NO.106
さらさら、すずやかに、『七夕と夏まつり』展オープン
                                           (2011.6.10 学芸員・尾崎織女)

楝(おうち)散る 川辺の宿の 
門遠く 水鶏(くいな)声して 
夕月涼しき 夏は来ぬ

♪卯の花の匂う垣根に…と歌い始める唱歌「夏は来ぬ」の4番の歌詞です。
玩具博物館の周りには、楝(おうち=栴檀)の木がたくさん植わっていて、今、可愛らしい薄紫色の花をシャワーのように降らせています。夕方ともなれば、ホトトギスの啼く音に混じって、市川の川向こうから水鶏(くいな)の声が響き、早苗がゆれる水田の表面に月が影を映します。
唱歌「夏は来ぬ」に歌い込まれたとおりの季節感の中、6月の玩具博物館では、夏に向けて展示替え作業を行っています。まずは、今週の休館日を利用して一号館に、『七夕と夏まつり』と題する展示を完成させました。


七夕は、古代中国で発展した初秋の儀礼です。『荊楚歳時記』(中国・六朝時代/6世紀中頃)には、このように書かれています。
『案内者』(寛文2 ・1662年 中川喜雲著 より
江戸時代前期の七夕まつりの様子

   7月7日、牽牛・織女、聚会の夜と為す。
   是の夕、人家の婦女、綵縷(さいる)を結び、七孔の針を穿ち、
   あるいは金・銀・鍮石を以て針を為り、
   几筵に酒脯・瓜果を庭中に陳ね、以て巧を乞う。
   喜子(くも)、瓜上に網することあらば、則ち以て符応ずと為す。

牽牛星と織女星が出逢う7月7日の夜は、豪華な針や糸を飾り、酒肴や瓜などを供えて、織物の上達を祈ったというのです。蜘蛛がお供え物の瓜に網をかけたなら、願いごとが叶えられる徴である……と。このような七夕の儀礼は、「乞巧奠(きっこうでん)」と呼ばれていました。それが奈良時代の宮中に伝わって貴族社会で定着し、中世には、織物だけでなく、和歌や管弦、立花、香道など、芸道全般の上達を祈るまつりとして定着していきました。やがて農村部へと拡大するにつれ、祖霊祭としての「盆行事」や実りの秋を前にした「豊作祈願」などとも結びつき、日本独自の発達を遂げていきます。


今も日本の各地にさまざまな顔をもった七夕行事があります。ある地域では観光の目玉として脚光を浴び、ある地域では郷土愛に満ちた方々が必死で守り、またある地域では家庭の中庭でひっそりと命脈をつないでいます。
千葉県、茨城県、埼玉県など関東地方を中心とする七夕には、チガヤやマコモ、またワラを細工して作られる「七夕馬」の素朴な飾りがあり、東北地方から山陰海岸、隠岐の島々まで続く日本海側には、「ねぶたまつり」に代表されるような灯籠がゆらめく七夕行事があります。一方、中部地方や近畿地方には、織物や着物にまつわる七夕飾りがちらほらと伝承されています。「笹の葉に願い事を吊るす」という全国に共通する習俗以外に、素朴ながらに美しい七夕まつりが各地に残されているのです。

↑人形の色々を軒につるす七夕飾り(長野県松本市) ↑船や姉様人形、灯籠を川に流す七夕(富山県黒部市)

 ↑笹飾りとマコモ馬を飾る七夕(埼玉県上尾市) ↑カヤ馬とカヤ牛が登場する上総地方の七夕(千葉県)

↑大小の星形行灯が行進する七夕(島根県隠岐) ↑村境にしめ縄をはり、初七夕を表す男児用の藁馬と女児用の糸車を吊るす七夕
(岐阜県高山市)

個人的な話で恐縮ですが、七夕の夜に誕生し、織女星の名前をいただいた私にとって、七夕は、五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)の中でも、“ゆかり”と“えにし”を感じる行事です。ここ十数年は、この時期になると、各地の七夕行事の見学に出かけては、その有り様を記録することを続けてきましたので、たくさんの七夕行事が思い出の中に詰め込まれています。本展では、そんな中から、日本の七夕風景の一端を、展示品を通してご紹介できればと思っています。また、そうすることで、私たちの地元・播州地方が伝える七夕の意味が理解されていくことと考えます。


