NO88
文化の日によせて・・・「文化遺産を守るには」
                                (2013年11月1日  館長 井上 重義)
11月3日は文化の日です。この日は1946年(昭和21年)に日本国憲法が公布された日であり、1948年7月20日に公布施行された「国民の祝日に関する法律」で「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日として「文化の日」が定められました。11
咲き始めたノジギクの花
月3日は皇居で文化の発展に功労のあった人々に対して文化勲章の授与式が行われるほか、各地で文化に係るいろいろな催事が開催されます。
しかし現在、スポーツや食文化がマスコミなどで華やかな脚光を浴びる半面、博物館や美術館などの文化施設は一部を除き、10数年前から冬の時代が続き、近年はさらに厳しさが増して、厳冬期に入ったと言われる状況下にあります。そしてこのところ気になるのは当館とも交流のあった、個人の意思で貴重な文化遺産を蒐集し、保存公開するために設立された博物館施設が閉館されるニュースが相次ぐことです。

広島県福山市にある日本はきもの博物館と併設の日本郷土玩具博物館は、財団
日本はきもの博物館と玩具博物館外観
法人遺芳文化財団の経営ですが、先般、11月24日で閉館するとの文書が届きました。同館は履物会社の経営者だった丸山茂樹氏(1934〜1996)が設立され、はきもの博物館は当館より4年後の1978年に、玩具博物館は1994年に開館しました。玩具を蒐集保存するという共通の立場から同館の学芸員とは設立当時から交流がありました。また同館は当館と同じくサントリー地域文化賞を受賞した数少ない博物館施設のひとつでした。閉館の大きな理由は入館者の減少などによるもので、1995年頃は年間6万人あった入館者が現在は1万2千人と減少し、最近は運営費の6割が理事長の寄付で賄われていました。財団は11月30日に解散されますが、施設と資料は伝統産業の文化財継承のため、福山市が引き継ぐ方針と聞いています。

奈良県安堵町の富本憲吉記念館は芦屋市にお住まいだった実業家の辻本勇氏が、出身地の安堵町にある富本憲吉氏の生家を買い取り、同氏が蒐集されてきた富本氏の作品や関連する文献資料などのコレクションを展示して、富本憲吉氏を顕彰する施設として当館と同じ1974年に開館した個人立の施設でした。辻本氏とは何度かお会いしてお話したことがあります。1980年頃は年間入館者が8千人あったのが最近は3千人にまで落ち込み、2008年に辻本氏が逝去後は義弟の山本茂雄氏が継承されましたが、昨年5月に閉館になりました。施設や資料を奈良県にとの話もあったと聞きますが不調に終わり、陶芸関係のコレクションは半数が兵庫県陶芸館と大阪市立美術館へ寄贈され、オークションにも懸けられたようです。貴重な資料が散逸したのが残念です。

アマゾン民族館の展示
山形県鶴岡市のアマゾン民族館は、同地出身のアマゾン研究家の山口吉彦氏(71)が蒐集されたアマゾンの先住民関係の資料を展示するユニークな施設で鶴岡市が1994年に設立しました。
 私と山口氏とは1998年に第20回サントリー地域文化賞を共に受賞したご縁があり、授賞式後、山口ご夫妻は当館にご来館下さいました。私も2007年にちりめん細工の傘福を調査のために酒田市を訪れた際、隣接する鶴岡市の同館を訪問、館内をご案内いただき、旧交を温めました。施設・コレクションともにすばらしい施設でした。山口氏は1970年代から80年代にかけて日本人学校の教師の傍らアマゾン川流域に入られ7千点にものぼる先住民の貴重な資料を蒐集されたのです。急速な開発により先住民の伝統的な生活様式は失われ、現在ではこのような資料の収集は不可能とされ、世界でも有数のコレクションと評価されています。市内の出羽庄内国際村にアマゾン民族館がオープンすると共に山口氏は館長に就任、活躍されていました。
 ところが4年前に同市のトップが替わると流れが変わり、入館者の減少や資料借用料などの費用対効果や開館後20年になり異文化理解の点で一定の役割を果たしたとして来年3月に閉館されることになりました。皇族の秋篠宮殿下も数回訪問され「世界に誇る貴重な宝」と評され、国立民族学博物館中牧弘允教授や東京大学木村秀雄教授ら10人の有識者が鶴岡市長に同館の存続をと意見書を提出されましたが、同市から「閉館を覆すことは不可」との回答があったと聞きます。確かに入館者数は開館当時の年間3万7千人が2011年には3千人を割り込む厳しい状況でした。
 しかし文化遺産の価値は入館者数で判断できるものではないのです。後世になって光輝く文化遺産はいくつもあります。明治時代に浮世絵などが大量に海外に流れましたが、現在その里帰り展が再三開催され大勢の人を集めています。
蒐集には、人とタイミングが欠かせません。山口氏という人があり、また先住民の生活様式が大きく変わる寸前という時期に蒐集されたからこそ、このような貴重な資料が収集できたのだと思います。山口氏の蒐集資料が散逸することなく、きちんと後世に残ることを心から願う次第です。

