NO.83
村松百兎庵さんの年賀状交換帖               (2009.12.22 学芸員・尾崎織女)

 現在、開催中の『日本一の虎玩具展』の一画に、大正3年甲寅歳と大正15年丙寅の年賀状を展示しています。平成22年庚寅歳より七〜八まわり前に送られた年賀状ですが、デザインはどれもこれも、斬新かつ新鮮で、差出人たちの美意識の高さには驚かされるばかりです。
↑宮尾志げを(東京)の年賀状 ↑藤崎芳松(司芳)(大阪)の年賀状  ↑川崎巨泉(人魚洞)(大阪)の年賀状 ↑河野新吾(京都)の年賀状
<いずれも村松百兎庵氏のもとに届けられた大正15年>
 1997年、日本玩具博物館は、能勢泰明氏のご遺族により、同氏が収集された木地玩具などのコレクションの寄贈を受けま
↑村松百兎庵氏の年賀状交換帖
したが、その折に合わせて頂戴したのが、村松百兎庵氏の『年賀状交換帖・全11冊』で、展示している冊子は、寅歳の年賀状を集めたものです。
 兎玩具のコレクターらしく、「真向かい兎」がデザインされた布張りアルバム11冊の中には、「大阪国文社」気付で村松百兎庵(茂)氏に届けられた、大正末期から昭和初期の年賀状が綺麗に収められています。年毎に順番に並べられたファイルの中身は、頁ごとに画面が美しく、村松氏の丁寧で几帳面なお人柄がしのばれます。
 村松氏がコレクションされた年賀状は合計で2717枚。大正10年から集め始め、大正14年の乙丑歳からは、その数が100枚を超えます。昭和2年の丁卯歳から昭和9年の甲戌歳までの8年間においては、200枚から300枚にも及び、氏が年賀状交換に夢中になっておられた様子が伺えます。


 ←交換帖を広げたところ   ↑昭和9・甲戌歳の年賀状

 さて、差出人は、百兎庵さんと交友のあった趣味人たち。 彼らは「浪花道楽宗(なにわどうらくしゅう)」と、仏教の宗派のような名前のグループを形成し、グループのメンバーは、互いに山号寺号で呼び合っていました。例えば、村松百兎庵さんは、「萬集山雅楽多寺」。 年賀状の差出人の署名には、「葛齢山亀楽寺住職」とか、「美奈山吾尊寺住職」とか、「浪花道楽宗第五番札所・遊戯山三昧」とか、すっかりその気になった浪花の旦那衆たちの達筆が踊っています。
 村松氏に年賀状を送った人々の居住地は、大阪を中心に、京都、名古屋、東京、鳥取、長崎、中国東北部や朝鮮半島にも及んでおり、武井武雄(東京)や宮尾しげを(東京)、板祐生(鳥取)など、自画・自刻・自摺の賀状もあれば、「上方最後の浮世絵師」と言われた長谷川小信(三代・貞信/1848-1940)や川崎巨泉(1877-1942)に依頼して製作された賀状もあり、また大阪出身の画家・山内神斧(1886-1966)による賀状などもあります。多色摺の画面は、どれもこれも本当に美しく出来ていて、文人らしい判じものや見立てものもふんだん、文献知識の豊かさに支えられた粋な画面も目立ちます。
 干支の動物のデザインや古文書、浮世絵などの写しに加え、郷土玩具を題材にしたものが圧倒的に多く、現在はすでに廃絶してしまった玩具の有様を知るうえでも、貴重な資料に違いありません。
 戦前の趣味人たちの遊び心にあふれた年賀状の世界、今回はほんの一部ですが、『日本一の虎玩具展』と合わせてお楽しみいただきたいと思います。

↑松田昇太郎氏(東京)
/昭和2年
↑瀬川俊峰氏(大阪)
川崎巨泉氏デザイン/昭和3年
↑板祐生氏(鳥取)
/大正13年
↑武井武雄氏(東京)
/昭和10年
↑若林峯太郎氏(大阪)
山内神斧氏デザイン/昭和8年
 12年前の寅歳にお受け入れした故・長尾善三氏の虎たちと一緒に迎える新年は、私たちにとって、2度目となりました。たくさんの方々のご好意やご協力、叱咤激励に恵まれて、充実していたこの12年を振り返ってみる今日この頃ですが、さらに、日本玩具博物館が次の寅歳を目指して頑張っていけますよう、これまでと変わらず、暖かいお心でお見守り下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。



NO.82
きじ馬と花手箱の里〜熊本県人吉〜を訪ねて         (2009.12.15 学芸員・笹竹亜子)