「七夕紙衣」展示風景…播磨灘沿岸地方に伝承される七夕飾り(兵庫県姫路市)

展示室は、天の川をイメージして青いクロスを敷き詰めました。織女星に捧げる「七夕紙衣(紙の着物)」、天の二星の巡り逢いに登場する「七夕船」や「七夕馬」(盆の「精霊船」や「精霊馬」とつながっていきます)、子どもたちの「灯籠玩具」(祖霊の迎え火につながっていくでしょうか)などをさわやかに展示しました。
今回の展示品は、紙や竹、植物素材で作られた軽やかなものばかり。唱歌「たなばたさま」には「♪ささの葉さらさら 軒端にゆれる」と歌われますが、七夕の室礼や飾りを見ていると、「さらさら」「さやさや」「そよそよ」「すがすがしく」「すずやかに」……日本語の中、“さ行”の語感がぴったり合うと感じられます。
企画展会期より一週間早く、企画展会場をオープンいたしました。会場では、子ども時代の七夕の思い出を懐かしそうに語り合われる方々の姿があります。今夏の日本玩具博物館では、情緒豊かな日本の夏風景に出合っていただけるものと思いますので、ぜひともご来館下さいませ。

NO.105

“ちりめん細工”初夏の館外展〜日本絹の里へ出張します〜
                                           (2011.5.14 学芸員・尾崎織女)

風薫る五月、皆さまにはいかがお過ごしでしょうか。この度の大地震から2カ月余。多くの行方不明者を抱え、様々な問題を抱えながらも、被災地の皆さまが少しずつ前へ進んでおられる様子を伺い、尊敬の念でいっぱいになります。また、様々な分野で、
義捐金箱とクレマチス
直接的に、間接的に、本当にたくさんの復興活動が行われていることを知るにつけても胸が熱くなってまいります。
4月初め、文化庁が、被災地域の教育委員会や関係団体と連携して、美術工芸品等の動産文化財を中心に“文化財レスキュー事業”をたちあげたと知らされました。文化庁のホームページには、「被災した文化財をまずは緊急避難させ、その後、関係者の叡智を結集して、救援した文化財や被災した建造物等の不動産文化財等の修理・保存を行ってまいります。文化財は、地域の人々の心の支えと連帯の象徴となっているものもあり、これらの復旧が早期に行われることによって、被災地に明るい笑顔を取り戻す一助となればと考えています。………」と、文化長官のメッセージがあがっています。
http://www.bunka.go.jp/bunkazai/tohokujishin_kanren/chokan_message.html

その文化財レスキューを進めていくための寄付の協力願いを受け、博物館施設の一員として名前を連ねる私たちも、4月から、館内に義捐金箱を設置しています。ご来館者、友の会の方々、業者さん、スタッフたち…、日々、桜色の小箱の中にお志を入れて下さっています。先日は、友人から、5月7日の日本経済新聞の文化欄に“被災文化財 保全への苦闘”という記事が出ていたとメールをもらいました。「余震が続く中、大きく傾いた土蔵から命がけで古文書や古道具、陶磁器、屏風絵などを救い出すNPOスタッフの活動などが紹介されていて、心をつき動かされました。」と、彼は、私たちの館の義捐金箱に志を送ってくれました。ありがとうございます。5月末日には一度、(財)文化財保護・芸術研究助成財団の口座へ送金させていただきますが、その後も桜色の小箱は設けております。趣旨に賛同して下さる方は、最寄りの博物館施設、また財団へ直接、ご協力をお願いいたします。


さて、黄金週間、学芸室では、多くのご家族連れをお迎えしながら、館外展の準備を進めていました。トップページでもご案内いたしましたように、来る5月28日(土)から7月11日(月)まで、群馬県立日本絹の里で『ちりめん細工の美〜四季の傘飾りを中心に〜』という展覧会を開催いたします。日本絹の里は、繭や生糸に関する資料や絹製品などを展示し、絹を使った染色体験などを行い、絹をとりまく文化と蚕糸技術の継承にとりくむ博物館施設です。企画展は、2007年秋、2009年初夏に続いて3回目となり、先方のスタッフの皆様とも親しく作業を進められる間柄です。

