NO. 244
さぼん玉・シャボン玉
                                       (2019.4.7 学芸員・尾崎織女)
タンポポとギシギシの葉のおひなさま
卯月四月は野に山に里に街に桜が満開! そして本日2019年4月7日は、太陰暦三月三日にあたります。近世の桃の節句は、桜も花桃も山茱萸も樹々の花が妍を競い、地にはタンポポやスミレが咲き揃う春爛漫の季節感のなかで祝われていたのですね。田舎育ちの私は、旧暦の雛まつりが近づくと、野の草花を摘んで草花雛を作りたくなります。今年は、博物館の庭に明るい黄色を投げるタンポポとギシギシの葉でタンポポ雛を仕立てました。小皿に水を張って据え置くと、花の茎が水を吸い
「子供の遊戯」(P・ブリューゲル)
  よりシャボン玉遊び
 ※Wikipedia「子供の遊戯」より
あげるので、長く室内でも楽しめます。皆さまもぜひ。


さて、やがて花びらを散らす暖かい東風が吹くと、懐かしい童謡を歌いながらシャボン玉を飛ばしたくなります。……♪シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで 壊れて消えた……♪ (「シャボン玉」<作詞=野口雨情・作曲=中山晋平>より)
ポルトガル語で石けんを意味する“シャボン”が、ポルトガルやスペインから日本へ伝わったのは16世紀末、安土桃山時代のことと考えられています。当時のヨーロッパではすでにシャボン玉遊びが行われており、16世紀フランドルの画家、ピーテル・ブリューゲルが描いた有名な絵画「子供の遊戯」の中にも、子供が皿の上でシャボン玉をふくらませている様子が見えます。生まれてもすぐに消えてしまうシャボン玉に人生のはかなさを託した散文や詩も遺されていて、この遊びが子どもにも大人にも広く親しまれていたことがわかります。

「金魚づくし玉や玉や」
    (歌川国芳画)  

江戸時代前期の文献『洛陽集』(延宝8・1680年)に「空やみどりしゃぼん吹かれて夕雲雀」という美しい句が記されていることから、17世紀には日本でもシャボン玉遊びが始まっていたと想像されます。
江戸時代も後期になると、京阪では神社の祭礼に「吹き玉やさぼん玉、吹けば五色の玉が出る…」と行商人が繰り出し、江戸では「玉や、玉や……」と通りを歩くシャボン玉売りに子どもたちが群がりました。幕末期に活躍した歌川国芳の浮世絵にも擬人化された金魚が水中でシャボン玉を売り歩く(泳ぐ?)姿があり、商品を収めた箱を肩から斜め掛けにし、シャボン液に麦わらをつけてぷくぷくと水玉を吹き出す“金魚の玉や”が愛らしく描かれています。

ただ近世において石けんは貴重品で、ムクロジの果皮や焼いた芋の茎などの自然物が使われていたといいます。そこで去る秋にムクロジを収穫した折、果実に湯を注ぎ、松ヤニを加えてシャボン液を作ってみました(実の中の黒い種は羽根付きの“追羽根”のオモリに使われています。今も!)。
想った以上に泡立ちがよく、麦わらの先を液に浸して静かに吹くと、五色に輝く透明の玉が膨らみました。
ムクロジの液に麦わらの先を浸して、
   シャボン玉を吹く
江戸時代のシャボン玉遊びはこのようなものであったか…と感慨深く思ったことでした。

ムクロジの実
明治から大正時代、石けんの国内生産が盛んになるにつれ、シャボン玉遊びは各地へと広がり、大正12年に発表された童謡「シャボン玉」の愛唱とともに、全国の子どもたちに親しまれる春から初夏の遊戯となったのです。

