NO. 200
夏の展示の準備あれこれ
                                 (2016.6.22  学芸員・尾崎織女) 
6号館では、6月18日から『神戸人形と世界のからくり玩具』展が始まりした。6月第一週目に展示作業を行ったのですが、ちょうどその時期、姫路市域は「トライやるウィーク」という中学2年生の社会体験プログラムが実施されており、玩具博物館がお引き受けした姫路市立香寺中学校の二人の生徒さんたちにも玩具の出展作業や展示品目録作成の仕事をお手伝いいただきました。最初、とても緊張した面持ちの二人でしたが、動きの楽しい玩具が次々に繰り出してくるものだから、とびきりの笑顔で作業に当たることができました。展示作業は博物館の核となる仕事でありながら、その舞台裏は知られていないため、とても興味深かった…と後で丁寧なお便りを頂戴しました。

若いかわいい二人が梱包箱から一生懸命に出してくれた世界各地の仕掛け玩具は、緑の明るいクロスの上にずらりと並びました。
香寺中学2年生の二人も展示作業を頑張りました!
その展示室は、久しぶりに“おもちゃ館”らしい楽しさにあふれています。ただ、今回、神戸人形も世界のからくり玩具も、動いてこそ魅力があふれます。展示ケースの中でじっと静止したままでは、その楽しさがなかなか伝わりにくいので、動く様子をご覧いただける展示解説会を多く持ちたいと思っています。お知らせしている日時以外でも、まとまった人数でのご来館であれば、できる限り、小解説会を開きますので、受付でお声をおかけ下さい。

西室では、「車とクランクの仕掛けおもちゃ」「仕掛けのつまったおもしろおもちゃ」「オモリと糸の仕掛けおもちゃ」「糸仕掛けのおもちしろおもちゃ」「物が移動するおもしろおもちゃ」の5項目で、仕掛けの種類別におもちゃを集めて展示していますが、それぞれの展示ケースの前に手にとって動かしていただけるよう代表選手を置いていますので、それら
ウズモリ屋・吉田太郎さん動画撮影中
で遊びながら展示品を見ていただくと仕掛けがよくご理解いただけるかなと 思います。東室の「神戸人形」展では、台箱を引き出し式に開けると、中の仕掛けが見える大型の神戸人形(西瓜喰いと酒飲み)2体を置いていますので、動かしながら仕組みを観察して下さい。
さて、神戸市内で平成の神戸人形製作に取り組んでおられるウズモリ屋・吉田太郎さんとその神戸人形のことは、今月のおもちゃ6月号でもご紹介しておりますが、その吉田さんが神戸人形の動きの面白さがご来館者に伝わるようにと、動画制作を買って出て下さいました。休館日にあたる今日、吉田さんはご夫妻でご来館の上、野口百鬼堂製をはじめとする明治時代の神戸人形群、大正から昭和時代初期の小田
「平成の神戸人形」のコーナー。ウズモリ屋の神戸人形を動画とともに。
太四郎製の神戸人形群、さらに昭和40~50年代の数岡雅敦製の神戸人形群、それぞれの中からいくつかの代表選手を選んで、その動きを記録して下さいました。夏休みまでには、各時代の展示品を動画と合わせてご覧いただけるようになりますので、どうか楽しみにご来館下さいませ。すでに、ウズモリ屋・吉田太郎さんの神戸人形群は動画とともに展示しており、非常に好評です!

来る7月2日からは、1号館で『世界の仮面と祭りのおもちゃ』展も始まります。今日の休館日、収蔵庫や展示室内のあちらこちらの収蔵スペースに収めている世界の仮面たちを大集合させました。梱包ケースからすべての仮面を出して梱包を解き、コンディションチェックを行います。そのあとは、展示スペースの関係で、コレクション全体の三分の一ほどにしぼって展示品を選定していくのですが、それがなかなか大変です! どれもこれも魅力的な資料なので、どれもこれも見ていただきたくなるからです。中国、韓国、タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、インドネシア、ネパール、インド、ブータン………とアジア地域からはじめて、コートジボアール、カメルーン、ナイジェリア、ケニア、タンザニア、ジンバブエ……と、アフリカ地域に入り、ヨーロッパ地域から大西洋を渡って、メキシコ、グアテマラ、パナマ、キューバ、ペルー、ブラジル……と中南米地域に遊び、太平洋の島々を経由して日本へ――――。休館日一日で、仮面の世界一周旅行をしてきたような気分です。

   
 アジアの仮面、出展資料の選定中
顔、顔、顔、顔………。人間の想像力にあふれた形、表現力の強い色彩、豊か過ぎる仮面の民族造形を一堂に集めた1号館の展示もまたとても楽しいものになると思いますので、どうか、夏の日本玩具博物館の展示にご期待下さいませ。

NO. 199
ひと月遅れの端午の節句~「久谷の菖蒲綱引き」見学~
                      (2016.6.6  学芸員・尾崎織女) 

ひと月遅れの端午の節句。山陰海岸を目指して車をとばし、兵庫県美方郡新温泉町(旧浜坂町)久谷地区に伝わる端午の「菖蒲綱引き」

新温泉町久谷地区

の見学に出かけました。学生時代の夏休みは、影絵劇や人形劇を制作して旧浜坂町や旧香住町にお邪魔し、あちらこちらの小学校へ巡回公演に伺ったものでした。久谷地区も若い日の思い出がたくさん詰まった村なのです。

