NO68

コピー商品の出現で
世界から伝統玩具が姿を消す現実

                            (2011年12月4日 井上 重義)

美男蔓12月、師走の季節なのに当館の庭は紅葉の真っ盛りです。山茶花や早咲きの椿の花、美男蔓や南天の赤い実
6号館への小道
にも心が癒されます。あと数日は紅葉が楽しめるのではないでしょうか。
今月に入るとクリスマスシーズンということもあってか、6号館の世界のクリスマス飾りをご覧くださる方が日ごとに増えています。来館者からは展示品だけでなく、この6号館への紅葉に彩られた小道が楽しいとのお言葉を何人もの方からいただきました。先日も広島からご来館いただいた方から、遠路来た甲斐があったとのお言葉に喜んでいます。昨日の尾崎学芸員のクリスマスの展示解説会も好評で、遠方からも大勢がご来館下さいました。

これま でにも収集にはタイミングが必要だと、何度も申し上げてきましたが、展示替え毎にそれを実感しています。今回の展示でも約7割が現在では入手不可能です。最近顕著なのが生産者が廃業して入手ができなくなったものが多いことです。その原因の多くは中国製の安価なコピー商品の影響によるもので、例えば可愛いらしい小さな木製人形で有名だったイタ
スウエーデン製の
エンジェルチャイム
リアのセビィ社は1999年に160年の歴史を閉じましたし、スウェーデンで1948年に誕生したローソクを灯すと天使が鐘を鳴らしながらクルクル回る金属製のエンジェルチャイムも世界中で人気があって、日本にも70年代から輸入され、当館も何種類かを購入して展示しています。それが近年見かけないと思っていたら安価な中国製のコピー商品の出現で数年前に会社が倒産、製造中止になっていたのです。それに本場ドイツのクリスマスマーケットなどでも、長年売られてきた麦わら製のオーナメント類や木製玩具もコピーの中国製品が増えており、世界各地で伝統的に作られてきた民芸品の数々がコピー製品の影響で急速に姿を消している状況に複雑な気持ちがします。というのも、当館が長年にわたり復興に努力してきたちりめん細工の分野でも中国製品が出回り、ちりめん細工が粗雑な手芸品として認識される状況が生まれているからです。伝統文化を外国製のコピー商品から守るにはどうすればよいのか、今後の大きな課題です。

博物館にとって、個性的なコレクションの構築こそが大切だと考えており、収蔵場所に四苦八苦しながらも必要なものが見つかれば購入しています。1年先のクリスマス展では日本のクリスマス資料を展示することになりましたので関係資料を収集していますが、嬉しいことに先日、日本で50年ほど前に製造されアメリカに輸出された松かさで作られた小人と、同じくアメリカで製造された貴重なガラスのオーナメントの数々を入手しました。アメリカの骨董市で売られていたものだそうで、入手された方からの購入です。他にも収集にご協力いただいています京都のS様からもロシアで制作の貴重なクリスマス飾りの寄贈を受けました。来期の展示をどうぞお楽しみにしてください。

エンジェルチャイムは最近になってトルコのAras Metal社が製造の権利を取得し、デザインやパッケージなど、当時の姿そのままに作られるようになったことを知りました。しかし、なぜスウェーデンで製造ができなかったのでしょうか。


アメリカ製のオーナメントの箱 アメリカ製のガラスオーナメント 松かさ小人の箱(日本から輸出) 松かさ小人(日本から輸出)



NO67

日本ヴォーグ社から
『ちりめん細工 つるし飾りの基礎』が出版されます

                            (2011年11月7日 井上 重義)

日ごとに秋も深まり、当館の入り口のノジギクの花が咲き始めました。紅葉の季節はこれからですが、館内の庭のモミジも色づき始めました。
さてこの度、私が監修の初心者向けの『ちりめん細工 つるし飾りの基礎』が日本ヴォーグ社から出版の運びになり、この11日頃には全国の書店に並びます。ちりめん細工の初心者向けの入門書的な本は1998年に私の監修で婦人生活社から『やさしく作れる伝承のちりめん細工』が出版され、解りやすいと好評で版を重ねて2002年には増補版も出版されましたが、2003年に婦人生活社の倒産で絶版になりました。作る過程が写真付で解りやすく解説されているため、入門書的な役割を果たす本として人気があり、絶版後もネットオークションでは定価の倍以上で売買されていました。そのため、ちりめん細工の底辺を広げるには解り易い基礎的な本の出版が欠かせないと考えていました。

日本ヴォーグ社から出版いただけることになり、今春から当館のちりめん細工講師の方の協力を得て準備にかかっていました。当初は個々の作品の作り方を中心にした婦人生活社と同様の内容でと考えでいましたが、出版社の意向もあり、作品をつるして飾る仕方などを取り込んだ「つるし飾りの基礎」が中心の本になりました。しかし、それが正解であったと思います。ちりめん細工は個々の作品を鑑賞するだけでなく、つるして飾るのも楽しいのです。1998年に伊豆の稲取で雛祭りにちりめん細工を輪に下げて飾る「雛のつるし飾り祭り」が復活し、それが引き金にもなって各地で雛の季節にちりめん細工をつるして飾る行事が行われるようになり、それがちりめん細工のひとつの流れにもなっているからです。

