NO17
ルーマニア・シビウ民族博物館からやってきた玩具
      (2006.6.21 学芸員・尾崎織女)

 先日、ルーマニア・シビウ市にあるシビウ民族博物館から国際小包が届き、中から、綺麗に梱包されたルーマニア各地の郷土玩具が出てきました。シビウ民族博物館は、学芸室からNo6でもご紹介したサスキア・フランケ・イシカワ氏のアドバイスを受けて、親しく交流を始めたルーマニアの国立博物館で、1993年頃から断続的に博物館資料の交換収集を行っています。
OBJECT CARD

 本年1月に、私たちは、シビウ民族博物館に向けて第4回目の寄贈品を送り出していました。市松人形と日本各地の手まり、張り子の干支玩具や土俗的な土製玩具など約20点。半年が過ぎた今月、交換の品が先方から届けられたのです。
 私たちの交換資料には、いつも同じ様式のOBJECT CARD(玩具や人形の名前、作者、産地、製作年代、使用された場所や目的、形や色に込められた意味などを記したカード)を付けることにしています。
 では、今回、シビウ民族博物館から届いたものを画像でご紹介しましょう。ルーマニアは大きく三つの地方に分かれます。北西部のトランシルバニア地方、北東部のモルドヴァ地方、南部のヴァラキア地方です。





シビウ民族博物館から届いたおもちゃ





 トランシルバニア地方からは、シビウ県の織機や糸車の玩具と小さな民族衣装(人形用)、ハルギタ県コルンド村で作られるクリスマスツリー用の土製 ベルのオーナメント、コバスナ県スファンツゲオルゲ市の大晦日行事で鳴らされる摩擦太鼓の玩具、クルージ県の木製仕掛け玩具など。
 ヴァラキア地方からは、バルセア県バラデスティ村で作られるままごと用の土製ティーカップ、オルト県バラス村の土製鳥笛などが届いています。合計21点です。

 どれも、その地の専門家でなければ収集しにくいものばかり。こうした実物資料を手にした後、私たちは、それら一点一点の玩具が背負う歴史や暮らしの中での役割について、OBJECT CARDを手掛かりに関連書を当たりながら、少しずつ理解を深めていきます。
 『ままごと道具展』『世界の民族人形展』『世界のクリスマス展』『民族楽器展』『からくり玩具展』など、今後の企画・特別展の中でも、これらの品々は展示資料としてご紹介したいと思います。





 さて、今夏の特別展『世界の鳥の造形』において、鳥笛を集めたコーナーに、オルト県バラス村の鳥笛をさっそく展示しました
ヨーロッパの鳥笛(左からドイツ・フィンランド・ドイツ・ルーマニア)

 濃茶地に緑と白の羽根模様が描かれ、たっぷり釉薬のかかったシンプルな鳥形の笛で、尾羽から息を吹き込み、胸に開けられた指孔を開閉させると、♪ラ(A)・ミ(E)、ラ(A)・ミ(E)・・・とカッコウが鳴くような美しい音が響きます。OBJECT CARDの説明に、「musical instrument for children」(子どものための楽器)とあるのは意味深長です。
 ルーマニアだけでなく、ヨーロッパ各地の鳥笛をみると、指孔が一つ二つは設けられ、三つ以上持ったものも少なくありません。指孔があれば、音階が生まれ、メロディーを作ることが出来ます。一方、日本の郷土玩具の鳥笛をみると、鳩笛もフクロウ笛も、指孔を持たず、ポウ、ポウ・・・、ホウ、ホウ・・・と中音域の単音が多く、どれも自然の風景にとけ込んでしまいそうな音色。楽音を作ることより、自然音を志向しているように感じられます。ちなみに、鳩笛は「clay dove whistle」、フクロウ笛は「clay owl whistle」と訳されます。世界の鳥笛を集めてみると、その小さな形や単純な音色にも、民族文化が深く関わっていることに驚かされるのです。

 今後もシビウ民族博物館と私たちは地道な交流を続け、互いのコレクション充実のために寄与していこうと約束しています。数年来、資料交換を担当して下さっているCorneliu Bucur博士にこの場をお借りして感謝申し上げます。





NO16
ターニャさんの仕事
                       (2006.6.11 学芸員・尾崎織女)