その懐かしの久谷地区に江戸時代後期から脈々と伝えられる「菖蒲綱引き」は、国の重要無形民俗文化財に指定された意味の深い民俗行事です。毎年、6月5日の夜8時頃から、地区の方々の手で作られた「菖蒲綱」を引き合うもので、久谷川と瀬間川が交わる公道で行われています。

当日は午後1時頃に準備が始まりました。前日に各家の屋根に葺かれた菖蒲・蓬・薄の束を子どもたちが下ろし集めるところから(「菖蒲おろし」)。村の家々の屋根に「菖蒲葺き」がほどこされた風景に私はうれしくて涙が出そうになりました。それは、平安時代の京都ではすでに盛んに行われ、一千数百年の時をこえて今に残された端午の節句のゆかしい風習です(学芸室からNo.144No.198参照)。兵庫県内ではほとんど見られないその「菖蒲葺き」が、ぽつんと一軒だけ行われるのではなく、村中にあるのですから!! 菖蒲はどこから?!とみれば、川端のあちらこちらに菖蒲が緑の刀のようにシュンシュンと伸びています。後で伺うと、それらの他、この行事のためにはたくさんの菖蒲が必要になるので、田んぼで特別に育てているということでした。

   
 菖蒲と蓬と薄の束が上がった屋根々々、菖蒲綱の基礎となる稲わらを準備する大人たち、葺かれた菖蒲束を「引っかけ棒」でおろす子どもたち
子どもたちが集めてきた菖蒲、蓬、薄と大人たちが用意した稲わらを合わせて、まずは22~3メートルほどの細い三つ組み綱が作られます。それらをさらに三つ組みにして直径30センチほどの太い綱に仕上げると、それと同じものがもう1組用意されます。2組の太い菖蒲綱を真ん中でつなぎ合わせれば約40メートルの引き綱が完成します。年齢や性別に合わせてそれぞれの役割があり、保存会にかかわるすべての方々の力で出来上がった菖蒲綱の姿は、夏の初めの明るい日差しを受けて、きらきらと輝き、まるで地上に降りた龍のようでした。
「菖蒲綱」作りの様子
綱引きは子ども組と大人組との対抗戦で7回勝負です。「石場突唄」を七節歌いつつ、しゃがんだ姿勢で綱を地面に打ち付け、‟納め唄”を合図に全員が立ち上がると、息を合わせて綱引きが始まります。子ども組には若く元気なお父さんやお母さんが加勢するものだから、大人組はその勢いに引きずられてしまいます。大人組が勝負を制すると豊作のしるしだと伝わるのですが、厄除けと地区の発展を願う綱引きに、子ども組の勝利は吉兆ともいえるでしょうか。綱が地面に打ち付けられ、引かれる度に菖蒲が芳香を放ちます。地区の古老が歌う古風な「石場突唄」と相まって、江戸時代の美しい農村へタイムスリップしてきたかのような、身体の中にある自分の故郷が起き上がってくるような、不思議な感覚を覚えました。

「菖蒲綱」を地面に打ち付ける 
菖蒲綱引き」の様子
地面に綱を叩きつける――――このような所作は伝承の行事に繰り返し現れるもので、民俗的な意味合いがあると思われます。
菖蒲の葉の三つ組みといえば、その昔、明治時代の頃までは各地に伝えられていた「菖蒲打ち」という名の男児の遊びを思い起こします。編んだ菖蒲を思い切り地面に叩きつけて、その音の大きさを競い合う遊戯で、江戸時代後期の浮世絵などにもその様子が描かれています。久谷の菖蒲綱引きでは、“三つ組みに編んだ菖蒲綱を何度も地面に叩き付ける”という所作があると資料で拝見したことから、すっかり廃れてしまった近世の遊戯「菖蒲打ち」との共通性を知りたく思い、それがこの行事を訪ねた理由でした。新たな知見を得ることも叶い、久谷の菖蒲綱引きは感動的でした。
小林永濯画「温古年中行事・第3集」(明治28年/1895年)より
江戸末期における端午の様子=子どもたちが「菖蒲打ち」をしている。
歌川国芳画「雅遊五節句之内 端午」(江戸時代天保年間頃)より
「菖蒲打ち」に興ずる子どもたち

久谷には「ノボリタテ」という端午の行事も伝わっています。6月5日の明け方、結婚して初めての端午を迎える若夫婦が暮らす家の庭に、未婚の青年たちがそっとそっと武者幟を立てにやってきます。家の人たちには絶対に見られないように、そっとそっと…。武者幟には男児が誕生するようにという願いが込められているそうです。男児が望まれた時代の習俗。外飾りとして武者幟もほとんど見かけなくなった今日、瓦屋根を越えて鯉のぼりとともに武者幟がはためく風景はとてもよいものでした。
全戸60前後、人口約300人。ほとんどお家が保存会のメンバーであり、総出で忙しく立ち動いておられる中、突然来訪した者を温かく迎え入れて下さった久谷の皆さま、特に行事についてたくさんのことをご教示下さった久谷菖蒲綱保存会会長の岡坂峰雄様に心より感謝を申し上げます。
ご興味のある方にはぜひ、ひと月遅れの端午の節句に、新温泉町久谷をお訪ね下さいませ。