これまで当館では、ちりめん細工の普及と振興のために数多くの本を出版して
きました。1991年にはちりめん細工のバイブル書とも言える1909年(明治42年)刊の『裁縫おさいくもの』を自費出版。その後は出版社と作り手の方の協力を得て、1992年にマコー社から『ちりめん遊び』を出版。以来、NHK出版から『伝承の布遊び ちりめん細工』など2冊、雄鶏社からは『四季を彩るちりめん細工』など5冊、日本ヴォーグ社からは3冊と私の監修でちりめん細工に関わる本を出版し、ちりめん細工の魅力を知っていただくと共に普及に努力してきました。

しかし残念なことが起こりました。私は大勢の皆様にちりめん細工に親しんでいただくために解り易い作り方の本を出版してきたのです。それが「ちりめん細工」が知られると、私たちの本を参考に中国で作らせたものが京都などの観光地で売られるようになりました。材料は正絹の縮緬でなく化繊で出来た粗悪品です。それが安価で売られ、結構各地でみかけます。驚いたのは昨年、稲取でその中国製品が売られているのを見かけました。粗悪な中国製品が出回るにつれて、ちりめん細工が安っぽい手芸品だとの認識が広まっています。

『ちりめん細工 つるし飾りの基礎』は、AB版120頁。96頁が美しいカラーのボリュームある本なのに定価は1200円と大変お徳な値段です。粗悪な中国製品が氾濫する中で、本来のちりめん細工のすばらしさを知っていただき、日本女性が育んできた手の技や美意識のすばらしさを再認識していただく本にもなればと思います。ちりめん細工は型紙を使いますので形は同じですが、使う材料や柄、作り手の感性によって様々な楽しい作品になります。この本には26名もの方の作品が載っていますので、そのことが理解でき、感動されるのではないでしょうか。ぜひ手にとってご覧下さい。




NO66

播州の祭り屋台のこと
                                                                       (2011年10月19日 井上 重義)
当館が所在する播州地方では10月初旬から月末にかけて各地で秋祭りが開催され、太鼓の音が響きます。祭りには氏子たちが町内毎に、太鼓と太鼓を叩く乗
播州の神輿屋根の太鼓台(屋台)
り子を乗せた「屋台」と呼ばれる太鼓台を担ぎ出し、太鼓の音と掛け声にあわせて大勢で練り歩きます。その代表的な祭りが去る14・15日(雨のため本宮は16日に順延)に開催された松原八幡神社の「灘のけんか祭り」です。今年も数万人の見物客でにぎわいました。この21・22日にも姫路市網干区の魚吹八幡神社で「網干提灯祭り」があります。21日夕刻に氏子に担がれた1千本余の提灯が神社に集まり光の行列が夜遅くまで続き、翌22日は早朝から10数台の屋台がでて賑わい、この祭りで播州路の屋台の出る祭りは幕を閉じます。

太鼓台は江戸末期に大阪で誕生し、海運を通じて広く瀬戸内沿岸に広がりました。屋根に布団5枚を積む形が基本で播州地方の中でも明石市周辺は布団屋根ですが、姫路市周辺の祭りに出る屋台(太鼓台)は神輿型の屋根に豪華な金具が飾られた独特の形をしています。ところがこの神輿型の太鼓台が布団型からいつ頃にこの様な形になり、それがどのようにして発展したのかは不明でした。私は山陽電鉄に在職の頃、同社が発行する月刊PR誌「山陽ニュース」の編集を退職する1984年までの14年間、一人で担当していました。20頁程の冊子でしたが毎号、沿線の文化人や歴史、文化財を取り上げ、私鉄の発刊するPR誌の中では文化色の強い異色の存在でした。当然、沿線で開催される秋祭りにも光を当てたいと屋台の研究家を探したのですが当時は誰も居られず、加古川市在住の玉岡松一郎先生と共に調査し、先生に同誌1972年10月号に「屋台」として発表いただきましたが、なぜ神輿屋根になったのか、どこが発祥地であるかは解明できませんでした。

昭和初期の屋台の玩具
ただ聞き書きや文献資料などでわかったことは、幕末頃に描かれた松原八幡宮祭礼絵巻に神輿太鼓の名で飾り金具も少ない神輿屋根の太鼓台が描かれ、姫路市飾磨の恵美酒神社や的形の湊神社の祭礼の記録に神輿太鼓の名はあっても屋台の名は無く、屋台と呼ばれるようになったのは明治以降と考えられました。さらに40年前に屋台の飾り金具職人の川村さんから「質素な神輿太鼓が現在のように豪華な飾り金具や伊達縄で飾られるは明治27年(1894)の日清戦争と同37年(1994)の日露戦争後で、経済力の高まりと戦勝気分に乗って各町が競い合うように豪華な屋台を造り現在のような姿になった」と聞かされていました。