 インターンシップで来日中のアメリカ人、ターニャ・バンバーガー(Tonya Bamberger)さんが、当館でのプログラムを終え、次の研修地、埼玉県草加市へ向かわれます。
 ケント州立大学大学院(オハイオ州)で日英翻訳を専攻しておられるターニャさんから、「将来の仕事を見据えて、日本玩具博物館の展示解説などを翻訳したい」とのお申し出を受けたのが4月下旬のこと。ターニャさんは、2002年8月から2005年3月にかけて、当館にほど近い姫路市立香寺中学校で英語教師(ALT)として働かれた経験があり、その2年半ほどの間に足繁く当館へ通って下さったというご縁がありました。英文パンフレットの刷新を考えていた当館にとって、彼女の申し込みは、まさにグッドタイミング! 5月29日から2週間という短期でしたが、玩具博物館ホームページの英語版の見直し、パンフレットの英訳、それから常設展示館(2、3、4号館)のパネル翻訳,、というボリュームのある仕事内容を懸命にこなしていただきました。
翻訳の仕事中のターニャさん、ちょっとひと息。。。

 彼女が日本文化に興味をもたれた契機は、高校時代にアメリカで放映されていた『セーラームーン』などの日本アニメーションだったそうです。「朝5時に起きて、テレビでアニメを観てから登校する毎日、日本への興味は日増しに高まり、来日への夢は止まらなくなった」と。「日本のアニメにおける繊細な絵の描き方、人物の動きのリアルさ、ストーリー展開、人間関係のとり方、それらすべてが日本的だと感じた」そうです。能や狂言、歌舞伎や文楽、茶道や華道・・・・・・日本文化といえば、私たちは、そんなクラシックなものばかりを連想しますが、今、現実に、世界の国々の子どもたちに影響を与えている日本文化は「アニメ」だったりするのです。

 さて、英訳は、日本文で書いたパネル原稿を渡し、そこに登場する玩具の実物を見ながら、その背景を説明し、それぞれの意味あいを知っていただきながらの作業で、ターニャさんにとってはもちろん、私たちにとっても、小さな玩具の一つ一つが、作られた時代の文化を一身に背負った存在であることを確認し合う意味深い時間でした。「犬張り子」「赤べこ」「神輿の玩具」「弾き猿」・・・・・・例えば、皆さんなら、こうした郷土玩具の一つ一つをどう英訳されるでしょうか?
 ターニャさんが誠心誠意、力を尽くして英訳して下さった文章を、さらにじっくりと見直す作業を経て、私たちは英文パンフレットやリーフレットを作成し、また、今年度中に予定している常設展示館の展示内容のリニューアルにあたっては、英文のパネルを要所要所に加えていきたいと考えています。当館を訪ねて下さる世界の若者の一人が、「アニメ」ではなく、「お雛さま」や「ちりめん細工」などを観て、日本文化に惚れ込んで下さるように、私たちの展示が一人の人生の扉を開く鍵となれるように、…そんな夢をもって臨みたいと思います。


アメリカからの研修生・ターニャさんのご紹介


NO15
ハンリップ玩具博物館からのお客さま     (2006.5.29 学芸員・尾崎織女)
                       

 五月下旬の雨降りの一日、韓国から二人のお客様を迎えました。ハンリップトイスという、乳幼児関連の玩具や図書などを扱
イ・ヨングン氏(左)とソオ・ジンホ氏(右)
う教育玩具メーカーのソオ・ジンホ氏とイ・ヨングン氏。彼らは、韓国に初めて設置される玩具博物館の運営担当者で、来春のオープンに向けて、日本国内の玩具博物館などの施設を見学するために来日されました。ソオさんたちの玩具博物館は京畿道坡州・ヘイリの町(ソウル郊外)に建設される体験型文化施設群の一角をしめ、展示館、体験教室、劇場などを併せもっています。展示館では、国内外の玩具とその変遷を追う内容を目指しておられ、それに向けての収集活動やノウハウの蓄積に積極的に取り組まれているご様子です。玩具を専門に扱う企業の責任として、玩具の歴史を知り、人間の成長に役割を果たす玩具について探求し、みつけたものを未来につないでいきたい……そんな役割を果たせる博物館をつくりたいという思いが、お二人から強く感じられました。