私は蒐集を始めて今年で50年になりますが、タイミングの大切さを痛感しています。世界の玩具にしても、経済の発展と共に生活内容が変わると手づくり的な玩具や人形などは急速に姿を消しましたが、その寸前に貴重な資料の蒐集に成功したのです。残念なのは今年になって、長年に亘り収集の手助けをしていただいたアフリカ、東南アジア、中南米の各輸入業者が廃業されたことです。今もお世話になっている業者は数社ありますが、その扱われる商品が大きく変わりました。装身具的なものが多くなって私たちが欲しいものが本当に少なくなりました。
当館の資料は検証していただくと世界でも屈指のものになっていることに気付かれると思います。現在開催中の「世界のクリスマス」にしても35年前から蒐集してきたのですが、昨年末に来館されたドイツの玩具専門家が、このような内容のクリスマスコレクションを見るのは初めてだと驚きのお言葉をいただきました。クリスマスの時期に何度も海外に出かけて収集し、輸入業者の協力もあって、本場のドイツでも見られないような内容のコレクションの構築に成功したのです。

受け入れた昭和初期の琉球玩具
当館の入館者数も大きく減少しました。1990年代の前半は年間6万人あったのが現在2万人です。しかし来館された方の感動の度合いは大きくなっており、6号館前に置かれた感想ノートには感動の言葉や来た甲斐があったと喜びの言葉が沢山記されています。人々の博物館離れや地域力の低下が大きく影響していると思います。残念ですがいつも弁当を配達して下さっていた「かまど屋」さんが先日閉店になり、またひとつ、地域力が低下しました。当館もちりめん細工に係る通販事業の成功がなければ閉館の事態に至っていました。利のためでなく、伝統手芸の再興に必要だと始めたものが博物館運営を大きく支えてくれています。ちりめん細工が恩返しをしてくれたと思うことがあります。

収蔵資料は現在も増え続け、それも思いもよらぬ貴重な資料が寄せられます。9月には懇意にしていた郷土玩具収集家の遺族から郷土玩具が届きました。整理をすると戦前の琉球の玩具が16点もありました。当館は同時期の資料を60余点収蔵していますので合計すると80点近くになります。戦前の資料は沖縄の博物館も収蔵されておらず、恐らく琉球玩具コレクションとしては国内トップといえるでしょう。当館の真摯な活動が認められているからでしょうか、昨年の中国民間玩具もそうでしたが、本当に一個人が運営する博物館に、驚くような貴重な資料が続々と寄せられてきます。これまでにも繰り返し申し上げていますが、私は当館が所蔵する資料は私有物だとは考えていませんし、本来ならば社会が保存し守るべき資料だと考えています。これらは放置しておれば、その多くが消え行き、後世に残ることはなかったと思います。ただ私も、財力のない一個人がこれほどの資料を将来に守り伝えていくことは限界が来たことを痛感しています。

文化遺産を後世に遺したいと使命感に燃え、人生をかけて収集し、個人で博物館施設を設立された方は、私以外にも全国に大勢あります。しかしその多くが社会的な支援のない中で閉館に追い込まれ、貴重な資料が失われました。
 世界的にも有名なイギリスの大英博物館は、収集家であった一医師が築いたコレクションがベースになって1759年に開館し、その後、社会の支援もあって大きな発展を遂げました。
 失われ行く文化遺産を収集し、後世に継承するために頑張っている民間博物館の現状に、ぜひ目を向けていただきたいのです。文化の日を前に、私の思いを綴らせていただきました。



NO87
嬉しいニュースと悲しいニュース
                                (2013年9月12日    井上 重義)
庭に咲いた萩の花
3号館の出口に植わっている萩の花が咲き始め、秋の気配が漂い始めました。今年の夏は猛暑続きの影響で来館者が減少した博物館が多かったと聞きます。当館も同様で、2割近くも減少、8月は約2,000人でした。
 9月に入って雨の日が続き、さわやかな季節になって、やっと来館者の皆様にも落ち着いてご覧いただけるようになりました。

そんな猛暑のなか、しかも交通不便ともいえる当館に、今年の夏も遠方から大勢がご来館下さいました。感想ノートには、「フェリーに22時間乗り、青春18切符で来ました」と北海道の学生さん。「時間が止まっているかのような素敵な空間です。外の木に蝉が無数にとまっているのに驚きました」とインターネットで調べて来て下さった方。「博物館見学の手引きのレポート作製のために来ました。昔の日本のおもちゃから学べることは多くあると思います。世界のおもちゃと日本のおもちゃの違いから、文化についても学べる良い教材になると思います。小学生だけでなく、中学生も楽しい勉強ができるのではないでしょうか」と教員志望の学生さんが記されていました。ハンガリーから来館された方は「外国人にはこんな博物館が喜ばれます。もっとPRされたらどうですか」と嬉しいアドバイスをいただきました。

当館は立派な建物の中にスマートな展示がされている市立や県立の博物館と較べると、これが博物館かと思われる方も多いと思います。しかし、緑の中に日本の伝統的な土蔵が建ち並び、木造の展示ケース内に日本の玩具や世界の玩具が所狭しと並ぶ状況は、見学者に大きな感銘を与えます。こんなにすばらしい博物館だとは思わなかったと言って下さる方が多いのです。

