NO.156
メリークリスマス!&よいお歳を              (2013.12.24 学芸員・尾崎織女)


庭にやってきたエナガ
色とりどり美しかった木の葉が散り、午後ともなれば曇りがちな日々、皆さまにはお元気でお過ごしでしょうか。日本玩具博物館はクリスマスシーズン真っただ中とあって、連日、クリスマス展 見学を目的とした皆さまをお迎えしていました。恒例のクリスマス飾りを作る2回の講座(「麦わら細工・光の天使」と「フェルト布とビーズのオーナメント」)には、定員いっぱいのご参加者をお迎えし、なごやかなひとときを過ごさせていただきました。参加された方々には、材料を多めにお持ち帰りいただいたのですが、皆さんから自宅でお作りなられたオーナメントを写真に撮って送って下さったり、「こんなにたくさん作りました!」と見せに来て下さったり、また当館へのクリスマスプレゼントに付けて贈って下さったり……、講座でのひとときが、参加者の暮らしの中へと広がっていることを感じてとてもうれしく思います。


12月は日曜日ごとにクリスマス展の恒例の解説会を、また祝日には第10回目のクリスマス絵本の朗読会を開催いたしました。小さな子どもたちも大人の皆さんも、たまたま居合わせた方々が同じ一つの物語を囲み、同じキャンドルスタンドの灯をみつめるひとときです。―――ご来館者のきらきらした真剣な瞳と笑みをたたえた穏やかな表情にふれるとき、また、会のあと、ぽつりぽつりご自身のことをスタッフに話しかけておられる方々に接するとき、つくっている側が言うのはおかしことですが、日本玩具博物館のクリスマスの展示室にはお人の心を開く特別な力があるのではないかと思ったりするのです。

光のピラミッド」(ドイツ)の灯を見つめるこどもたち クリスマス絵本の朗読会風景『まりーちゃんのクリスマス』(フランス)を聴く


2013年も残すところ、あとわずかとなりました。今年も玩具博物館を見守り、活動を支えて下さってありがとうございました。2014年は玩具博物館が誕生して40年の節目となります。「不惑の年」を迎えた玩具博物館が、なお一層、皆さまに愛していただけるよう考えてまいりたいと思います。来年もどうぞよろしくお願いいたします。



NO.155
憧れのヘクセンハウス!       (2013.12.1 学芸員・尾崎織女)
パン細工のツリー飾り「ヴィゾビーチェ」
(チェコ)
朝夕はぐんと冷え込むようになり、玩具博物館の庭の樹木の紅葉、黄葉が美しい季節です。本日よりクリスマス・アドベント(待降節=クリスマスを待つ時節)を迎え、当館恒例
ドイツ菓子マイスター・曽根愛さんの「ヘクセンハウス」
『世界のクリスマス展』をお訪ね下さる方々で館内はとても賑やかです。ご家族連れの関心をひいているのが、「クリスマスの菓子とオーナメント」のコーナー。チェコやセルビア、ドイツ、フランスなどのパンやお菓子で作られた伝統的なツリー飾りが展示されているからです。ガラスや木、プラスチックから作られたツリー飾りを見慣れていると、お菓子や食べ物がツリーに飾られるというのは、とても新鮮でめずらしいことのように思われるかもしれません。けれど、昔々、クリスマスのモミの木に初めて吊るされた飾りものは、工業製品ではありませんでした。パンの文化史研究者でクリスマス菓子のご研究でも知られる舟田詠子先生のご著書『誰も知らないクリスマス』(朝日新聞社/1999年刊)によると、18世紀後半のドイツで、クリスマスツリーに吊るされていたものは、木の実、林檎、レープクーヘン、色紙、金箔飾り(ティンゼルのことでしょうか)、梨、オブラーテン(=ホスチア)など、食べ物に関するもの。ゆすって落として食べられるもの。豊かな実りを象徴するものでした。麦わらやきびがら(トウモロコシの皮)なども、穀物霊のやどる素材として、やがてここに参加していくものと思われます。フランスのアルザス地方では、姫林檎の実らなかった年に、ツリーに飾る姫林檎を求める人たちのため、吹きガラス職人が赤いガラス玉を作って、歓迎を受けたのだとか。私たちが親しんでいる様々な飾りものは、吊るすべき食べものの代用品として発達したとも考えられますね!



先日は、その「クリスマス菓子とオーナメント」のコーナーの主役になるような素敵なプレゼントをいただきました。それは、ドイツ菓子のマイスターの手になる「ヘクセンハウス」で、菓子文化の研究者であるMMさんからの“日本玩具博物館・世界のクリスマス展”へのプレゼント。「へクセンハウス(魔女の家=『ヘンデルとグレーテル』のお菓子の家)」は、ドイツのクリスマスにはなくてはならないものです。ヘクセンハウスの屋根には、レープクーヘン、マシュマロ、キャンディケーン、チェコレート、マルチパン、グミなどがいっぱい!もちろん、全部、食べられます。子ども時代の見果てぬ夢が実現したかのような、その嬉しい姿は、子どもたちばかりか、立派な社会人となられた大人の皆さまの口元をもほころばせる力をもっているようです。「ヘクセンハウス」は、「ツヴェッチゲメンライン」と呼ばれる胡桃とプラムの人形――ドイツのクリスマスマーケットの定番です――の傍に展示していますので、ご来館の方々にはぜひ、目を留めて下さいますよう!




ヘクセンハウスは、「クリスマス菓子とオーナメント」のコーナーに展示しています!