NO. 198
端午の節句
                      (2016.5.5  学芸員・尾崎織女)                      
5月5日、こどもの日。館内は、端午の節句飾りを求めて来館されたご家族連れで賑やかです。「今月のおもちゃ・5月」でご紹介している大正時代の甲冑や武具立てがランプの家に勇ましく、展示の前で記念撮影をされる方々も見られます。
ご存知ように、端午の節句(節供)は、古くは武家を中心に行われ、往来に面した戸外には、戦陣にならった旗指物や吹き流し、毛槍や長刀、飾り兜などが飾られていました。江戸時代中頃になると、町家の人々の間でも、それらを真似て、武具類を大いに飾り立てることが流行し始めます。そのような屋外飾りの様子は古い文献の絵図などにも記されており、例えば、貞享年間に貝原好古が著した『日本歳時記』には勇壮な屋外飾りの様子を見ることができます。時代が下ると、次第に小型化してすべてが屋内の飾りへと変化していきます。小型化することで祝儀用の飾り物らしく手工芸の技がこらされるようになった、ともいえるでしょうか。
ランプの家の座敷飾りでは、主役の甲冑飾りを武具立てが勇ましくも賑やかにもり立てています。
江戸時代の端午の節句飾りの様子   『日本歳時記』(貝原好古著/貞享5・1688年刊)より ランプの家に特別陳列・大正時代の座敷飾り
新暦端午の節句にあたり、本年も玩具博物館の屋根々々に「菖蒲葺き」をほどこしました。葉菖蒲と蓬の香気によって邪気をはらう風習で、中国から貴族社会に伝わり、平安時代にはすでに宮中をはじめ、民間でも行われていたことです。先にご紹介した江戸時代の文献、『日本歳時記』にも屋根に等間隔で葉菖蒲と蓬が葺かれている様子が見えます。嬉しいことに、今日、中国からのご来館者が「うわっ、日本でもやりますか?! 私の故郷でも、旧暦端午に菖蒲と蓬の魔除けをしますよ!!」と歓声をあげて喜ばれました。平成の今、菖蒲が自生する沼はなかなか見つけにくくなってしまいましたが、菖蒲の根の部分の果実のような香りと剣先のような葉菖蒲の形の勇ましい様子はなかなか気持ちのよいものですし、千数百年の歴史をもつ習俗ですから、絶やさずに続けていきたく思います。
1号館玄関の屋根に菖蒲葺き 6号館の屋根にも菖蒲葺き
さて、端午の節句といえば「かしわ餅」ですが、昨日、私は、古くから西日本一帯で親しまれてきた「いばら餅」を作ってみました。かしわ餅はどちらかといえば、都市部のもので、西日本各地の山里では、この季節に生育するサルトリイバラで包んだお餅がよく食べられていたようです。懐かしく思われる方もあるでしょう。また、今日など、お作りになっておられる方もあるでしょうか。
まずは、サルトリイバラを採集して、葉っぱを綺麗に洗います。上新粉ともち粉をぬるま湯で溶いたお餅で小豆餡を包み、サルトリイバラでサンドイッチにして蒸します。かしわ餅もいいけれど、いばら餅はクスの葉のようなさわやかな香りがたまりません。兵庫県養父市に暮らす友人達は、古くから「さんきら餅」の名で親しんでいたと教えてくれました。サルトリイバラが「山帰来(サンキライ)」とも呼ばれるからでしょうか。機会がありましたら、お作りになってみてはいかがでしょうか。


サルトリイバラを採集 小豆餡をお餅で包む サルトリイバラの葉をつけて蒸す 「いばら餅」 

NO. 197
春紫菀(ハルジオン)の野原から
                    (2016.5.2 学芸員・尾崎織女)  
爽やかな薫風が駆けぬける頃となりました。皆さまにはゴールデンウィークをいかがお過ごしでしょうか。玩具博物館はご家族連れのご来館者も多く、プレイコーナーからは明るい笑い声が響いています。

栴檀や樫、楠の木に囲まれた館の臨時駐車スペースは、今、一面に春紫菀の花が咲いています。花の蜜を求めてアオスジアゲハが飛びかい、とてものどかな晩春の景色。子どもの頃、春紫菀の花をたくさん積んで花冠を作ったことを思い出し、来館の女の子たちを誘って花冠を作りました。どの子にも本当によく似合って愛らしい。野の花の冠や花輪と言えば、白詰草を思い浮かべますが、やわらかい茎をもった花なら、白詰草と同じように編めるので、いろいろな色の花を集めたら、とても華やかな花冠になるし、作った冠に後から花を挿し入れてもよいです。今の季節、心が穏やかになれる野遊びです。摘み草をしながら、お子さんと一緒に楽しまれてはいかがでしょうか。
花冠をつけて遊ぶ子どもたち
さて、このような草花遊びについて、今はどのようなものが子どもたちに知られているのでしょうか。
平成11(1999)年の夏、日本各地に伝承される草花遊びの企画展を開催した折、夏休みの来館者を対象に春夏秋冬の草花遊びについ
平成11年度伝承の草花遊びアンケート調査報告
て、どの世代がどのようなもので遊んでいるかを調査したことがありました。小中学生には、季節別に列記した遊びの中で知っているものに○をつけていただき、誰に教えてもらったか? を質問しました。大人の回答者には、子ども時代を過ごした都道府県をマークしていただいた上で、もっとも思い出に残っている草花遊びは何か? 子どもたちは自然の中で遊ばなくなったと言われるがその原因についてどのように感じておられるか? 四季折々の遊びを今の子どもたちに伝承していきたいか?という質問に答えていただきました。その夏、小学生から80代までの1390人が、展示を見ながら熱心に回答を寄せて下さり、私たちは草花遊びの現状をよく理解することが出来ました。