嬉しいニュースは、数日前にフランスのプロヴァンス自然史博物館から荷物が届き、開けると中から出てきたのは『Japon,la passionDes insects 虫愛でる国、日本』という58ページの冊子でした。同館で開催中の特別展の図録で、同展については尾崎学芸員が「学芸室からNO134」で紹介していますが、昨年の秋に同館から来館されて当館をご覧になり、その後、当館の所蔵品の貸し出し依頼があって31点の資料をお貸ししたのです。同展は昨年12月から今月29日まで開催されていますが、今年になってから貸し出した資料についての解説依頼があり、尾崎学芸員が執筆しました。図録ではフランス語と日本語で甲冑飾り、端午の節句の人形、虫かご、ちりめん細工など、当館の資料が12ページにわたり写真と文章で説明されています。日本国内では評価されることもなく、光のあたることが無かった資料の数々ですが、日本文化を紹介するものとして大きく掲載されたのは嬉しいニュースです。


 
表紙には当館の兜,、裏表紙には甲冑飾り。  


麦わらの虫かごなど 竹の虫かごなど
 鯉のぼり・武者人形  ちりめん細工

悲しいニュースは昨日の新聞各紙に、「灘中・高『伝説の国語教師』橋本武さん死去、101歳」の記事が掲載されたことです。私にとって先生は恩師といえる方でした。私は灘高の卒業生ではありませんが、郷土玩具の収集を始めた50年前か
祝賀会で先生からのお言葉に感激。
ら郷土玩具についていろいろとご指導をいただき、正直、先生との出会いがなければ単なる趣味家で終わり、玩具博物館もなかったと思います。先生との出会いは昭和38年に日本郷土玩具の会に入会したところ、東京本部から神戸に熱心な収集家がおられるのでと、連絡いただいたのがご縁でした。その頃は神戸の魚崎に住んでおられ、早速にご自宅にお伺いしました。ご自宅には収集された膨大なコレクションが飾られ、初めて見る郷土玩具の色と形に大きな感銘を受け、庶民が作り上げてきたものが評価されずに消え行く現状を知り、これらを守り伝えるのは今に生きる私の使命ではないかとの思いが湧き上がりました。当時は山陽電鉄の車掌をしていたのです。そんな私なのに、奥様の手づくりの夕食を再三ご馳走になり、今から思うとお忙しい先生であったと思うのですが、気安く時間を取っていただき、ご指導いただきました。それが今の私に繋がっています。

開館20周年記念誌に先生は、「人生いろいろ」と題してご寄稿くださいました。「私は『灘』という私立の学校に就任できたおかげで、50年もの間、自分の好きな仕事を、好きなだけ、好きなようにやることができ、退職してからも、今までの続きで、好きな仕事を当然のように続けてきた。・・・本職とは別に、いわゆる趣味の道にも頭を突っ込み手を染めて、かなり熱を上げてきたのが十指に余るほどある。遊び半分にやることとはいえ、時間もくうし労力も馬鹿にならず、かなりの出費も覚悟しておかねばならぬ。しかし本職と趣味とでは、天秤にかけてみるまでもなく、本職をゆるがせにはできないから趣味に徹しきれるものではない。・・・この大きな壁をぶち抜いたらどうなるか、ぶち抜いた後どのようでなければならないか、その絶好の姿をみせてくれたのが、わが忘年の友、井上重義君その人である。・・・歌謡曲の歌詞に『人生いろいろ』とある。だから人生は面白いといえるに違いないが、日本玩具博物館というユニークな博物館を趣味から出発しながら、グローバルな視野に立って独力で創建し、自由闊達に活躍しておられる井上重義君に心から敬意を捧げ、今後のさらなる発展を念願せずにはいられない。」と励ましのお言葉をいただきました。
先生は「自分がいいと思うやり方を見つけて、それを迷いなくやり遂げていって欲しい。自分がこうだと思うものを見つけて進んで欲しい。誰かのマネをする必要もない。とにかく自分がやりたいことをやる、ということが大切だ」と話されていましたが、私はそれを実践してきたと思います。
2007年に私は「地域文化功労者文部科学大臣表彰」を受賞しました。翌年1月19日にはその祝賀会が開催され、先生は95歳の高齢にも係らずご出席くださり、温かい励ましのお言葉をいただいたのも忘れがたい思い出です。
先生が収集された郷土玩具コレクションは阪神大震災後に引取り、当館で大切に保存しています。
先生、どうぞ安らかにお眠りください。


NO86
ウミネコの飛来地・青森県八戸で
特別展「世界の鳥のおもちゃ」を開催
              (2013年7月6日    井上 重義)
ウミネコ
青森県の八戸市博物館で、当館所蔵資料による特別展「世界の鳥のおもちゃ」が7月6日(土)〜8月25日(日)まで開催されています。その展示設営作業に協力のため、去る2日から4日まで、尾崎学芸員と共に八戸市に出かけていました。