 去る12月6日(日)・7日(月)、1泊2日で、スタッフと一緒に熊本県人吉市を訪ねてきました。姫路駅から山陽新幹線→特急リレーつばめ→九州横断特急を乗り継ぎ約5時間半、人吉到着です。人吉駅に降り立つと、「きじ馬」と「椿花」のタペストリーが出
▲人吉駅のタペストリー
迎えてくれました。年内のSL運行は終了しており、観光シーズンも過ぎていましたので訪れる人は少ないのかと思っていましたが、2両編成の列車は3分の2程度の席が埋まっていました。

 人吉到着後、バスに乗り、人吉クラフトパーク石野公園へと向いました。人吉クラフトパークは市が運営されているらしく、民工芸館や鍛冶館、木工館など伝統工芸を見て、触れて、体験できる施設になっており、公園内には広場やキャンプ場も併設されているようでした。各館では体験講座が設けられており、きじ馬や花手箱の絵付け、木のお箸作り、ナイフ・包丁製作など事前に予約すると職人さんの指導のもと体験できるようになっています。

 その中から、私たちは「花手箱」の絵付けを体験してきました。今回、ご指導下さったのは、住岡忠嘉さんでした。まずは箱を選び(白木のものと白く塗られたものがあり、どちらを選ぶかによって少し作業は異なります)、事前に下書きされた絵に沿ってアクリル絵の具で着色していきます。初めに黄色で花芯、葉脈(葉の中心部分)を描き、緑で葉を、続いて赤で花を、そして最後に黒で縁を塗ります。案内には約60分となっていましたが、出来上がりまで約2時間を要しました。私たちが訪ねたのは日曜の午後でしたがあまり訪ねる人がなく、ひっそりとしていました。観光シーズンが終わっていたこと、駅から少し離れていることが理由かと思われます。バスでクラフトパークへ向う途中工房(きじ馬・花手箱)の看板を見かけたので訪ねてみたかったのですが、時間的なことから今回は訪ねることができませんでした。この日はバスで駅へ戻り、人吉泊。

▲「花手箱」に絵付け中・・・・・・白木に直接、椿の文様を描くものと、白地の上に彩色するものとがあります。

 翌日はレンタルサイクルで国宝青井阿蘇神社や永国寺などの観光名所を巡り、前日は絵付け体験のみで時間切れとなりましたので再び人吉クラフトパークへ向
▲左側のきじ馬2点とうずら車2点は宮原健雄氏の作
右側のきじ馬2点と花手箱は住岡忠嘉氏の作
いました。郷土玩具や雛人形が展示されている展示館(伝統工芸館)を観て回り、きじ馬や花手箱を買い求めました。きじ馬も花手箱も5〜600円ぐらいからあり、館長が訪れた東北地方のこけしの話を思い出しました。その後、駅へと戻り人吉を後にしました。
 SL運行時期や一部の通りがお雛さま一色になる2月〜3月の雛まつりのころに訪れると、また違った雰囲気が味わえるのか
もしれません。

*花手箱・・・壇ノ浦の戦いに敗れ、落ちのびた平家の一族が都の生活をしのび生活の糧として作り始めたと伝えられる木製の小箱です。後に2月のえびす市で売られるようになり、主に女の子の土産として求められていました。現在は「花手箱」という呼び名が一般的ですが、「市箱(いちばこ)」「手箱」などとも呼ばれていました。
*きじ馬・・・花手箱同様、落ちのびた平家の一族が生活の糧として作り始めたと伝わっています。えびす市で売られ、主に男の子の土産として求められました。頭に書かれた「大」の字は大塚地区の製作者の家へ養子に入り、その後養家を去った若者が罪滅ぼしと感謝の気持ちを込めて書くようになったといわれています。






NO.81
デンマーク風ハート型のオーナメントを作ろう!      (2009.12.2 学芸員・尾崎織女)


 当館の庭の紅葉も最後の美しさを見せ、エナガやシジュウカラ、メジロやヤマガラなど、山の小鳥たちの訪問を受ける季節となりました。いよいよ、冬の到来。一方で、クリスマスを待つ楽しい季節でもあります。
 近隣の幼稚園や小学校から、小さなお客さまの訪問を受けると、クリスマス展会場では、クリスマスを待つ楽しみについてお話をしたり、この時節に登場する、「光」と「音」と「匂い」について感じてもらえるような実演を行ったりもしています。
 小さい子どもたちは、キャンドルに火が点ると、ゆるやかに心を解放していき、言葉は少なくなり、どんどん静かになって・・・・・・やがて、穏やかな瞳で目の前の風景をみつめてくれます。とても良いひとときだと感じます。