当時、小学生も含めて6割以上が「遊んでいる」、「懐かしい」とマークしたものは――春はレンゲの首飾り、白詰草の花冠、ペンペンぐさのがらがら、四つ葉のクローバーさがし。夏は笹船、ほおずき遊び。麦わらの蛍かごは、当時の60代以上は6.5割の方は懐かしいと回答されましたが、40代は1割、30代は1割以下という結果でした。これは、全国的に麦畑が減少する時期と一致していて、生活環境の変化が子どもの遊びに影響を与えていることがわかりました。秋はどんぐりのコマやヤジロベエ。冬は竹とんぼ、竹馬。誰から遊びを教えてもらったかという子どもたちへの質問に対しては、母親、年上の友達、祖母、祖父、近所の大人が順に多く、学校や幼稚園という回答もありました。

麦わら細工の蛍かご
大人の方々への質問によって当時、思い出の草花遊びベスト10は、①レンゲの首飾り、②白詰草の花冠、③笹船、④四つ葉のクローバーさがし、⑤オオバコずもう、⑥カラスノエンドウの笛、⑦竹とんぼ、⑧ぺんぺん草のがらがら、⑨どんぐりコマ、⑩竹鉄砲でした。
子どもが伝承的な遊びをしなくなったと言われる、その原因についてどのように感じておられるか――については、社会の近代化や生活の自然離れなどをあげる方々が400名以上あり、郷土文化の均質化、地域性の喪失、作るより買うことを選ぶ消費社会への傾倒などを社会問題として論じられる回答者も多数ありました。刺激の強いコンピューターゲームの普遍化、塾や習い事などが子どもの自由な時間を束縛する現実、外遊びの危険性が高くなり、子どもの暮らしが室内化したことをあげる方も少なくありませんでした。一方、異年齢集団と遊ぶ機会が減少や昔ながらの遊びを教える伝承者の不在を問題視する方もありました。―――この調査からすでに15年が経過した今、子どもを取りまく環境はさらなる変化をとげ、その問題は深くなったように感じられます。
ここ数年のうちに、また伝承あそびの企画展を実施し、このようなアンケート調査を行って、平成20年代後半の現状を理解しておきたいと思っているところです。

NO. 196
タンポポの庭から
                     (2016.4.14 学芸員・尾崎織女)                          
今、玩具博物館の周りはタンポポの花の真っ盛り。西洋タンポポが勢力をふるう中、館の周りのタンポポは日本のタンポポです。種類はたぶん「カンサイタンポポ」と呼ばれるものではないかと思います。


歴代の花鳥画にタンポポ(蒲公英)の花はよく登場しますが、展示中の雛飾りにも小さなタンポポが見られます。――――それは、江戸時代後期に作られた五人囃子が身に着けている衣裳の中に!! 長素袍の背や袖に定紋ごとく金糸でタンポポの縫取り(刺繍)がなされているのです。太鼓、大皮鼓、小鼓、笛の囃子方と謡で能楽を演奏する五人の童子たちは、海松茶色や利休鼠色の非常に渋い衣裳を着けているですが、そこにタンポポのデザインが愛らしさを添えていて、何か、作り手の優しさに触れる気がします。あるいは、タンポポは、江戸時代には「ツヅミグサ(鼓草)」と呼ばれていたらしいので、鼓をもってリズムを刻む能楽五人囃子にふさわしいデザインとも考えられ、そこは、作り手の遊び心を感じるべきなのかもしれません。
江戸時代後期に作られた能楽五人囃子の衣裳にはタンポポの縫取り(刺繍)がほどこされています
カンサイタンポポの花期は短くて、今がチャンス!と、母子連れのご来館者や近所の子ども達と、時間をみつけて、タンポポの草花遊びをしています。タンポポとギシギシでお雛さまに仕立てたり、今日は、小さなタンポポの茎の風車を作りました。そうした春の野遊びを懐かしく想われる方も多いのではないでしょうか。
「タンポポとギシギシのお雛さま」は学芸室からNo.176で作り方を紹介いたしましたが、「タンポポの茎の風車」はもっと簡単です。茎を7~8cmほどをとり、両側から2~3cmずつ、いくつかに裂くと花びらのように反り返ります。反り返らない時は少し水にぬらして下さい。茎に細い枝などをさして息を送ると、風を切ってクルクル回ります。小川におけば水車に―――。なんということもない遊びですが、可憐な野原の営みをそっと次代に伝えていけたら……と思うのです。

NO. 195
春のお客さま                            (2016.4.9 学芸員・尾崎織女)                          
旧暦桃の節句に合わせたように花桃も満開となり、いよいよ春爛漫。ツバメたちの帰還と入れ替わりに冬鳥たちが北へ渡っていきます。玩具博物館の庭をテリトリーに毎日元気に飛びまわっていたシロハラの“ぽんちゃん”も旅仕度です。
――行き暮るる雲路の末に宿なくば 都に帰れ春の雁がね(兼好法師)―――
雲路の末に宿なくば、香寺町へ戻れ、シロハラのぽんちゃん!