 昨日、ソオさんよりうれしいお手紙が届きました。
「………書面で無理なお願いをしたにもかかわらず、思いやりのあるおもてなしと詳細な説明を受け、私どもは多くのことを学び、気持ちのよい日本出張になりました。他の言語、他の習慣をもつ人々が、一つの共通の目的によって巡り会い、暖かい心でお互いを共感しあい、また気配りすることの素晴らしさを実感できました。今後とも機会をとらえて、交流を続けていきましょう。私どもも、日本玩具博物館のように、訪れた人の心が暖かくなるような博物館をつくれるよう努力したいと思います。………」

 既に当館と交流のある上海児童博物館や、ソオさんたちのハンリップ玩具博物館以外には、現在のところ、アジアの国々に玩具専門の博物館は見当たりません。けれども、今後はアジア州にも少しずつ玩具や子ども文化に関わる博物館が作られていくのではないでしょうか。私たちは、いつもどんな時でも交流の手を世界にむけて伸ばしていたいと思っています。



NO14
やべみつのり氏の『ほねほねマン』とガイコツのおもちゃ  (2006.4.30 学芸員・尾崎織女)

 
 先日、当館友の会のやべみつのり氏が来館されました。やべさんは絵本や紙芝居の作家。『かばさん』、『ふしぎなまど』、『なんでないてるの?』など、やべさんが描くおおらかで情愛に満ちた世界を愛する方々も多いことでしょう。また、やべさんは、「ラオスのこども」をはじめ、世界の子ども達へのボランティア活動も熱心に続けておられます。私たちが初めてご訪問を受けたのは、8年ほど前のこと。4号館2階で世界の民芸玩具の展示をご覧になって、「ここには、創作の源泉がいっぱい!」とキラキラした視線を展示品に送られていたのが印象的でした。東京にお住まいですが、西日本のあちこちで開かれるワークショップや講演会のあい間をぬって来館され、ラオスの子ども達が手作りしたコマやボール、ぶんぶんゴマなどを寄贈して下さったこともありました。
紙芝居『ほねほねマン』(絵:やべみつのり/脚本:ときわひろみ)童心社
紙芝居『ほねほねマン』
絵:やべみつのり/脚本:ときわひろみ 童心社

 さて、先日の訪問時には、現在シリーズものとして制作中の紙芝居『ほねほねマン』の第2作目を携えておられました。「ほねほねマン」はガイコツです。1作目のほねほねマンは、空を飛べるし、バラバラになる特技もあり、ほねほね犬「ホネホネ」と仲良し。2作目では、ほねほねマンは虫歯になって歯医者さんを怖がる愛らしい姿を見せてくれます。やべさんから贈られたその紙芝居を、一昨夕、館にやってきた近所の子たちに見せたところ、ゲラゲラ、くすくす笑いながら楽しんでくれました。「ほねほねマーン、ヘンだけどおもしろ〜い」と。―――ガイコツに対して、大人たちは不気味で恐いと感じがちですが、子ども達の方は尽きせぬ興味とある種の愛着を抱いているように思えます。やべさんの純な感性は、子ども達とそのまま通じ合っているみたいです。


 「ここに、ガイコツのおもちゃはありませんか?」―――やべさんが『ほねほねマン』の第1作目を制作中、突然に来館されたことがありました。肉親の死を体験されたすぐ後だったそうで、死を象徴するものでもあるガイコツを物語の中でどう扱うべきか、玩具の世界ではどのように扱われているか知りたい・・・と、少々、考え込んでおられるご様子に見受けられました。―――「メキシコにはたくさんのガイコツ人形がありますよ!」そうお答えすると、やべさんの表情が急に輝きました。
『中南米のおもちゃ展』より
『中南米のおもちゃ展』よりメキシコのカラベラ 2002年夏


 メキシコでは、11月1日から2日にかけ、あの世から先祖の霊を迎える「精霊の日」の祭りが行われます。家々に祭壇がもうけられ、そこには花や食べ物とともに、賑やかに彩色されたカラベラ(=ガイコツ)の造形物が飾られます。街の露店には、カラベラをかたどった人形や砂糖菓子がずらりと並び、子ども達が群がります。ギターを弾くカラベラ、ボート遊びをするカラベラ、結婚式をあげるカラベラ・・・などなど、彼らが作るカラベラ人形は、どれも楽しげで「生」を謳歌しているように見えます。昔からメキシコには、死者をテーマにした芸術が数多く見られ、造形されるカラベラにはスペイン侵略に対する激しい怒りや悲しみが込められているといわれますが、そんなカラベラを見つめて、「彼らは私たちのアミーゴ(友だち)さ!」と明るく笑うメキシコ人。やべさんは、カラベラ人形に表現されるメキシコの人々の、悲哀をつきぬけたユーモアセンスに心打たれたご様子で、「なんだか、ガイコツたちに元気づけられましたよ。」と笑顔でそう話されました。
世界の骨製玩具のいろいろ
世界の骨製玩具のいろいろ