本展は、当初、秋に予定されていたのですが、この度の震災による影響で、先方の企画展スケジュールに変更が必要となり、急きょ、会期が前倒しとなったため、少々、企画内容を変更することとなりました。今回は、日本玩具博物館ちりめん細工研究会のメンバーが平成20年以降に制作した傘飾り作品を、大小取り合わせて30点ずらりとお目にかける他、昨春、愛知県一宮市のお細工物収集家・米津為市郎氏より寄贈いただいた“きりばめ”細工の袋物(明治末〜大正時代)を中心に、新収蔵の古作品をご紹介しようと思っております。すでに展示シミュレーションや梱包の作業も終了し、送り出しを待つばかりとなりました。

▲出展する“きりばめ”細工の袋物 ▲展示シミュレーション風景 ▲梱包した作品
▲傘飾り展示のシミュレーション風景
会期中には、当館ちりめん細工の会講師の南尚代さんの講座が2回予定されておりますので、この機会にぜひ、ご受講下さい。また、ミュージアムショップからは、当館の“古風江戸ちりめん(正絹)”や書籍などをお送りする予定ですので、ちりめん細工を愛好される皆さまには会場で材料をお求めいただくこともできます。
ちりめん裂の風合いと四季折々の小さな袋物、華やかな傘飾りが構成する展示室には、それらを小さな針目で縫いつなぎ、無心に製作したたくさんの女性たちの力がこもっており、独特のやさしい世界がつくられることと思います。この度の大地震で被災され、不安と不自由の中に暮らしておられる北関東地方の皆様の心を少しでも明るく照らすような展示となるよう努めてまいりたいと思っています。どうかご期待下さいませ。


NO.104
端午の節句〜子どもの風景〜                   (2011.4.21 学芸員・尾崎織女)


今週土曜日より、6号館では初夏の恒例展『端午の節句飾り』が始まります。甲冑飾りや武者飾りの移り変わりを幕末から
小林永濯画「温古年中行事・第3集」(明治28年/1895年)より
  江戸末期における端午の様子…児童菖蒲打の図・外幟をかざるの図

明治・大正・昭和へと時代を追ってご紹介する内容です。勇壮で剛健な端午の節句飾りは、愛らしい桃の節句の世界とは対照的で、展示ケースの中にしゃきっと敷き詰めた毛氈の濃い緑色にも初夏の風が漂います。

今日、古文献に端午の節句を描いた絵図を探していたところ、明治28年刊、小林永濯の「温古年中行事・第3集」の中に、幕末の端午の様子を描いた絵を見つけました。遠景には、武者幟や吹き流し、そして、一旒の鯉のぼりが空を泳ぐ様子が見え、近景には、大人たちがエイヤッと鯉のぼりを上げている姿、それから、柵に立てられた武者幟や飾り兜(かぶと)の前で、「菖蒲打」をして遊ぶ子どもたちの姿が愛らしく描かれています。
子どもたちは、頭にきりりと菖蒲の葉を巻き締め(「菖蒲鉢巻」)、菖蒲の葉を編んで縄状にしたものを手に、力一杯、地面に打ち付けてい
鯉のぼりを背景に、
菖蒲鉢巻をしめた赤ちゃん
(昭和50年代・兵庫県朝来市生野町)

