NO.52
『音とあそぶ』展、賑やかにオープン!                (2008.6.21 学芸員・尾崎織女)

 6号館で、夏の特別展『音とあそぶ〜発音玩具と民族楽器〜』が始まりました。1999年以来、9年ぶり3回目の開催です。1993年、初めての「音とあそぶ」展は、1号館での企画展で、当時、関連資料総数は約500点。それが、今では2,000点近くに増え、この15年間に楽器屋さんを始められそうなコレクションとなりました。そうして一堂に集合した発音玩具(toys that make sound)、鳴り物(noisemakers)、楽器(musical instruments)たちは、あっちこっち、楽しい世界への窓を開け、あの人この人、たくさんの面白い個性との出会いをもたらしてくれました。

   
▲「叩く楽器」の展示コーナー                                ▲「振る楽器」の展示コーナー

 今回、展示室の西側に「発音玩具」を、東側に「民族楽器」を展示しました。「発音玩具」のコーナーでは、世界各地に伝承されるがらがらや鈴、でんでん太鼓、ぶんぶん独楽、笛やラッパなどを集め、「振る」「振りまわす」「叩く」「吹く」「弾く」「こする」の発音行為によってグループわけしました。「民族楽器」のコーナーでは、世界約60ヶ国からやってきた素朴な楽器(儀礼に登場するもの、演奏用の楽器、生活音具など)を集め、こちらも、「振る」「振りまわす」「叩く」「吹く」「弾く」「こする」の発音行為によってグループわけして展示しました。では、このような対照展示から、どんなことが見えてくるでしょうか。

  
▲子どもの草花遊び「葦のチター」                  ▲民族楽器・竹のチター「ズルダイ」                ▲民族楽器・葦のチター「モロ」
(ハンガリー)                              (フィリピン)                            (ナイジェリア)

 「弾く(はじく)玩具」のグループに、ハンガリー・ケチキメートで作られた長さ17cmほどの小さな葦のチターがあります。子どもたちが自然の中で作る伝承玩具です。葦の表面を薄く切り出し、2本の弦が出来たら、その弦の垂直方向に琴柱を立てるように、葦片を差し込みます。弦を親指で弾くと、ビン、ビン♪…と、かすれた小さな音が響きます。
 一方、「弾く楽器」のグループには、フィリピンに伝わる竹のチター「ズルダイ」(長さ約40cm)やナイジェリアの葦のチター「モロ」(長さ約35cm)を展示しています。ズルダイは、竹の表皮から幾本もの弦を切り出して、それぞれの弦に琴柱を立てた楽器、モロは、切り出し弦をつけた葦を筏状に組み合わせ、下に共鳴箱となる瓢箪を置いて演奏する楽器です。爪弾くと、ポロン、ポロン♪…と、雑音性のあるやさしい音色が響きます。ズルダイやモロが洗練を重ねて、西洋のチターや中近東のダルシマー、あるいは、東洋の琴へと発展していくわけですから、これらは、今、演奏家が使う弦楽器のご先祖さまにあたるもの、といえるでしょうか。
 玩具として伝わる楽器は、発音の仕組自体が明確。その素朴さは、民族楽器に共通しています。大昔に人々が発見した音
▲「楽器のはじまり」の展示コーナー
を出す仕組は、伝承玩具の中に保存され、また民族儀礼などに登場する楽器の中に保存されている、と考えられそうです。

 展示室には、「楽器のはじまり」という項目で、木の実殻のがらがらや笛、骨や貝殻の笛や打ちものなど、自然物に少し手を加えただけの楽器を集めました。はじまりの楽器は、世界各地の子どもたちが作って遊ぶ伝承玩具と非常によく似ているではありませんか!