インターネットで調べるとその後、屋台に関心を持つ方が現れて播州祭礼研究室が開設され、平成11年にHP「播州祭り見聞記」がアップされています。播州各地の屋台などの現状や明治時代の屋台の姿が紹介され大変参考になりました。

播州路の屋台のことは昨年9月の館長室NO56でも「日本の祭りを総覧できる楽しい展示」として瀬戸内各地に残る太鼓台の玩具とともに説明しています。現在1号館で開催中の「ふるさとの玩具・古今東西」にも兵庫県淡路の布団太鼓、姫路の屋台、香川の布団太鼓、長崎の布団太鼓の玩具を展示しています。いずれも廃絶し現地でも見ることができない資料ですが、玩具の太鼓台は過去の歴史が推測できる貴重な資料であることに気付かれると思うのです。




NO65
       おもちゃずかん
『ふるさと玩具図鑑』が出版されました
                                                    (2011年8月25日 井上 重義)


9月が近づくと暑さも和らぎ、ヒグラシの鳴き声が聞こえてきます。館長室の東に広がる田にも稲穂が実り、ひと足早く秋の訪れを感じます。
 前号でもお知らせしましたが平凡社から発行の『ふるさと玩具図鑑』が出版され、見本誌が届きました。9月に出版とお聞きしていたのですが正式には8月23日発行で全国の書店に並んでいると思います。表紙は岡山県・吉備津神社のこま犬と鳥取県・岩井の木地玩具の虎です。優しい感じのデザインに仕上がっており評判も良く、喜んでいます。

私が知るかぎり、全国の郷土玩具を一堂に紹介する本は1992年に婦女界出版社(現オクターブ)から『全国郷土玩具ガイド』(畑野栄三著)が全国を4地域に分けて4冊の本が出版されましたが、それ以来ではないかと思います。20年近いその間に、郷土玩具を取り巻く状況は大きく変化しました。有名な出雲の張子の虎も2009年に作者が亡くなり廃絶。茨城県ひたちなか市の那珂湊張り子は農業の傍ら達磨を中心に首振りの虎やうさぎを作られていたのですが昨年から達磨以外は作られていません。おなじみの伊勢の竹蛇も平成17年に廃絶しました。そんな現在の状況を知るための資料にもなると思います。

この本では北海道から南下して各地の郷土玩具を紹介していますが、そのトップが北見のコマです。このコマはこれまでどの文献にも紹介されたことがない、知られざるコマです。今から25年前の1986年に北見市でオホーツク木のフェスティバルが開催され、当時お元気だった北海道教育大の伊藤隆一先生の紹介で招聘を受けて、フェスティバルに当館所蔵のヨーロッパの木の玩具を出品し、私も北見へ行きました。その会場で出会った木工職人さんに北見では氷の上でこま回しをして遊んだと教えられ、思い出して作ってもらったのがこのコマです。現在、このコマを作れる木工所も紹介しています。ほかにも戦前に廃絶し地元にも残るものがないと思われる貴重な仙台の姉様人形や長崎のおくんちの太鼓山なども紹介しています。

A5版オールカラーで160頁、定価1,900円(税別)です。当館のミュージアムショップでも取り扱いますが、この本に限り送料は当館負担でお送りし、ご希望の方にはサイン入り本をお届けします。電話かFAXでお申込下さい。

NO64
二つの嬉しいニュース
                                         (2011年8月7日 井上 重義)
猛暑の日が続きます。庭にはオハグロトンボが優雅に飛びかい、今年はせみが異常繁殖しているのでは、と思えるほど鳴き声が賑やかです。
完成した「回転する動物」を
手に持って喜ぶ子ども。

今年の夏休みおもちゃ作り教室で、私が担当する7月30日の動く動物おもちゃと8月6日のクルクル回転する鳥(動物)が終わりました。どちらも定員いっぱいの盛況で、子供たちも喜んで楽しい作品の数々を作ってくれました。引き続き、江戸のからくり玩具(7・12・21日)と鳴く鶏(20日)の教室があります。ぜひ子供たちとご参加下さい。

前号の「館長室から」で昨年度、地方新聞に連載された「ふるさとの玩具」が1冊の本になり平凡社から出版されるとお知らせしましたが、その編集作業が6月初旬から始まり先月末で校了になりました。新聞連載中は沖縄から北上しましたがこの度の本では北海道から南下することになり、原稿の修正や掲載した郷土玩具の現在の製作者の確認などで大変でした。しかしここ10数年来、郷土玩具についてのまとまった文献は出版されていませんので貴重な資料になると考えています。A5版約160頁、オールカラーで定価1900円です。書名は『ふるさと玩具図鑑』と決まり9月初旬に発売されます。人生最後の大仕事として1年間に亘り取り組んだ仕事が本になることに、感慨深いものがあります。
当館の特別展「世界の動物造形」のポスター