 
ます。打ち付けたときの音の大きさを競い合い、縄が切れた方が負けというルールだったようです。江戸時代 の子どもたちを夢中にした遊びでしたが、残念ながら、明治時代を経て、すっかりすたれてしまいました。日本が中国から節句(供)の概念を受け入れた奈良・平安時代の昔から、「端午」は、菖蒲や蓬(よもぎ)をはじめ、香気の強い植物の力によって、季節の変わり目の邪気払いを行うものでした。頭に「菖蒲鉢巻」をしめることにも、「菖蒲打」をして遊ぶことにも、菖蒲の強い霊力を頼む心情が息づいているのです。
昨年、当館友の会の方(兵庫県朝来市生野町在住)からお預かりしたお写真の中、昭和50年代初頭に誕生された息子さんの初節句の様子を拝見して驚きました。背景には、大きな鯉のぼりが見え、おばあさまが「菖蒲鉢巻」をつけた赤ちゃんを後から抱いておられる素敵な構図のお写真です。近世そのままの習俗が、私たちの近くの町で昭和50年代までは伝えられていたことがとても嬉しく、ここにご紹介させていただきます。
山本昇雲画「子供遊び」(明治39年・1906年)より
     屋内に飾られるようになった武者幟のいろいろ

さて、永濯の絵に見られるような勇壮な外飾りは、明治時代以降、小型化して屋内に飾られ始めます。もうひとつご紹介する絵は、明治39年、山本昇雲によって描かれた「子供遊び」です。
毛氈の上に小さく作られた武者幟や武具立てが置かれ、兜、具足、白馬、鍾馗や熊のり金太郎などの人形などがずらりと飾られています。子どもたちはお供えの柏餅を頬張りながら、節句飾りを楽しそうに眺めています。
本展では、屋内飾りとして人気を博した幟立ての数々を賑やかに展示しています。展示物の前では、この絵のような風景を思い描いていただき、明治・大正・昭和時代の子どもたちの楽しげな姿を想像してご覧いただきたいと思います。

風薫る空に鯉のぼりが泳ぐ季節、どうか、被災地の子どもたちにも、明るい端午の節句が訪れますように。 





展示風景……昭和時代の初頭の座敷飾りの様子


NO.103
暖かい春になりますように……。                (2011.3.25 学芸員・尾崎織女)
この度の大地震、大津波、原子力発電所の災害事故によって被災された方々、そして辛い思いをなさっておられるすべての方々に心よりお見舞い申し上げます。被災地から離れた場所で恵まれた暮らしを営む私たちには、義捐金をお送りしたり、日常の品物をお送りしたりする以外にどんなことができるだろうか…、きっと長くなるだろう復興への歩みの中で、玩具博物館としての専門性によって、何かお手伝いできることがあるに違いない…、スタッフと毎日のようにそんな話をしています。
庭に出ると、春の花が、木の枝に下草の上にキラキラと開花をはじめ、メジロやウグイスが椿の枝を楽しげに飛び交う穏やかな三月下旬です。

そんな私たちの博物館へ、三々五々、ご家族連れでお越しになられる被災地の方々の姿があります。少しお声をおかけしますと、宮城県や福島県で被災され、関西のご親戚宅に一時的に身を寄せておられること、大変な体験をなさったことなどを、それぞれにぽつりぽつりと話して下さいます。小さな子どもたちは、たくさんの木製玩具が並ぶプレイコーナーで、長い時間楽しげに遊び、それを見守る親御さんたちも、ひとときほっとした表情で過ごしておられるように思われます。
「穏やかな時間を過ごせて緊張が解けました」
「子どもたちの笑い声が聞こえ、雛飾りがあり、黄色い花の咲く庭をみていると、気持ちが落ち着きますね」
先日、ご来館下さった仙台からのお客さまは、らんぷの家の縁側でそんなふうに話して下さいました。
心身に重いものを抱えてご来館下さる方々に、せめて心からくつろいで過ごしていただけるよう、私たちは心を尽してお迎えしたいと思っています。どうか、早く、暖かい本物の春がやってきますように…。

NO.102
ちひさきものはみなうつくし〜世界のミニチュア玩具展〜        (2011.2.25 学芸員・尾崎織女)

明日より1号館の企画展『世界のミニチュア玩具』をオープンします。
ブラチスラバの日曜市・パン屋
(スロバキア/1990年代製)