 そのようなことを豊かな展示物を通して、たくさん発見していただきたいと思います。また、展示室のあちこちに、自由に音を楽しんでいただけるよう、触って遊べる楽器をちりばめました。
 今日も、おもちゃ館の梅雨空に、来館者が奏でる一弦琴「ゴピチャンド」、ベトナムの木魚セット、ペルーの「チャフチャ」マラカス……たくさんの音が響いていました。振る、叩く、弾く、こする…、そして歌う。あまりに楽しそうな音色に展示室をのぞけば、見ず知らずの来館者同士が、インドの太鼓「ドーワクドリワリ」とタンザニアの親指ピアノ「カリンバ」、ペルーのでんでん太鼓「ダイムロ」でセッションしておられました。今年も、日本玩具博物館に、ワクワク、楽しい夏がやってきます。







NO.51
五月の空の鯉のぼり                     (2008.4.28 学芸員・尾崎織女)

 屋根を越えて高く広がる青空に、黒(青)・赤・青(緑)の鯉形の吹流しが悠然と泳ぐ風景は五月の風物詩・・・。
▲『俳諧續清?』(延享年間/1744~47)

 「鯉のぼりはいつ頃からあるんですか?」と、先日、ある来館者からご質問を受けました。



 鯉のぼりが皐月の空を泳ぎ始めたのは、今から二百数十年前、江戸時代中頃を過ぎてからのことです。右は、延享年間(1744〜47)頃の文献にみえる俳画ですが、鍾馗(しょうき)が描かれた武者幟(のぼり)の「まねき」の部分に鯉が付けられています。鯉のぼりは、屋外に立てる武者幟の「まねき」から発展したものとも考えられています。この鯉の作りものを、やがて大きな鯉の吹流しへと成長させた江戸町人たちの感性は、とてもユニークですね!

 中国の有名な故事「龍門伝説」は、すでに江戸町ではよく知られていました。急流をさかのぼって狭き門をくぐり、立派な龍(中国で、龍は皇帝を象徴します)に転身する鯉は、立身出世のシンボルとみなされていましたから、大空を翔る鯉のぼりは大歓迎を受けたことでしょう。
 『江都二色』(安永2/1773年刊の玩具絵本)には、「鯉の滝のぼり」の名で、鉛のオモリを使った箱型のカラクリ玩具が描かれていますし、また竹バネを利用して作られる同名の玩具もまた、江戸っ子たちの人気を集めていました。体をピンピンと動かし、滝をスルスルと上がっていく元気な鯉の手遊びは、希望に満ちた子どもたちにこそふさわしいものと受け止められたことでしょう。

▲江戸時代に江戸町で人気のあった「鯉の滝のぼり」(復元)と来館した男の子。今の子どももこの玩具は大好きです。 
▲『江都二色』に描かれた「鯉の滝のぼり」 

▲端午の掛け軸飾り
 さて、江戸時代に誕生した鯉のぼりは紙製で、比較的小さなものでしたが、端午が男児の幸福を願う節句として盛んに祝われるようになるにつれ、大型化の一途をたどりました。けれども、誕生した頃から明治・大正時代、鯉のぼりといえば、黒い鯉一匹というのが一般的だったのです。
 右の画像は、明治時代末期から大正時代にかけて飾られた端午の掛け軸です。画面中央には、武将たち(太閤秀吉と加藤清正)が勇ましく描かれていますが、上段は、富士山を背景に幟がはためく皐月の空。一匹の黒い鯉が薫風を受けて尾を跳ね上げています。黒の真鯉は、激流をさかのぼって龍門をくぐり、大空へと放たれた「龍」を表現したものだったのかもしれません。
 
 鯉のぼりが布製となり、何匹にも家族を増やしたのは、大正から昭和時代初期頃のことでしょうか。
   ♪ヤネヨリタカイ コヒノボリ オオキナ マゴイハ オトウサン 
     チイサイ ヒゴイハ コドモタチ オモシロソウニ オヨイデル♪ 
                (「コイノボリ」/作詩・近藤宮子)
 この歌が『エホンシャウカ』(日本教育音楽協会編)に掲載されたのは昭和6(1931)年のこと。以降、戦中戦後から平成の今まで、端午の節句といえば、全国津々浦々、多くの人たちがこの歌を口ずさみ、広く親しまれることで、長い一本の竹竿に泳ぐ大小の鯉のぼりを、私たちは家族に見立てるようになったのだと思われます。

 黄金週間を控えて、香寺町の屋根の上にもあちこちで鯉のぼりが泳ぎ始めました。五月の空を仰ぎながら、新緑に萌える田の道をたどっていただき、ぜひ、当館初夏の特別展『端午の節句飾り』へとお訪ね下さいませ。


NO.50
スウェーデンからのお客さま               (2008.4.8 学芸員・尾崎織女)