 メキシコのカラベラの他にも、やべさんは世界各地の動物の骨製玩具をたくさんスケッチしておられました。モンゴルの羊の脚の骨・シャガイ(お手玉/サイコロ)、アラスカのイヌイット族がカリブーの骨で作るけん玉や人形、グリーンランドのブンブンごま・・・などなど。「玩具の世界には『ほねほねマン』の友だちがいっぱいいるんですね。」と。大昔、大陸で誕生した人類の最初の玩具は骨製だったと言われるぐらい、骨製玩具は永い歴史を持っているのです。


 やべさんのように作品制作上の興味から玩具の世界を求められる方があるように、来館者それぞれが、様々な関心をもって来館されます。そうした方々と、時に一緒になって展示品を見つめることで、私たちは日ごろ見慣れている玩具の顔を、違った視点で見る機会に恵まれます。そして、ある一つの玩具が一人の来館者を勇気づけたり、笑顔にしたりする瞬間に立ち合うとき、「やっぱり、あなた達はすごい!」と、玩具のもつ底力を見直してしまうのです。



NO13
寄贈者Sさんの思い出 
            (2006.4.15  学芸員・尾崎織女)

 特別展示室6号館の西室では、初夏の特別展『端午の節句飾り』が始まりました。今、端午の座敷飾りといえば、甲冑を中心に、弓矢と太刀、陣笠と軍扇、太鼓などを添え飾る組み物が一般的ですが、明治・大正時代の京阪神地方では、武者人形を主役に据えた座敷飾りが流行していました。

 写真は、京都のSさんより寄贈を受けた大正時代の武者飾りです。 陣幕を描いた屏風の前に「神功皇后(じんぐうこう
Sさん寄贈の大正9年の武者飾り
ごう)と武内宿禰(たけうちのすくね)」の武者人形を据え、軍扇、太鼓、白馬を添え飾るもので、人形の箱書きには「森店」、道具類には「田中弥兵衛」の商標が貼られています。全体に65cmをこえる大型ですが、人形の表情も細工も、武者飾りにしては優美な雰囲気が漂う京都らしい一揃いです。
 この武者飾りと雛人形一式を寄贈したいというSさんからのお申し出を受けて、上京区烏丸通寺之内のご自宅へ伺ったのは、もう10年も前のことです。Sさんは当時、満80歳。身寄りの無いご婦人で、1階に台所と小さな居間、2階にお座敷がひとつあるだけの町家に一人で暮らしておられました。老人介護施設への入居を決められたSさんの唯一の心配は、「2階のお座敷に住んでいるお人形さまのこと」でした。
 運送業者の方と一緒にSさんを訪ねたのはご指定のあった大安吉日。彼女は部屋に香を焚き、秋の花を生け、赤飯を用意して待っていて下さいました。「大げさではなく、お人形さまは私の人生の宝なんです。わが子をお嫁に出すのと同じ気持ちであなたの博物館に託します。」Sさんはそう言って、名残に飾ったという人形たちを潤んだ目で見つめておられました。
収蔵品整理台帳とSさんからの手紙
 「春と秋、お天気のよい日にはお人形さまをみんな出して、一日、風に当ててやり、明くる日は、お人形さまと一緒に両親の思い出、弟の思い出を語りながら、仕舞っていました。」 そんなお話を伺うまでもなく、雛人形も武者人形も、博物館で梱包や収蔵を専門に扱っている我が身が恥ずかしくなるような、立派で手厚い扱いを受け続けてきたことは、80年近い歳月を経た人形たちの瑞々しい生命感から充分に察せられました。Sさんにとって、人形たちは単に大切にすべき物ではないのです。武者飾りに添え飾る白馬の脚に巻かれた白い包帯に手を当てて、「この度の地震(阪神淡路大震災)で、可哀想にお馬さんの脚が折れてしまって…。博物館でしっかり治してやっていただけますか?」と真剣な表情で話されたことが思い起されます。雛人形一式は大正4年生まれのSさんのため、武者飾り一式は大正8年生まれの弟君の初節句を祝ってご両親が求めたものでした。武者人形は、たった9歳で他界された弟君の形見の品として、平坦ではなかったSさんの人生を根底で支えてきたのだと、後の手紙のやりとりで知りました。