NO.154
秋に想う・その2~博物館との出あい~      (2013.11.20 学芸員・尾崎織女)
先日は、かなり無理をしてスケジュールを空け、千里万博公園にある国立民族学博物館へ特別展「屋根裏部屋の博物館」を観に出かけました。 屋根裏部屋の博物館“Attic Museum”とは、昭和時代の財界に大きな業績を残した渋沢敬三氏が、邸内の屋根裏部屋に設立した博物館(兼研究所)をさします。日本銀行総裁、大蔵大臣という重職にありながら、一方で、日本の民俗学、やがては“民族学博物館”の基礎を、心と頭と体と財力で支え続けた渋沢敬三氏の業績を顕彰し、その心を継ぐ人たちの仕事を歴史の中に位置づける展覧会でした。この特別展の会期終了が12月3日。
かなり無理をしてでも観ておきたかったのは、この特別展を企画されたのが近藤雅樹先生だったからです。

渋沢敬三という人の思想と学問を深く敬愛しておられた近藤先生は、「渋沢敬三没後五十年の記念事業」の一環として、この特別展を企画され、開催
国立民族学博物館特別展「屋根裏部屋の博物館」図録(2013年)
と兵庫県立歴史博物館「おばけ・妖怪・幽霊」図録(1987年)
に向けて奔走しておられた今年8月、急逝されました。 近藤先生は、民博へ移られる前は、兵庫県立歴史博物館の学芸員として、我らが播磨の地で、県博の民俗系事業を支えておられた方です。1987年、近藤先生が満を持して企画されたのが「おばけ・妖怪・幽霊」展です。今では、夏がくると、お化けの展覧会が各地で開催され、そう珍しくもないテーマとなっていますが、80年代において、公立館がこのようなテーマで展示をつくることは、本当に斬新で、近藤先生にとっては大きな挑戦ではなかったかと思われます。 この展示に出あって、20代半ばの私は衝撃を受けました。お化けや妖怪や幽霊に惹かれたというわけではなく、博物館の企画力ということに初めて触れ、胸の高鳴りを覚えました。すでにやりがいのある仕事を得ていましたが、どうしても博物館学が学びたくて、復学を決めたのでした。隅っこを支えるので充分だから、どのような形でもよいから、博物館の仕事に携わりたいと願いました。そのような思いを日本玩具博物館の井上館長に受け入れてもらって、今日に至ります。そんな理由から、近藤先生が最後に企画された展示をぜひ、拝見しておきたいと思ったのでした。

特別展示室二階へあがる階段の上に、敬三氏の人格円満な大きなお写真と言葉が掲示されていました。多くの異なる仕事や立場をもつ人たちとともに手を携えて世界を築いていこうという言葉。Harmonious Development。私がお訪ね出来たのが無料開放日だったこともあり、館内には多くの方々が入っておられましたが、興味深げに観覧し、展示品をみて何事が話をしている来場者の様子を、写真の中の敬三氏が会場の高いところから、微笑みながら観ておられる――そんな会場構成もおもしろかったです。特別展示室の最後のパネルには、民博の先生方による近藤先生を顕彰する一文が掲示されており、淡々としたその言葉の背景にたくさんの思いを感じて、出口に佇み、涙ぐんでしまいました。博物館を支える人たちの“考え”に光をあてたとてもよい特別展だと思います。玩具や人形好きの方には、昭和時代初期のだるま(起き上がり小法師)や凧、“おしらさま”や小絵馬の逸品にも出合えますので、会期中にお訪ねいただきたいと思います。http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/special/20130919attic/index

博物館施設の価値というのは、目に見えない部分に存在します。そこでの作品や資料との出あいがその人の暮らしにどのような影響を与えたかは数字や量に表れるものではないし、ましてや、その出あいがその人の人生をどのように変えたかというのは、すぐにわかるものではなく、意味をなしていくのに長い歳月を要します。兵庫県立歴史博物館の特別展「おばけ・妖怪・幽霊」は、私の人生を変えるきっかけとなったものですが、私自身、このような話をしなければ、1987年の特別展が来館者にもたらした価値と意味は、本人をのぞいて、誰にもわからないことなのです。
日本玩具博物館プレイコーナーのヨーロッパの木の玩具

数年前の梅雨の頃、十数人の幼児を連れて来館された若い女性が、私に声をかけて下さったことがありました。「あのときのお姉さんですね。保育士になれたら、子どもたちを玩具館へ連れてきたいと思っていました。夢が叶いました。」と。私が日本玩具博物館にお世話になって、二十余年の歳月が流れ、毎日、たくさんの方々に出会いますので、申し訳ないことに、私は彼女を覚えていませんでした。
「……私が高校二年生だった頃、担任の先生に連れられて、クラスメートとここへ来ました。その頃の私は、学校や親に反抗ばっかりしていて、『なんで、いまさら、おもちゃなの?! バカ馬鹿しい』と思って、ここ(=海外の木製玩具に触れるコーナー)に、ぼんやり座っていたんです。でも、ちょうど三、四歳の子どもたちが、動物の玩具を取り合って喧嘩をしていて、止めに入った私は、いつの間にか、一緒になって遊んでしまったんですよ。そこを通りかかったお姉さんが、『うわぁ、あなた、小さい子の気持ちがよくわかるのね、子どもと遊ぶのがとても上手』と褒めてくれて、ヨーロッパのデザイン玩具のこと、いろいろ話して下さいました。それだけではないのですが、思えば、そのことがきっかけで、私、保育士になろうと思ったんです。ヨーロッパの玩具のことも勉強しましたよ。」と彼女は、懐かしそうに、嬉しそうに話してくれました。
こんなふうに、博物館で過ごされたひとときが、ひとりの人生に何らかの影響を及ぼすことがあった――短いとはいえない歳月を経て、そんな事実とめぐり合った時、博物館が社会に存在している意義と役割のひとつを知るのです。大切なことは目に見えないのです。けれど、大切なものは目に見えないと繰り返していても、理解は得られないことだから、色や形をもち、数や量も備えた“モノ”が溢れかえる博物館では、目に見えないものを言葉や展示にかえて表現し、相手の胸に届くように伝える努力をしなくてはならないのだと思います。美しい秋の一日、「屋根裏部屋の博物館」を巡りながら、ささやか過ぎる自分の二十余年をふり返りながら、そんなことを想ったのでした。





NO.153
『おもちゃの馬』~干支の動物展~オープンしました!      (2013.11.15 学芸員・尾崎織女)
木々の実が甘く実るのを待ちかねて、冬の山鳥たちが訪れるようになりました。今朝もエナガの群れが嬉しそうな声を立てながら、熟した柿の実をついばんでいました。シジュウカラ、ヤマガラ、ヒガラなどの混群もそろそろやってくる頃――色
柿の実を食べに来たエナガの群れ
を増す木々の紅葉とともに、とても楽しみなおもちゃ館晩秋の庭です。