 先週末は、2日間にわたりスウェーデンからのお客さまをお迎えしていました。エレナ・クェヴェード・スターレさん(Helena Quevedo Stahre)は、現在、ストックホルムにある異文化理解と人種融和に取り組む施設(Det Stora Knytkalaset)で民芸玩具を使ったワークショップ事業を幅広く展開しておられます。彼女は、日本人を祖父にもつニューヨーク生まれのメキシコ人で、本国メキシコではグラフィックデザイナーとして活躍しておられたそうです。
 エレナさんは、メキシコをはじめ、世界各地の玩具に興味をもち、手元には700点を超える玩具資料を所蔵しておられます。それらにインスピレーションを得て彼女が企画するワークショップには、スウェーデン内外に暮らすいろんな民族が集い、大人も子どもも一緒になって、ひとつのテーマに取り組みます。「玩具は文化の垣根をこえ、人の心の垣根を瞬く間に取り払ってくれます」と、エレナさんは、自らの仕事について信頼にあふれた笑顔で話されました。


▲ストックホルムのDet Stora Knytkalaset ▲ストックホルムのDet Stora Knytkalaset エレナさんのワークショップ会場。
    精霊の日のカラベラ(骸骨)にふん装する子どもたち・・・。
▲エレナさんのメキシコ玩具コレクションより
         精霊の日のカラベラ(骸骨)たち
エレナさんのワークショップ会場。メキシコのくす玉・ピニャタづくり

 現在、エレナさんは、父祖の地・日本の伝統文化と風景を求め、大好きな民芸玩具の姿を探しながら、約一ヶ月にわたり日本各地を旅行中
です。ウェブサイトで知った日本玩具博物館への来館目的の一番目は、当館が行っている玩具のワークショップの内容を知りたいということでした。

 一日目は、館内の展示をくまなくご案内した後、淡島寒月の『おもちゃ百種』や清水晴風の『うなゐの友』、山内神斧の『壽壽』などの玩具絵もたくさんお目にかけました。エレナさんは、疱瘡除けの赤い玩具や動物を題材した張子玩具の意味、呪術性のある郷土玩具の姿について関心を示され、同時に玩具のデザインや細部に描かれた文様などについても一つ残らず、目にやきつけたいと懸命にご覧になられる様子でした。終始、(私にとっては)慣れない英語での会話でしたが、玩具という小さな形の中に、それらを作る民族固有の文化を発見し、同時に、時や国境をこえる普遍的な感性によって、それぞれのエッセンスをくみあげていかれるエレナさんの視座に、親愛と尊敬の念を抱きました。
 やがて話は、エレナさんの本国・メキシコの民芸玩具に向かいました。彼女の仕事にはメキシコの玩具たちが数多く登場するのですが、日本玩具博物館もまた2000点を超えるメキシコ民芸玩具を所蔵しています。埴輪にも似たチャパスの動物造形のおもしろさ、ナヤリト州に住むウイチョル族の毛糸画の感性が素晴らしいこと、オアハカ州の民芸作家の幻想的な土人形について、セマナ・サンタの祝日にくりだしてくる火薬入りのフーダス人形のこと、精霊の日の骸骨(カラベラ)の意味・・・・・・、文献資料を紐解きながら、話は盛り上がり、あっという間に日没となりました。

▲真ん中がエレナさん。メキシコのブリキ玩具「バルーン」をもって・・・。
▲雛飾りのあるランプの家にて
      江戸の「かくれ屏風」づくり


 二日目は、安永2年刊の玩具絵本『江都二色』の頁をめくりつつ、近世日本の玩具を紹介した後、それらの玩具をテーマにして、当館が開催している伝承玩具づくりにもご一緒していただきました。「かくれ屏風」や「木挽き人形」「体操人形」「風車」など世界各地に普遍的に見られる玩具の他、「ご来迎」や「鯉の滝のぼり」「弾き猿」など日本らしい感性で作られたものも見ていただくと、これ以上ないほど目を輝かせ、おお!素晴らしい!と一つ一つを記憶の中にスケッチしておられるご様子でした。