日本経済新聞の土曜日夕刊に、月1回の割合で連載させていただいている「モノごころヒト語り」の4月分(4月6日掲載)に、このシャボン玉遊びを取り上げようと思い、現在、市販されているシャボン玉玩具をいくつか取り寄せました。合成界面活性剤液の健康への影響についての配慮がなされ、どの商品も安全性をうたっています。どんなものがあるかというと、管先にシャボン液をつけて、もう一方の管から吹き出す従来型に加え、パイプ型や水ピストル型、大道芸のごとく大きな玉を作るリング型など様々な種類が見られます。また、夜の遊びを想定したLEDライト付きや遊園地を思わせる音楽が軽快に流れる商品もありました。とくに、平成時代は電動式バブルマシンのようにシャボン玉を量産できる玩具も多く製品化されており、スイッチひとつで、きらめく大量のバブルが勢いよく飛び出す様子を見ていると、私たちの消費生活が象徴されているというような想いもして、ふと考えさせられます。
電動式シャボン玉玩具で遊ぶ子どもたち
平成時代が終わろうとしている今、1号館では、「平成おもちゃ文化史」と題する企画展を開催中です。平成生まれの原田学芸員が、子ども時代を過ごし、思春期から青春時代を生きてきた平成という時代の生活文化について、玩具を通してふり返ってみようと構成や収集も含め、懸命に取り組んだ展示です。―――果たして、日本玩具博物館始まって以来の平成のおもちゃ展は、ご家族そろって楽しんでいただける見どころの多い内容になりました。昨日に続く今日であり、何かが急に変わるものでもありませんが、この節目にあたり、立ち止まって来し方を眺め、行く末の姿を模索してみるのも良い過ごし方ではないかと思います。うららかな春の日を選び、ぜひ、ご来館下さいませ。

NO. 243
平成おもちゃ文化史
                                       (2019,4.2 学芸員・原田悠里)
令月4月1日、氣淑く風和ぐ館の庭、春の香り漂う中、新元号「令和(れいわ)」が発表されました。新しい発表というのは、希望や楽しみ、時には不安ももたらすように思いますが、元号というのはまた不思議な感覚でした。過ぎていく世を振り返り、新しい時代と未来を見据えて進む必要があるように感じて、身が引き締まる思いもします。
館長(館長室No133)からも紹介がありましたように、1号館では、「平成おもちゃ文化史」が始まっています(11月12日まで)。玩具を通して「平成」を振り返ってみようという試みです。遊びの道具でありながら、玩具には、その造形や技術、テーマにもその時々の社会の流行や文化が反映され、時代の精神のようなものが表現されています。社会の動きの中でどのような玩具が登場してきたのか、昭和の後期(50~60年代/1970
~1980)から、平成初期(1989~1997)、平成10年代(1998~2007)、平成20年代(2008~2018)とコーナーを、10年ごとに区切り、各年代に流行した玩具を、年代順に追ってご紹介しています。
 また、小遣いを握りしめた子どもたちが、世代をこえて夢中になる玩具にも注目し、「平成の駄菓子屋文化」「おまけ」、「メンコ」、「伝承玩具」の歴史もご紹介しています。元号が変わるからと言って、これまで築かれてきた社会や文化の有り様が一変するわけではありませんので、今回の展示でもあえて、「昭和」の世界を登場させています。玩具文化の連続した側面と同時に、新たな側面を発見していただきたいと思います。
玩具の平成時代は、マンガ・アニメ・テレビ・ゲームから誕生した玩具、日進月歩の新技術が組み込まれた玩具が浸透するとともに、伝承玩具のリバイバルや木製玩具およびアナログ玩具への再注目がなされました。、さらにそのようななかで、玩具が子どもだけでなく、高校生や大人も楽しむものという価値観も生まれました。多種多様(数億種類の玩具が登場したとも言われています@@)な平成の玩具は、同時代の資料ということもあり、館のコレクションとしても決して多いわけではありませんが、平成を彩った流行玩具約350点から、移り変わりを楽しんでいただけましたら幸いです。
平成初期 平成を代表するキャラクターとともに、昭和からの人気者も再び登場します。 平成10年代 ロボット玩具やバーチャルペットも登場
・「アンパンマンのおもちゃがある!」
・「好きなポケモンがおらん!」
・「これ知ってる!」
・「これはぼくが子どものときに流行ってたな」と言う男の子は10歳ぐらい(笑)
・「このこれ、お父さんのときのおもちゃやで~懐かしいな~」
・「あんたもこのカード何枚も持っとったやん!」
・60代ぐらいのご婦人たち「え?ひょっこりひょうたん島もおそ松くんもわたしらの子どものときやんな~」
・30代ぐらいの女性「わたしの子どもの時にも再放送されていたんですよ^^」