 さて、当館では、毎年、展示しているクリスマス・オーナメントの中から、一つか二つを取り上げ、意味を調べながら、手作りしてみる講座を開催しています。今年は、来る12月5日(土)の1時30分から、「デンマーク風ハート型のオーナメント」作りを計画しています。
 赤と白のフェルト布を組み合わせ、編みこんで作るハート型は、古くからデンマークのクリスマスに欠かせない飾りものでした。ツリーに飾ると、ハートの中には、キャンディやおもちゃをしのばせました。
 デンマークの童話作家・アンデルセン(1805−1875)は、切り紙細工やモビール作りが大好きで、友人の子どもたちのために、ハートの形の飾りを考案したと伝えられています。アンデルセンが好きだったハート型のオーナメントは、のちの人々によって工夫が加えられ、シンプルかつオリジナリティに溢れるデザインが次々に登場したのです。

 今回は、編みこんで作った二色のハートに、ポプリをつめて匂い袋(サシェ)を仕立てていきます。試作品を作ってみましたので、ご覧下さい。ちょっと難しそうに見えますが、コツを覚えていただくと、様々なデザインをアレンジしていただけると思います。ご興味をもたれた方は、まずは12月5日(土)の講座にどうぞご参加下さい。(お電話、ファックス、メールなどでお申し込み下さい。)
 作り方について、画像で少しご紹介したいと思います。


▲二枚のフェルトを組み合わせてハートの形を作ります。中に綿とポプリ少々を詰め、刺繍糸で縫いとめます。
 このとき、つるし飾るための紐を一緒に縫いこみます。形を整え、ポプリのサシェの完成です。


「デンマーク風ハート型のオーナメント」作りが終了しました!


NO.80
麦わらのオーナメント               (2009.11.27 学芸員・尾崎織女)


▲麦穂のオーナメント(スウェーデン)
 『世界のクリスマス物語』展示会場には、「クリスマスの造形・収穫感謝の心」として、ヨーロッパ各地に伝承される麦わらのオーナメントを集めて展示するコーナーがあります。緻密に細工された作品もあり、また麦穂を束ねただけの素朴な作品もあり・・・。いずれも暖かさと意味深さが感じられる造形ばかりで、ご来館の皆さまから注目を受けています。

 フィンランドやスウェーデンなど、北欧の国々では、クリスマス(ユール)の頃、飢える小鳥たち
▲麦穂のオーナメント
(左=イギリス/右=ギリシャ)
のために麦の穂束を庭の木や屋根などに結び、鳥のさえずりに春への希望を託す風習があります。また、クリスマスには、豊作を祈願して、麦わらを畑にまいたり、新年の健康を期して、床に麦わらを敷いて寝たりする習慣が残されています。クリスマスの麦わらには不思議な霊力が宿ると信じられていたためで、北欧のクリスマス飾りの中に、麦わらという素材が好まれることにも通じています。

 北フランス地方には、麦穂と麦わらを四つ編みにして樹木をあらわしたような「収穫の花嫁(Moisson de la Marie)」と呼ばれる麦穂飾りが伝承され、その飾りに宿る穀物霊の力が魔を払い、幸福を家に呼び込むと考えられていました。
 展示品の中には、麦わらで編まれた籠(播州地方の蛍かごと同じ!)に綺麗な麦穂が下げられたオーナメントがあります。麦穂が畑一面を実らせた穀物霊を象徴しているのだとすれば、籠は「穀物霊の家」という意味なのでしょうか。ヨーロッパ各地に共通して見られる美しいオーナメントです。 

▲「ウェールズの扇」(U.K)
 イギリスのウェールズ地方には、クロスするように編み込んだ麦束から麦穂が垂れ下がる形の飾りが見られます。「ウェールズの扇(Wales Fan)」と呼ばれ、この地方の境界に沿って伝承されています。麦穂に宿る霊力によって、自分たちの土地に悪霊が入ることを防ぎ、ウェールズに幸福をもたらそうという人々の願いが込められた独特の雰囲気をもつオーナメントです。

 1月6日に祝われるセルビアのクリスマスには、玄関に「パドニャック」と呼ばれるオーナメントが置かれます。葉がついたオークの小枝と麦束をリボンでまとめただけの素朴なものですが
▲「パドニャック」(セルビア)
、歓喜と健康と平和をもたらす霊力が宿るものとして、家に持ち込まれるのです。

 およそ一万年前に、中央アジアから西アジアの乾燥地帯
で始まった麦作は、地中海沿岸を経由して、中部ヨーロッパから北方ロシアに到達し、紀元前三千年頃にはほぼヨーロッパ全域に拡大していたようです。現在、ライ麦パンを主食とする東ヨーロッパの一部を除いて、小麦パンはヨーロッパ地域の主食となり、一方、大麦は牧畜の飼料に欠かせない作物となっています。麦は、有史以来の長きにわたり、ヨーロッパの生命を支え続けるもっとも重要な植物であり続けています。農村において、麦の耕作にかかわる一年のカレンダーには、その成長の無事と安全を祈り、豊かな実りを予祝し、収穫に感謝する節目ごとの儀礼がぎっしり詰まっています。それは、日本人にとっての稲と稲作に関わる習俗に対応していると思います。