遠く離れた本土最北端の地で「世界の鳥のおもちゃ」が開催されることになったのは、昨年6月に文部科学省で開催された第19回全国博物館長会議での事例発表がご縁でした。私は当館の活動についていろいろと話をしましたが、そのとき出席されていた八戸市博物館の工藤館長が当館の「世界の鳥のおもちゃ展」に関心を寄せられ、実現する運びになったのです。
 実は八戸市内には全国でも数少ないカモメに似たウミネコの繁殖地・蕪島があります。ウミネコは国の天然記念物で市の鳥にも指定されており、そのような鳥とのつながりから「鳥のおもちゃ展」が開催されることになったのです。ウミネコの繁殖地は国内に10箇所ほどありますが、殆んどが断崖絶壁や離れ島で容易に人が行けない場所にあります。蕪島もかつては島でしたが、第二次世界大戦中に陸続きになったと聞きました。小高い山の頂上に神社があり、その周辺に2月下旬から8月上旬まで、3万羽以上ものウミネコが繁殖のために飛来します。


蕪島神社への階段 参道の周辺いたるところにウミネコが
ウミネコの親子
去る3日に、ご案内いただき蕪島を訪れました。ウミネコだらけともいえる状況で、その数だけでなく、野鳥なのに全く人怖じしないのにも驚きました。手の届くほどのところに羽根を休めていて、近づいても飛び立とうとしませんし、神社の参道の周辺でもウミネコが雛を抱き、近くを通っても動かないのです。ただただ驚くことばかりでした。このような鳥との深いつながりを持つ都市の博物館で、「世界の鳥のおもちゃ展」が開催できたことを心から嬉しく思います。

展示は担当の学芸員も実物大の鳥のパネルを作るなどして、いろいろと工夫をされていました。作業は順調に進み、当館の展示とは一味違った、楽しいすばらしい展示になったと思います。ぜひ一人でも多くの方がご覧くださることを願っています。

八戸といえば郷土玩具の世界では八幡馬が有名ですが、市内には約3500年前の縄文時代の遺跡からの出土資料を展示する立派な是川縄文館があり、国宝に指定された合掌土偶が展示されていました。
 蕪島から南東に伸びる海岸線もすばらしかったです。日本の渚・百選に選ばれた大須賀海岸、波打ち際まで広大な天然の芝生が広がる種差海岸。それに早朝6時に出かけた陸奥港駅前の朝市も心に残りました。食べ物もおいしく、展示作業の合間の駆け足での見聞でも、八戸の魅力が満喫できました。
 新幹線の八戸駅に降りたときの印象は、広々とした平野に点在する建物が目に留まり、一見何の変哲もない町でした。それがわずかの滞在で、心に残る町になりました。
↑ニワトリの展示コーナー                     アジアの鳥→




NO85
密度の濃い特別展『中国の民間玩具』               (2013年6月20日    井上 重義)
今年は空梅雨に終わるのかと心配していたのですが、18日から雨が続いており、梅雨らしい天候になりました。6号館の特別展『端午の節句〜幕末から
1920年代の無錫の泥娃娃
(尾崎コレクション)
和〜』が今月11日で終了し、夕刻から撤収作業が始まりました。端午の飾りだけでなく、6号館の東室には御殿飾りがずらりと並び、そ
1930年代の長春の布老虎
(長尾コレクション)

の撤収もあって大変な作業になると予想していたのですが順調に進み、撤収作業は13日にほぼ終了しました。
 しかし、「中国の民間玩具」展の展示作業は大変でした。連日、夜遅くまで陣頭指揮をしてくれた尾崎学芸員の労に心から感謝しています。
 作業は出品点数も多く、1700点もの収蔵品から選考するのも大変な作業でした。通常ならその週の土曜日にほぼ完了することが多いのですが、最終的に作業が終了したのは18日でした。当初予定の出展数は800点だったのですがそれも大幅に増えて、最終的には約1000点を超える資料が並びました。

これほどの量と質の高い中国民間玩具が一同に展示されるのは、恐らく過去には例がなかったと私は思います。これまでにも東京の日中友好会館美術館で「中国民間玩具の世界展」が開催されたり、昭和初期の中国民間玩具を所蔵する国内の博物館施設でも中国の民間玩具展が開催されてきました。しかしこの度の当館の展示の大きな特徴は1920〜30年代の貴重な作品と併せて、文革後の1980〜90年代の作品が一同に並んだことです。なかでも1920〜30年代の民間玩具は中国にも遺るものはないとされ、それが300余点も展示されています。主なのは尾崎清次氏のコレクションですが、長尾善三氏の虎コレクションにも中国の民間玩具があり、併せて展示しました。

1980〜90年代のものは、私自身も中国浙江省での民間美術学会に参加したり、北京の李寸松先生宅を訪ねるなどして収集しました。また李先生からプレゼントされた資料には第一級の貴重な資料が多数含まれています。しかし、なんといっても今回の展示の主力は、昨春寄贈を受けた伊藤三朗氏のコレクションです。中国全土から貴重な資料が集められており、観光的なものは含まれておらず、確かな鑑識眼で収集された質の高さに驚きました。また布製の玩具も多数収集され、貴重なものが沢山あります。中国各地からこれほどの量のものをどのようにして収集され持ち帰られたのか、興味津々です。7月に来館下さいますので苦労話などをぜひお聞きしたいと考えています。
李寸松氏からの北京の風車(中央) 伊藤コレクションの布玩具「香包」(シャンハオ)