 別れ際、エレナさんに日本玩具博物館についてお聞きしてみました。
・・・・・・2日間過ごされて、どんな印象をもたれましたか?
・・・・・・この博物館には、人間が自然物を用い、手を動かして作り出したものがあふれています。そう、ここには、伝統(tradition)と文化(culture)と美(beauty)が存在し、空間の隅々に愛(love)が溢れていると感じます。訪れた人の心の中に思い出を育み、一人の人間が成長していくその歴史に、大切な位置を占めることが出来る博物館だと私は思います。・・・・・・・・・
 そんな風に言って右手を差し出されたエレナさんの笑顔は、身の内にたくさんの民族を合わせもつ包容力に満ちて、本当に魅力的でした。玩具がとりもつステキな出会いと友情に感謝の気持ちでいっぱいになりました。



NO.49
伊勢の蘇民将来                          (2008.3.14 学芸員・尾崎織女)

 先週の休館日は館長の運転で伊勢を訪ねました。ちょっとした仕事があり、伊勢神宮のお膝元「おかげ横丁」訪問が目的
▲伊勢神宮の鳥居前にて
でしたが、学芸スタッフの研修もかねての遠出でした。5人それぞれが小学校の修学旅行以来の伊勢――ひさかたの光あふれる伊勢神宮はさすがの風格を漂わせて、美しくも厳かに在りました。
 参道筋のおはらい町も「おかげ横丁」もたくさんの人出で賑わいをみせ、遠来の客人たちをもてなすことと、町の人たちが地元の伝統を受け継いでいくこと、その両立を目指して頑張っておられる元気な方々に接し、私たちもずいぶん刺激を受けました。
 
 さて、伊勢の町を歩いておもしろいものが目につきました。3月に入った今も、家々の軒に注連縄が付け置かれているのです。注連縄には「蘇民将来子孫家」と書かれた木札(裏側には「急急如律令」の文字)が下げられています。松阪から伊勢にかけての地域では、正月迎えのために用意された注連縄が、一年中、外されることなく、家に災厄がふりかからないよう、家人が病気に罹らないよう守ってくれるとされてきました。           

▲伊勢の注連縄
 「蘇民将来」の故事は、鎌倉時代の『釈日本紀』に引用された『備後国風土記』(奈良時代)をはじめ、いくつかの文献に記され、江戸時代には、厄除けのまじないに「蘇民将来」の木札を用いることが庶民の間でも広く行われていたといわれます。その故事にはバリエーションがありますが、概略、次のようなものです。
 ・・・・・・・将来という名の兄弟がありました。旅の途中で宿を乞うた武塔の神を、非常に裕福な弟の巨旦将来(こたんしょうらい)は断りましたが、兄の蘇民将来(そみんしょうらい)は、貧しいながらに心を込めてもてなしました。後に将来のもとを再訪した武塔の神は、巨旦の妻となっていた蘇民の娘に茅の輪を付けさせ、それを目印として娘を除く巨旦将来の一族を滅ぼしてしまったのです。武塔の神(スサノオと目される)は言います。「もしも、のちの世に疫病が流行っても、蘇民将来の子孫だといって、茅の輪(茅でつくった輪)を腰につけていれば、災厄を逃れることができよう」と。
 伊勢の注連縄にかけられた蘇民将来の木札は、この故事にもとづいたまじないです。

 郷土玩具の世界には、数多くの「蘇民将来」の護符や木札が伝えられています。宮城県仙台の陸奥国分寺、山形県米沢の笹野観音、長野県上田の国分寺八日堂、埼玉県飯能の天王山竹寺、愛知県名古屋の洲崎神社、京都の八坂神社などから授与されるものが有名です。洲崎神社のものを除いて、皆、角柱型。上田の国分寺八日堂で授与される護符は六角柱で、その六面には、「蘇民・将来・子孫・人也・大福・長者」の文字が墨と朱で書かれています。

▲後ろ側3点は、上田の国分寺八日堂の授与品
前側の細長い1点は、飯能の竹寺の授与品
▲米沢の笹野観音の授与品

 さて、郷土玩具の常設コーナーに、このような護符の類も展示しているのですが、「ええ?これが玩具?!信仰的なものなのでは?」と驚きの声でご質問を受けることがあります。これらは、確かに子どもの遊び道具ではありませんが、古くから郷土玩具の世界にも属していました。