平成20年代 木製玩具への関心が高まるのも平成の特徴です。赤ちゃんも乗り出して見てくれています。
展示が始まって嬉しいことに、これまで多くの子どもたちは来館するやいなや、遊びのコーナーに一直線だったのが、立ち止まって展示を見てくれるようになりました。受付のすぐそばが平成20年代のコーナーということもあって、自分たちの見慣れたキャラクターや玩具に親しみを感じてくれるようです。また、親子二代三代、同世代の友人らと来館してくださった方々が、自分たちの子ども時代に遊んだことや、子育て時に買い求めた思い出話で一緒に盛り上がっている声が、事務所まで聞こえてくることもあります。
 さらには、海外の来館者の方々が、合体ロボットやセーラームーン、キティちゃんを見つけて、「カワイイ!」と一緒に写真を撮っている様子も見受けられます。昭和40年代から輸出されていた日本のマンガ・アニメの人気が高まり、日本文化として広く受け入れられるようになったのも平成時代の特徴です。
 まだ展示が始まって少しの時間しかたっていませんが、それでも、このような同時代の資料への来館者のみなさんの反応を拝見していると、外国の方も含め、様々な世代や国の人々が今、玩具と自分や社会、文化とのつながりをどのように感じ、思い考えているのだろうかということにあらためて興味関心がわいてきます。このような興味関心は、これからの「おもちゃ」や「遊び」の姿を考えることにもつながっていると思います。11月までと長い展示の中で、来館者のみなさんのお話もお伺いさせていただきながら、この企画展の内容を充実させ、さらに発展させていきたいと考えています。



NO. 242
雛のつき、弥生に
                                       (2019.3.26  学芸員・尾崎織女)
サクランボの花とメジロ
ソメイヨシノがあちらこちらで開花をはじめ、季節は春爛漫へと向かっていきます。日本玩具博物館では、弥生三月とあって、6号館の雛人形展会場は、二世代、三世代、四世代…と家族揃って雛まつりを楽しまれる方々の笑い声で華やいでいます。
先日は、米寿を迎えるお母さんが「日本玩具博物館の雛まつりに行きたい」とおっしゃったそうで、三人の娘さんたちがお母さんの手を引きながらご来館下さり、展示解説会の一部始終を他の来館者とともに楽しんでいかれました。“米寿のお祝い”が母娘揃っての雛人形展訪問とは!―――「念願がかないました。楽しかった…」とにっこり笑う米寿のご婦人。私たちにとっては、博物館冥利につきる嬉しい笑顔でした。

さて昨年、当ホームページ「学芸室からNo.223」に、館が寄贈を受けた木彫彩色の雛人形のことを書きました。―――その雛人形(山田国廣彫刻・松原米山彩色)は、寄贈者の亡き母君が大事になさっておられた一刀彫の段飾りで、大正末から昭和初期にかけての作品。児童文学作家、石井桃子さんの名作『三月ひなのつき』のなか、主人公のお母さんの思い出として語られる”寧楽びな”にそっくりです。この物語に登場する雛人形は今も実在するのだろうか―――と。
そうしたところ、その「学芸室から」の便りを読まれた東京子ども図書館「石井桃子記念かつら文庫」のご担当者S女史からご連絡を頂戴し、『三月ひなのつき』に語られる“寧楽びな” (山田国廣彫刻・松原米山彩色)が実在し、文庫では毎年、三月ひなの月になると、大切に展示しておられることやその雛飾りが石井桃子さんとお付き合いのあった小説家、犬養道子さん旧蔵の品であることなどをご教示いただくことが出来ました。
左=日本玩具博物館が2017年に寄贈を受けた木彫彩色の段飾り雛。
中央・右=『三月ひなのつき』とそこに描かれた木彫彩色の段飾り雛。