 Sさんの「お人形さま」が当館の所蔵品になってから既に10年。春に、初夏に、と季節の特別展に展示し、その度にSさんは「一度、会いに行きたい」とお電話を下さいましたが、お身体の不調のため、いつも叶わず、ついに3年前、他界されました。あの秋の夕方、人形たちを乗せたトラックが見えなくなるまで、手をふって見送っておられたのが、Sさんにお会いした最後となりました。

 当館へは、寄贈という形で、また購入という形で、日々、様々な品物が入ってきます。中には、埃に全身を覆われ、衣装が型崩れし、泣き顔になった人形もあります。いくら元がよい品物であっても、また展示できる状態まで手入れを施しても、彼らの泣き顔を幸せな表情に変えるのには、長い時間がかかります。それは、丁寧に出したり、仕舞ったりしている中で、身にまとった汚れが少しずつ払われ、衣装の皺がのびていくという物理的な現象なのかもしれません。けれども、展示室でSさんの人形を見る度、大切にされてきた品物には、確かに、誇りに満ちた輝きがあると感じられるのです。
 館長や学芸スタッフたちと深夜の展示替え作業を行いつつ、展示品の背後にある寄贈者の方々を順番に思い起しながら、戦争をこえ、地震をこえ、持ち主の愛情で守られた人形たちが、美しいまま命を永らえるよう、次に愛情をかけていくのは私たちの役目だと皆で話し合ったことです。

 関連企画展

端午の節句飾り


NO12
雛人形とともに琴の調べを         (2006.4.2 学芸員・尾崎織女)
 
 演奏風景4月2日午後、当館6号館2階、フリースペースにおいて日本の筝(琴)の演奏会を開きました。外はあいにく春の嵐。杏や椿の花々も雨風に打たれる中、「♪さくら、さくら、 弥生の空は……」と江戸時代にはすでに人気のあった春の名曲から演奏が始まりました。

 神戸からお迎えした「ぐるーぷ和韻(わいん)」は、十七絃(一面)と十三絃(二面)の編成で奥行のある響きを作り出すアンサンブル。本日のプログラムは、「まりと殿様」(西条八十詞・中山晋平曲)や「うれしいひなまつり」(サトウハチロー詞・河村光陽曲)など、玩具博物館の春の展示にあわせた曲、日本の民謡や童謡などがテーマになった曲のほか、子どもたちにもよく歌われている楽曲を加えて、幅広い年齢層が親しめる内容でした。



耳を傾ける来場者の皆さん
 前半、後半をあわせると、延べ90名近くの来場者が参加され、小さな子どもたちは、初めて見る生の楽器に圧倒され、またご年配の皆さんは子ども時代を思い出す懐かしい調べに穏やかな笑顔で耳を傾けておられました。
 たゆたうようにゆったりと、時に激しく情熱的に響き渡る琴の音色の中では、展示中の雛人形たちもくつろいだ表情に見えてくるから不思議です。耳に新しく、心に懐かしい琴の調べをたくさんの来場者と一緒に愉しむうち、1時間30分はあっという間。ソーラン節がルンバのリズムを刻む最終曲とともに、春の嵐も通り過ぎていきました。

 季節の展示に合わせたこのような催しも、玩具博物館ならではの内容を吟味しつつ、今年度も多様に展開していきたいと思っています。ご期待下さい。


NO11
  まいごふだ     デザイン
「迷子札」の意匠         (2006.3.22 学芸員・尾崎織女) 


 ただ今、6号館の特別展「雛と雛道具」とあわせて1号館では春の企画展「ちりめん細工の美」を開催中で、全国各地から手芸愛好家の来館を受けています。江戸文化の薫を伝える小さな袋物や生活小物の数々、明治時代
迷子札のいろいろ(明治時代)
の女学生たちが一生懸命に技を競い合った琴爪入れや香袋の愛らしさに、時を忘れて見入っておられる若い女性の姿も目立ちます。