今回の展示の大きな特徴は、展示ケース内だけでなくケースの上や天井にも約40点もの凧が飾られて、6号館の部屋全体が展示室になっていることです。恐らく通常の博物館の展示を見慣れた方ならアット驚かれる手法です。6号館の展示ケースの延長は約36mありますが、そこに中国民間玩具が1章から10章までに分けて展示され、それぞれの分野ごとに展示と細やかな解説がなされています。説明も大きな字ではなく文字数も多いのですが、中国の民間玩具の世界が詳細に解説されています。説明を読み、資料を見ていけば1時間以上はかかる展示内容ですが、皆様から感動のお言葉が寄せられる展示になったと、私自身が感動しています。
また1号館で開催中の企画展『日本と世界のままごと道具』も、このような内容の展覧会は全国でも例がなく、全国的な情報誌にも取り上げられています。来館者からも、懐かしいままごと道具や珍しいままごと道具と出会えてよかったと好評です。
 当館でないと見ることができない二つのユニークな展覧会にぜひご来館ください。
6号館西室の展示風景

NO84
企画展「日本と世界のままごと道具」によせて              (2013年5月25日    井上 重義)
真っ白なエゴの花
6号館への小道は緑のトンネルに
青葉若葉の季節です。当館の建物群は緑にすっぽりと包まれました。といいますのは2・30年ほど前に植えた背丈ほどの木々のいくつかが大きく成長し、建物を超えるほどの高さに成長したからです。4号館から6号館への小道も緑のトンネル状態になりました。昨日からそのトンネルの入り口ともいえる4号館前に、5年前に植えたエゴの木が真っ白な可憐な花をつけました。
 当館から南西に車で5分ほどのところに姫路バラ園があり、バラの花が見頃になってバラ園に来られた方が当館にも大勢来館下さいます。当館の庭はバラ園の華やかさとは較べようもないのですが、緑の中に咲くエゴの花やウツギの花に、「情緒がありますね」といってくださる方も多いです。

去る21日の閉館後に始まった、1号館の「イースターエッグ」の撤収作業と「日本と世界のま
大正〜昭和初期のお茶道具遊び
まごと道具」の展示作業は順調に進展し、正式なオープンは6月1日からですが一昨日から来館者にご覧いただいています。当館での所蔵資料によるままごと道具関係の展示は、日本関係は2007年に「ままごと道具の今昔展」として開催しましたが、世界のままごと道具関係の展示は2003年以来10年ぶりの展示です。

展示はいつもどおり、尾崎学芸員の企画構成の指示に基づき完成しましたが、今回も豊富な資料を駆使したすばらしい展示になりました。展示資料が多いために2号館の一部も使い、展示ケースの延長は約24m。そこに約350種、点数にすれば千点を超える資料が並びました。確かに過密状態(笑)ともいえる展示ですが、解説も行き届き、まま
ごと道具の歴史がよく理解できる楽しい展示になりました。

世界のままごと道具では、食文化の違いや寄せる思いなどがよく解かり、約40ヵ国から集まっ
た120種もの資料は、さまざまなことを私たちに語りかけてくれます。世界のものはアメリカやデンマークなどのプラスチック製のままごと道具なども所蔵しているのですが、今回の展示は土、木、金属製などの手作りのものが中心です。10年ぶりの出合いでしたが、その多くが現在では入手不可能です。よくぞこれだけのものを集めることができたと、私自身が感動しました。収集は何をどう集めるかといった方向性と時機が大切であることを改めて痛感した次第です。
 ままごと道具は女の子なら子供の頃、誰もが熱中した遊び道具ですが、これらが文化財として評価されることはなく、ままごと道具をコレクションしているという話は聞いたことがありません。
中南米の国々のままごと道具 昭和40年代のままごと道具
昨秋、文溪堂から出版された『お面』

日本のままごと道具は、明治時代から平成初期までの膨大な資料を収集しています。特に昨年はままごと道具のメーカーであるダイワトーイ(八尾市)から申し出があり、昭和末期から平成初期までのままごと道具類約50点の寄贈を受けました。プラスチック製品が主ですが時代を反映した資料も多く、今回、約10点を展示させていただきました。

嬉しいことにこの度、この「ままごと道具コレクション」が文溪堂から1冊の本に纏められ出版されることになり、近く撮影のために来館されます。文渓堂からは「ぶんけいの〈伝承遊び〉シリーズ」として、お手玉・独楽・凧・メンコなど、子供の遊びに係る本が出版されており、昨年11月には『お面』(監修=日本玩具博物館、文=井上重義)が出版され、当館のお面の数々が紹介されました。「ままごと道具」も同シリーズとして出版されるもので、尾崎学芸員が執筆します。当館のコレクションが1冊の本に纏められて出版されるのは3冊目で、コレクションが輝き始めました。