玩具博物館は、雛人形展やちりめん細工展を求めて、次々とご遠方からのお客さまをお迎えしています。春休み中には、郷土玩具を愛好する方々やちりめん細工の「つるし雛をつくる会」の方々、おもちゃを使った子育てのボランティア活動をなさっておられる方々など、趣味や志を同じくする皆さんが団体でお見えになりました。そんな折にはご希望によって展示解説会を開いたり、おもちゃのワークショップを催したり、また交流会を行ったりして、観るだけではない博物館の楽しみを共有します。それは、玩具の伝承や子育てや手づくり文化を担っておられる皆さんから、それぞれの分野の現状をお教えいただく機会でもあり、私たちとって意味深いひとときとなっています。

テラスで「貝合わせ」のワークショップ
~郷土玩具の会の方々と~

雛人形展の解説会
      ~つるし飾りをつくる会の方々と~
おもちゃのワークショップと交流会
   ~日本グッドトイ委員会の皆さんと~
平成8(1996)年2月8日付の毎日新聞記事=玩具博物館の雛人形
引き取り活動と春の特別展「被災地からの雛たち」開催について書か
れています。尾崎も若いです!

過日は非常に懐かしい方の訪問を受けました。平成7(1995)年の阪神淡路大震災の年、日本玩具博物館は、家屋の倒壊や移転などによって手元に保存できなくなった被災地の節句人形をお引き受けする活動をさせていただいたのですが、その有り様について、また、それらの中から約30組の雛飾りを一堂に集めて開催した特別展「被災地からきた雛たち」についても、当時、新聞社やテレビ局各社から多くの取材を受けました。毎日新聞社大阪本社のN記者も数度、取材して下さり、特別展直前の掲載記事には大きな反響をいただいたと記憶しています。そのN記者がコラム執筆のため、20年ぶりに春の特別展「雛まつり」をお訪ね下さっ
平成28(2016)年4月2日付毎日新聞コラム=現在の「雛まつり」展再訪について
書かれています。
たのです。

日本玩具博物館の「雛まつり展」、20年の歴史は、その「被災地からきた雛たち」から始まりました。節句活動の引き取り活動を通じて私たちが感じたのは、博物館が<私たちの町の収蔵庫>として機能することの素晴らしさでした。あそこには“あの”資料があり、大切にされ、次代に渡されていくのだという実感が大切な物を失った人々の心を支え、その安心と信頼感が町のアイデンティティ形成に少なからず力をたしていくということ。今回、20年ぶりに再会したN記者に再び取材を受けたその数時間は、私自身、学芸員としての原点をふり返るひとときともなりました。



NO. 194
雛人形の春あれこれ              (2016.3.21 学芸員・尾崎織女)
日本玩具博物館の庭はサクランボとアンズの花が満開。毎日、メジロの群れがやってきて熱心に蜜を吸っています。今冬は一羽のシロハラが博物館の庭をテリトリーにしているようで、落葉や下草をつついては冬眠中のミミズやカエルを引っ張り出して食べる姿を庭のあちらこちらで見かけます。まるいお腹をさらにまんまるにしてちょんちょんと飛びまわり、人が1メートル近く距離を詰めても動じる様子もないので、私たちはシロハラの“ぽんちゃん”と呼んでそっとかわいがっています。寂しいことに、シロハラは本格的な春がやってくると北へ帰っていく渡り鳥。今しばらくの玩具博物館滞在でしょうか。
シロハラの“ぽんちゃん” サクランボの花にやってきたメジロ
玩具博物館は新暦3月3日の桃の節句を過ぎても、さらに華やかにお雛まつりを継続中……。連日、雛人形展を目指してご来館下さる方々があります。展示中の雛飾りの7割近くが、ご縁あってご寄贈を受けた資料です。今回の展示には、昨年度に収蔵させていただいた御殿飾り雛(明治後期製)と白木の源氏枠飾り雛(大正後期製)を出品しているのですが、先日はこれらの雛飾りのご寄贈者が相次いで会場をお訪ね下さいました。6号館の展示ケースは奥行90cm。例えば、明治後期の御殿飾り雛は、高さ90cm、奥行72cm、幅180cmの大型であるため、充分に段組みを行い、細やかな雛道具の数々をずらりと並べ飾るにはスペース不足なのですが、ご寄贈下さったご家族は、雛飾りが展示されている様子を非常に喜び、懐かしく、誇らしくご覧下さるのです。その様子に接し、私たちも本当にうれしく思います。館の資料登録簿などをお見せしたりして、さらにご家族から雛飾りについての思い出などの聞きとりをさせていただけるので、寄贈者のご訪問は、博物館資料の背景を充実させていく機会でもあります。
日本玩具博物館の収蔵品カード(それぞれに1頁目)……所蔵品についてのさまざまな情報を記しておくもので、病院のカルテにあたります。
一方、この時期はご家庭や施設で所蔵する雛飾りをどうしたらよいかという相談のお電話が日々、やってきます。“人形供養”を行っておら
青い目の人形・ヘレン
れる寺院や神社などをご紹介したり、ご家庭でのご供養のやり方をお伝えしたり、そのままお持ちになられるときには、人形を傷めない梱包の方法をお伝えしたり、また資料として生かせそうな雛飾りについては、引き取りに伺ったり、また他の施設へのご紹介を試みたり……と様々な対応をしています。
 