続いての嬉しいニュースは、文化庁の「ミュージアム活性化支援事業」に採択されたことです。当館は博物館相当施設に認定されているため、4月下旬に今年度実施の同事業についての募集案内が文化庁から届きました。美術館や歴史博物館が中心となった地域文化資源活用,地域連携強化,新規利用者層創出,国際交流拠点形成などの事業に対しての補助金交付で、5月16日が締め切りでした。申請を検討し、当館友の会や姫路観光コンベンションビューロー、姫路地方文化団体連合協議会など当地域の観光や文化団体の協力を得て「伝統玩具を活用したミュージアム活性化支援事業実行委員会」を結成。実行委員会として当館の特別展ポスターやリーフレットなどの製作、外国人に対する展示案内パンフレットやホームページの外国語版の整備を行うとして、姫路市教育委員会を経由して補助金の申請をしました。

2度にわたる審査があると聞きましたが、7月12日に申請が採択されたと姫路市教育委員会から嬉しい通知がありました。早速に特別展「世界の動物造形」のポスターとリーフレットの製作に取り組みポスター300枚とリーフレット5000枚が出来上がりました。姫路市と姫路市教育委員会の後援も得て、市内の公民館などにもポスターを貼っていただけることになりました。市の教育委員会との連携は合併以降はじめてで、一歩前進したと考えています。ポスターとリーフレットの製作は今年度3回分の補助をいただきますので、あとは「世界のクリスマス展」と「江戸と明治の雛人形展」を予定しています。いずれも国内では当館でないと見ることができない内容の特別展です。ポスターやリーフレットを全国の博物館などに送り、一人でも多くの来館者をお迎えできればればと願っています。

完成したポスターについて、数人の方から京都国立博物館の特別展「百獣の楽園」のポスターとよく似ていると指摘を受けました。実は国立博物館のポスターは当館にも届いており、ポスターの試作デザインが届いた時、構図もよく似て、バックも同館と同じような緑色であり、これでは真似をしたと指摘があるかも知れないとバックの色を黒くして夜のイメージにしたのです。国立博物館は収蔵品12,000件から選んだ初の動物特集で、日本で愛されてきた美術の世界に住む動物たちです。当館は所蔵の8,000点を超える世界の動物玩具の中から民族性豊かな80カ国800点を選んだもので、形や表情、色彩などを楽しんでいただきます。関西で開かれている動物をテーマにした二つのユニークな特別展。当館にもぜひご来館下さい。


参加者全員(8月6日・クルクル回転する動物)で記念撮影。


NO63          
博物館の使命は、文化遺産を守り伝えること
                                         (2011年6月11日 井上 重義)

紫陽花の花が咲き始めました。
夜になると館長室の東を流れる用水路に、蛍が飛び交うようになりました。総数で10匹ほどですが私たちを楽しませてくれます。1号館での企画展「世界のミニチュア展」の撤収作業は去る7日の夕方から始まりましたが、小さな資料を1000点近くも展示していましたので、撤収作業の大変さは予想をしていました。しかし、スタッフ全員の頑張りのおかげで夜中の12時近くには目途もつき、翌8日の夜には「七夕と夏まつり」の展示も無事完了しました。いつものことながらスタッフの熱意に頭が下がります。

七夕に関わる資料の収集は、今から44年前に私が姫路市南東部周辺の地域で七夕人形が飾られる風習を発見、報告して以来の資料収集の蓄積があります。しかし私の収集だけではなく、「学芸室から」で尾崎学芸員が報告しているように彼女自身も七夕行事に関心を持ち、全国各地で調査収集しています。それらの貴重な資料も展示されていますので、内容は濃いです。これまでにも当館では、七夕に関わる資料の展示をしてきましたが、2号館の一部を使った小規模な展示で、今回のような1号館を使った大きな展示は初めてです。それに実物資料だけではなく、各地の七夕飾りの状況や風景などが写真でも数多く紹介され、七夕行事を理解するための分かり易い見応えのある、おそらく全国でも珍しい展示会になりました。

今回の企画展では、明治期や昭和初期の七夕に関わる貴重な資料が多数展示されているのに驚かれる方もあると思いま
↑神戸の七夕人形、高さ6p
(大正時代、尾崎コレクション)
←生野の七夕人形、高さ35p(明治時代)
す。明治期の七夕人形は銀山で有名な生野で作られたもので、35年ほど前に骨董屋が生野の蔵から出たと持ち込まれたのを購入したのです。それを手がかりに生野でも七夕人形を飾る風習があったことが判明し、近年、生野では町おこしとして七夕人形が飾られるようになりました。昭和初期の七夕関係の資料は、仙台市の高砂地区や千葉や茨城県下で作られ、七夕に飾られたマコモ馬で、当館が受け入れた尾崎清次コレクションの一部です。これらは金銭価値があるものではなく、意識的に遺さないと今に伝わらなかったでしょう。記録し後世に伝えて下さった尾崎先生の偉大な功績を再認識した次第です。