さて、1号館では、来年の干支の動物(午)、馬の玩具や造形物を集めて、『おもちゃの馬』展をオープンしています。世界の民芸的な馬の玩具は、『世界の動物造形』展などでもご紹介をしておりますが、日本の郷土玩具を中心に馬たちが一堂に会するのは12年ぶりのこと。12年前の午年にも『おもちゃの馬』を開催し、専用の梱包箱に眠らせていたのです。十二支がひとめぐりする間にも、独自の収集やコレクターの皆さまからの寄贈によって、戦前に作られた貴重な馬の郷土玩具も少なからず増え、緋色のクロスの上で華やぎを見せています。



 「木の馬」「土の馬」展示風景


去る夏、八戸市博物館からのご依頼で、『世界の鳥のおもちゃ展』を青
大久保直次郎さん作の八幡馬(車付)
森県八戸の地へお持ちしていました。展示や撤収の作業をサポートするために、鳥のおもちゃとともに私たちも出張したのですが、仕事の合間、市博物館の学芸スタッフF氏に、
天狗沢の“八幡馬発祥の碑”
八戸に古くから伝わる“八幡馬”を製作される大久保直次郎さんのお宅へご案内いただきました。八幡馬は、「日本三駒」(八戸の八幡馬、仙台の木ノ下馬、郡山の三春駒)のひとつとして、非常に有名なので、郷土玩具に詳しい方でなくても、また若い方でも、デフォルメされた独特の姿を見たことがあるとおっしゃる方は少なくないことでしょう。
八幡馬は、市内の櫛引八幡宮の旧暦8月15日の例大祭に売られるものとして知られ、明治時代のおもちゃ絵本『うなゐの友』(第二巻)にも、「奥州八の戸八幡宮礼祭毎年八月十五日にこの木馬をひさぐ」とあります。櫛引八幡宮の例大祭は、古くは馬市が開かれた日であったことから、馬を慈しみ育んだ人々は、売られていく愛馬の無事を祈って、この八幡馬を求めるようになったと伝わります。

その始まりについて、八幡馬の由来書は、………承久2(1220)年に、京出身の木工師が是川村天狗沢に住み着いて木工や塗りものをよくしたが、部落のため池の水換えの際に泥の中から馬形を見つけたことで、木馬づくりを思い立った……と語ります。
学芸員のF氏は、その天狗沢へもご案内下さいました。山吹色のオオハンゴンソウが咲き乱れる山里には、“八幡馬発祥の碑”と彫られた素朴な木の標が立ち、その標からほど近い古い民家には前田姓を伝える表札がかかっていました。八幡馬を作り始めた人の名は前田孫作。静かな山里に、庶民の歴史がひっそりと息づいているのですね。

さて、平成時代の八幡馬の作者、大久保直次郎さんは、昭和17年(午年生まれ!!)。初代の重吉より数えて四代目で
八幡馬の製作者・大久保直次郎さん
、父君の岩太郎さんより八幡馬の製作を受け継ぎました。大久保さんは、街中に工房を構えておられるかと思いきや、農村部の笹子地区にたったひとつ残る芝屋根の古い農家で、ひとり鉈をふるっておられました。屋根の上には、撫子や夏水仙が揺れ、イザベラ=バードの『日本奥地紀行』の時代に旅してきたような感慨に打たれました。もしも、工房にドリルという近代的な工具がなかったら、そこはまるで近世のたたずまい。大きなヒバ(昔はアカマツが使われていました)の角材を馬の厚みに分断し、分断した一枚一枚
分断した木板から2頭の馬を切りだす
の木板から二頭の馬を切りだします。この際に鋸や鑿を使う以外、ほとんど鉈一本で仕上げます。一番の難所である胸の部分は、やわらかい丸みが出るよう慎重に削ります。材料となる木を選ぶことも、鉈彫りも、タテガミの取り付けも色塗りも、作業はすべて一人で手掛けるため、一日平均で2~3体を作るのが精いっぱいなのだそうです。夕顔が咲く農村の片隅、江戸時代末期にタイムスリップしたような小さな工房で、明けても暮れても木馬の形と向き合うひとりの工人さんの誠意と責任感と愛情によって、八幡馬の伝統が支えられているのですね。直次郎さんは、あえて昔ながらの環境で製作を続けておられるのだと思います。そして、直次郎さんの誠実なお仕事と質素な暮らしぶり、実直な笑顔からは、郷土玩具が誕生し、育まれた風土について示唆的なものを感じました。

八幡馬に限らず、今回の冬の企画展「おもちゃの馬」に展示している資料は、それぞれに誕生した土地の風情と、作り手の思いを伝えるものです。ご訪問の方々には、ぜひ、その人間的なぬくもりと伝承されてきた品がもつ風格を味わっていただけたらと思います。








NO.152
秋に想う・その1~初めての美術展の思い出~     (2013.10.28 学芸員・尾崎織女) 


館の庭のサネカズラの実
先週末、『世界のクリスマス展』をオープンしたせいか、季節がひとつ前へ動いたような感じがしています。「玩具博物館でクリスマスを過ごすのが毎年の習いです。」といわれる方々も多くなり、「クリスマス展を見に来るのは今回で14回目、15回目です。」などと話しかけてくださる来館者も結構いらっしゃいます。数えて29回目の恒例展―――“日本玩具博物館の名物展”と呼ばせてもらってもいいでしょうか。何度体験しても新たにめぐりくる春が嬉しいように、季節感にあふれるしつらいは、同じものを同じように飾りつけても、新鮮な喜びがあるものですね。
「世界のクリスマス展2013」の会場風景

けれど、やはり、前年とは違ったイメージでお楽しみいただきたく思いますので、展示には必ず、新たな収集品を加え、切り口を変え、またレイアウトにも工夫を加えるよう努めています。その
ためには、クリスマスをめぐる文化についての見識を高めていかなくてはなりません。ご来館の皆さまには、忌憚のないご意見を賜りますようお願いいたします。