先日は、尊敬する知人を通していただいたご依頼――古い雛人形についての相談に与るため、「高砂こども
青い目の人形・エリカ
園(保育園+幼稚園)」を訪問しました。そこは、明治42年創立の古い幼稚園。私たちの世界では“青い目の人形”を所蔵しておられることで有名です。
昭和2年、日露戦争後のきな臭さを増す世界情勢の中、“世界平和は子どもから”の理念のもと、日米間の緊張を文化的にやわらげようと人形使節が計画されました。アメリカ合衆国から12,000体を超える数の青い目の人形が日本の子どもたちに贈られ、その答礼として、日本からは58体の市松人形が贈られたのです。青い目の人形は日本全国の小学校や幼稚園にプレゼントされましたが、日米開戦後は敵国の人形として虐待を受け、また戦争の混乱の中で失われていきました。そんな中、心ある方々の手によって
高砂こども園からお預かりした雛人形(大正末~昭和初期製)
隠され、守られて今日に命をつないできた青い目の人形は、現在のところ、331体が確認されています。兵庫県には12体(11体が県内保管)が残され、高砂こども園はそのうちの2体を受け継いでおられるのです。高砂こども園にのこされた2体の青い目の人形、ヘレンとエリカは傷みがあったため、お化粧直しされ、復元された衣装を着せてもらって、今、職員室の飾り棚に幸せそうに収まっています。その表情から、園の方々に愛され守られていることがよく伝わります。誕生し、日本に渡ってきて90年――これらの人形に託された多くの方々の思いとともに、なお一層、大切に考えていくべき小さな文化財です。

高砂こども園は、人形を愛する園として知られているためか、長い歴史の中で人形類の寄贈も多く、今、それらのその扱いに悩んでおられるとのこと。
園に遺しておかれる昭和初期の武者人形の型崩れを直す梱包をさせていただき、またいくつかの雛人形については日本玩博物館の方で
春をむかえたランプの家(4号館2階の窓からの眺め)
保存させていただくことになりました。

貝合わせのワークショップや展示解説会などの行事も順番に済んでいきますが、ひと月遅れの雛まつりなら4月3日。旧暦で祝うなら、今年、太陰暦3月3日は、太陽暦4月9日ですから、本来なら、桃の節句はこれからが本番です。3月26日(土)には、兵庫県立福崎高等学校の吹奏楽部とコーラス部の皆さんをお迎えして演奏会を開催いたします。緋桃の花がほころび、シロハラのぽんちゃんが跳ねまわる玩具博物館の庭に、吹奏楽部による華やかな春のメロディーとリズムが響きます。雛飾りをほどこしたランプの家の縁側に座って、吹奏楽をお楽しみいただいた後は、雛人形展開催中の6号館展示室で、コーラス部による合唱をお聴き下さい。やわらかい歌声が展示室をつつんでくれることでしょう。どうぞお誘い合わせのうえ、ご来場ください。演奏時間は午前11時30分からと午後1時30分からの2回です。


NO. 193
今春の雛まつり~京阪の雛飾り~                (2016.2.18 学芸員・尾崎織女)
ひと雨ごとに春らしさを増す昨今、いかがお過ごしでしょうか。例年よりずいぶん早く満開を迎えた椿花の庭にはメジロたちが日々、かわいい姿をみせてくれています。展示室では春恒例の特別展「雛まつり」が始まり、6号館もランプの家も連日、雛見にいらした方々を賑やかにお迎えしています。本年のテーマは「京阪の雛飾り」―――江戸時代後期の京生まれの雛を江戸生まれの雛を対比して展示するゾーン、明治・大正時代に京阪神で愛された御殿飾りの様式と「雛の勝手道具」などを紹介するゾーンで構成しています。