今月の6・7日の両日、博多の九州産業大学で日本ミュージアム・マネージメント学会の第16回大会があり参加しました。いろんな研究成果の発表がありましたが、気がかりだったのが文化環境研究所所長高橋信裕氏の発表でした。地方の博物館では閉館になる館が増え、収集資料が放置され、活用されずにある危機的な状況の報告でした。その背景には「博物館法」などの国家による一律的な指針や役割規制が制度疲労を起こし、求心力が失われている現状があるとの指摘でしたが、私はむしろ「博物館法」の精神が理解されず、博物館の果たすべき本来の役割が形骸化されて、文化遺産を守るための施設ではなく集客装置化しつつあることが、大きな問題点ではないかと思いました。全国の自治体に博物館の本質を理解する行政マンが少ないのも問題ではないでしょうか。博物館は国による一律化や標準化から、各地方の実情に見合った「博物館法」の適用が可能なよう緩和化が進むとも言われましたが、それではますます博物館が形骸化する可能性が大きいと虚しい気持ちになりました。私は博物館が果たすべき重要な使命は「民族、歴史、生活文化などを体系的に表す場として、資料を継続して収集、研究し、未来に伝えることにあり」、展示活動はその上に成り立つのです。今回の七夕展のようなユニークな展示ができるのは、資料の蓄積があるからです。文化財の収集保存のために、公立博物館にも劣らぬ活動をしている私立博物館を支援することは文化遺産を守るために必要な施策ではないでしょうか。

先般来館された某県立博物館の学芸員から、年間の収集予算がゼロと聞かされて絶句しましたが、数年前にも日本の博物
館の半数が収集予算ゼロという報告を聞いたことがあります。博物館にとって大切なのは、資料を体系的に収集保存し未来に伝えることが活動の柱にならなければならない筈なのに、収集予算ゼロの状況が続け
マコモ馬(千葉県、大正末〜昭和初期) コモクサ馬(旧宮城県宮城郡、現仙台市)
大正〜昭和初期
マコモ馬一対
(東京都中央区、
大正〜昭和初期)
ば、博物館の春は遠いと思うのです。私は2007年5月の日本学術会議の声明『博物館の危機をのりこえるために』を繰り返し読んでいます。そして「博物館に託された役割と機能は、高い学術・芸術的価値と時間的価値を集積した実物資料の保存、継承、活用にある。博物館は、広く国民に対し、資料をできる限り適切な環境で公開し、その価値をわかりやすく示し、これらを確実に次世代に伝えることが期待されている。」との言葉を肝に銘じています。

昨年1年間、時事通信社の配信で全国の地方新聞に連載された私のコラム『ふるさとの玩具』が1冊の本になり、平凡社から9月ごろに出版されることになりました。作業にかかっていますが、製作者の住所や販売先なども載せ、「ふるさとの玩具」の活性化にも役立つことを願っています。



NO62

椿、利休梅、花桃・・・・
春の花の宴が始まりました
                                              (2011年4月6日 井上 重義)
  

春休み中は大勢の子どもたちが両親や家族と共に来館して、館内はいつもよりも大賑わいでした。東日本大震災の悲惨なニュースが連日報道される中で、来館して心が癒されたという方も大勢ありました。16年前もそうでした。ここに来て、やっと自分を取り戻した気がしましたと、被災された大勢の方から感謝の言葉をいただきました。落ち込んだ入館者は震災の翌年には大幅に増えて6万人もの大台に乗りました。日本玩具博物館に行けば心が癒されると口コミで広がったのでしょうか。日ごろから当館は、来館者から「心が癒される博物館ですね」と、言葉をかけられることが多いのです。
北の窓から普賢象と花ミズキ(昨年4月下旬)
南の窓から関山が(昨年4月下旬)

「加東市と神戸市から来ました。レトロな玩具の魅力に感動しました。そして新しい発見にとても新鮮でした」「ミニチュアと時代の懐かしさに感動してしまいました。日本の技のすごさに触れ、日本人でよかったと思いを募らせることができました
東の窓から利休梅(昨年4月中旬)
西の窓から花桃が眼前に広がる
。庭の椿、花々にも感動の一日でした」「メッチャ楽しかったです。また来たいです」と、館内に置かれた感想ノートには、来館した喜びの言葉が、子どもや大人たちから沢山寄せられています。

さらに来館された方から、「展示だけでなく庭などの雰囲気も最高です。遠方から来た甲斐がありました」と嬉しい言葉をよく耳にします。当館の白壁の建物に囲まれた中庭は1985年の3号館の建設にあわせて、近くの庭職人の方に手入れの行き届いた庭でなく、自然のままの庭にと私の考えを申し上
げて造っていただきました。
当館の東を流れる小川の水をポンプアップして庭に流しているのですが、3号館北側の溝に落差が作られ、庭にせせらぎの音が響きます。当初、庭にはミツマタや山野草などを沢山植え込んだのですがその多くが姿を消し、ユキワリイチゲや福寿草などこの地にあったものだけが残り、群落もできました。
変わって大きく増えたのが椿です。現在、椿が沢山美しい花をつけていますが、昨日、花の咲いてる椿を数えたら50本を超えました。名品の椿が多いのは姫路市勝原にお住まいの椿愛好家の小林稔さんが苗木を沢山提供下さったからです。それが20数年で大きく育ち、椿の園とも言われるほどの庭になりました。孔雀椿に黒椿、月光、玉の浦、岩根絞りなど椿の名品が続々と開花しています。