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過日、友人とともに名古屋ボストン美術館の特別展「アートに生きた女たち」を訪ね、とても懐かしい絵に再会しました。私ごとで恐縮ですが、思い出話をお聴き下さいますか。
1979年、不肖私、高校2年生の晩秋。美術部の親友とともに、朝早く姫路を発ち、京都市立美術館で開かれていた「ルノワール展」へと出かけました。 その頃は、新快速電車などなかったので、京都までは片道2時間20分ほど長旅でした。さらに京都駅から満員のバスに揺られて市立美術館前に着いてみると、そこは長蛇の列。1時間半待ちだと係の方のアナウンスがありました。ほど近い京都国立美術館の方は「ボストン美術館秘蔵のフランス絵画展」が開かれていて、そっちなら待たずに入れるとのこと。 私たちは、美術の時間に習った写実主義のクールベ、ロマン主義のドラクロワ、印象派のミレーやコロー、シスレーもピサロも、後期印象派のドガもセザンヌもいろいろな画家の作品が並んでいるそちらの方がずっと嬉しいねと、国立美術館へ行き先を変更したのでした。
 
「フランス絵画の巨匠たち~ボストン美術館秘蔵展~」の図録/
昭和54(1979)年
自分たちの暮らす町に美術館も博物館もなかった時代です。友人にも私にも生まれて初めての美術館。生まれて初めて観る本物のヨーロッパ絵画でした。その雰囲気。その匂い。会場の熱気。何もかもが素晴しく、私は(たぶん、私たちは)興奮し、浮かれたように展示室をまわりました。当時、少女らしい憧れで、私はコローの絵がとても好きでした。美術の教科書で習ったコローの絵はたった3枚だったけれど、そのコローの作品が7枚も展示されていました。観たことのない作品ばかり。“花輪を編む若い女”とタイトルされた絵の色調のなんとすばらしいことでしょう。私はぞくぞくし、くらくらし、もうその絵に長い時間、釘付けになっていました。次に立ち止まって、いつまでも観たのがモリゾの“鉢の中の白い花”。当時、美術部で、白いマーガレットの油絵に取り組んでいたからです。 ああ、なんて爽やかで気持ちのいい色調だろう。花はリアル過ぎることもなく、どちらかというと、タッチはとても素朴。私にも真似て描けそうな白い花。でも、輝く白い花びらと背景のブルーは、とてもつくれそうにない…と、そんなことを思いながら凝視を続けたのでした。

売店で、展示品の図録やポスターが販売されていると知ったときの喜びといったら、歓声をあげて小躍りしたほどです。なんて、いいことをしてくれるんだろう! なんて、私の気持ちをわかってくれているんだろう! 美術館は何て素敵なんだろう! お小遣いをはたいて1800円の図録と300円のコローの絵がプリントされた小さなポスターを買いました。お昼ご飯も食べずに夕方まで居たと思います。帰りの電車の中では疲れ果てて黙り込み、友人はそのうち眠ってしまいましたが、私は図録とポスターがなくならないようにとしっかり抱えて離さず、一睡もできませんでした。
画像はそのときの図録です。“見たおす”“読みたおす”という言葉がぴったりくるぐらい、高校卒業するまで、毎夜のように眺めました。図録を開くときには、必ず手を洗って、手の汚れがついたと思ったときには、ちり紙をやわらかく揉んでから少し水をつけて湿らせ、それで本の表面を拭きました。その図録は“見たおし“たけれど、少しも汚れてはいないのです。やがて大学に入り、社会に出、下宿をし、結婚をし、引越しをして今にいたりますが、この図録は、本棚のいちばん自分に近い位置に置いてきました。美術館施設を好きになった原点だから。
この年齢になるまで、一年にいくつもの美術展を観続けてきたこともあり………一年平均、少なく見積もっても20展ぐらいは観ているから単純に掛け算しても約740展。ずっと続けてきた展覧会ファイリング、その数から推すと1000展は越えています……… そうやって、年ごとに増えるファイルとともに自分の中に細かに情報を集積してきたのだから、素人なりに、作品について色々な見方ができるようにもなりました。けれど、あの日ほどの感動をもって何かに接することは二度と出来ないようにも思います。 それが、芸術というものに対する少女らしく稚い、ただの憧れの感情であったとしても。
過日の名古屋ボストン美術館では、高校2年生の晩秋に観たモリゾの“鉢の中の白い花”に再会できたのでした。「これまでにいったい、何億人があなたを見つめてきたのかな? あなたは枯れないまま、どれだけ多くの人の心に住んでいるのかな?」と話しかけてみました。いつまでも瑞々しい“鉢の中の白い花”は、「あれから30年以上の歳月が流れたなんてウソみたいね。」とまるで私を覚えているように小さく囁き返してくれました。
庭のシロヨメナの花






美術館や博物館での作品や資料との出合いが、その人のその後の人生にどんなに影響を与えていたとしても、それ
はすぐにわかるものではないし、ある人の思い出の中に燦然と輝く風景として刻まれ続け、その風景がその人の人生を支えていたとしても、それが目にみえて誰かに示されるものでもありません。ましてや数字でその大きさや豊かさが表現できるものでもないでしょう。けれど、美術館の作品や博物館の資料は、すでに誰かの人生の必需品になり得て久しいし、だから、モノをよいカタチで保存し、その価値を提示し続ける美術館や博物館は、当然、社会に守られるべき施設です。博物館活動に携わる者は、誰かの人生に関わりを持つかもしれない作品や資料をもっともっと愛さなくてはならないし、愛するためにはもっともっとよく知らなくてはならないと、モリゾの絵を見ながら、強く想ったことでした。