 ちりめん(縮緬)は、しぼ立ちのあるやわらかい絹織物。着物として裁ったその残り裂を縫いつないで作るお細工物を、当館では「ちりめん細工」と呼び慣わして、20数年に渡り、収集を続けてきました。「裁縫修業をしていた若い頃、懸命になって作ったものなので、皆さんに見てもらいたい」と桐箱に入れてお持ち下さる老婦人や、「亡き母が女学校時代に作りためたもの。ぜひ、残してほしい」と、大事な形見の品々をお寄せ下さる方もあり、コレクション数は約3000点。江戸から明治・大正時代の古作品は、花や実の袋物、動物や鳥の袋物、人形袋やおもちゃ、宝文様の巾着や懐中物、小箱や祝儀用小物などをすべて合わせると、コレクション全体の三分の一を占めます。
 今春の企画展では、その古作品の中から350点を選び、ちりめん細工のもつ5つの性格をご紹介しています。それらは、簪(かんざし)の花などで知られる「つまみ細工」や布の絵を縫いつなぐ「きりばめ細工」、飾り羽子板にも使われる「押絵」などの手法をふんだんに用い、日本古来の招福の意匠が受け継がれた造形です。

 「ちりめん細工の性格・その5 子どもや家族のために」というコーナーでは、京都で作られた「迷子札」の数々が観覧者の目をとらえています。桃もち童子や羽子板娘、奴さんや猫、三番叟など、高さ7〜8cmほどの人形に紐が付けられ、今でいえ
仔犬の迷子札(表と裏)
ば携帯電話のストラップ、あるいは、鞄に提げるマスコットでしょうか。押絵人形の裏側は白絹や木綿が張られ、そこに子どもの住所や名前が書かれます。遊びに夢中になった子ども達が生活の場を離れ、迷子になった時のためにと、明治時代の母親 は子どもの帯にこうした押絵の札を結びつけて外へと送り出していたのでしょう。「上京区押小路東洞院東ヘ入ル 町南側藤井熊之助 倅 為造」と墨書が入った仔犬の迷子札があります。少々汚れ、使い込まれた仔犬を見ていると、これを提げて京都の小路を走り回っていた為造少年の姿が浮かび上がってくるようです。為造くんは仔犬が好きだったのでしょうか。小さな作品には、子どもへの愛情と生活共同体への信頼感が溢れています。

 また迷子札の中に、「温公の水甕割り」が見えます。温公(司馬温公)は、中国・北宋時代の政治家で、『資治通鑑』を著した
「温公の水甕割り」と「チョロケン」
学者としても知られる偉人です。温公が少年の頃、大きな水甕に落ちた友を助けるために、石で甕を割りました。大切な甕を割ってしまったため叱られることを覚悟していましたが、父親は少年をほめて、あらためて命の大切さを説いたといわれます。器は人命よりも軽し―――江戸や明治時代、人生の教訓を表わすものとして飾られた土人形などにも時々見られますが、子どもの身の安全を守る迷子札にも、とても似つかわしい題材です。
 それから、これら迷子札の中には「チョロケン」の意匠が見られます。「チョロケン」は、江戸から明治時代の中頃、正月になると奇妙な扮装に身をかため、京都の町を踊り歩いた門付け物乞い集団です。「大福長老じゃ、長老見る人には福徳来る、厄難厄病みなとり払い、お子衆には疱瘡も軽い・・・」などと囃し立てては踊り歩き、人々に大変人気があったそうです。チョロケンの迷子札は、厄除招福のお守りも兼ねていたのでしょう。既に絶え、地元でも知る人が少ない風俗ですが、小さな作品の中に、京都という一地方の正月風景の一端が保存されていると思えば、ふっと心が楽しくなります。

 このように、ちりめん細工の展示会場では、一点一点の意匠の来歴と、そこに込められた作り手の心を探っていただけたら、と思います。下記の日時にはちりめん細工について、興味深い作品を取り上げながら展示解説致しますので、ぜひご来館下さい。

●「ちりめん細工の美」展示解説会の日程=4月16日(日)、30日(日)、5月14日(日)、28日(日)の14時〜40分程度。

 関連企画展
ちりめん細工の美
〜江戸から明治の古作品を中心に〜


NO10
雛人形の表情細見          (2006.2.18 学芸員・尾崎織女) 


