1号館での展示が多かったコレクションのいくつかを、規模が大きい6号館に移して披露しています。6号館は奥行き約90cmの展示ケースが約30mと平ケースが2台あり、1号館の約3倍の展示スペースがあります。 

 明治から昭和時代にかけて子供たちが実際に遊び親しんできた近代玩具コレクションも、膨大な資料を持ちながら6号館での開催は初めてです。そのため初公開の資料も数多く展示でき、見応えのある展示になりました。ブリキやセルロイドなど近代玩具は2号館でも常設展示していますので、当館が所蔵する近代玩具の主なものは展示出来ましたが、それでも昭和20年〜30年代にかけて駄菓子屋で売られた安価な紙物などの多くが展示出来ず、またの機会を考えています。
 展示の準備も終わり、数日前から披露しています。ご覧になった方は「良くぞこれだけの資料を集めましたね」とその量に感動され、かつて自分が遊んだ懐かしい玩具と出会い、初めて目にする珍しい資料の数々に感嘆されています。
昭和後期の女の子の玩具も展示しています。

 私が駄菓子屋で売られた玩具を集め始めたのは当館を開館する4・5年前でした。その頃、玩具の収集といえば郷土玩具を集めることであり、駄菓子屋玩具の収集家は全国でも稀でした。私は横須賀の故鈴木常雄先生からアドバイスを受けて集め始めましたが、高価なブリキ玩具は当初は収集対象とせず、その必要に気付いたのは1980年頃と出遅れました。しかし、今はその代表的なものは収集できたのではないかと思います。

 集め始めた頃は東京のビリケン商会などから購入していましたが、その後はオークションで入手することが多くなり、鑑識眼もありましたので貴重な資料の数々が入手できました。その成果のひとつが、占領下の日本で作られて、アメリカなどに輸出されたオキュパイドジャパンのブリキやセルロイド製の玩具です。20点近くを展示しています。アメリカで入手し日本のオークションに出品される方があったからです。ところが最近は、金額も高騰気味です。一足早く収集した、その時期が良かったのです。
 時代を越えて遊ばれてきた玩具の存在や、懐かしい玩具や珍しい玩具に出合える「なつかしのおもちゃ博覧会」にぜひご来館下さい。

昭和初期の玩具のいろいろ オキュパイドジャパンの玩具たち



NO40
ありがとう、雄鷄社                       (2009年5月5日 井上 重義)


これまでにちりめん細工関係の出版で長年お世話になった雄鷄社が先月17日に東京地裁に自己破産を申請、同社は倒産しました。誠に残念で、言葉もありません。

 雄鷄社からは1999年に私が編集協力して出版された『ちりめん細工で作る細工ものと押し絵』以来、私の監修で2000年に『四季を彩るちりめん細工』、2003年に『和の布遊びちりめん細工』、2004年に『ちりめん細工季節のつるし飾り』、2005年に『お雛さまと雛飾り』と5冊のちりめん細工の指南書的な本を出版。昨年暮れには『江戸・明治のちりめん細工』が出版され、その多くが版を重ねてきました。とりわけ『江戸・明治のちりめん細工』は新聞の書評などでも大きく紹介されて評判もよく、地元の姫路の書店だけではなく東京の書店でも平積みされていると聞かされ、後世に残る本として高い評価を得ていただけに大きなショックを受けました。

 雄鷄社の編集担当者は佐藤周子さん。『ちりめん細工で作る細工ものと押し絵』以来、総てのちりめん細工の本を担当下さっていました。どの本も売れ行きが順調なことから、来春には原点に戻り、初心者向けに『やさしく作れるちりめん細工』の出版を検討しようということになり、先月17日午後にその打ち合わせをしました。18日の午前に「雄鷄社が倒産したのではないか」との情報が届きましたが、前日に打ち合わせをしたばかりであり、雄鷄社のHPを開いてもそのような記載はなく、信じることが出来ませんでした。しかし19日になってそれが確かな情報であることが分かり、ただただ、驚くことばかりでした。雄鷄社の編集者からも、自己破産を申請したとの情報は私と打ち合わせをした後の夕刻になって知らされ、寝耳に水であったと聞きました。長い間、ちりめん細工の再興にご理解をいただき、お力添えをいただいただけに残念でなりません。

 当館としては先日、管財人に対して、在庫のあるちりめん細工の書籍の引取りと、ちりめん細工の普及にはこれらの本の再版が欠かせないので、再販についての権利などを問い合わせいたしました。実現には大きな課題があると思いますが、当館が係わってきたちりめん細工関係の本が、何らかの方法で今後も再版されるよう最善の努力をしたいと考えています。



NO39
好評です。
「リカちゃんとジェニーの世界」と「小倉城庭園の傘飾り」
 
                                          (2009年3月3日 井上 重義)

リカちゃんとそのキャプション
 当館1号館で2月28日から、企画展「リカちゃんとジェニーの世界」が始まりました。開催前からテレビや新聞などで大きく取り上げられることも多く、手応えを感じていましたが28日と3月1日の両日で約500名の来館者があり、久々に大勢の来館者で賑わいました。正直なところ、玩具メーカーが40年ほど前から売り出した人形が、これほど大きくマスコミに取り上げられ、大勢の来館者があるとは予想外でした。良い勉強になりました。
 1号館の展示換えは通常、水曜の休館日を利用して行います。火曜日の閉館後、展示品を夜遅くまでかかって撤収、翌水曜日に新しい企画展の展示を行うのです。しかし今回は火曜日も夜中の12時を過ぎ、翌水曜日は作業が終わったのが夜中の1時半でした。尾崎学芸員の指揮下スタッフ総出で展示作業にあたるのですが、いつもながらスタッフの熱意に頭が下がります。キャプションも企画展ごとに工夫が凝らされ好評ですが、今回はレースをあしらい、リカちゃん展にマッチした雰囲気を醸し出しています。来館者に感動していただける展示にとの、スタッフの熱き思いが来館者の心を動かすと思うのです。
お座敷での傘飾り展示風景