NO.151
古式ゆかしい重陽の風習                (2013.9.16 学芸員・尾崎織女) 
9月9日は新暦重陽の節句でした。陰陽道の考え方において、奇数は陽数、偶数は陰数というそうですね。その昔は、
菊酒~上賀茂神社の重陽祭2012~
同じ陽数が重なる1月1日、3月3日、5月5日、7月7日などは、“陽が重なって陰をなす”から不吉なことがおこると恐れられていました。“9”という数字は「陽数の極」ですから、重陽は陰が極まる日。節句の概念を生み出した中国においては、重陽の日の災厄をのがれるために、茱萸(しゅゆ)の実を詰めた袋を肘にかけ、高いところに登り、菊花酒を飲むということが広く民間で行われていたそうです。そうした風習は、日本の貴族社会にそのまま伝わったのですが、今ではすっかりすたれてしまいました。
今年は、文献でしか見たことのない古い時代の重陽節の風習に触れてみたく思い、京都ツウの友人の案内でいくつかの寺社を訪ねました。

河原町五条の市比賣神社の「重陽祭」では、数年来、拝見したく思っていた「菊の着せ綿(被せ綿)」の風習に触れることができました。「菊の着せ綿」というのは―――、9月8日の夜、菊花の上に真綿をのせて就寝。翌9日の早朝、露を含んで菊花の香りが移されたその真綿で顔や身体をぬぐえば、「老」を払い、長寿を得るというものです。貴族社会から武家社会に受け継がれ、江戸時代には都市部の町家でも盛んに行われたことのようですが、明治時代に入ってすたれ、今では見かけなくなった風習です。



『絵本都草紙』より重陽/吉川三治・西川祐信(延享3・1746年刊) 市比賣神社本殿前の「菊の着せ綿」2013
もろともにもろともに おきゐし菊の白露も ひとり袂にかかる秋かな (紫式部『源氏物語』「幻」の巻)
垣根なる菊のきせわた今朝みれば まだき盛りの花咲きにけり(藤原信実 『新撰六帖』)
市比賣神社の重陽の授与品「菊乃御中」

菊の着せ綿を詠み込んだ和歌は探せば、けっこう見つかります。和歌が詠まれた時代は、太陰暦にもとづいて重陽節がもたれていたので、まさに菊花の盛りです。
けれど、残暑厳しい太陽暦の9月9日は、まだまだ菊花が朝露を含むにはまだ早い季節です。造花ではなく、本物の菊花を使って着せ綿をなさるところは、京都においては市比賣神社だけではないかというのは、京の行事に詳しい方のお話です。真綿を着せられた三色の菊花は、燦々と降る日の光にまぶしくうなだれそうになりながらも、品格の高い花らしく凛と咲き誇っていました。
法輪寺の重陽の節会に奉納された『枕慈童』2013
この日、市比売神社では「菊乃御中」と呼ばれるお守りが授与されます。9月9日の早朝、菊花の露と香りを移した三色の真綿をとり、菊の花びらとともに包んだお守り。身をぬぐって魔除けとします。私は、初めて知りましたが、御所言葉では綿のことを“御中(おなか)”というそうですね。

正午に市比賣神社を辞した後、13時から行われる法輪寺の「重陽節会」を拝見しようと、嵐山へ向かいました。 法輪寺の「重陽節会」では読経の後、舞囃子金剛流の『枕慈童』が奉納されます。『枕慈童』のもとになっている伝説はこのようなものです。…………皇帝に仕え、愛されていた慈童ですが、ある日、誤って帝の枕をまたいでしまいます。皇帝の枕を臣下の者がまたぐなど決して許されないこと、けれど、慈童は帝の恩命によって深山幽谷の彼方へと配流されます。毎朝、慈童がありがたい深秘の文言を菊の葉に書して唱えていたところ、傍を流れる谷川へ菊の露が落ち、その水が甘露となって山里を流れ始めました。
これを飲んだ三百余家の民は不老を得、慈童は八百歳の齢を重ねました。………この伝説は重陽の節句に深く結びついているようです。
きりばめ細工・流水に菊花の袋物(明治末期)



重陽は、民間における風習が途絶えて久しいために、他の節句に比べてわかりにくい世界です。けれど、この節句の風習を知った上で様々な造形物を眺めていると、重陽節を表現したものがちらほら見つかります。たとえば、ちりめん細工の袋物の中には、慈童の伝説をデザインしたと思われる古作品が見られます。「
法輪寺の重陽の授与品「茱萸袋」
きりばめ細工・流水に菊花の袋物」―――これは、長命をもたらす菊の甘露が流れる山川を表現し、長命を寿ぐ意味が込められた袋物ではないでしょうか。

さて、法輪寺ではこの日だけ、「茱萸袋(しゅゆのふくろ=ぐみぶくろ)」が授与されます。「茱萸袋」は薬効のある茱萸の実を袋に詰め、袋の結び口に菊花と茱萸の枝をさしたかけ飾りです。貴族社会では、重陽の節句に壁などにかけて魔除けとし、それは次の端午の節句に「薬玉」とかけ替えるものでした。そして、端午の節句に壁につるした「薬玉」は、重陽の節句までそのままかけ置かれます。文献でしか見たことのなかった「茱萸袋」を授与いただき、非常にうれしかったのですが、意味の深い、また美しい袋物ですから、ちりめん細工のテーマのひとつとして取り組めないものかと思ったりいたします。
薬玉飾りと茱萸袋飾り―――季節の草木、花、実の力を頼むまじないの具の美しいデザインが今の女性たちの手で平成の暮らしによみがっていくのも素敵なことではないかと思うのです。










NO.150
うれしい再会・その3                (2013.8.31 学芸員・尾崎織女)  
                          
玩具博物館では毎年、夏休み時期を中心に、各回、一週間、博物館学芸員志望の学生さんを受け入れています。今回も、3つの大学から3人の学生さんを受け入れ、日本玩具博物館の博物館活動のいくつかの項目について実習に取り組んでもらいました。実習の時期によって課題は違うのですが、この度は、次の4つを設定しました。
 
虫籠を編む小学5年生のT君↑↑↑ 

①新収蔵した世界の民芸玩具約50点の採寸、収蔵登録、梱包収蔵作業。
②2号館常設の「昭和のキャラクター玩具」のコーナーをつくる作業(品名、製作年代調査、キャプション作成含む)。
③4号館常設展示ケース内の清掃整理作業。
④クイズ形式のワークシート作成、実施。