今春は新収蔵品をふくめ、大正時代の豪華な御殿飾りをずらりと並べて展示しています。横幅が一間もあるヒノキの御殿の緻密に葺かれた檜皮の屋根、飾り金具の文様も美しい欄干や階、一体一体表情の異なる艶々とした人形・・・・・、それぞれの専門職人が思いの限りを尽くして製作に当たったことを伺わせる雛飾り―――これらが京阪神地方の裕福な家庭で熱心に飾られるようになる年代は、当館の所蔵品、そして各地の博物館や旧家の所蔵品を集めて考えるに、大正時代中期から後期頃ではないでしょうか。
第一次世界大戦(1917~18)において、戦場となったヨーロッパが経済的にも大打撃を受ける中、主戦場外にあった日本においては商品輸出が急増し、空前の好景気が訪れます。“大正バブル”と呼ばれるこの好景気は、大正4(1915)年頃から始まり、大正9(1920)年頃まで続きました。小さな家が一軒建つほどの金額をかけた豪壮な御殿、特注によって裏表の家紋を入れた雛道具、持ち主の名字があちらこちらに書かれた勝手道具・・・・・・町家層がもつ雛飾りにあってこのようなことを可能にしたのは、この大戦景気と関係がありそうです。またこの時代、賃金労働の拡大によって都市部への人口集中が始まります。そんな住宅事情を反映して、小型で簡素な雛飾りが庶民層に人気を博していくのも大正時代。―――雛飾りの文化も世情と連動していること、非常に興味深く思われます。
大正時代の檜皮葺き御殿飾り雛の雛料理の器いろいろ  京阪神地方で飾られ、桃の節句に女児たちが遊んだ白木の勝手道具
今春の展示解説会では、雛飾りの変遷を追うと同時に、御殿や雛道具のディテールを取り出してご覧いただこうと思っています。次の日時―――2月21日(日)・3月6日(日)・3月20日(日) ・4月3日(日) ※各回14時30分~―――展示室へお集まり下さいませ。

NO. 192
鬼たちに会いに行く                (2016.2.12 学芸員・尾崎織女)
新春から夏至に向かう歳時記についてのお話するよう依頼を受けたこともあり、この1月、2月は兵庫県各地の寺社へ「鬼追い式」の見学に出かけていました。心に残った四つの行事をご紹介したいと思います。

1月18日は、書寫山圓教寺(姫路市)の「修正会(鬼追い会式)」を見学に出かけました。圓教寺護法堂に祀られている乙天と若天の護法童子(不動明王と毘沙門天とも目される)は、災いを福に転じる力をもち、五穀豊穣をもたらす神として尊崇を受けてきました。この両護法童子が赤鬼・青鬼となって、魔尼殿の内陣で祈願の舞を繰り広げます。青鬼は宝剣を握り、赤鬼は大槌を背に松明をかざし、鈴を打ち鳴らして四股を踏みながら内陣をまわります。ダンダと賑やかな音と響きの中に松明の火の粉が舞い、閉じられた摩尼殿の中で、私たちの中にも棲む魔がいぶされ、転がり出して、やがて開放された扉から煙とともに逃げ出していくようでした。

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2月3日の節分には長田神社(神戸市長田区)の「古式追儺式」へ。長田神社の追儺の神事は、一番太郎鬼、赤鬼、姥鬼、呆助鬼、青鬼、そして大役の餅割鬼と尻くじり鬼の合計七匹の鬼が古式ゆかしい演舞を繰り広げることで有名です。 この神事の本質は、長田大神の化身となった鬼たちが、松明(麦藁で作られます)の炎で種々の災厄を焼き払い、太刀をもって寄り来る不吉を切り捨て、天地を祓って人々の無病息災を祈ること。本殿には、太陽と月を象徴する「太平の餅」、一年を現わす十二枚の「鬼の餅」、日本各地を現わす「六十四洲の餅」、宇宙や星を象徴する「柳の餅」が飾られ、神事催行においてそれぞれの餅が重要な役割を果たします。ほら貝と大太鼓の響き、伎楽面を想わせる鬼の面立ちとゆったりとしておおどかな演舞の所作。――室町時代から姿を変えていないという長田神社の追儺式が古式と言われる所以を知りました。長田神社の授与玩具として知られる小さな厄除け鬼面は今も健在。伏見焼の端正な型と彩りも昔ながらで、伏見大役の鬼(餅割鬼・尻くじり鬼)3500円/五匹の鬼(一番太郎鬼・赤鬼・青鬼・姥鬼・呆助鬼)3000円で授与されていました。

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2月7日は北播磨の古刹、如意山蓮華寺(三木市口吉川町)の「鬼踊り」へ。
十一面観音が祀られた本堂に入ると、外陣天井には桜の枝に幾多の紙桜の花が咲き、シキミの葉を添えた鬼の餅が結界にかけられています。内陣には鬼踊りの面、転読に使用される数多の経典、密教的な法具を前に礼装のお坊様がずらりと座され、法要が行われます。大般若経転読の後に行われる鬼踊りには、赤鬼、黒鬼と二匹の青鬼、それからかわいい四匹の子鬼が登場します。鎮守社に揃って参拝した後、儀式は、松明をかざした赤鬼の「清めの踊り」から。大鬼たちは半鐘と大太鼓のリズムに合わせて足を踏み鳴らしながら柱に激しく松明をたたき付け、火を消したと同時に参拝の衆に向かって松明を投げてきます。老若男女は我先に競い合ってその松明をとろうと群がります。鬼の投げた松明は厄除けになると伝わるからです。荒々しさがなく、おおらかでやさしい印象のある蓮花寺の鬼面――慶長15(1610)年の修理銘があるそうで、400年以上前に作られた面を大切に守り使い続けてこられたとは素晴らしい――に表現されるように、こちらの鬼たちも、圓教寺や長田神社の鬼と同様、調伏されるべき存在ではなく、強烈な霊力によって災厄を蹴散らし、人々に新年の豊かさをもたらすものたちです。