 北九州市立小倉城庭園のお座敷での傘飾り展も先月21日から始まりました。大の傘飾りが9基と小が8基、格調高いお座敷と雰囲気も合って、こちらも見応え十分です。オープン当日に地元のNHKや民放の取材もあり、放送されたこともあって来場下さる方も多く、二度、三度目という方があると庭園関係者から嬉しい連絡をいただきました。
柳川市内で見たつるし飾り
 私は20日夜、柳川に泊まり、21日早朝から西鉄の柳川駅で貸し自転車を借りて午前中「さげもんめぐり」で賑わう市内を巡りました。街中の至る所に、ちりめん細工や手まりを輪に吊るした「さげもん」が飾られ、雛の季節を華やかに盛り上げていました。この「さげもん」が町おこしとして始まったのは10年ほど前からですが、柳川の春の風物詩としてすっかり定着したようです。
 御花資料館で、酒田の「傘福」、伊豆稲取の「雛のつるし飾り」、それに柳川の「さげもん」の日本三大つるし飾りが展示されていると知り見学しました。巾4mほどの狭い展示スペースに約10数点ほどが並んでいました。作品の完成度も高いとは言えず、画一化して特徴もないのが気がかりでした。参考になったのは柳川の昭和初期に作られたさげ飾りで、それなりの個性がありました。
 柳川ではまだ中国製のちりめん細工は目に付きませんでしたが、売れるとなれば今後中国製のさげ飾りが出回る恐れもあります。地域として再興したさげ飾りをどのように発展させていくか、課題は大きいと感じました。そのためにも、福岡の皆様に「ちりめん細工・春の寿ぎ展」をご覧いただければ、参考になることも多いのではないかと思います。会期もあと数日ですが、ぜひお出かけ下さい。






NO38
さらに内容が充実
ちりめん細工と雛人形展
                    (2009年2月13日 井上 重義)

◆ちりめん細工の傘飾り

ユキワリイチゲの花
 寒々とした冬の気配が漂っている当館の庭ですが、見上げると、甘夏みかんの大きな実と万作
梅と鶯の傘飾り
の黄色い花が目立つようになり、地肌には可憐なユキワリイチゲの白い花も咲き始め、春が駆け足でやってきました。
 新春早々に開催する恒例の全国凧あげ祭りも無事に終了。小倉城庭園のお座敷に飾る傘飾りの制作に取り組んでいました。
 「学芸室から」の『67春を迎えた展示室』にもありますように、大勢の協力で新たに大の傘飾りが7組も完成し、既存の大の傘飾りと合わせると合計11組。この20日に小倉城庭園に出かけて設営します。21日の午前中は柳川の「さげもん」の調査に行きますが、午後からはお座敷に戻り、北九州の皆さまが傘飾りをどのように受け止めてくださるか、勉強したいと考えています。
 今回の展示のねらいは、単に傘飾りの紹介だけでなく、本物の「ちりめん細工」を知っていただくことにあります。次号で申し上げる予定ですが、私たちの長年に亘るちりめん細工復興の成果が商業主義に利用され、質の悪い化繊の中国製「ちりめん細工」が京都をはじめ全国の観光地に出回るようになり、「ちりめん細工」が質の低い土産物と誤解されることが増えました。以前から危惧していたことが現実になり、日本の伝統文化の破壊にも繋がりかねないと心配しています。



◆江戸期の雛が13組も

初公開の江戸期の雛と屏風
 6号館で開催している恒例の雛人形の特別展は、500組を超える膨大な雛関係の資料をベースに、毎年切り口を変えて雛の魅力や歴史などをご理解いただけるように展示しています。今年のテーマは「雛遊びの世界」。江戸期から昭和初期までの雛人形約30組を時代ごとに展示し、雛の道具類も20組。計50組もの展示は見応え充分です。
 雛関係の資料は現在も収集に取り組んでおり、今回、新しく入手した江戸期の雛3組と雛屏風2点を初公開しました。雛人形はご寄贈いただく資料も多いのですが、江戸期のものとなると稀で、今回初公開の資料はいずれもが購入資料です。江戸期の雛人形が立雛も含めて計13組も並び、格調高い展示になって、来館者から再三賛辞のお言葉をいただき喜んでいます。
岡部伊都子さん寄贈の雛人形





四世面竹の雛の表情
 さらに今回は、昨春亡くなられた随筆家岡部伊都子様から1986年にご寄贈いただいた人間国宝岡本正太郎(四世面竹/1895〜1981)作の雛人形を4年ぶりに展示しました。私は青春時代、弱者に温かな視線を注がれる岡部さんに惹かれ、著書を愛読していました。
 また山陽電鉄に勤めていた頃、同社PR誌『山陽ニュース』の編集を14年間担当し、岡部さんにも執筆いただいたことやわが娘に伊都子と名付けたご縁もあって1986年の春にご来館くださり、所蔵されていた高価な雛を大勢の方に見ていただければとご寄贈の話がでて、受け取りに京都のご自宅に家族で参上しました。
 その後、3号館で長い間飾っていましたが、長期の展示で資料が痛む恐れがでて、4年ほど前に収蔵庫にしまいました。
 四世面竹のこの雛は、他の雛にない閉ざされたような目と優美な表情をしており、その独特の雰囲気は、見る人を魅了することでしょう。






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