そしてS女史から幸便に託して、故・石井桃子さんが百歳の誕生祝いの返礼として著されたエッセイ『雛まつり』の素敵な冊子をお贈りいただいたのです。明治40年生まれの桃子さんご自身の雛まつりについて、幼い日の思い出を丁寧に語られた作品です。
石井桃子さんのエッセイ『雛まつり』

『雛まつり』によると、桃子さんは五人姉妹の末っ子―――15歳上のご長女にはお母さまのご実家から内裏雛と家来の人形や道具一式が、二番目以降は「高砂」などの添え人形が贈られ、五番目の桃子さんには「神功皇后と武内宿禰」が届けられたそうです。また、近隣からは「坐り雛」という名の裃を着てかしこまっている童子の人形(私たちは「裃雛」と呼んでいます)が次々にもたらされ、雛壇の下方に何十体も並べ飾られていました。雛飾りは桃子さんのお祖父さまの差配によって行われ、一体一体丁寧に修理しながら雛壇へとあげていかれたといいます。
――――大正時代の埼玉県浦和の町家における雛飾りの様子がありありと伝わってくるエッセイ。資料として大切に保存させていただこうと思います。

江戸時代から人形作りで栄えた埼玉県岩槻市では、古くから雛人形に加えて童子姿の「裃雛(坐り雛)」が作られ、関東地方の都市に向けて広く販売されていました。今も、岩槻は人形製作が盛んな人形のまち。毎春、町をあげて「まちかど雛めぐり」が開催されています。先年、岩槻を訪問した折に拝見した雛飾りの風景が、桃子さんのエッセイに語られる思い出の雛飾りにぴったり重なります。家庭の行事について丁寧に書きとめたものは、近代の民俗資料としても非常に貴重です。博物館は人形たちの背景にある家族の物語をお伺いできる範囲で聞き取りをし、資料として遺していく務めがあるとあらためて胸に刻んだことです。
埼玉県岩槻市・東久人形の歴史館に展示されている圧巻の裃雛(坐り雛)
今春は玩具博物館に『三月ひなのつき』の“寧楽びな”そっくりの雛人形は展示していないのですが、人形がご縁で結ばれ、広がっていく世界があることを嬉しく感じています。

NO. 241
如月雨水、雛日和
                                       (2019.2.24  学芸員・尾崎織女)
新暦桃の節句が近づき、博物館の空にマンサク、地に福寿草が満開です。春恒例の特別展「雛まつり」――今年は“まちの雛・ふるさとの雛”と題して、雛飾りの地域的バリエーションをご紹介する展示を広げています。
江戸の町人文化が活況を呈してくる安永年間(1772-81)頃になると、雛人形製作が京から江戸へと飛び火し、財力のある町衆の間に賑やかな雛まつりが行われるようになります。江戸好みの「古今雛」が人気を博すると、京坂(阪)でも京坂好みの古今雛が作られ、江戸後期には三都(江戸・京・大坂)を中心に多くの名品が誕生しました。これらは庶民が描く夢の世界を表現するもので、宮中や公家社会で
江戸好みの「古今雛」
飾られる有職故実に忠実な雛人形とは異なることから、“まちの雛”と総称されます。
幕末から明治時代にかけて、大都市部の雛まつりは地方の町々、農村や山村へもどんどんと拡大し、それぞれの土地では、身近にある材料を使って素朴な人形作りが盛んになりました。みなが一心に自分たちの雛人形を求めたのです。良質の粘土がとれる農村部では型抜きで土雛が作られ、反故の和紙などがたくさん出る城下町などでは張り子の雛が、また地方の町々では残り裂を利用した押絵の人形が初節句に贈答されました。江戸末期から昭和初期にかけて、
ふるさとの雛の素朴な表情いろいろ
私たちの国には、土地ごとにユニークな雛飾りがあり、想像する以上に彩り豊かな雛まつりが行われていました。