 「玩具」という書き言葉、「おもちゃ」という話し言葉が子どもの遊び道具をあらわす日本語として統一されたのは、日露戦争前後、国体意識が強まる明治時代末期のことです。この頃におこった国語統一運動の中、新時代にふさわしい共通語として様々な言葉が明治政府によって採用されていきました。「玩具」は、貴族社会で上流階級の男性が使っていた書き言葉の中のひとつ、「おもちゃ」は、上流階級の女性が使っていた話し言葉でした。ともに、手に持って遊ぶ道具をさしています。一方、庶民は、というと、「手遊び」「手守り」「手すさび」「もちゃそび」「わっさもの」・・・・など、地方によって様々な言葉を使用し、それらが指し示すものは、遊び道具というにとどまらず、持つことで魔をよけ、幸福を呼び込むような、まじないや縁起に満ちた呪具をも含んでいたのです。近世社会においては、「蘇民将来の護符」は、「手守り」の仲間と位置づけられていたと思われます。

 西欧社会と肩を並べるような近代国家をめざす明治政府は、近世社会が育んできた「手遊び」「手守り」「手すさび」などの世界を旧弊として退け、「玩具(がんぐ=おもちゃ)」に、近代的国民育成のための教育的な道具、工場の生産ラインで作られる規格化された遊び道具という意味を与えました。それらは近世庶民が愛した呪術性のある「手遊び」「手守り」の世界とは一線を画するものだったと思われます。
                           おもちゃ
遊びに出て 子供かへらず  取り出して 走らせてみる 玩具の機関車

 石川啄木が、明治45年に発表した歌集『悲しき玩具』の中にこのような歌があります。「機関車」は富国強兵時代の象徴、くわえて啄木は、「玩具」という言葉にも新時代の響きと匂いを託したのでしょう。玩具の機関車は、工場で作られるブリキ製であったか、と想像します。
 国家が採用した「玩具」という言葉に押し出され、時代から置いてきぼりにされた近世の「手遊び」や「手守り」の文化を引き継いだのが、私たちがいう「郷土玩具」です。ですから、民間信仰に満ちた四季折々の小さな護符や守り札などの類は、郷土玩具の世界の住人としても、生き続けているのです。呪具と玩具は、地続きの関係にあるといってもよいと思います。

 ・・・・・・理屈っぽい話になってしまい、申し訳ありません。何にしろ、遠く訪れた町々で、古い時代から伝承される小さな護符などが生き続けている様を見るのは、非常に心惹かれること!に違いありません。


NO.48
千客万来、雛まつり                             (2008.3.3 学芸員・尾崎織女)

 桃の節句です。昨日は、節句前の休日とあって250名をこえる方々のご来館を受けて賑わいました。受付スタッフによれば、「
▲春の日差しに包まれるランプの家の雛飾り
雛人形を見たくて来ました」という声がとびきり多く聞かれたようです。展示会場には、女の子を連れたご家族や、おばあさんとお母さんと娘さんという女三代でのご来館も目立ちました。
 ランプの家の縁側に設けている「桜茶」のコーナーもフル回転。庭のマンサクや福寿草の黄色い花を眺めては、畳の間に飾られた昭和の雛人形に目をやり、雛まつりの思い出話に花を咲かせる来館者の風情にも、春らしい趣がありました。
 午前中には、昨春、大正時代の御殿飾り雛を寄贈下さったご婦人が娘さんと二人で、懐かしい雛との再会を楽しまれ、午後からは明治時代の京製古今雛の寄贈者のご友人が、目を細くして、思い出の古雛に見入っておられました。

▲展示解説会風景

 午後からは、恒例によって展示解説会を行いました。
 1時間ほどかけてゆっくりと会場の雛についてご案内したのですが、中には毎年、必ず、解説会にお越しになられるご家族もありました。最初に
お会いした折には幼稚園児で、私の質問にも大きな声で答えてくれていたボクが、もう中学2年生。毎年、ここで過ごす数時間が少しずつ積み重なり、この館から得た何らかの感情や知識が彼の心に小さくても確かな面積を占めていくようなら、「博物館冥利につきる」というものです。
 そんな風に思っている時、「尾崎のお姉さん、全然、変わらないわぁ」と若いお母さんに声をかけられました。学生時代に何度か雛人形展の解説会に参加して下さった方で、この日は、小さな女の子の手をひいてのご来館でした。「家にもお飾りしたのだけれど、この子に古いお雛さまを見せてやりたくて」と。もう「お姉さん」なんていう年齢はとっくに過ぎた私ですが、昔どおり、そう呼びかけて下さる方に再会する度、流れた歳月を想うと同時に、皆さんの心の中に、おもちゃ館が存在感を持って息づいているという実感を得て、とても嬉しくなるのです。


