2008年6月15日(日)
全日本博物館学会第34回研究大会フォーラム資料
                                    井上 重義(日本玩具博物館館長)


私設博物館のコレクションと地域とのつながり

1、なぜ個人で博物館を造ったのか
 動機は、1963年に『日本の郷土玩具』(斉藤良輔・未来社)を読み、郷土玩具の存在を知り、以来各地を歩いて収集した。旅先で民俗資料館や博物館などを訪ねたが玩具や人形が展示されていることは稀でそれらが社会から文化財として認知されず、消えつつある現状を危惧した。資料が5000点に増えた1974年、評価を高めるには収集資料の公開が必要だと考えて新築した自宅の一部47uを展示館に井上郷土玩具館を開設。その後も資料収集と施設の拡充に努め、1984年には日本玩具博物館と改称、私は会社を退職し館運営に専念した。
 1990年に学芸員を採用、登録博物館を目指したが実現せず、1998年に博物館相当施設に指定。現在は6棟700uの施設で、6名の常勤職員とパート2名で個人運営(青色申告)している。


2、 当館のコレクション
 私は博物館の最大の使命は「人類の文化遺産を収集保存し、後世に伝えるための装置である」と考え、開館後もコレクションの充実に心がけ、私なりの視点で子どもや女性のもので今集めなければ消えてしまう恐れのあるものに的を絞った。郷土玩具をベースに、子どもたちが実際に遊んできた駄菓子屋玩具や近代玩具、さらに1977年から世界の玩具や人形、1980年からちりめん細工、1995年の阪神大震災では雛人形の引き取り活動などを行い、現在は国内資料が5万点、海外が150カ国3万点に及ぶ。現在も年間1千点前後の資料を収集。寄贈が3、購入が7の割合である。
 幾つもの国内第一級のコレクション構築に成功した。琉球玩具、独楽、凧、羽子板、雛人形、祭りの玩具、ちりめん細工、瓶細工、世界の玩具と人形(クリスマス、音のする玩具、動物、ままごと道具など)。恐らくこれほどの資料を所蔵する玩具博物館は世界でも第一級ではなかろうか。
 収集は、何をどう集めるのか、そのタイミング、継続、ネットワークなどが大切。資金だけでは集まらない。膨大な展示資料をベースに、1号館と6号館で季節毎に特別展開催。依頼を受けて館外展も実施。個性的なコレクションは国内だけでなく海外からも来館者を呼び寄せる力になった。

3、 地域とのつながり
 当館が所在する香寺町は人口2万人。柳田國男の生家がある福崎町と隣接し姫路市のベットタウン的な農村地帯で、これといった観光資源はなかった。当館の入館者は多いときは年間入館者が人口3倍を超え、それも売りになってユニークな玩具博物館として全国に情報発信された。1987年に兵庫県が県民意識調査を実施、当館が街の顔に選ばれた。1980年に香寺町文化財審議委員、1987年に観光協会会長(いずれも合併時まで)に選任され、1982年から町の文化協会機関紙『香寺文化』の編集を担当。町づくりの提言と図書館建設に取り組み1992年に町立図書館が実現した。
 2006年3月に姫路市と合併。姫路市は世界文化遺産の姫路城や書写山園教寺などがある。博物館施設も県立博物館と姫路市立美術館(1983年開館)、文学館、書写の里伝統工芸館、埋蔵文化財センターなどがあるが、いずれも当館より歴史は新しい。姫路市は観光施設として当館を重要視しているが、文化施設や社会教育施設としての認知はなく、所管部門からの連絡は合併以来ない。入館者は合併後も減少しており、現在3万人台。来館者を感動させる力があるのに入館者は増えない。