展示品は、町並、マーケットの風景、教会や学校、動物、人々の姿……いずれもがてのひらの中にすっぽり収まるサイズに縮小されたかわいらしいものばかり。それらを日本、中国、タイ、インド、ドイツ、イギリス、フランス、チェコ、スロバキア、スペイン、メキシコ、ブラジル、コロンビア、マガダスカル……と世界の国々から集めました。セットになった人形や動物、行燈や机やお椀に至るまで、ひとつひとつ丁寧に数え上げれば、展示総数は3000点を超えてしまいます。
クリスマスの頃のおもちゃ屋
(ドイツ・エルツゲビルゲ地方/1980年代製)

休館日の一日、スタッフ揃って、深夜まで小さな小さな造形に目を凝らし続けて展示作業を行いました。高さ2oほどの茶碗を直径3oほどの茶卓にのせて飾るにも、直径1.5oの白黒の碁石を碁盤に並べるのにも、ピンセットが必要です。ずらりと並んだ江戸の町並、スロバキア・ブラチスラバの日曜市の風景、ドイツ・ザイフェンのクリスマスマーケット、中国・清朝末期の花嫁行列、インド・ムンバイの楽団……展示室に出来上がった小さな世界は、文字通り「世界の縮図」のようです。ミニチュアに慣れた私たちの目には、「子どもの手に遊ばれる小さな玩具さえ、雛飾りの下段に置かれた雛道具さえ、怖ろしく大きなサイズに見えてしまうね」と、館長やスタッフたちと言い合いました。
清少納言の『枕草子』より有名なこの一節をふり返ってみましょう。
          うつくしきもの 瓜に描きたるちごの顔 
          雀のこのねず鳴きするに踊りくる………(略)
          ひゐなの調度 蓮の葉のいと小さきを池よりとりあげたる
          葵のいとちひさき 何も何もちひさきものはみなうつくし
          鶏のひなの足高に白うをかしげに衣短なるさまして 
          ひよひよとかしがましう鳴きて人のしりさきに立ちてありくもをかし
          また親のともに連れて立ちて走るもみなうつくし
          かりのこ 瑠璃の壺     


清少納言は、かわいらしいものとして小さな子どもや小鳥や植物を取り上げていますが、人間が作ったものは、雛の道具と瑠璃の壺、このふたつです。細工が凝っていて小さくて繊細で力が詰まっているものがうつくしい(かわいらしい)という平安時代以来の感性は、どうやら日本人にとって、とても重要な文化的特質らしいことを、展示作業を進めながらあらためて思いました。
「江戸小物細工」明治時代の飴売りの屋台
        (昭和初〜10年代製)
さて、この企画展、観どころは数々あるのですが、「江戸小物細工」のコーナーはとくに面白いと思います。江戸小物細工とは、江戸から明治時代、身近にあった物売りの風景や四季折々の屋台、樹木や花に彩られた茶屋の店先などを縮小して再現する技です。木、紙、大鋸屑や植物の繊維、布裂など、自然素材を用いて小さな部品をひとつひとつ形作っていきます。金魚売り、鳩豆売り、飴売り、取替平飴売り、目籠売り、虫売り、甘酒売り、しんこ細工売り、ほおずき屋、凧屋、たばこ屋、下駄屋、陶器屋、寿司屋、魚屋、天ぷら屋、そば屋………。江戸小物細工は、近世の庶民文化がいよいよ終焉を迎える明治末期、失われていく近世文明を懐かしむ風潮の中から誕生したものといわれています。会場には、浅草の服部家による昭和時代前期の作品を数多く展示しました。展示ケースの中に広がる小さな世界には、江戸的な生活文化が息づいており、なるほど、ミニチュアというものは、文化保存という役割も担っているのだと気付かされます。
郷土玩具のミニチュア(昭和10年代製)
展示にあたっては、学芸室の書棚から、江戸風俗画の第一人者、三谷一馬氏が、浮世絵や雑誌など膨大な量の古文献を渉猟して著わされた『彩色江戸物売百姿』(初版昭和53年)や『明治物売図聚』(平成3年)を取り出して読み返してみました。様々な資料を模写復元した美しい絵に詳細な解説が加えられており、時間を忘れて楽しめる著作です。・・・・・・例えば、江戸の夏には、「簾売り」「西瓜切り売り」「茄子売り」「冷水売り」「盆提灯売り」「朝顔売り」というような風流な物売りが、結構大きな籠を前後に振り分け、軽快に担ぐと、涼しげな姿でやってきます。変わったところでは、大きな赤い唐辛子の形をした箱を背負った「七味唐辛子売り」、美女の「針売り」、大陸伝来の道具を携えた「耳の垢とり」、儒者の道服を着た「猫の絵描き」など。どれもこれも意表をつかれるものばかり。
チューリンゲンガラス
のミニチュアカップ