 ところで、その彼女は、学生時代にこの展示室で出合った「三春の張子雛」が忘れられないと話しておられました。


 彼女が今も好きだという三春の張子雛は、画像の左側です。福島県郡山市高柴の張子師(橋本広司氏)が木型に和紙を張り抜いて作るもので、見ているこちら側もつられて笑顔になってしまうような奔放な表情と明るい彩色が魅力的な郷土人形です。男雛の振りあがった両袖と動きのある姿態、女雛の緋色の袴(はかま)と重ね着た十二単の表現などは、この地方に伝わる江戸時代の衣装雛「享保雛」の様式を映したものと言われています。右側の画像がその享保雛。三春の張子雛と見比べていただくと、姿形の共通点がよくわかります。
 豪華な衣装をまとった雛は、江戸後期から明治・大正時代を通じて、都市部の富裕層のものでしたが、張子や土など型抜きで量産される雛は、衣装雛に手の届かない人たちのためのものだったといわれています。
 最近は、若い世代の来館者がこうした素朴な雛人形に接し、「デザインが現代的に思える」とか、「軽さと存在感のバランスが面白い」「泰然として、風格のあるお雛さまだと思う」などという感想を伝えて下さることも度々です。伝統的なものに触れた、というよりむしろ、新鮮な表現に出合ったと感じられる方が多いように思います。さて、皆さんはどのようにお感じになられますか?




NO.47
草花雛                              (2008.2.29 学芸員・尾崎織女)

 菜の花のお雛さまをご存知でしょうか。花の部分を頭に見立て、大きな葉の衣装を着せた素朴な雛人形です。
 今日は、地元の団体が主催する「食文化セミナー」に招かれ、「ひなまつりと春の食べもの」というタイトルでお話をしたのですが、講座の最後に、受講生の皆さんと一緒に「菜の花雛」を作りました。野に菜の花が咲く季節には早いというのに、セミナーを主催したスタッフの方々のご努力で、見事な菜の花が会場に用意され、50名ほどの皆さんが、目を輝かせて素朴な雛人形を作り上げていかれました。
 私は播州の農村部で幼い時代を過ごしたのですが、桃の節句になると、幼馴染たちと一緒にお弁当をもって野や山へ遊びに行きました。そこで春の草花を摘み、小枝や松葉を集めると、何対ものお雛さまを作ったものです。播州に限らず、草花雛は、節句に野遊びや山遊びに出かける風習のある地域などを中心に伝承され、長く子どもの遊びの中で生き続けてきたものと言われています。

 作り方はとても簡単。画像でご紹介いたしましょう。
@衣装になる葉と頭になる花、衣装を
 止める小枝(松葉)を準備する。
A葉を葉脈に沿って半分に折り、真ん中
  に花をのせる。
B花の茎に衣装を着せるように、左、
  右と葉を合わせ、小枝で止める。

 奈良朝時代に日本が中国から受け入れた上巳節(桃の節句)は、水辺で草人形(くさひとがた)などによって禊ぎを行い、仙木である桃の枝や花を浸した酒を飲み、鼠麹草(母子草)を入れた羹(餅状のもの)を食し、春の植物の薬効と霊力を取り込むことによって、身体を健康に保とうとする特別の日でした。近世に入って、桃の節句が女性たちのものとして意識され始める頃から、そこに「雛遊び」や「雛飾り」の要素が加わり、今日へとつながっていきます。
 旧暦の3月3日は、今年のカレンダーでは、4月8日に当たります。桃の花は満開、菜の花やタンポポは野に咲き乱れ、桜花もほころび始める春爛漫の好季節に祝われるのが本来の節句でした。桜の「サ」は田の神、「クラ」は座を表わすといわれます。桜(山桜)は、田の神が宿る樹木であり、桜が咲くことで農事が開始されました。満開の桜は秋の豊作を告げるもの。人々が桃の節句の頃、山へ野へとくり出していくことには、田の神をお迎える意味が込められていたのでしょう。
 そんな桃の節句の野遊びに登場する素朴で愛らしいお雛さまは、古い時代の草人形のかすかな名残を感じさせつつ、めぐりきた春の喜びを小さな身の内に宿しているようです。
 
 近くの野に菜の花が咲き始めたら、皆さまも是非、草花のお雛さまをお作りになってみて下さい。スミレでもタンポポでもレンゲソウでも、頭はどんな花で作っても、可憐で風情のあるお雛さまになりますよ!



