NO. 250
日本と世界のままごと道具―おろしてひいて薬味と香辛料はかかせない!
                                       (2019年7月25日 学芸員・原田悠里)
◎7月13日より6号館にて夏の特別展「日本と世界のままごと道具」が始まりました。
 まねごと遊びの代表のひとつであるままごと遊びの世界を広げるままごと道具は、当館のコレクションの中でも一ジャンルを形成するほどの資料数があるのですが、意外にも6号館全てでままごと展をするのは初めてです。広い展示空間に人形サイズや子どもサイズで種類も多いままごと道具をどのように展示するかな?ということで、日本のままごとコーナーでは、雛まつりに登場する小さな台所道具やお茶道具を取り上げ、ハレの日のままごと遊びについて紹介する一方、明治・大正・昭和・平成、と時代を追ってままごと道具の移り変わりをたどります。そして世界のままごとコーナーでは、約40の国と地域の民俗色あるままごと道具を、アジア、ヨーロッパ、北米•中南米、中近東•アフリカと地域ごとに集めました。
日本のままごと道具 雛の勝手道具と昭和40年代のままごと道具(ママ・レンジをはじめ、ママシリーズもご紹介しています。)
   
   世界のままごと道具 ヨーロッパコーナー 
◎さて、その展示作業中、頭の片すみで気になっていたことがありました。それは、明治末から昭和30年代ごろまでの日本のままごと道具の多くに、“おろし金”があるということです。調理器具や台所用品が詳細に再現されている雛の勝手道具にはもちろんのこと、昭和初期から30年代の陶器製、ブリキ製ステンレス製のままごとセットにも、選ばれし調理器具のようにおろし金があります。
大正時代の雛の勝手道具。よ~く見ると必ずあります。銅製のおろし金!
昭和10年代、20年代、30年代、40年代ごろのままごと道具セットにも、陶器製、ブリキ製、ステンレス製のおろし金!
 わたし自身、夏は冷しゃぶやうどんに大根おろしとおろしショウガ、おそばにはわさびを、秋は秋刀魚におろしポン酢、冬はみぞれ鍋、風邪をひけばしょうがやりんごもすりおろしたり、おろし器も3つ持っているおろし好きなのですが、日本ではすでに奈良時代から生姜やわさびは食用と薬用として親しまれ、小泉和子氏の著書『台所道具いまむかし』(平凡社/1994)によると、陶器製のおろし器やすり鉢が10世紀以降の各地の遺跡から出土しているそう。包丁、しゃもじ、おたま、それらに比べると限定的な調理器具だと思うのですが、古くから日本の食文化に必要不可欠な道具だったことがわかります。また、江戸時代中期に編纂された百科辞典『和漢三才図会』には、「薑擦(わさびをろし)」という名前で、ままごとセットの中に見られるものと同じ、持ち手がついた台形型の両面使いのおろし器が描かれています。細かい目の表側ではワサビやショウガをおろして、裏側の粗い目では大根をおろす、と説明されています。おろし器は少なくとも1000年近く形が変わらず、脈々と料理に使われ続けてきた薬味は、世界中の料理も身近になり、食事や調理も多様化した現在も、日本人の舌が求める味なのでしょうね。
そう考えてみるとすりおろすというのは、海外の料理ではあまりお目にかからないなと思いながら、世界のままごと道具を見渡すと気になるのが、香辛料にまつわる調理道具です。
◎今回展示している国の中では、中国、タイ、インド、メキシコ、チュニジア、タンザニアのままごと道具の中に香辛料を挽いたり、潰すための道具が見受けられます。さまざまな香草や香辛料を使う中国各地の料理やタイ料理やインド料理、その土地のままごと道具には、皿型や臼、すり鉢状の深い道具と砕くための棒やな、香辛料に合わせた調理器具が必ずあります。スペインの色彩に影響を受けたメキシコのカラフルな食器類の中に置かれた、存在感のある石製のメタテ(すり皿)とモルカヘーテ(すり鉢)は、中米の先住民が作り続けてきたメキシコ料理、トルティーヤの生地になるとうもろこしの粉やナツメグを挽いたりつぶしたりするためにはかかせません。ブリキや陶器で作られたままごとセットでも、メタテとモルカヘーテは今も使われている石製に忠実に作られています。チュニジア料理は地中海沿岸のヨーロッパの食文化に影響をうけつつ、香辛料をふんだんに使った刺激が強い料理が特徴です。コーヒーと紅茶の産地、タンザニアでは日常的に木の実をすりつぶしたティータイムを楽しむそうです。また、各国のままごと道具によく見られる壺類は、香辛料を保存するためにも使われているそうです。
インドのままごと道具 香辛料を挽いたり砕いたりするさまざまな道具が見られます。 タイの調理器具
メキシコのままごと道具には黒い石で作られたメタテとモルカヘーテが見られます。  タンザニアとチュニジアの香辛料つぶしは
それぞれ伝統工芸の黒檀彫と真鍮製です。
 子どもたちにとっても食べること、食卓、台所、食材は身近な風景、ままごと道具の中には、子どもの世界で日常を再現するために必要な道具が揃えられているように感じます。そして素材の味を生かす和食にかかせない薬味をおろすおろし金、味の決め手となる香辛料づくりにかかせないスパイスミル(香辛料を挽く道具)、それぞれのお国の食文化も背景に見えるままごと道具展、ぜひお越しくださいませ。