(ドイツ/1990年代)
中でも興味深いのは「飴売り」です。飴売りは、羽根を立てた唐人笠にフリルがついた唐人服、時にチャルメラ(唐人笛)を吹いており、チャルメラのすっとぼけた音色で子どもを集めるのでしょうか。飴が売れると、奇抜な踊りを披露したといいます。そんな可笑しみにみちた人々の様子を思い描きながら、江戸小物細工の作品群を見つめると、小さな世界から何やら賑やかな声々が聞こえてくるようです。

清少納言によれば、かわいらしいものは雛の調度に瑠璃の壺。この春は、雛の調度がいろいろ登場している6号館の雛人形展と合わせて、日本玩具博物館の“ちひさきもの”たちを、ご堪能いただきたいと思います。


NO.101
絵画や小説に登場する玩具のこと〜手車(=ヨーヨー)〜        (2011.2.8 学芸員・尾崎織女)


先週は、兵庫県立山崎高等学校からお招きを受け、生活創造科の生徒さんたちに玩具(おもちゃ)の話をしに出かけていました。
▲『江都二色』に描かれた
“屏風からくり”“手車”“松風ごま”
全4時間の授業の中、1時間目と2時間目には、『江都二色』という玩具絵本(北尾重政画・大田南畝著/安永2・1773年刊)をとりあげ、近世の終わりに江戸市中で流行していた「玩具(=手遊び)」の話をしました。その絵本の画像と実物を見てもらいながら、江戸時代の玩具の特徴について、生徒さんたちと一緒に探っていきました。素材について、仕掛けの多彩さについて、玩具に込められた物語性や呪術性について、そして、江戸時代の玩具の国際性についても。
「つまらないもの…と思っていたけれど、小さな仕掛けのかわいらしさに感動しました」とか「『なんで、牛の玩具が赤いんやろ?』『なんで犬が笊をがぶってるんやろ?』など、ずっと疑問だったことが解けて、そしてびっくりしました。」とか「江戸時代のおもちゃの仕掛けはとても新鮮で感心しました。」とか……お話の後には、生徒さんからの瑞々しいレポートがたくさん寄せられていました。私は“玩具たちのお母さん”ではないけれど、玩具たちがほめられると嬉しいものです。中でも、「日本独自のものと思っていたヨーヨーやぶんぶんゴマが、世界中にあることを知って驚きました。」という感想が多く聞かれました。


この日、「近世の玩具(=手遊び)の国際性」を感じてもらおうと思い、『江都二色』の中から“団十郎の屏風からくり”“手車(てぐるま)”と“松風ごま”が描かれた画面を取り上げました。それぞれを現代の名前に呼び変えれば“隠れ屏風”と“ヨーヨー”と“ぶんぶんゴマ”です。これらは、世界の各地で時を合わせるようにして流行をみた玩具なのです。

▲『守貞漫稿』に描かれた
“あまの釣り独楽”
例えば、“手車”は、江戸時代中期頃に中国から伝えられて長崎を中心に広まりました。享保(1716〜36)の頃には京阪で土製のものが売られています。『近世畸人伝』(伴蒿蹊著/寛政2・1790年刊)には、「享保のはじめ、京に手車といふものをうる翁あり。糸もてまはして、是は誰かのじや、といへば、これはおれがのじや、と答て童べ買てもてあそぶ。……」と、手車を売る翁のことが記されています。もう少し時代が下ると、『守貞漫稿』(喜田川守貞著/嘉永6・1853年)には、「……近年迄江戸も此物あり、蜑の釣りごま(あまのつりごま)と號く也」として登場してきます。
こうして、江戸時代後期の日本で流行をみた「手車」は、同じ18世紀、中国からインドへ経てヨーロッパにももたらされ(イギリスでは「プリンス・オブ・ウェールズ」、フランスでは「ヨーヨー・ド・ノルマンジー」と呼ばれました)、彼の地でも流行をみたようです。