 雛人形展が始まり、館内はすっかり春の雰囲気に包まれています。家庭で雛人
三人官女(明治時代)
形を飾っておられるからか、個人の方からも館へはいろんな問い合わせの電話が舞いこみます。「雛飾りの供え餅はどうして菱形なの?」「お内裏様とお雛様の飾り位置はどれが正しい?」「雛人形が表現しているのはいったい何なのか?」「雛段に桜と橘の二樹が選ばれたのはどうしてか?」………などなど。雛飾りは、誰もが昔から親しみながら、あらためて考えると、疑問に思うことばかりなのだと思います。私たちもわかる限り、その疑問に答えていますが、聞かれる方々も答える私たちも、その「なぜ?」をさらに深めていく中で、雛まつりの本質にふれることが出来るのかもしれません。

 最近、「三人官女には年齢差があるって本当ですか?」という電話を受けました。大正時代頃に定まった飾り方マニュアルによれば、真ん中で「三方」を持つ座り姿(立ち姿もあります)が女官長、両脇で「長柄銚子」「加柄銚子」をもって立つ(座っている場合も)のが若い女官です。

 では、ただ今6号館で展示中の資料の中から、明治時代の三人官女を細見してみましょう。確かに真ん中の女官長Bは、眉を剃って額に「置き眉」を作り、お歯黒を施しています。ところが、両脇の女官、写真Aの方は、口元から白い歯を覗かせ、眉も若々しい自然の状態です。対して写真Cの女官は、自然の眉の上にさらに眉を描き、お歯黒も見えています。
 
                    
女官A 女官B 女官C

 お歯黒は、中世の頃から、成人式や結婚式などの女性の通過儀礼に結びついていました。江戸時代に入ると、お歯黒を行う年齢も13歳から17歳…と上がっていき、黒が変色しないことから、黒は不変、心変わりせず、という意味が
鏡立てと化粧道具・カネ製がお歯黒道具(明治時代)
込められて、結婚が決まると貞女は歯を黒く染める習いが生まれました。お歯黒の原料はヌルデの若芽などに出来た「虫えい(虫こぶ)」を粉にしたもので、タンニンという成分が多く含まれ、虫歯や歯槽膿漏の予防にも効果があったようです。

 一方、眉化粧はもともと公家の男女、武家では女性に見られたもので、ある程度の年齢になると未婚既婚を問わず眉を剃り、額に別の眉を描いたといわれます。一般庶民の女性においては、結婚して子どもが出来ると眉を全部剃り落とし、置き眉を描くのが習いでした。

 そのような習俗に照らして三人官女を見ると、Aの女官は宮仕えを始めたばかりの少女、Cの女官は結婚したばかりの若妻、そして真ん中のBの女官は、結婚し、子どもをもった年配の女性とも考えられます。明治初年、皇族や華族がお歯黒や眉化粧を廃止したとはいえ、明治時代を通じて、庶民の間でも、このような化粧は一般的に知られ、三人官女の表情の違いは、飾り祝う人々にとっても至極当然のことだったでしょう。初節句を祝う小さな女児が健康に成長し、やがて嫁ぎ、子どもをもうける……雛段の女官たちは、女児の人生の幸福を予祝する姿だったのかもしれません。

 三人官女の年齢差に見られるような細やかな作り込みは、江戸から明治・大正時代の衣装雛には当たり前のように見られます。三人官女に限らず、能楽を演奏する五人囃子の視線や口元の表情、煮炊きする仕丁の庶民的で大らかな感情表現なども、総じて古い雛人形たちの佇まいには、見る人の想像をかきたてる奥行の深さがあるのです。やがて百貨店などで一式揃い売りが始まると、残念なことに、雛人形はどこか、量産される消費財めいてきて、三人官女の年齢差はもちろん、どの人形もすべて同じ表情のものへと変わっていきます。

 当館の雛人形展では、ぜひ、人形たちの表情を細見していただき、その向こう側に漂う時代時代の人々の夢と対話していただけたら・・・と思います。



NO9
新春を祝うフランス菓子を囲んで       (2006.1.15 学芸員・尾崎織女)    


 「ガレット・デ・ロワ(王様のお菓子)」と呼ばれる新年の焼き菓子をご存知でしょうか? イエス・キリストの誕生を見届けるため、占星術をよくする三人の博士(王様)が、星の導きに従って東方からベツレヘムを訪れたのが1月6日。キリスト教世界では、この日を公現節(エピファニー)と呼び、数々の祝賀行事が開催されます。フランス北部では、パイ生地にアーモンドクリームをたっぷりと詰めた「ガレット・デ・ロワ」がケーキ屋やパン屋に山積みとなり、これを買い求めた人々は、家族や友人たちと一緒にガレットを囲んで公現節を祝います。ガレット・デ・ロワの楽しみは、この菓子の中にフェーヴ(そら豆)が一つ、仕込まれていること。切り分けたガレットの中にフェーヴが入っていた人は王様あるいは王女様として王冠をかぶり、その日一日、家族や仲間に君臨し、皆の祝福を受けるのです。本来、そら豆だったフェーヴは、今では陶器の小さな人形に発展し、意匠をこらした陶器のフェーヴをコレクションする人たちも少なくないと聞きます。
陶器のフェーヴとガレット・デ・ロワ