NO83
播磨国総社の三ツ山大祭にあたって              (2013年4月1日    井上 重義)
4号館2階の東の窓からコブシと利休梅の花が美しい。
春爛漫の季節になり、当館の庭の花々が一斉に咲き始めました。しばらくは来館者の皆様から、展示品だけでなく庭の花々もすばらしい、心を癒されましたと感謝のお言葉がいただけそうです。特に今年は4号館2
巨大な三ツ山の置き山
階の東の窓から見るコブシの花が見事です。続いて利休梅の白い花、それに西の窓からは真っ赤な花桃の花がまもなく見ごろを迎えます。
 


姫路の播磨国総社では昨31日より、20年毎に開催される三ツ山大祭が始まりました。4月7日まで開催中ですが、このお祭りは神社の前に高さ18m、直径10mもある置き山が3基造られ、山上にある社に神々をお迎えする500年の歴史を有する全国でも珍しい祭りです。お参りすれば八難苦厄が払われるとあって大勢の参詣で賑わっています。


さてこの置き山を模した玩具が、古くから作られたことが郷土玩具の文献に記録されています。昭和7年刊の『お
もちゃ画譜』には「大正2年11月1日より7日間行われた三ツ山大祭のとき付近で売られたもので、高さ台車とも4寸5分、台の幅3寸5分、台の長さ9寸、三山とも張り抜き胡粉塗り、頂上の社は木片に銀塗り、屋根は厚紙に金塗り・・・三山とも緑青と茶にて松模様が描かれている。・・・何れも子供の遊びものとして作られたものである。」とあり、恐らく姫路の張り子屋が作り、露店などで売られたものと推測されます。幸いなことに、当館は同書にイラストで紹介されている三ツ山と同じ絵柄の貴重な実物を尾崎コレクションとして所蔵しています。三ツ山の玩具はその後は作られなかったようです。


昭和38年から郷土玩具の調査研究に取り組んでいた私は、同書で三ツ山の玩具を知り、大きな置
大正2年の三ツ山の玩具 昭和40年頃の三ツ山の玩具(高さ10cm)
き山を子どものおもちゃにした着想や、全国的にも例がない祭り玩具であることから、何とか復活できないものかと考えました。当時、総社の荒木宮司さんとは懇意であったことから、姫路張り子の松尾さんに張り子で置き山を作っていただき、私が彩色したものを車付き台に載せたのを昭和40年頃から総社で授与するようになったのです。その後は松尾家に作っていただき、昭和48年の三ツ山大祭でも売られましたが、現在は残念ながら授与されていないようです。

盛況だった三ツ山の講習会

この度の三つ山大祭にあたって思いついたのが、ちりめん
ちりめん細工の三ツ山(高さ10cm)
細工で三ツ山を作れば祭りの記念としてもふさわしいものになるのではないかと考えました。そんな折、総社近くにお住まいでちりめん細工講師の清元瑩子さんから、三ツ山を作りたいとの話が出て、清元さんと試行錯誤の結果、完成したのが写真のようなすばらしいちりめん細工の三ツ山です。去る2月中旬には当館ちりめん細工研究会でご指導いただき、全国から参加された50名の会員が制作技法を習得されました。その後、東京・大阪・北九州で、ちりめん細工の三ツ山の制作講座が開催されました。20年に1度の祭礼が、ちりめん細工によって身近な存在に蘇りました。
清元様制作の三ツ山一は播磨国総社に奉納され、神社からお礼の言葉がありました。




NO82
春を寿ぐ二つの特別展示              (2013年2月23日    井上 重義)
春がすぐそこまで来ているのに厳しい寒さが続きます。しかし、当館5号館前に広がる小さな庭には蝋梅やマンサクの花が
咲き、椿の花も咲き始めました。足元に目をやると福寿草が黄色い花をつけ、ユキワリイチゲの白い可憐な花も咲き始めました。まもなく当館は春爛漫の季節を迎えます。
5号館前の庭に咲いた福寿草の花 ユキワリイチゲの花 マンサクの花
本日から1号館で企画展「春を祝うイースターエッグ」が始まりました。さる19日夕刻からコマ展の撤収とイースターエッグ展の展示作業を始めましたが、作業は順調に進行し21日からご覧いただいていますが、正式には本日からオープンです。このイースターエッグ展は、尾崎学芸員が学芸室からでも詳しく述べていますが、彼女がいつの日か
ルーマニア・ブコナビ地方のイースターエッグ
イースターエッグ展をと考えていたのが実現したのです。当館のコレクション形成はほとんどのものが、私が心に決めて集めたものが多いのですが、このイースターエッグ展は京都にお住まいで当館をご支援くださるSさんのご協力と尾崎学芸員が収集を担当した資料が中心です。イースターエッグは卵に彩色したり加工したもので、その数は約150点。作られたのが遠く離れた東欧が中心であり、正直なところ私自身もそれほど関心を持っていませんでした。しかし展示を見て感動しました。卵という小さな作品にそれぞれの国のお国柄や手仕事の文化が込められているからです。すばらしいとしか言いようがありません。来館された方も大勢が立ち止まり熱心に見入っておられます。
学芸員手作りのパネル
わが国ではなじみが薄いイースターエッグですが、すべて卵の中身が抜かれて彩色されています。私もそうでしたが、恐らくご覧になった誰もが、どうして卵の中身を抜くのだろうと不思議に思われると思います。その中身を抜く手法などが会場では詳細に説明されています。展示をご覧いただければイースターエッグへの理解が深まること間違いなしと思いました。
展示説明のパネルは、公立館では恐らくほとんどが業者に委託して製作されていると思うのですが、当館では展示説明のパネルはすべてが尾崎
5号館ランプの家に飾られた雛飾りと傘飾り
学芸員の手作りです。わかりやすい心のこもった展示手法に、私だけでなく、ご覧になる皆さまの心をもとらえるでしょう。
イースターエッグ展が始まり、当館の今春の企画展と特別展が出揃いました。いずれもが春を寿ぐ催しであり、当館でないと見ることができない資料の展示です。イースターエッグ展は恐らく国内の博物館施設としても珍しい催しではないかと思います。特別展の「御殿雛の世界」も、江戸期から昭和中期までの御殿飾りが16組も並ぶのは国内では例がないと思います。5号館のランプの家にも大正期に姫路で飾られた押絵雛の御殿飾りと昭和末期の豪華な京雛の段飾り、それにちりめん細工の傘飾りが並びました。
当館は外国からの来館者が再三あり、そのため、英語版と中国語版のパンフレットを作っていますが、この度、韓国語版のパンフレットを製作しました。これまでのところ韓国からの来館者は目立たないのですが、来られていても日本人と変わらぬ体裁なので気がつかないのかもわかりません。先日も5号館で声をかけた来館者が韓国からの人でした。当館が海外からの来館者に喜ばれるのは展示内容だけでなく、その光景と白壁土蔵造りの日本らしいたたずまいが心をとらえるからではないでしょうか。