6号館東室では、福島県三春張り子の雛飾り、会津若松や島根県出雲地方の雛天神、兵庫県氷上町の天神を上段にすえる土雛飾り、大分県日田の歌舞伎の名場面を押絵人形に仕立てた「おきあげ雛」、岩手県水沢の押絵の「くくり雛」など、雛飾りのイメージをくつがえすような“ふるさとの雛”が勢揃いしています。また、4号館常設展示室にも広島県三次の雛飾りを展示しました。明治中期から大正時代、三次地方で焼か
広島県三次地方の雛飾り――天神人形をずらり上段に。
れた土人形がぎっしりと並んでいます。天神を上段に、二段目以降には金太郎や武者などの節句物、立ち娘や花魁などの女物、歴史物語の主人公、恵比寿・大黒などの縁起物、童子、力士…と様々な土人形で構成する雛飾りは、ひと月遅れの4月3日に男の子も女の子も揃って祝う節句まつりの華ともいうべきものでした。こうした土俗的な世界をなつかしくご覧下さる方々がおられる一方、若い世代には祖先の造形感覚や美意識を新鮮に感じていただけるのではないかと思います。

緋毛氈の上に老若男女がやさしいまなざしを注ぐ雛日和――日曜日ごとに展示解説会やワークショップを開いています。子どもたちが楽しげに折り紙のお雛さまを作り、解説会では大人の皆さんが熱心に雛人形のお話をお聴き下さっています。弥生三月も日曜日ごとに展示解説会を開いていますし、3月21日(木・祝)の13時30分からは、これまた春恒例の「貝合わせ」を楽しむワークショップを予定しておりますので、ぜひ、お時間を合わせてご来館下さいませ。

展示解説会風景――展示品を取り出して雛人形のみどころを解説 6号館前のテラスでは「折り紙のお雛さま」作り


NO. 240
見て知って、作って遊んで、おもちゃの楽しみ再発見
                                       (2018.1.19  学芸員・原田悠里)
新しい年を迎え、皆さまにはますますご清祥のことと存じます。本年もどうぞよろしくお願い申しあげます。