 ヨーロッパ各地の農村で伝承されてきた麦わら飾りに見られる実直で素朴な手の跡―――クリスマス展会場では、そのようなオーナメントに触れていただき、クリスマス行事がもつたくさんの意味の中に、ひとつ、自然を畏れ、その恵みに感謝する心の厳かさを感じ取っていただければ、と思います。





NO.79
『世界のクリスマス物語』2009オープン!               (2009.10.30 学芸員・尾崎織女)

 秋・冬恒例のクリスマス展がオープンし、日本玩具博物館も本格的な秋を迎えました。当館のクリスマス展は、クリスマス・
▲「世界のクリスマス物語」〜光の復活祭〜コーナー
オーナメント(装飾)を通して、クリスマスの意味を探る試みです。所蔵資料の中から何を取り出し、どのような切り口で、この行事の中の何をご紹介しようか・・・、それは毎年、楽しく悩むところなのですが、25回目を数える今年は、二つのテーマで展示構成を考えてみました。

 <クリスマス物語>では、「クリスマスを待つ季節」「光の復活祭」「キリストの降誕」「サンタクロースの訪問」の項目を設けて、クリスマス人形とともに、各地の冬の物語を紹介しています。こちらの部屋では、“冬の夜に輝く光”――冬至を過ぎて再生する太陽、三人の博士を導くベツレヘムの星、人々の心に光をもたらすイエス=キリスト――を表現したいと思い、ケース床面に黒いフェルトを敷き詰めて、世界各地のキリスト降誕人形やキャンドルスタンドの数々を展示しました。それらの上、ケース壁面には経木細工や麦わら細工の光の造形を散りばめました。
 <ヨーロッパ・クリスマス紀行>では、本場ヨーロッパのクリスマスツリー飾りを取り上げ、ツリー発祥の地とも言われるドイツを中心に、「中欧」「北欧」「東欧」「南欧」と、4つの地域に分けて展示しています。こちらの部屋は、“モミの木の森のホワイト・クリスマス”をイメージし、地域によるオーナメントの違いに焦点をあてています。人々の冬の暮らしに深く関わり、それだからこそ独自性に満ち溢れたヨーロッパ各地のクリスマス風景を、それぞれに美しく描いてみたいと考えたのですが、ご覧下さる皆さまにはどのように感じられるでしょうか?

 毎年の10月・11月は、周辺の小学校からの団体来館で、館内は大賑わいになるところ、今年は、新型インフルエンザの流行によって、社会見学を見合わせる学校も多く、さびしい秋の日々です。けれどもその分、日本におけるクリスマス・オーナメントの歴史を調査しているという雑誌編集者の方々と展示品を細見したり、サンタクロースの意味について知りたいという学生さんをゆっくりご案内したり、プロテスタントの牧師さまとクリスマス飾りにおける宗教的情操について、静かにじっくり話し合ったり・・・と、心穏やかに過ぎていく秋の日々でもあります。


  ▲ドイツのクリスマス〜エルツ地方の木製玩具〜コーナー


 去る水曜日には、ドイツ・エアランゲンから懐かしいお客さまをお迎えしていました。
 Kiyoko&Herbert Furumotoご夫妻――ドイツ・エルツ(ゲビルゲ)地方の木製玩具、特にミニチュア玩具をサイド・ワークで研
▲Kiyoko&Herbert Furumotoご夫妻
究されているご主人と日独通訳者の奥さ
▲「村の教会」エルツ地方ザイフェン・グンター=フラーツ工房製
 Furumotoご夫妻から当館へ贈られたミニチュア玩具のひとつ

ま――が、初めて当館をご訪問下さったのは1990年9月のこと。お人柄の素晴らしいお二人と私たちはすぐに友人となり、その後、Herbertさんは、ニュールンベルクの玩具市へ井上館長をご招待下さったり、エルツ地方の木製玩具産地の中心であるザイフェンの町をご案内下さったり、また、当館友の会主催のクリスマスマーケット・ツアーのガイド役を務めて下さったり…と、様々な思い出を重ねてきました。そのツアーに同行させていただいた10日間、Kiyokoさんから、私はどれほど多くのことを学ばせていただいたことでしょう。ヨーロッパのクリスマス行事を考える上での、大きな大きな糧を頂戴したのです。そしてまた、日本玩具博物館が、ドイツ人をも驚かせるドイツ木製玩具コレクションを形成できたのも、ひとつにはFurumotoご夫妻のご協力があったからこそです。
 

 この秋、一時帰国なさったご夫妻をご案内して、井上館長は、「東北こけしめぐり」の旅に出かけていました。東北の旅を終えられたご夫妻は、『世界のクリスマス物語』展を観にご来館されたのですが、東西ドイツ統一後、急速に変転するエルツ地方の現状やザイフェンやグリュンハイヒェンにおけるマイスター(熟練工)の世代交代について、展示品のひとつひとつ取り上げながら、たくさんの興味深いお話をなさって下さいました。