椿の花ではありませんが、花桃に利休梅、遅咲きの桜の関山、普賢象、霞桜なども4月中旬から下旬にかけて館内や館の周辺に咲き競います。桜の花は30年前と20年前に日本花の会から寄贈いただいたのが大きく育ったのです。私が気にかけてきたのが4号館の2階の窓から見える景色です。4号館の2階は世界の玩具や人形が展示されているのですが四方の壁には1箇所づつ小さな窓があり、そこからは成長した花木の見事な花の数々が目の前に広がります。北の窓からはさくらんぼの花に続いて普賢象、東の窓からは真っ白な利休梅の花、西の窓からは真っ赤な花桃、南の窓からは華やかな関山の花が美しく広がります。関山や普賢象は開花が少し先ですが、利休梅や花桃の花が咲き始めました。新学期が始まると来館者も減り静かな季節を迎えますが、当館は春の花に囲まれ、一年中で一番華やかな花の季節を迎えるのです。
 先月中旬頃から毎日、鶯もやってきて、囀りが美しく響きます。心の癒しもかねて、どうぞご来館下さいますように。




美しい椿の花も咲きました。



NO61

被災地の文化財救済活動から
                                              (2011年4月1日 井上 重義)
  

この度の東北地方太平洋沖地震は千年に一度といわれるほどの大災害になり、思いもよらない大惨事に言葉もありません。被災地の皆様には心からお見舞い申し上げますと共に一日も早い復興を願っています。

当地でも今から16年前の1995年に、阪神淡路大震災が起こりました。当館も震度4〜5の揺れがあり、数多くの展示資料が倒れ、その資料整理に1週間余りもかかりました。幸いにも破損したものは少数でしたが、来館者が激減し、この先どうなるのだろうかと大きな不安を覚えたことを思い出します。

被災地での活動は何よりも人命救助が優先します。阪神淡路大震災でもそれが一段落した2月になると、兵庫県教育委員
被災地の雛の登録カード
会などが学芸員やボランティアを組織して被災地から文化財を救出する文化財レスキューを行なうなどの情報が入ってきました。しかしその対象は文化財として指定された資料が中心で、認知されていない資料は救済されないとの情報も届き、玩具や人形を収集保存し後世に伝えることを使命に活動を続けてきた当館では、何とかそれらを救済出来ないだろうかと検討を続けていました。しかし私自身は当館が個人経営の私立博物館であることから、変な誤解を招いてもとの杞憂から、その実行に躊躇していました。

4月に入ってまもなく、当館友の会会員で神戸市須磨区の自宅が全壊した方が両手に人形を抱えて来館されました。そして被災地では「仮設住宅への転居や家の整理のため、嵩張るうえに気を遣う雛人形の処分に困っておられる方が大勢あり、粗大ごみ置場に出された雛人形を沢山見ました。それを助けられるのはこの博物館です。館長さん、人形たちを助け
神戸から届けられた大正期の御殿雛(雛展で展示中)
て下さい」と涙ながらに切々と話されたのです。私は行き場を失った雛人形や五月人形の救済に取り組むことを決意し、4月中旬に新聞社にその由を連絡しました。小さな記事ですが各紙に紹介されると、それを待っていたかのように多い日には段ボール箱で20箱、最終的には約250組400箱を超える資料が続々と届きました。そして荷物の多くには、「こちらの博物館だったら安心してお任せできます」との手紙が添えられていました。寄せられた膨大な資料は学芸員の手で丹念に整理され記録されました。ただ、すべての資料の保存は困難なために寄贈者の了解を得て、近隣の施設やドイツ、アメリカ、ブラジル、中国(上海)などの海外の博物館施設に震災の支援活動へのお礼の心もこめて再寄贈しました。

翌年の1996年春には『被災地からの雛たち』と題して、寄せられた雛人形の特別展を開催しました。明治から昭和までの60組の雛人形たちは、阪神間の雛人形の歴史が総覧できる展示だと好評でした。寄贈者に案内を差しあげたところ、初日に大勢ご来館下さいました。近くの神社から神職を招いて
雛供養を行いましたが、久しぶりの人形との再会に展示会場は暖かな雰囲気に包まれました。そして寄贈者からは、「辛いことばかりの1年でしたが、美しく蘇った懐かしい人形に再会し、心に春が来ました」「私たちの町はひどく壊れてしまいましたが、ここには祖母の雛人形があり、母の市松人形が仲間たちと住んでいます。この博物館があるこの町は私の故郷になりました」と、感謝の言葉をいただきました。
 この被災地からの雛人形は毎年開催の雛展で展示しており、今年は4組が並んでいます。
芦屋から届けられた勝手道具(雛展で展示中)