以上の課題に対して、3人で協力して当たるカタチをとりました。知らない同士が突然に会うのですから、最初はぎこちない感じでしたが、作業が進むにつれ、それぞれの個性を出し合えるようになり、3人はとても熱心に課題をこなしていくことができたと思います。

さて、その3人の中には、小学生だった頃に夏の玩具博物館で“麦わらの虫かご”を編んだという男子学生がありました。ええ?!何年頃かな?―――2000年代はじめ頃と検討をつけ、写真ファイルをいくつか取り出して夏のワークショップ写真をめくったところ―――ありました!弟君とお母さまと参加され、熱心に麦わらを編んでいる小学5年生の彼の姿が。「ずっと玄関に
飾っていたんです。これがあの時の作品です」と彼が玄関から持参してくれたのが左の画像で
資料登録作業を実習する3人の学生さん/右端が大学4年生になったT君↓
す。夏休みの思い出とともに、大事にもっていてくれたこと、また、時を経て、大学生となり、博物館の仕事に興味を抱いて学芸員実習にやってこられたこと、とてもうれしく思いました。

最後の課題として、来館者に向けて、ワークシート風のクイズ作成と実施を行いました。クイズに答えることで、来館者が展示品に身を乗り出してご覧下さり、ああ、そうだったのか!と発見をしてもらえるような内容がいいと指示したのですが、来館者の滞留時間の比較的短い4号館の常設展示コーナーに的をしぼって、喧々諤々、和気藹藹、思い思いの問題を出し合い、3人は「4号館DEクイズラリー」作成に没頭しました。
そして最終日の午後はクイズを楽しむたくさんの来館者の笑顔に包まれて一週間の実習を終えていかれたのでした。

目的は様々ちがっていても、博物館で過ごすひとときが、それぞれの心に印象深い風景をつくり、後の人生の興味関心や出合いというものにつながっていくなら、それこそが博物館の存在意義なのだと思います。博物館は、「もの」があふれる場所ですが、その「もの」を愛する「ひと」が絶え間なく往来し、未来に向かってたくさんのレーンを広げるステーションでもあるのだとしみじみ思う今年の夏でした。


  




NO.149
うれしい再会・その2             (2013.8.22 学芸員・尾崎織女)              
もうひとつ、うれしい再会のこと、お話しさせて下さい。昨秋、1号館の企画展「世界の太鼓と打楽器」展にからめて、ランプの家でいくつかのライヴを開催しました。その時期、たまたま来日中だった西アフリカ・ブルキナファソのミュージシャン
べノアさん、玩具博物館再訪! バラフォンの演奏を聴く子どもたち
、ミロゴ=ベノアさんをお招きして、ジャンべ(ゴブレット型太鼓)やバラフォン(世界の木琴のご先祖さま)、コラ(西アフリカのハープ)などの演奏を楽しむ機会が持てたことのあらましは、「学芸室からNO.131」で紹介いたしました。そのライヴに急きょ、小さなダンサーとして参加し、ベノアさんからジャンベ演奏を親しく教えてもらった子どもたちがありました。玩具博物館の近所に住む結一君と咲季ちゃんたちです。ベノアさんの音楽、そしてそのお人柄には子どもの心を惹きつける強い力があるのでしょう。彼らは、たった一日でべノアさんを大好きになり、その出会いを深く心に刻んだようです。


結一君(現在、小学4年生)は、ライヴのあと、ティッシュケースを利用して、“ベノアさんのからくり人形”を自作して、私たちに見せにきてくれました。底を抜いたティッシュケースの両側を交互に上下動させると、ベノアさんが両手を動かして、ジャンベを叩く仕組みです。これには、からくりおもちゃにかけて誰より目の肥えている井上館長もびっくり大絶賛!! 館長は、ベノアさんの帰国前に、結一君の思いが詰まった作品をベノアさんに届ける役目を引き受けて下さいました。その人形を、ベノアさんが故郷の家に飾っておられると知った時の、結一君の嬉しかったことといったら!! 


ベノアさんがブルキナファソへ帰られて一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月・・・・・・・・・、結一君たちは館へ遊びに来る度に、「ねぇ、ベノアさんはまた来る? いつ来る?」と、今度、会える時を知りたくて仕方のない様子。「夏が来たら、きっとね!」―――「夏っていつ? 7月? 8月? ねぇ、いつ?」――と。
―――そして今年の夏がやってきました。去る8月6日、来日して間もない身でありながら、ミロゴ=ベノアさんは、なんと、玩具博物館を再訪して下さったのです。結一君や咲季ちゃんたちの喜んだことといったら!! 待ち続け、思い続けたら、その願いはきっと叶うものだと、再会の嬉しさの中で、子どもたちは胸一杯、夢を信じる心を育てたことでしょう。
結一君が作った“ブルキナファソ新聞”



写真は、ベノアさんを真ん中にした結一君と咲季ちゃんのスリーショットです。ベノアさんが持っておられる紙袋の中には、結一君が作った“ブルキナファソ新聞”が入っています。昨秋のライヴの中で、ベノアさんは「ブルキナファソは日本では名前すら知られていません。私の祖国であるブルキナファソのこと、もっと皆さんに知ってほしい」と言われました。結一君がしっかりうなずいたこと、私は見ていました。先日、結一君のお母さんからお聴きしたことですが、彼は、ライヴのあと、学校の図書館でブルキナファソのことをいろいろ調べ、子どもたちの暮らしのこと、食べ物のこと、ブルキナファソの自然は豊かであるけれど、経済的には貧しいという国の現状も含めて、一枚の大きな紙に地図や絵入りでまとめ上げました。「ブルキナファソを応援しよう!」と書かれたその新聞、担任の先生がとても褒めて下さり、2学期と3学期、教室に掲示して下さったのだそうです。結一君の純粋な心と行動力にとても打たれたので、紹介させていただきます。


この出会いと再会が子どもたちにとって、またベノアさんにとっても、素晴らしい将来へとつながっていきますように…。








NO.148
うれしい再会・その1             (2013.8.21 学芸員・尾崎織女)                