 Furumotoご夫妻とは、これからも友情を積み重ねていきたいと思いますし、Herbert Furumotoさんのエルツ地方の玩具収集とご研究内容については、いつか、皆さまによいカタチでご紹介できる機会があれば、と思い巡らせています。






NO.78
姫路の「ぼんちこ」さん                  (2009.10.11 学芸員・尾崎織女)

開館20周年記念のアメリカハナミズキ
▲4号館・庭のハナミズキ
 1994年11月、開館20周年記念に当時のスタッフと一緒に植樹したアメリカハナミズキが今年も赤い実をつけました。当時はまだ少年のようだったハナミズキも、4号館2階の窓に届いて、立派な青年の樹へと成長しました。日本玩具博物館は、来る11月10日、35歳の誕生日を迎えます。
 ハナミズキに赤い実がつきはじめると、それは、「世界のクリスマス展を準備しましょう」という合図です。来週は一週間かけて6号館に『世界のクリスマス物語』の世界をつくっていきます。今回で24回目のクリスマス展! 心を込めて展示しますので、どうぞご期待下さいませ。

 
▲姫路のぼんちこ(桑原さん作)
 今、1号館で開催中の『人形遊びの世界』は、多くの世代の女性たちに喜んでご覧いただいておりますが、素朴な「姉(あね)さま」人形のコーナーにじっと足を止める若い女性たちも少なくないのを、私たちはとても嬉しく思っています。

 わが国における人形遊びはいつ頃からあったのでしょうか。すでに平安時代、『源氏物語』にも、幼い姫君たちが、小さな道具を取り揃え、「ひゐな」と呼ばれる人形を身近な人たちに見立てて、遊びにふける様子が生き生きと描写されています。この「ひゐな」は、近世に至って、桃の節句の雛人形へと発展を遂げる一方、日常の持ち遊び人形として、広く庶民層へと普及していきました。
 江戸時代、文化12(1815)年刊の『骨董集』(山東京伝著)には、「今の世の女童、ひいな草を採て髪をゆひ、紙の衣服を着せなどして、平日の玩具とす」とあり、ひいな草の人形遊びが、古い時代からあったと記されています。この手作り人形は、日本各地に定着し、のちに、郷土の「姉さま」と総称されます。

▲ぼんちこを正座させて
“こんにちは!”とご挨拶。。。
 明治時代に日本を訪れたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)がその可憐さを絶賛した「松江姉さま」のように、商品化されて今に伝わるものもありますが、姫路姉さまは、各家庭で作り伝えられたものです。目鼻も描かず、髪飾りも少ない素朴な姿が特徴で、「ぼんちこ」の愛称をもっていました。すっかり時代から忘れられ、伝承者も居なくなった「ぼんちこ」について、私が初めて教えていただいたのは、10年ほど前のこと。大正5年生まれの井上ため子さんが、半紙と千代紙、木綿糸を使い、器用な指さばきで一体の「ぼんちこ」を作ってみせて下さったのでした。

 当時、<ため子おばあちゃん>に聞き取りをした折のノートから、昭和時代のぼんちこ遊びをご紹介します。
 「私は、飾磨生まれの飾磨育ち、嫁いだ先も飾磨(姫路市飾磨区)です。むかしは、飾磨から白浜辺りにはマッチ工場がいっぱいあったので、内職にマッチのガワ巻きをする人がたくさんあってね、そこらの家には、それに使う紙がいろいろあったんです。ぼんちこは
▲筆者のぼんちこ
、母に作ってもろたり、教えてもろて自分でこしらえたりして遊びました。髪型は、島田、丸まげ、桃割れなどがあって、ちり紙や、マッチのガワの紙でも作りました。着物をきせるときは、“襟の合わせ方、左右をまちごうたらアカンで”と、母からよう言われました。ぼんちこが出来上がると、菓子箱を畳代わりに、本を壁や建具にして部屋に見立てました。ぼんちこを座らせて“こんにちは”、“ようこそ、いらっしゃい”とお辞儀させたりして、よう友達と遊びました。そんなことしてるうち、女の人の髪型を覚えたり、お作法を習ったりしてたんでしょうね。」

 玩具博物館に展示する「ぼんちこ」は、故・桑原やえさん(明治34年生まれ・姫路市小利木町)の作品です。やえさんのぼんちこも、ため子さんのぼんちこも、じっと眺めていると、たくさんのものを生み出した指先の力強さと、たくさんの人を愛した手のひらのぬくもりが伝わってきます。ところ
姉さま人形製作過程
▲半紙片を縮らせて「びん」を、半紙片に綿を含ませて
「おちょぼ」「島田」「顔」などの部分を作ります……
が、私が作ったぼんちこには、どうも、まろやかでほのぼのとした味わいというものが感じられず、どうしてなのか…と考えたのですが、それは、この小さな人形への親しみと愛着の深さが足らない…、そしてまだまだ人生修行が足らない…、ということなのかな、と思いました。