◎さて夏休みも始まりました。毎夏恒例の夏休みおもちゃづくり教室、今年も開催します。今年は江戸時代から親しまれてきた日本の伝承玩具から“からくり”をテーマに「かくれ屏風(びょうぶ)」(7月28日(日)/8月14日(水)/8月15日(木))「木びき人形」(8月3日(土))「ご来迎(らいごう)」(8月11日(日))「鯉の滝のぼり」(8月17日(土))「剣術人形」(8月24日(土))を手作りします。江戸玩具とからくりおもちゃなんていう自由研究もいいかもしれませんよ〜。子どもたちにはこの夏に行きたいところ、やりたいことがたくさんあると思いますが、もしおもちゃの歴史や、からくりおもちゃを作ってみたいと思ったらぜひ玩具博物館に来てみてくださいね。



NO. 249
新暦七夕のプチコーナーと織姫はヤバい女の子?
                                       (2019年7月7日 学芸員・原田悠里)
 季節の変化を告げる梅雨が、近年は災害をもたらすような豪雨や大雨ともなり、心配もしてしまいますが、新暦七夕を迎えた姫路は梅雨の晴れ間の夏空が広がっています。夜も星の見える空が広がるといいのですが明日からまた雨の予報、どうでしょうか。
 当館では毎年旧暦の七夕に合わせて5号館らんぷの家で播磨地方の七夕飾りをご覧いただいていますが、今年は4号館1階の郷土玩具コーナーに設けた、横90㎝奥行30cm高さ120㎝ほどのプチ展示コーナーにも七夕飾りを施しました。
 古く中国から伝わった七夕の風習は千年の歴史の中で、夏祭りや盆行事、豊作祈願とも結びついたと考えられます。
 各地の郷土玩具にも七夕にまつわる造形が残されていますが、4号館の小さな展示コーナーには、やはり地元のものをと思い、姫路市内で「七夕さんの着物」、朝来市生野町で「七夕さん」と呼ばれ親しまれてきた七夕の紙衣(かみごろも)をご紹介しています。姫路市内では市川が播磨灘に注ぐ地方に「七夕さんの着物」という男女一対の素朴な紙人形が伝わっています。竹ざおを人形の袖に通して、飾られ、子どもたちが着物に不自由しないようにと願われました。銀山の町生野町の中心部でも二本の笹竹飾りの間に芋がらを渡して一対から数対の「七夕さん」を吊るし飾られてきました。姫路では大塩や東山の昭和30年代~平成期の七夕さんの着物を、生野町は大正時代に作られた七夕さんを展示しています。

郷土玩具に残される七夕の造形(松本の七夕人形/上総地方の七夕馬/仙台七夕の七つ道具/高山の七夕馬と糸車)

 七夕といえば、無意識に夜空を気にしてしまうほど織姫と彦星の年一回の逢瀬に思いを寄せてしまいます。そんな七夕伝説にちなんで、昨年出版された、はらだ有彩さんの著書『日本のヤバい女の子』(柏書房)を面白く拝読しました。書店でも話題になっていたので、ご存じの方も多いかもしれません。日本の民話や古典文学に登場する「女の子」の背景や心情を、著者のはらだ有彩さんが想像(妄想)しながら現代的に解釈し、考察を掘り下げているエッセイのような内容です。タイトルの「ヤバい」は、トンでもない昔話に身をおきながらも受け入れた、彼女たちの生き方を尊重した、どちらかというとポジティブな意味で使われているように思います。
 この本の中で『天稚彦草子(あめのわかひこぞうし)』と七夕伝説をもとにした少女(織姫)がとり上げられています。著者は、大蛇との結婚や瓢(ひさご)で空まで登るという厳しい決断を繰り返し、鬼舅とのはげしい闘いに身を置いたことで、とても魅力的になった人間の少女(織姫)にとって、そもそも離ればなれにならないことは、愛の必要条件になるのだろうかと問いかけ、鬼舅に突き付けられた「月に一度」を少女はわざと「年に一度」と聞き間違えたのではないかと想像します。そして少女(織姫)を距離と会う日数にとらわれず、日々の生活を楽しみながらも離れた天稚彦に変わらぬ愛を持って生きている自立した女性として考察しています。
 他にも乙姫や八尾比丘尼、播州皿屋敷のお菊たちの語られてこなかった思いや考えを探るのは新鮮でした。はらださんと同世代ということもあるのか(苗字が同じというのもあるのか笑)、想像や考察に感覚に共感する部分も多く、また 昔話を“今”を起点にして身近な価値観に一度寄せてから当時の価値観を考えるということはわたし自身の博物館資料との向き合い方にも共通するところがあり興味深かったです。
 各お話に描かれるはらださんのイラストも素敵です。わし座を眺めながら、キラキラでファンキーな宇宙スーツを着こなして仕事の合間にアルタイル(彦星)に「ハロー」と電話をするシティガールな織姫のイラストもいい意味でヤバいですよ^^もし興味のある方はお手にとってみていただけたらと思います。