酷暑お見舞い申しあげます。立秋を過ぎ、旧盆も過ぎていこうかというのに、猛々しい暑さの日々が続いております。皆様、お元気でお過ごしでしょうか。玩具博物館では夏休みの玩具講座などの予定を終え、館内には晩夏の匂いが漂い始
ワークショップ風景
めました。


先週は、中国の民間玩具の世界展開催を記念してワークショップを開きました。
剪紙作家の上河内美和さんを講師にお迎えし、中国の農村に伝承されてきた切り紙細工「剪紙」の世界を体験するものでした。参加者は、今回なぜか、中国民間工芸についても中国文化についても造詣の深い方々ばかり。皆さんが楽しんでおられることは、そのまなざしの真剣さと時折、口元に浮かぶ微笑みを見ていると、本当によくわかりました。伝統的なデザインには独特の美しさがありますが、先生の同じ型紙をいただいても、それぞれに少しずつ味わいが異なり、皆さんの作品を見ていて、それがとても面白かったです。

日本の色紙で切った小作品
ハサミのあつかい方、基本的な切り方の手ほどきを受けた後、初心者でも順を追って丁寧にハサミを動かしていれば、最後には自然に複雑な大作を仕上げることができるよう、上河内先生は、上手にプログラムを組んで下さり、皆さん、最後まで夢中になって紙とハサミの世界を楽しんでおられるご様子でした。開催中の『中国の民間玩具展』に寄せて、上河内先生は「ザクロを持つ娃娃」の型紙を用意して下さっていました。とても難しいデザインだったと思われますが、ご参加の方々の多くは、いくつかある中からこれに挑戦し、それぞれに素敵な作品を仕上げていかれました。ワークショップの後、幾人もの方々から、「帰ってから額装してみた」とか、「新しい作品に挑戦してみた」とか、画像つきで嬉しいお便りをいただきました。


私が上河内美和さんに初めて出会ったのは、2009年秋のこと。芦屋市にあるカフェ&ギャラリーで個展を開かれた折、少人数のワークショップをもたれたのですが、そこに友人と参加させていただき、剪紙の楽しさとワークショップの進め方のうまさに感嘆しました。
その時に教えていただいたことに、“自らの生活を愛さ
小学2年生の女の子が帰ってから挑戦して
みた!と画像を送ってくれました^
なければよい作品は生まれない”という上河内先生の中国のご師匠の言葉があります。暮らしの中の造形物は、仕事や家事や子育てや……繰り返す日常を大切にする人の手から生み出されてくるものなのですね! その心を大切にしておられる上河内さんの剪紙は、繊細さの中にたっぷりとして大らかな感情が感じられます。

上河内美和さんをいつか日本玩具博物館へお招きしたいと願っていたことが、今回実現できました。剪紙への愛情とその世界を伝えていくための細やかな心くばり、受講生それぞれに対する敬意に満ちた接し方も初めてお会いした時のまま。素晴らしい方と玩具博物館のご縁を結ぶことが出来、とてもうれしく思っています。










NO.147
夏のままごと遊び                (2013.7.21 学芸員・尾崎織女) 
今日は、明石の公民館からたくさんの子どもたちの入館があり、朝から賑やかでした。6号館の「中国の民間玩具展」会場で中国の“虎のおもちゃ”の話をした後、庭に出てみると、公民館ボランティアの方がロウバイの木の陰にカブトムシを見つけ、子どもたちが群がって見ていました。近くのクヌギやアベマキの林にはよく居るのですが、館の庭で見たのは初めてです。いつの時代も、子どもたち、とくに男の子が大好きなカブトムシ! 
久しぶりにじっくり眺めると、確かにかっこいい。夏休みのシンボルみたいな甲虫ですね。「楽しかったな。またお母さんに連れて来てもらいたいな。」と言いながらバスに乗り込んでいく子どもたちを見送りながら、ああ、夏休みが始まったなと懐かしい匂いの夏風に吹かれました。
ところで、皆さまは虫をテーマにした玩具は多く作られていると思われますか? 時々、「虫の玩具を集めて何かできないでしょうか」とご相談を受けることがあるのですが、バッタやテントウムシ、チョウなどを模した木製玩具がヨーロッパに少し、コオロギの鳴き声を模したものが中国に少し、椰子や棕櫚の葉で編んで作った虫がアジア各地に少しあるぐらいで、日本の郷土玩具の世界にカブトムシもバッタもチョウもおらず、昆虫をテーマにしたものは皆無といっていいぐらいです。身近にいるにもかかわらず、ヘビやトカゲ、カメ、また他の動物に比べて、虫の玩具が極端に少ないのはなぜでしょうか。各地の虫をめぐる文化と関連付けて考えるべきでしょうけれど、ひとつには、掌より小さな虫は、子どもにとってそれ自体が生きている玩具のようなものであり続けているからかもしれません。館の庭でカブトムシの角を引っ張ったり、腕にとまらせたりして可愛がっている男の子を見ながらそう思いました。