当館の節句人形の引き取り活動は、1999年発行の開館30周年記念誌に尾崎学芸員が詳しく報告しています。その中で活動を通じて得たものは−博物館が「私たちの町の収蔵庫」として機能することのすばらしさである。あそこには「あの」資料があり、大切にされ、次代に渡されていくのだという実感が人の心を支え、やがて町のアイデンティティを形成していく。博物館の収蔵活動の意味について、私たちは被災地の人々と人形たちからそう学んだのである。−と総括していますが、私もそれが博物館にとって、大切な仕事だと認識し、心に深く刻みました。

東北地方太平洋沖地震での文化財の救済活動は、これから本格化するものと思います。
このたびの災害は阪神淡路大震災の時とは違って、地震だけでなく大津波という想像もつかない壊滅的な被害であり、範囲も広範で文化財の保護救出はより困難ではないかと想像しています。文化財の救済活動は早いほうがその効果も大きいと思います。阪神淡路大震災の時も、芦屋の邸宅から着物などが持ち去られたとの噂話を聞きました。文化財として認定されたものだけでなく、歴史や地域の特色を表す生活文化財なども救済されることを心から願っています。
 遠方の地ではありますが、私たちがどのような協力が出来るのかスタッフとともに話し合っています。



NO60

中国民間玩具研究者、李寸松氏を偲んで
                                              (2011年3月1日 井上 重義)
      

庭に咲くユキワリイチゲ
3月の声を待ちかねたかのように、当館の庭には万作や梅の花、地上に目を凝らすとユキワリイチゲや福寿草など早春の花々が咲き競い、このところ「雛人形展も素晴らしいが庭のお花の数々にも感動しました。本当に来てよかったです」と何人もの方から喜びの声をいただきます。スタートした世界のミニチュア玩具展の評判も上々で喜んでいます。
庭に咲く福寿草


さて数日前、中国の北京から大きな荷物が届きました。この1月に84歳で逝去された中国民間玩具研究者の李寸松先生のご遺族からで、先生のご遺言によるものでした。チベット族の立派な布絵仏画(タンカ)の掛軸で、玩具というよりも貴重な芸術作品です。大切に保存し活用させていただきたいと考えています。

李寸松先生は中国の民間玩具(郷土玩具)の復興や評価を高めるために大きな貢献をされた方です。1927年生まれで1948年から中国各地の玩具や人形などの収集をされ、中国の民間玩具に関わる数多くの著書があり、中国美術館
先生から贈られた中国民間玩具の書籍
研究員をされ、民間玩具研究の第一人者として有名な方でした。私が先生を知ったのは1981年に京都の美の美から翻訳出版された『中国郷土玩具』によってです。初めてお出会いしたのは1993年秋に浙江省で開催された中国民間美術学会大会でした。翌年の1994年には東京の日中友好会館で「中国民間玩具の世界」展が開催され、その監修に来日された際に当館に立ち寄って下さったのです。

さらに2年後の1996年の秋。当館で所蔵品による「中国の伝承玩具」展を開催することになり、ご覧いただくと共にご講演もと考えて招聘したところ、それが実現しました。先生には2回も当館にご来館いただき、今から考えれば夢のようです。その後、北京のご自宅にもお伺いして交流が続きました。先生からは貴重な中国の民間玩具の数々をご寄贈いただき、当館の中国の伝統玩具コレクションの充実に大きなご協力をいただきました。感謝と共にご冥福を心からお祈り申し上げます。

先生が始めて当館に来館下さったときに尾崎学芸員と共にお話を伺い、先生の
先生から贈られた中国の民間玩具を囲んでの対談風景(1994年)
(左から尾崎学芸員、北京からの通訳李寸松先生、私)
民間玩具(郷土玩具)に対する考えや当館をご覧になった感想を伺い、当館館報『おもちゃと遊び』13号(1994年6月刊)に「対談」として掲載しましたが、その言葉はいまも色あせずに生き続けています。そのいくつかを紹介いたします。

「古くから伝わる民間玩具には、芸術的な観点からみても現代芸術の栄養となるような、素晴らしい要素が詰まっています。民間玩具の抱える世界は、芸術の母親的な存在であると思うのです。アフリカやアジアの民族工芸がピカソやマチスに深い影響を与えたように、民族的な工芸は、近代芸術を生み出す母体となるものです。ですから、民間玩具は子供が遊ぶ道具であると同時に芸術品として評価したいと思います。民間玩具を作ってきた人たちは、確かに無名の庶民にすぎません。しかし、こうした素朴な玩具を偉い芸術家に
先生から贈られた河南省淮陽の土笛
お願いしても作れるものではないでしょう。中国の民間玩具には、中国人民の暮らしの中から生まれた願いや価値観や美意識がこめられ、中国民族の風格というものが溢れています。『民族の風格』は、一人の偉大な芸術家が生み出すものではなく、多くの人間が長い歴史の中で作り上げるものではないでしょうか」。