NO81
「雛まつり〜御殿飾りの世界」によせて     (2013年1月29日    井上 重義)
咲き始めたロウバイの花
早春に咲く、黄色い可憐な蝋梅(ロウバイ)の花が咲きはじめました。館の入り口や館内の庭に5・6本の素心蝋梅や満月蝋梅が植わっており、椿などとあわせて、当館の38年の歴史と共に成長してきた木々のひとつです。
先週の22日夕刻からのクリスマス展の撤収作業に続き、特別展の雛まつり展の準備作業に追われる毎日でした。この度も膨大な資料の撤収と展示は御殿飾りを15組も組み立てる大変な作業でしたが順調に進み、27日に完了しました。正式には2月2日がオープンですが、28日からいつものように来館された方にご覧いただいています。

今年度の雛まつり展のテーマは「御殿飾りの世界」です。当館が所蔵する50組を超える雛の御殿飾りから、江戸・明治・大正・昭和と時
明りが灯った雪洞
代を追って15組の御殿飾りを選び展示しました。京都や大阪で製作され、江戸時代末期から明治・大正・昭和と時代と共に変遷してきた御殿飾りの歴史が良く理解できると思います。とりわけ明治末期から昭和初期にかけて作られた豪勢な檜皮葺御殿の数々は贅を尽くしたものです。明治38年の日露戦争終結後から大正時代にかけての好景気の時代を反映した雛飾りといえるでしょう。当館はこの檜皮葺御殿を7組収蔵していますがその中から3組を選び展示しました。うち2組が初公開の資料です。とりわけ大正11年の丸平(大木平蔵) 製の御殿飾りは、当時小さな家が1軒買えるほどの価格だったと伝わります。

静岡製の華やかな御殿
今回、展示ケース内の雪洞に始めて明かりが灯りました。実は丸平製の御殿飾りに付属する雪洞には電灯がともる仕組みになっており、電気を入れると雪洞が灯りました。現在では雪洞の中に電灯をつけることは当り前のことですが、当時としては画期的なことではなかったでしょうか。展示ケース内の雪洞に明かりが灯ると、会場はこれまでとはひと味違う華やかな雰囲気に包まれました。きっと皆様からも感動のお言葉がいただけそうです。

御殿飾りは昭和30年代に終焉を迎えましたが、その頃、御殿飾りが盛んに作られていたのは雛道具類の産地でもあった静岡地方に移っていました。しかし京都や大阪で作られた頃の御殿飾りと比べると大きく変身していました。御殿は京都御所の紫宸殿を模して作られたと伝わりますが、それが華やかな色彩と屋根にブリキ製の鯱が飾られたものになっていました。そんな御殿飾りの変遷がたどれるのも、膨大な資料を所蔵する当館だからできる展示です。

例年通り西室には、内裏雛の名品の数々も並んでいます。贅を尽くした道具類の数々も見事です。解説をたどりながら会場を一巡していただくと雛飾りを見る楽しさがさらに膨らんでくるでしょう。皆様のご来館をお待ちしています。








NO80
蒐集を始めて50年、節目の年です     (2013年1月元旦 井上 重義)
新年おめでとうございます。良き新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。
今年は私にとって感慨深い節目の年です。といいますのは郷土玩具の収集を始めて50年になるからです。動機は何度か申しあげてきましたが、昭和38年、24歳のときに通勤帰りに立ち寄っていた書店で偶然、朝日新聞記者だった斎藤良輔氏の『日本の郷土玩具』(未来社昭和37年刊)を手にしたのがその後の私の人生を大きく変えたのです。
『日本の郷土玩具』(昭和37年未来社)