 さて、10月25日(日)の午後から、この「ぼんちこ」の作り方講習会を開きます。和紙を縮らせたり、綿を含ませて縛ったり……、手先の器用さを美徳とする時代から、徐々に離れつつある現代人には少々難しい作業かもしれませんが、一人でも多くの方に、郷土の小さな文化財を伝承したいと願っています。姫路の方は是非、姫路以外にお住まいの方々も、この機会に、愛らしい「ぼんちこ」の作り方を覚えていただきたく思います。ご参加をお待ちいたしております!



「ぼんちこ」作り講習会終了しました。







NO.77
おもちゃ館・秋の庭のスケッチ                  (2009.10.1 学芸員・尾崎織女)


野鳩の巣籠り博物館の中庭で野鳩(キジバト)が巣ごもりの真っ最中です。一週間ほど前、親鳩がコトコトと庭の中を歩き回っては、いそいそと小枝を集めていると思ったら、梅の古木の枝が三ツ又になったところにお椀の形をした素朴な巣をかけました。今、親鳥は、羽根に空気を含んでまるくなり、夫婦交代でじっと静かに卵を抱いています。キジバトに繁殖期はないそうですが、秋に館の庭で営巣するのを見るのは初めてです。15〜17日ほどで孵るそうなので、秋まつりの頃には雛が見られるでしょうか。時々、ホーホー、ホーホーと鳴き声が聞こえたかと思えば、来館した子ども達が吹く鳩笛の音だったりして、とてものどかな10月の始まりです。

けれど、井上館長は、「なんで、もうちょっと高いところに巣をかけへんのかな? 猫に捕られてしまう…」と心配顔です。館長は、若い頃、伝書鳩に夢中になり、「日本鳩レース協会」にも属して、鳩とともに人生を歩むことを真剣に考えていたほど、大の鳩好きなのです。アベマキのどんぐり飼い猫や野良猫がしょっちゅう遊びにくるし、蛇だってスルスルと木に上りますから、雛が孵り、無事に巣立ちを迎えるまで、井上館長の心配は尽きません。
 

駐車場横の公園は、どんぐりの季節を迎えました。公園には大きなd(アベマキ)の木々が2〜3本あり、たくさんのどんぐりを落としてくれます。アベマキの下に立っていると、秋風が駆け抜けていく度、バラバラと殻斗(かくと)に包まれたどんぐりが降ってきます。スタッフは毎日のようにこのどんぐりを集め、一週間で大きな籠いっぱい蓄えました。

10月4日(日)、兵庫県下の博物館施設で同時開催される「どんぐりごま大会」のためです。どんぐりのお尻に楊枝をさしてコマを作り、回転している時間の長さを競い合うものです。やわらかい10月の日差しの中、小さな木の実のコマの回転をみんなでじっと見守るだけの素朴な大会。……日常生活における30秒は、無いに等しい「一瞬」かもしれませんが、木の実が回る30秒は、長く満ち足りた「ひととき」です。“どんぐり回し”は、照葉樹林文化圏において、古代から受け継がれる遊びの大御所であると、私たちは確信しています。長く人類
五節句図・重陽宴の「茱萸袋」より(部分)
酒井抱一画
 
に受け継がれてきた木の実のコマ――どんぐりが回る、たった30秒の豊かさを味わいに、ぜひご来館下さい。

                   

茱萸の袋館の庭では、山茱萸(さんしゅゆ)が赤い実を付け始めました。山茱萸は、初春、裸木に黄色い花を咲かせ、旧暦9月9日(重陽)頃に実を結ぶ植物です。かつて、貴族社会では、重陽の節句になると、美しい錦裂(にしきのきれ)で袋物を仕立て、その袋に菊花と赤い実を付けた山茱萸とを盛って、「茱萸袋(しゅゆのふくろ)」が作られました。貴族たちは、茱萸袋を贈答し合い、御帳にかけて重陽の節句の魔除けとし、季節感を楽しんでいました。

日本へ山茱萸が渡来したのは、江戸時代享保頃(1720年前後)。それまでは実物がないので、茱萸袋を作るには、造花の山茱萸やこの時期に赤い実を付ける別の植物で代用していたそうです。山茱萸の実のぴりっとした香辛性が厄除けに適したものと考えられたのでしょう。実際、山茱萸には、薬効(強精、止血、解熱作用)も認められるようです。宮中で始まった茱萸嚢は、町家へも広まり、着物の文様などにも描かれたりして季節感を演出しました。そんな風習を知って、山茱萸の赤い実を見あげると、また格別に秋の風情が感じられます。