李先生は海外からも招聘され、広い見識をお持ちでした。先生の当館の印象をお聞きしたところ、「所蔵品の豊富さに感銘を受けました。『民族玩具の宝庫』にやって来た、というのが第一印象です。これまでにロシアやフランスの玩具博物館を見学しましたが、こちらの博物館が一番すばらしい。とにかく、広い『世界というフィールド』で収集され続けてきた井上先生と日本玩具博物館を心から敬服します」。「日本玩具博物館は、姫路地域の『輝く真珠』であるばかりか、日本の宝石になる可能性を秘めた博物館だと感じました。将来的には、世界に向けて大きな影響をもたらすだけの潜在的な力を持っていると思います。個人の枠での博物館経営というのは大変だと思いますが、どうぞ、芸術家や多くの人の理解を得て、ますます博物館の評価が高まっていくことをお祈りしています」と、示唆に富んだ励ましのお言葉をいただきました。それをしっかりと今も胸に刻んでいます。


NO59

特別展「雛まつり」が始まりました
                                              (2011年1月25日 井上 重義)
寒さ厳しい日が続きますが、当館入り口の蝋梅の黄色い花が咲き始め、ひと足早く春の訪れを告げています。去る9日に開催しました恒例の第37回全国凧あげ祭りは天候にも恵まれ、青森県の津軽凧から沖縄の石垣島の八角凧まで日本各地の伝統凧が大空を彩り、大勢の皆さんに日本の凧の素晴らしさを満喫していただきました。例年、大勢のカメラマンが来場されており、ネット上には当日の情景が動画などでたくさん上がっています。ぜひ「第37回全国凧あげ祭り」でご検索下さい。臨場感あふれる画像をご覧いただくことができます。

6号館恒例の特別展「雛まつり〜お雛さまと雛道具」の展示が始まりました。正式には2月5日(土)のスタートなのですが、展示作業が23日に完了しましたので24日から開催しています。今回も18日のクリスマス展終了後、スタッフ全員が連日、夜中まで展示資料の撤収と展示に取り組み、22日には展示がほぼ完成しました。いつものことながらスタッフの熱意と努力に頭が下がります。早速に来館者から「雛人形の明治時代のものの素晴らしさに圧倒されました。檜皮葺の御殿や、特に台所用品には飽きることがありませんでした」と嬉しいメッセージをいただきました。
当館の雛人形コレクションは当初は郷土玩具の雛人形が中心だったのですが、約20年前より江戸から明治初期の裕福な階層の人々が
初公開の孔雀が描かれた屏風。格調ある雛屏風も見どころです。
飾った衣装雛の収集も必要だと考えて本格的に取り組んできました。阪神淡路大震災後に被災地から貴重な資料が寄せられたり、雛人形ブームが起こる前で江戸期の享保雛や雛屏風などの貴重な資料が購入できたことなどから、雛人形関係の膨大な資料が収蔵できたのです。超一級品はありませんが、質や量から言えば博物館施設としては国内第一級の雛人形コレクションが形成できたと自負しています。
6号館の展示スペースは、立ちケースが32mと平ケースが2台で3mの合計35mあります。今回は西の部屋に江戸期を中心とした雛人形、東の部屋には明治期から昭和30年ごろまでの御殿飾りを中心に展示しています。なんと言っても当館の雛人形展の見所は、江戸時代から昭和期までの50組にのぼる多彩な雛人形や雛道具の展示により、雛人形の歴史的変遷や江戸製や京阪製など、産地による雛人形の特徴が分かることです。
今回の展示では収蔵品の中から江戸時代後期の江戸製や京阪製の雛人形を10組展示していますが、産地の違いなどが
被災地からきた大正6年に東京松屋で販売された雛人形
解説され、三人官女などについても一人ひとりについての詳しい解説がなされています。ご覧になればひとかどの雛人形通にもなれるのではないでしょうか。御殿飾りも豪華な檜皮葺の御殿2組のほか、大正期や昭和初期の御殿飾りや昭和30年頃のきらびやかな御殿飾りまでが一堂に展示され、興味津々の内容です。
 皆様のご来館をぜひお待ち申し上げております。

最後になりましたが、私は本日、満72歳の誕生日を迎えました。24歳のときに『日本の郷土玩具』(斉藤良輔・未来社刊)と出合って以来48年間、評価されないままに失われようとする子どもや女性に係る文化遺産の収集に生涯をかけてきました。大切さに気付いたから集めたまでで、それが私に課せられた人生の課題と考えて頑張ってきました。ちりめん細工や世界の玩具など、当館が収集した膨大な資料の多くは、当館が収集していなければ後世に遺ることはなかったでしょう。さらに当館は大きな信頼を受けて、何人もの方から一生涯かけて築かれた貴重な玩具関係のコレクションを後世にと託されています。
 当館が保存している8万点を超える膨大な資料は、私自身の独りよがりであるかもわかりませんが人類文化の創造と学術研究に欠かせない大切な文化遺産であると考えています。収蔵資料を後世に伝えるには社会の支援がなければ継承は困難であり、それには当館の収蔵資料が社会にとって大切な文化遺産であると認識をいただくことが必要だと思うのです。
 今年はコラム「ふるさとの玩具」の連載から解放されましたので、大勢の皆様ともお出会いして、お知恵やアドバイスを賜りたいと考えています。




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