NO.46
『御殿飾り雛』の世界                      (2008.2.2 学芸員・尾崎織女)

「一番かわいい!」と人気のお雛さま
(明治時代・京都大木平蔵製)
 年明け早々の『全国凧あげ祭り』、神戸そごう百貨店で開かれた 『私の針仕事』展(日本ヴォーグ社主催)への協力展示、そして、井上館長が昨秋、文部科学大臣から「地域文化功労者」の表彰を受けたことを記念しての祝賀会の開催・・・と、大忙しの1月を過ごした後、学芸スタッフは総出で展示替えを行い、特別展『御殿飾り雛』が本日オープン致しました。

 御殿飾りは、江戸時代の終わりには既に京阪地方で流行しており、関東地方で屏風を立てた段飾りが発展するのと平行して、その様式を整えていきます。館に暮らす男女一対の雛と、お仕えする人形たち、数段を作って、そこに諸道具類を配する賑やかな御殿飾りは、いきいきとした人形たちの声が聞こえてきそうな、動きを感じさせる飾り方です。天保8年頃より約30年間にわたって当時の風俗が書き記された『守貞漫稿』の中で、筆者の喜田川守貞は、京阪地方の雛飾りが御殿を用いたものであり、身近な生活道具や質素な厨房の道具類などをともに飾るが、それらは女児たちに倹約を教え、家庭教育に貢献する要素があると考察しています。

 関東の「屏風・段飾り雛」の傍に京阪で発達した「御殿飾り雛」を並べてみると、前者が静かで厳かな季節の室礼の趣を持つのに対し、後者には動的な遊びの要素が多く感じられます。ふり返れば、京阪には「雛遊び」の伝統がありました。
 平安時代、貴族社会の女児たちは「ひゐな」という小さな人形を作り、折にふれて「ひゐな遊び」を楽しんでいました。先だって『源氏物語』をじっくり読み返す機会があったのですが、全五十四帖中、十数回にわたって「ひゐな」の言葉が登場し、中には、紫の上や明石姫君や女三の宮らが、「ひゐな」で遊んでいる様子が生き生きと語られるくだりもみえます。紫の上は、ひゐなを源氏の君に見立てて着せ替えたり、それらが暮らす館をこしらえ、お道具なども使ってままごと遊びを行ったりしています。
御殿飾りと雛料理の小さな器いろいろ
         (明治〜大正時代)
 厨房の道具も置かれる御殿飾り
(大阪高島屋プロデュース・大正12〜14年頃) 


 「ひゐな」が、江戸時代に入って、そのまま桃の節句の「雛人形」となり、また、「ひゐな遊び」が直接「雛遊び」の世界につ
 雛の勝手道具(大正時代)
     ままごと遊びの道具として下段に飾られる

ながるほど、歴史の流れは単純でないにしても、御所のお膝元で生まれた御殿飾りや、それと共に飾られる厨房の道具などの雛飾りの中に「遊び」の要素がふんだんにおり込まれていることには、貴族社会を支え続けた京阪地方の歴史性が反映しているのだと思います。

 このような御殿飾り雛の世界をお楽しみいただこうと、6号館展示室では、江戸末期から昭和中期までの資料を、また、ランプの家には戦前戦後の代表的な資料を展示しました。木や紙で作られた質素な御殿から、重厚で豪華な明治時代の檜皮葺御殿、シックで軽快な印象のある大正時代の板葺御殿、物資が乏しくなる昭和10年代の御殿、戦後、暮らしが豊かになる時代の竜宮城みたいな御殿・・・・・・それらは、間違いなく、時代時代の美意識と夢を反映しています。
 春の足音が聞こえるこの季節、是非、今年もおもちゃ館の雛たちに逢いにお出かけ下さいませ。






最新の学芸室

学芸室2011後期   学芸室2011前期   学芸室2010後期   学芸室2010前期   学芸室2009後期   学芸室2009前期

学芸室2008後期   学芸室2007後期   学芸室2007前期   学芸室2006後期
   学芸室2006前期   学芸室2005