NO.76
秋の人形展に向けて
                                           (2009.9.7 学芸員・尾崎織女)

 賑やかな蝉時雨が遠のき、黄金色に輝く稲穂の波の上をトンボの群れが飛び交う季節となりました。夏の諸行事にとりまぎれ、ずいぶんご無沙汰してしまいましたが、皆さま、お元気で秋を迎えられたでしょうか。
 学芸室では、秋の展覧会に向けての準備を始めています。一つは、北九州市関門海峡ミュージアム(海峡ドラマシップ)で開催する『なつかしのリカちゃん&ジェニー展』(2009年9月19日〜11月3日)です。去る春、当館1号館における企画展『リカちゃんとジェニーの世界』の開催中、先方のご担当者から、「欧米風レトロな建物群の中にある展示会場にぴったりだから、是非!」とお誘いをいただきました。偉大なるリカちゃんたちの製造メーカー・(株)タカラトミーならびに、昨冬、小倉城庭園での『ちりめん細工の世界』展で一緒に仕事をさせていただいた「NPO法人・創を考える会」にもご協力を仰ぎ、多くの団体と一緒につくる展覧会です。
▲各地の姉さま人形

 会場となるのは、古い洋館のダンスホールを思わせる大きな空間。リカちゃんもジェニーも身長20〜30cmの小さな人形たちですから、彼女たちの愛らしさ、繊細さに来場者の目が集中するような、工夫ある造作を望んでいます。展示ケースの大きさに合わせ、展示グループを考えながらシミュレーション作業を行い、梱包作業も終えて、既に送り出す準備完了。来週末には、井上館長と尾崎が展示作業の立ち合いに出かけます。楽しく夢いっぱいの展示に仕上がるよう頑張って参りますので、お近くの方は、ぜひご来場下さいませ。

 さて、この秋、もう一つの展覧会は、1号館で開催する『人形遊びの世界〜「姉さま」から「リカちゃん」まで〜』と題する企画展(2009年9月12日〜11月17日)です。人形を偏愛する国、人形王国ともいわれる日本には、驚くほど豊かな種類の人形が存在します。日本人形といえば、「雛人形」や「五月人形」など、静かに飾られる節句人形が想い起こされますが、本展では、少女が日々の友として持ち遊んだ人形を取り上げ、江戸から昭和へ、時代の移り変わりを追って展観しようと思っています。
 近世以来の手遊び人形「姉さま」や「市松人形」、セルロイドのキューピー人形にミルクのみ人形、スカーレットちゃん(中島製作所)やリカちゃん……日本の少女たちに愛された歴代の人形たちを準備場所に集めて眺めているうち、赤いワンピースを着て、ぶらんと足を投げ出して座る「文化人形」の愛らしさにふと心を動かされ、私の母が語った子ども時代の話を思い出しました。
▲文化人形(昭和20〜30年代)

 昭和13年生まれの母が少女だった頃といえば、まさに戦中戦後、物の無い時代です。母のたったひとつの大事な持ち物は赤い帽子をかぶり、大きな目をキラキラさせた人形で、名前は「花子ちゃん」。大阪から故郷の村へ疎開したときも、花子ちゃんは一緒でした。どこへ出かけるのにも抱いていくので、やがて手や足をくるんだレーヨン布が朽ち、中から詰め物の大鋸屑が出てくるのを馴れない手つきで縫い直しては、また遊びに連れ回す。花柄の洋服の裾が破れ、何かをこぼしたのか、顔には涙のようなシミができていたけれど、幼い母にとっては、花子ちゃんが「世界の何よりも愛しかった…。どこへやってしまったのか、もう一度会ってみたい…。」そんな存在だと言います。ややもすれば飢え、物の無い不幸な時代。けれども、母のように、幼い頃の心に、とても大切な何かを一つ(たくさんではなく!)抱けるというのは、幸せなことなのではないかと思います。
 私が玩具博物館にお世話になってほぼ20年。
「懐かしくて仕方ないお人形があるのですが、見せていただけますか? お腹を押さえると確か、キューと泣き声を立てたと思うんです。」「どこへ行くのにも抱きかかえていたので、古びて傷んで、知らない間に捨てられてしまったことが未だに悲しい。もう一度、あの
▲大正末〜昭和40年代の人形いろいろ
人形を抱いてみたくて…」―――振り返れば、そんな話をしながら、常設館に展示してある「文化人形」を涙目で見つめるご婦人が何人もいらっしゃいました。