今週は館内見学、おもちゃ作り、伝承遊びと3日間を通して香呂小学校の1年生との交流を楽しみました。小雨のふる中、学校から歩いて見学に訪れてくれた70名の1年生。館長の説明と、コマさばきを見たあとは、ワークシートを使ってレッツ見学!4~5人の班にわかれて、1号館から6号館をめぐる子どもたちは目は好奇心いっぱいです。ワークシートの内容は、現在の展示内容に合わせて、1号館「世界の伝承玩具」から、世界のけん玉からお気に入りを絵に描いてもらったり、6号館「世界のクリスマス」でチェコのパン細工のオーナメントを探して、素材をあててもらったり、常設展の4号館2階では、各国で作られている「ついばむ鶏」を探してもらったりと小学校低学年を対象に、展示室も多く、資料も多い当館で、モノをじっくり見て、博物館を楽しむことを知ってもらうために、作成したものです。
ワークシートは見開き4ページ5問です
6号館で子どもたちを観察していると、写真と同じ飾りを見つけるのも、なかなか大変です。そりゃそうですよね、70本以上のツリーの中、太陽や天使のモチーフはたくさんありますし、気になる飾りやおもちゃもあるので、たどり着きそうでたどり着きません。子どもたちの興味もさぐりながら、ちょっとずつヒントを出してお目当ての資料へと導いていきました^^素材もまずは資料を観察して、わからなかったら、博物館で展示しているモノにはその名前と何でできているか、名札がついてるよと、キャプションの見方も伝えます。
見つかった!わかった!パンや!見つかったときの閃きと、答えが解けたときの喜びを子どもたちの素直な反応は、
こちらも忘れかけていた好奇心を思い出させてくれます。
翌日、今度は館長と香呂小学校へ。体育館で70名の子どもたちが館長を囲んでの凧作り教室です。折り紙に厚紙の凧骨をつけてできるとても簡単な凧ですが、よく揚がるので、当館人気のおもちゃ作りのひとつです。角を切る、顔を描く、凧骨をちょうどいい場所に貼る、凧にするための大事な工程には、工作の基本がつまっています。穴に通して結ぶのが一苦労、それでもみんな満足のいく凧ができあがり、運動場で思いっきり自作の凧あげを楽しみました。
 凧作りと運動場での凧あげの様子
そしてこの日はもう一人、凧名人のTさんもゲストとして登場され、連凧やだるまや鶴を描いた大きな凧を、子どもたちに見てもらおうと持ってきてくださっていました。Tさんは、当館と姫路市が共催で2012年まで38年間行っていた全国凧あげまつりの常連さんだったこともあり、館長とも旧知の仲です。40枚の連凧が勢いよく揚がり、1年生、見学にきた2年生の大歓声があがったのもつかの間、15分ほどたつと、風がやんでしまいました。「風よふけ~!」と皆で祈りましたが、空は穏やかな晴れ間をのぞかせるだけ。あっという間に終了のチャイムが鳴ったとたん、また強い風が吹き始め、最後にもう一度連凧をあげることができました!遊びたい時にいつでも遊ぶことができるおもちゃもあれば、凧のように思い通りにいかない、自然の力を待つ時間も遊びのひとつだと思います。風がやんでしまい、「大きな扇風機があればいいのに~」と退屈気味に言っていた子どもたちも、最後は「風や!いまや!」と待ったからこその楽しさを知ってもらえたのではないかと思います。Tさんは「凧あげはだいたいそんなもんや。またあげにきたるよ」と笑顔で帰っていかれました。
悠々とあがる連凧
さらに今日19日は、香呂小学校のオープンスクール、「昔あそびを楽しもう」が行われ、お手伝いに行ってきました。1年生の祖父母の方々が竹とんぼ、コマ、羽子板、あやとり、おはじき、お手玉、カルタ、だるま落とし、ヨーヨーなどの伝承玩具を子どもたちに教えながら一緒に遊ぶ恒例行事です。祖父母の方々にまじり、子どものころ学童保育で伝承玩具を遊びつくしたわたしもヨーヨーの担当として子どもたちと楽しみました。
ヨーヨーはハイパーヨーヨーやプラスチックの巻き取りやすいヨーヨーでなく、木のシンプルなヨーヨーなので、うでのスナップ加減でヨーヨーが傾いたり、糸を巻き上げる力が弱くなるとすぐにとまってしまいます。コツをすばやくつかむ子もいれば、なかなか思うようにできない子も。一緒に手を持って糸を巻きあげる感覚を知ってもらいながら、子どもたちに教えていると、自分自身がどうやって遊びを覚えてきたのかを思い出すきっかけにもなりました。伝承玩具の多くは、ちょうどいい加減を身体で覚えるものが多く、その適当さは何回も何回も練習して、毎日遊ぶ中で工夫して自然に身についていくものです。そしてシンプルな作りや遊びだからこそ、基本のかたちからいろんなルールや独自の遊びが生まれてきます。今日の行事が昔遊びという一度きりの体験としてではなく、毎日の遊びと結びつきながら、新たな伝承玩具の世界が生まれるといいな~と感じました。

ヨーヨーで遊ぶ子どもたちと伝承遊びのプロたち


最新の学芸室

  学芸室2018後期  学芸室2018前期  学芸室2017後期  学芸室2017前期  学芸室2016後期  学芸室2016前期
学芸室2015後期 学芸室2015前期 学芸室2014後期 学芸室2014前期 学芸室2013後期 学芸室2013前期 学芸室2012後期
学芸室2012前期 学芸室2011後期 学芸室2011前期 学芸室2010後期 学芸室2010前期 学芸室2009後期 学芸室2009前期
学芸室2008後期 学芸室2008前期 学芸室2007後期 学芸室2007前期 学芸室2006後期 学芸室2006前期 学芸室2005







Mail:info@japan-toy-museum.org


〒679-2143
兵庫県姫路市香寺町中仁野671-3

TEL: 079-232-4388
FAX: 079-232-7174