日本で、再び、手車が大流行するのは、昭和初期のこと。フランスで流行していた「ヨーヨー」が輸入されたことが契機となりました。「…裏通の角々にはヨウヨウとか呼ぶ玩具を売る娘の姿を見かけぬ事はなかった…」(『シ墨東綺譚』昭和7年冬/永井荷風著・昭和12年刊)ほどとなり、昭和7年に「ヨーヨー選手権大会」が開かれました。
先年、高崎市立タワー美術館の企画展で、榎本千花俊の「揚々戯(ようようぎ)」と題する女性風俗画に出合いました。クリスマスツリーが飾られた室内で、それぞれ緑と赤のパーティードレスに身を包んだ若い女性が二人、優雅にヨーヨー遊びを楽しんでいる美しい絵でしたが、制作は、昭和8年。女性たちのモダンなファッションに加え、小道具として流行のヨーヨーが画面に動きを作りだしているところがとてもユニークに思われました。
▲『洟をたらした神』(吉野せい著/文春文庫)と
日本の木製ヨーヨー(昭和初期製)

こうして都市部で大流行をみたヨーヨーは、当時10銭。地方の町々では2銭という価格で売られはじめました。けれど、2銭のヨーヨーを買ってもらえない子どもたちもたくさんありました。私が大好きな小説に、吉野せいの『洟をたらした神』という短編があります。ヨーヨー遊びが村々で流行した昭和5年夏のこと、数え年六つのノボル少年は、ヨーヨーが欲しくて、母親に2銭をせがみます。けれど、貧しい開拓農民の家にはその2銭のお金がありません。ノボルは泣きそうな顔をして外へ駆け出します。母親はあとで黒島伝治の小説を思い出しました。それは、コマを回す2銭のコマ紐を買ってもらえなかった子どもが、村はずれの粉ひき小屋で、コマ紐を自分で作ろうとし、あやまって牛にふみ殺されてしまう、という凄惨な物語…。母親は、2銭を惜しんだ自らを後悔して気をもみます。けれど、その夜、ノボル少年は、松の木の枝のこぶで、絶妙にバランスのとれたヨーヨーを見事、自作して持ち帰ったのでした。「満月の青く輝く戸外にとび出したノボルは、得意気に右手を次第に大きく反動させて、びゅんびゅんと光りの中で球は上下をしはじめた。それは軽妙な奇術まがいの遊びというより、厳粛な精魂の怖ろしいおどりであった。」小説はそう結びます。

昭和初期、美しい貴婦人の手で優雅に回転し、開拓農家の洟をたらしたノボル少年の手の中に踊るヨーヨー。流行を繰り返す小さな玩具は、絵画や小説の中にも、流行した当時の輝きをとどめているのです。
玩具のしかけが単純であり、けれど遊び手の技量が要求されるものであれば、それらは国境をこえて人の心をとらえ、瞬く間に世界へ広がっていきます。そして、それが一旦すたれてしまったとしても、ある日、再び息を吹き返し、少し形を変えて新たな流行をつくりだしていくものだと思います。手車(=ヨーヨー)もそんな玩具のひとつです。ヨーヨーはこの後、昭和40年代後半、そして平成初期の頃に日本で流行を観ましたが、それは、イギリスでもアメリカでもブラジルでも、同時期であったと言われています。

さて、皆さま、美術展に足を運ばれるとき、また小説や随筆などを読まれるとき、そこに玩具がひょっこり顔を出していないか、何かの意味をもって描かれてはいないか……、ちょっと心にかけていただくと、時代や人の心がふと身近に感じられたりするのではないでしょうか。そして、面白い作品を見つけられたときには、私どもにもぜひお教えいただきたいと思います。

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