 クリスマス習俗についての書物でしか知らなかったガレット・デ・ロワとフェーヴの実物を私たちに紹介して下さったのは、当館のミュージアムフレンド、笹部いく子さん(京都市在住)です。昨夏のフランス旅行を通して陶器のフェーヴに出あい、その愛らしさと楽しい習俗に魅せられた笹部さんは、以来、精力的に様々な種類のフェーヴに関して調べ、ガレット・デ・ロワについてもあれこれ探求してこられました。キリスト降誕人形、風俗人形、菓子やクリスマスのモチーフ・・・などなど、フランス各地で作られた陶器のフェーヴの数々は、当館へも幾種類かを寄贈していただき、この冬のクリスマス展でもご紹介しているところです。

 1月13日、笹部さんは日本玩具博物館のスタッフと一緒に一週間遅れの公現節を祝うため、2枚のガレット・デ・ロワを持ってご来館下さいました。2枚とも、本場でガレット・デ・ロワ作りを
テーブルに飾った2枚のガレット・デ・ロワ
学ばれた日本人パティシエが焼いたもので、太陽(あるいは車輪)を表わす美しい模様が刻まれています。笹部さんによると、ガレット・デ・ロワの表面には、太陽の他、麦、葉(月桂樹)、ひまわりなどの模様が描かれるといいます。それから、私たちが食べる2枚のガレットにはそれぞれ、そら豆ならぬアーモンドが入っており、フランスから輸入された陶器のフェーヴは別添えになっていましたが、菓子店によっては、陶器のフェーヴを焼き込んで、ガレットを作るところもあるそうです。

 来館者の絶えた夕方、館長室のテーブルを囲んで、笹部さんを含めた8人は、ワクワクしながら切り分けたガレットを、ドキドキしながら銘々の皿にとっていきます。サクサクしたパイ生地とほのかにアニスの香りが漂うアーモンドクリームは日本人の口にもよく合い、皆、美味しい!と大喜び。果たして、フェーヴの行方は・・・・・・。1枚目は一番若い学芸スタッフのガレットの中から、2枚目は館長のガレットの中からひと粒ずつのアーモンドが見つかりました! 2人とも紙の王冠をかぶり、陶器のフェーヴを手にしてご満悦。当たった人も当たらなかった人も、体験してみて初めてわかる楽しさです。

 かつて、ガレットの中に仕込まれていたそら豆(フェーヴ)は、ヨーロッパでは生命力の象徴と考えられていました。新たな農耕カレンダーが始まるこの季節に、ひと粒のそら豆が登場するというのは、来る秋に豊かな収穫がもたらされることを祈念する意味があったのかもしれません。

 冬至を過ぎ、新たに生まれ変わった太陽の祝日に幸福を呼ぶガレット・デ・ロワ。日本玩具博物館の2006年には、とびきりの幸運がもたらされるでしょうか。サンタクロース、いえ、日本風に言えば「年神さま」のような笹部いく子さんに感謝を。なお、ガレット・デ・ロワについてご興味をもたれた方は、Club de la Galette des Rois(日本のパティシエたちがつくる協会)をネットで検索してみて下さい。

 キリスト教世界では、この公現節をもってクリスマスが終わり、クリスマスツリーなどのオーナメント類の片付けが行なわれます。私たちもそろそろクリスマス展を終わらせ、本物の春を迎える準備にとりかからなくてはなりません。展示室に緋毛氈を敷き詰める季節がやってきます。



最新の学芸室   

学芸室2014後期   学芸室2014前期   学芸室2013後期   学芸室2013前期   学芸室2012後期   学芸室2012前期

 学芸室2011後期   学芸室2011前期   学芸室2010後期   学芸室2010前期   学芸室2009後期   学芸室2009前期

学芸室2008後期   学芸室2008前期   学芸室2007後期    学芸室2007前期   学芸室2006後期   学芸室2005