その本には「日本の古いおもちゃー郷土玩具は、この国土に芽生えて花開いた、われわれ民族のかわいらしい文化財である。その花々が色あせて散ってしまわないうちに、誰かが、その生い立ちや実情を調べて記録しておくことが大切ではあるまいか」と記されていました。巻末に全国各地の郷土玩具製作者の名前があり、それを契機に仕事の非番日や休日を利用して兵庫県内から関西各地へ、さらには全国へと収集や調査にでかけました。
その報告を当時、斉藤良輔氏が編集されていた日本郷土玩具の会の機関誌『竹とんぼ』に頻繁に送っていました。氏からは温かな励ましやアドバイスを何度もいただきました。昭和59年に出版された増補版『日本の郷土玩具』のあとがきには、「独力で日本玩具博物館を設立された井上重義氏はこの本との出会いから生涯を郷土玩具の収集保存にささげるべく決意をしたというのである。著者としては、過分の光栄であり、感激である。」と記して下さいました。さらに平成6年の当館開館20周年記念誌には『「日本(一)玩具博物館」賛歌』と題してメッセージを寄せてくださり、「真の博物館機能を備えた当「日本玩具博物館」は、日本を代表する文化施設として、海外の一流博物館と肩を並べるほどに成長しました。創立20周年の晴れの日を迎えることができました日本玩具博物館が、これからさらに世のため、人のために力強く、明るく役に立っていくことを祈ります。その対策としては、館内見学の来館者数を増大するため、現在以上の収蔵資料の増加を図り、展示内容に学問的魅力を加えた着想運営に努力すること。来館のお客さんの心を楽しくさせることです。それから全国各地から出品依頼の施設、企業などとの契約数をさらに増やすことに努力していってください。」とアドバイスもいただきました。

入手した須賀川の押し絵
羽子板
さらに幸いだったのは収集を始めてまもなく、神戸に熱心な郷土玩具の収集家がおられると紹介いただいたのが灘高校国語教師の橋本武先生でした。ご自宅に何度もお伺いし、一緒に収集の旅にも出かけ、貴重なアドバイスをいただきました。そして昭和56年には神戸新聞出版センターから兵庫県内の郷土玩具をまとめた『兵庫の郷土玩具』を出版しました。先生との出会いがなければ単に趣味の世界で終わっていたと思います。

収集する過程で解ったのは郷土玩具が文化財として評価されることなく、消え行くものが多いことでした。とりわけ昭和40年頃は古いものに光が当たらず、価値のないものとして多くのものが地元の人からも忘れられ、消えようとしていました。時代に流されて消え行く運命にあった「子供や女性の文化遺産」を収集し後世に伝えるのが私に課せられた使命だと考えるようになり、その考えをもとに50年間頑張ってきたのです。

博物館を開設してから38年の歳月が流れました。その方針と継続は大きな力に繋がり、私自身でさえも思いもよらなかった数多くの特筆すべきコレクション群の形成に成功しました。世界の玩具と人形、ちりめん細工、神戸人形、御殿雛など。他には例がない国内第一級のコレクションであり、当館が収集していなければ後世に遺ることなく散逸していたと思います。現在も追い求めているテーマはいくつもあります。そのひとつの羽子板は昨年、明治末期の福岡県産の押絵羽子板や福島県須賀川の押絵羽子板を購入。さらに雛人形も幕末期に江戸から京都へ古今雛の指導に来た玉翁作の雛人形を購入しました。しかし当館のコレクションが大切な文化遺産だとして社会的な評価を受けているとは言い難いのです。本来ならば、社会が守るべき大切な文化遺産であることを一人でも多くの方に認識していただく活動が、今後は必要だと考えています。
作者リストには〇が付けられていました

収蔵品には大勢から託された資料が多くあり、ここ数年は驚くほど貴重な資料が続々と集まってきます。昨年は1年間で2000点を超える受贈資料がありました。名古屋の伊藤三朗様から中国民間玩具約1000点の寄贈があったことは館長室NO73でも報告しましたが、暮れの12月にも昭和30〜40年代収集の郷土玩具約1000点の寄贈を受けました。収集者は明治39年生まれで平成2年に亡くなられた関東在住の社会的な地位がある方でした。送られてきた資料の中に偶然にも『日本の郷土玩具』があり、巻末の作者のリストには収集品に〇が付けられていました。寄贈者の了解を得ましたので、一部は日本文化を紹介するために韓国の博物館に寄贈する予定です。

今年も当館所蔵品の館外での展示が、春に北九州市立小倉城庭園、夏に青森県八戸市立博物館であります。出版物も文溪堂から「ままごと道具」、日本ヴォーグ社からちりめん細工関係の執筆依頼を受けています。課題の財団法人化も今年、一般財団法人の申請をする予定です。膨大な収蔵品を一人でも多くの方にご覧いただくための館外展や提携館の検討など問題が山積していますが、経営環境は厳しいものがあり、この膨大な資料を社会の財産としてどのようにして後世に伝えていくべきかが最大の課題です。皆様のお知恵をぜひお借りしたいと考えています。
本年もよろしくご指導とご支援をお願いいたします。







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