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加古郡稲美町の野寺山高薗寺では、2月9日と10日に鬼追い式が行われます。私は二日目の夕暮れ時からの催行に何とか間に合い、鬼役たちの観音堂への練り込みから見学させてもらいました。赤鬼は毘沙門天、青鬼は不動明王の化身とされ、法螺の音色と大太鼓のリズムに合わせて演舞を繰り広げます。場所は観音堂回廊。鬼たちは燃え盛る松明を手にダンダと四股を踏みならして演舞し、餅きりの所作を行い、回廊の角にいたると、松明を参拝者に向かってバッと放り投げます。夕闇の空に火の粉を撒き散らしながら放物線を描いて飛ぶ松明、その着地先を狙い定め、小鳥たちのようにサッと逃げてはバッと群がり奪い合う人々・・・。鬼たちと村の人々との息のあった火の松明の受け渡しに感動しきり・・・。鬼の投げた松明は魔よけの力が絶大なのだそうです。東から西から登場する鬼たちの演舞と松明投げに見とれているうち、とっぷりと日は落ち、旧暦新春の新月が空に・・・。赤鬼青鬼は梅の枝をあらわした「鬼の花」をもって舞い、天下泰平と五穀豊穣を祈る鬼追い式が終わります。

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鬼は悲しみや怒り、邪気や悪を象徴するものとして打ち払われ追われる存在と考えられていますが、新春、節分、立春という暦の節目に当たって登場する兵庫県下の鬼たちは、魔を切り、人々に幸福をもたらすトリックスター。また新年に豊作や平和をもってやってくる来訪神としてのイメージを底に秘めているようです。“鬼追い”というより“鬼迎え”という方がこれらの鬼たちの性格にあっていると感じました。中国の影響を受けて宮中で始まった追儺の、打ち払われる鬼は、民間へ深化する過程で日本土着の来訪神と合体したのでしょうか。兵庫の鬼たちに接しているうちに、なぜか、南ドイツのクリスマスに聖ニコラウスが連れてくるブッテンマンドル、オーストリアの聖ニコラウスが連れてくるニコロスピーレン、チェコの聖ミクラーシュが連れてくるチェルトを想いました。ブッテンマンドルも二コルスピーレンもチェルトも、大きな音を立てて村をめぐり、豊穣をもたらす良き鬼たちですから。

郷土玩具の張り子面にみられる鬼たちの表情は、このような行事を背景に生まれたことに鑑み、今夏、1号館で開催する『世界の仮面と祭りのおもちゃ』の展示の中にも新春に活躍する鬼たちの存在を生かしていけたらと思っています。

NO. 191
「弾き猿」のワークショップ                (2016.1.11 学芸員・尾崎織女)
あけましておめでとうございます。皆さまには爽やかな気持ちで新たな一年を始められたことでしょう。2016年の玩具博物館は、当館のミュージアムフレンドで随願寺虚無僧保存会に所属されている尺八奏者、山本宏さんをお迎えし、新春を寿ぐ尺八演奏会から、一年をスタートさせました。1号館展示室には今年の干支の動物、申(猿)のおもちゃがずらりと並び、天井には郷土の凧、播磨地方の松飾り(金玉飾り)、生け花に鏡餅……と新春の祝祭ムード漂います。そんな館内に尺八の音色がしみていくようでした。ご遠方よりこのライブを目指してご来館下さったご家族もあり、小さなお子さんからご高齢者まで、囲炉裏端に集まり、また展示をご覧になりながら静かに尺八の音色の耳を傾けておられる情景にも新春らしい風情がありました。

本日は、1号館で開催中の『猿のおもちゃ展』の展示物の中から「弾き猿」を取りあげ、ミニワークショップを開催致しました。「弾き猿」は、U字型に曲げた竹の戻りを利用して、赤い猿を弾き上らせる玩具で、日本各地に伝わります。“災厄を弾き去る(=サル)!”“病魔を弾き去る(=サル)!”と言葉を合わせ、縁起物として江戸時代の頃より親しまれてきたものです。

本日のご来館者に向けて「この指とまれ!」で参加者を募ったのですが、数回のワークショップに、小さな子どもさんから御歳89才のご婦人まで、次々と楽しくご参加下さいました。竹バネは、日本の郷土玩具におけるからくりの要素を担うもの。申年の年初めによいご紹介ができました。ご参加の方々には、作られた「弾き猿」を手に『猿のおもちゃ展』の弾き猿のコーナーをご覧になり、地域によるバリエーションの違いを確認されたりして、竹バネを利用した玩具の〝軽み″と洒脱な味わいを感じていただけたように思います。

下記の画像は本日、6号館前のテラスで行ったワークショップの様子です。
好評につき、来週の日曜日もワークショップを開催いたします。午後1時30分~
3時~。ご希望者は当日、受付までご連絡下さいませ。

  

2016年は、展示に準ずる館内でのワークショップや解説会などを四季折々、充実させていきたいと思っておりますので、本年もどうぞよろしくお願いいたします。


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