 「文化人形」が誕生したのは、大正末年。レーヨン、メリヤスなどで頭、胴、手足を縫いぐるみにし、中に大鋸屑などを詰めてボディとしたもの。洋装ファッションの愛らしさと抱き心地のよさが少女の心をとらえ、昭和40年代頃まで作られていましたので、生誕42年を迎えたリカちゃんよりも、実は、長く愛され続けた抱き人形なのです。
 「文化」という言葉は、大正末期に流行し、最先端のファッションをさす流行語だったようです。関東大震災(大正12年)後に新しく建てられた住宅は、「文化住宅」と呼ばれ、おしゃれな住まいと持てはやされました。「文化センター」「文化包丁」「文化鍋」……。「文化人形」も、ハイカラを好むこの時代感覚の中で誕生し、だからよけいに、流行に敏感で新しいもの好きの子ども達の心をしびれさせたのかも知れません。
 
 この秋、昔、少女だった大人たちに向けて、少し汚れていたり、傷んでいたりするけれど、小さな少女の腕に抱かれて幸せな時代を過ごした人形の数々を展示したいと思っています。母にとっての「花子ちゃん」のように、思い出が数珠つなぎになってよみがえって来るような、そんな人形の一点、一点を大切に飾ってみたいと思っています。








NO.75
南国の展覧会 〜みやざき歴史文化館『音とあそぶ』展〜
                                           (2009.7.24 学芸員・尾崎織女)

 播州の梅雨明けはまだですが、いよいよ夏休みが始まりました。1号館の『神戸人形と世界のからくり玩具』展は、おもちゃ博物館らしく楽しい展示で、皆さんにご好評をいただいております。特に「神戸人形」の奇抜なデザインを懐かしがられる神戸周辺からの来館者や、意表をつかれる動きに目を輝かせる子どもたちで、会場には朗らかな笑い声が絶えません。

 7月上旬は、群馬県高崎の日本絹の里で開催された『子どもの晴れ着とちりめん細工展』の撤収作業に出かけ、また、みやざき歴史文化館(宮崎市芳士・蓮ヶ池公園内)の『音とあそぶ〜世界の発音玩具と民族楽器〜』(7月11日〜9月13日)の展示作業に出かけていました。
▲楽器に触れるコーナー

 宮崎では初めての発音玩具展は、木や土、竹や葦やサボテン、瓢箪や木の実や種、蜜蝋や松脂、亀の甲羅や馬の毛、山羊や牛の皮、蛇の皮…と自然素材で作られた素朴な資料ばかりが並びましたので、全体にアースカラーで心地よいムードです。
 日本玩具博物館の発音玩具と民族楽器コレクションの中から350点を選び、発音の行為によって分類展示したものですが、がらがら(Rattle)、でんでん太鼓(Rattle & Drum)、ぶんぶんゴマ(Buzzer)、ラトルウォッチ(Rattle-Watch or Devil-Clapper)、うなり木(Bullroarer)など、世界に普遍的に見られる「鳴り物(Noisemaker)」の数々を紹介するコーナーを広くとりました。
▲展示会場(一部)の風景
 それらの鳴り物は、獣除けであったり、雨乞いであったり、また病気の治療であったり…と、かつては呪術的な場面にも登場した道具で、子どもの世界に受け継がれた今も、雑音性に満ちた音の中に魔を除ける強い力がこもっていると考えられたりするものです。単純素朴な玩具ですが、来場された方々は、見慣れて身近にあるものが、少しずつ形を変えて世界各地に分布していることに驚きの声をあげておられました。

 会場内には、メキシコやグアテマラのバンブー・スリットゴング(竹太鼓)や、マリのジャンベ(ゴブレット型片面太鼓)、インドのドーワクドリワリ(両面太鼓)、インドネシアのアンクルン(竹ベル)、ベトナムのドラムセット、ペルーのレインスティック(雨の棒)など、自由に鳴らして遊べるコーナーも設けています。梅雨の頃から1〜2度しか雨を見ていないという宮崎、オープンの日には、「雨を降らせたい!」といって、小さな子どもたちがレインスティックを振りまわし、会場にザァザァと雨の音が響いていました。
 ▲宮崎八幡宮・夏越祭の本神輿

 世界の音と遊べる楽しい展示会場へ、宮崎の方々には是非とも、足をお運び下さい。
  http://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/cul/rekisi/miyazakirekisi/index.html

 私が記念講演会に再訪した18日の午後、宮崎八幡宮の「夏越祭」が始まっていました。団尻、子供御輿、女御輿、本御輿は、気温36℃の日が翳り始めた夕刻から繁華街を練り歩き、夜の帳がおりる頃には県庁前広場のお旅所へ到着。古風な囃子歌にチンチンと鳴る鉦の音、子どもたちの黄色くかわいい掛け声に応ずるのは地に響く野太い大人の男声。
 旧暦6月晦日であれば、晩夏の祭であるはずが、近年の夏越は、本格的な夏を前にした健康祈願を意味するものでしょうか。お旅所では、数頭の宮小獅子が祭場を清める舞を賑やかに舞い、私にとっては初めての宮崎の祭、その夏らしい音色に感応する良宵でした。




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