1号館の「日本と世界のままごと道具展」は、幅広い年齢層に好評をいただいております。今回、この企画展の開催をチャンスとして、ご来館の方々に、懐かしいままごと遊びについてお話を伺いたく、時々、単独インタビューを試みております。陶器やブリキのままごと道具をつかった野外遊び思い出を語って下さる方々、“ママレンジ”や“ママクッキー”などのクッキングトーイを買ってもらえず悲しかったと熱く話して下さる方々、「これと同じままごと道具を持っていた!」と懐かしげな方々、そして草花を使った見立て遊びについて話して下さる方々。皆さま、たくさん話して下さり、ありがとうございます。
私自身が懐かしく思い出すのは、野原のままごと遊びです。春は春の草花、夏は夏の草花、秋はたくさんの木の実を使って・・・・。蓮や柿の葉を大皿や小皿に、土や花、木の実などを盛りつけておかずに見立てたり、白い花に色とりどりの花びらをふりかけて“ちらし寿司”、花の蕾にカンゾウやミョウガの葉をくるくる巻きつけて“巻き寿司”に見立てたり、中に小さな石ころを入れ、笹の葉を三角に折りたたんで“笹飴”、朝顔やツユクサなどの花をしぼって色水(“蜜”といいました)・・・・・、そのようなものをいろいろ作ってまねごとの食卓を作っていました。古代、蓮や柿の葉は銘々皿だったという説があるぐらいですから、古代人の食卓を遊びの中で再現しているようなものだったのかもしれません。
玩具博物館の周りにはさまざまな花木が植わっているので、春夏秋冬、草花遊びには不自由しない環境です。子ども時代を思い出しつつ、近所の女の子を誘ったりして、野原のままごと遊びを再現してみました。何を何に見たてようかとあたりを探して歩くと、普段、見ているようで見ていない夏の草木の営みがしっかりと目に映りました。まるで青柿のようなツバキの実やエゴの木の萌黄色の小さな実、ウツギの青く小さな実、ヤマブキの黒い綺麗な種・・・・・彩りのなんと美しいことでしょう! それは、ワクワク楽しくなる発見で、自然に一歩踏み込み、目をこらして対象物を観察できる、という野原遊びの効用をひとつ知りました。皆様の暮らされるところが、草木の豊かなところであれば、子どもたちを誘って、ぜひ、野原のままごとを楽しんでみて下さい。
●蓮の葉の皿に盛ったおかずと
木の枝の箸
●花の蕾をカンゾウやミョウガの葉で
巻きとめた“巻き寿司”
●石ころ入りの笹飴 ●夏の花の色水




NO.146
七夕の「乞巧奠」                (2013.7.8 学芸員・尾崎織女)  


新暦の七夕まつりは、雷混じりの雨も降り、猛暑と言いたいような暑さでした。関東地方にお住まいの方々にはお盆の準備をなさっておられる頃でしょうか。
大宮八幡宮の清涼殿「乞巧奠」

七夕に生まれ、織女星から(勝手ながら)名前をいただいた私は、子どもの頃から七夕が大好きです。十数年前から、この季節になると、各地に伝わる伝統行事などを訪ねては記録することを楽しみとしておりますが、今年は、八戸市博物館で開催の『世界の鳥のおもちゃ展』の準備を終えた後、東京に立ち寄って、杉並区にある大宮八幡宮の七夕祭りの様子を拝見してまいりました。
三年ほど前、その大宮八幡宮の清涼殿で、京都の冷泉家などが伝える平安時代の「乞巧奠(きっこうてん=技芸の上達を天の二星に乞い願う儀礼、しつらえ)」を再現する七夕飾りが行われていると友人を通して伝え聞き、新暦七夕の頃に東京へ行く機会があれば、一度拝見したいものと思っていたのですが、今回、実現してとてもうれしく、その様子を画像でご紹介したします。

冷泉家が伝えておられる「乞巧奠」に比べると、大宮八幡宮のそれは、町家や農村に広がった近世的な七夕飾りがプラスされていて、より庶民的で親しみやすい印象を受けます。星を映してみる水桶の前に置かれたマコモの“七夕馬”がいかにも関東の七夕らしく、また、播州の七夕に親しんできた者としては“紙衣”が笹飾りに下がっていることにも興味を惹かれます。

七夕の衣は、織物の上達を願って天の織姫に捧げられるものです。あるいは、織姫に衣をお貸しすることで、一生困らぬほど着物に恵まれる・・・・・・近世の人々はそのように信じて七夕に着物や反物に関わる供え物を盛んに用いたようです。また、着物の雛型を縫って裁縫の上達を願うことも盛んに行われました。
「其姿紫乃写絵廿五」 香蝶楼豊国画


大宮八幡宮の説明によれば、乞巧飾りにたくさん吊るした“紙衣”は、 江戸後期の浮世絵師・香蝶楼豊国の錦絵 「其姿紫乃写絵(そのすがたゆかりのにしきえ)廿五」を再現したものだといいます。錦絵を覗き込んでみると、川岸で、女性たちがヒトガタか衣のようなものを植物の枝に吊るし、何か文字を書こうとしています。「其姿紫乃写絵」を調べると、『偐紫田舎源氏・38編(柳亭種彦著/文政12~天保13年)』に当てて描かれたシリーズものの錦絵で、この絵は、24編の場面を描いたもののようです。そこで、24編に目を通してみたところ、その錦絵は、水無月の晦日、“夏越の祓(はらえ)“にあたって、難波江の田蓑島の斎場で、物語の人物“朝霧”たちが“禊(みそぎ)”をする風景を描いたものとわかりました。水際に斎串をずらりと立て、祭壇に麻の葉、ヒトガタが並べ置かれています。“朝霧”は麻の葉にヒトガタを結び、そこに“光氏”への返歌をしたためています。
当館ランプの家の七夕飾り2012年夏

新暦であっても、旧暦であっても、どちらかに統一して行事をもつなら、6月30日の夏越の祓、7月7日の七夕、そして7月15日の盆は、一週間置きにつながっています。“紙衣”に、着物であると同時にヒトガタ的なニュアンスが含まれているのは、自然なことなのかもしれません。

大宮八幡宮では、伝統行事のエッセンスを引き出し、それを結び合わせて、新たな伝統を再構築しておられる・・・というような印象を受けました。境内では、
大宮八幡宮の乞巧守
技芸の上達を願う“乞巧潜り”(夏越の茅の輪潜りに似ています)が行われ、また、紅白の紙衣と梶の葉、折鶴に五色の短冊を吊るした“乞巧守”が授与されていました。涼やかにさやさやと音のする“乞巧守”をふたつ享けて、とてもうれしく大宮八幡宮を後にしました。こちらの乞巧奠は、7月15日まで拝見できるそうですので、お近くの方は、ぜひ。

館に戻ると、近くのアベマキの林からニイニイゼミの声が聞こえました。七月に入るなりのこの暑さ、皆さま、どうぞお身体ご自愛下さいませ。ひと月遅れの八月七夕には、去年と同じように、ランプの家の縁側で、播磨灘沿岸や銀山の町
・生野に見られる七夕飾りを再現してみたいと思っています。








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