NO. 248
子どもたちの博物館体験
                                       (2019年6月30日 学芸員・原田悠里)
 遅い梅雨入りとともに湿度がぐんぐんと上がり、今年も暑そうな夏がすぐそこまで来ています。
 6月のはじめ、今年もトライやるウィークで香寺中学校から2名の生徒さんが仕事体験に来てくれました。受付、ミュージアムショップ業務、ちりめん細工の正絹の梱包、発送に学芸の仕事と、短い時間の中でそれぞれの仕事を
 毎年体験内容は大きくは変わらないのですが、今年は資料カードづくりと展示替えのお手伝いもお願いしました!
 博物館に収蔵された資料は、ひとつひとつ資料情報を記録します。この資料カードの作成と整理は、博物館の基盤となる仕事です。生徒さんには先日寄贈を受けた郷土玩具の中から1点と、世界の民族玩具のコーナーから気に入ったものを1点の資料カードを作成してもらいました。名前や時代、その資料の背景も文献から調べていると、あっという間に午前中が終わり、二人ともびっくりしていましたが午後も手描きのスケッチまで取り組んでくれて丁寧な資料カードを作成してくれました。1点1点向き合ってくれた資料のことは、きっとこの先も覚えてくれているのではないでしょうか。
 文献も調べながら資料カード作成中
現在はパソコン上に写真を取り込みデータも入力しますが、
今回は手書きでスケッチもしてもらいました。

 そして、2号館のコーナーのひとつ「ままごと道具」を夏秋の特別陳列として「太平洋戦争とおもちゃ」へと展示を替えました。太平洋戦争から今年で74年が経ちますが、現在も世界では、戦争、内戦、紛争が絶えません。また、日本を含め、戦争を発端とする国や地域同士の複雑な関係性が報道されることも多くなっています。太平洋戦争が子どもたちの世界に与えた影響を玩具を通じて振り返り、改めて今とこれからの世界、そして平和について考える機会となればと思い、このテーマを取り上げました。
 生徒さんには解説やキャプションをパネルに貼って切る作業から手伝ってもらいました。地味な作業なうえ、慣れないカッターでかなり苦戦していましたが^^;キャプションは展示にはかかせないものですし、展示準備も体験してもらえてよかったです。
 さていよいよ展示替え。ままごと道具をおろし、梱包し、展示ケース、ガラスを掃除し、資料を開梱し、展示しながら全体を整える。そしてパネル、キャプションを置いて完成です。こう書くと2行ですが、約4mの展示ケースだけでも4人で1日がかりの作業です。ひとつひとつ形と大きさの違う玩具資料は、梱包にも展示にも集中力と頭を使いますが、2人とも丁寧に根気よく取り組んでくれました。戦時中の玩具ということもあり、材料統制で金属類が禁止され、「日本玩具人形類統制協会」の検閲を受けたシールが貼られたものや、「愛国郵便車」と書かれた貯金箱には昭和十年代の一銭や十銭が入れられているものもあります。当時の子どもたちの生活を想像しつつ、直接資料に触れながら、肌で玩具が持つ時代性も知ってもらえたのではないかなと思います。終業時間までには終わりませんでしたが、トライやるウィーク後に改めて完成した展示を見にきてくれたのは、とても嬉しかったです。
 2号館が昭和の玩具史になり、1号館の平成の玩具から時代を遡っていくような展示空間になったと思います。お越しの際にはどうぞご覧くださいませ。
グレーの展示ケース内に並ぶのは戦時中の玩具
 6月は小さな来館者もたくさんお迎えしました。姫路市内の幼稚園の子どもたちです。おもちゃづくりと見学のプログラムで遠足に来てくれています。おもちゃづくりは、よくまわる折り紙の2枚羽根の風車(かざぐるま)です。郷土玩具に残された、江戸時代から遊ばれていた竹と和紙で作られた風車を見せたり、中世ヨーロッパの子どもたちが遊んだ軸の長い風車のお話で風車の世界へ誘いながらおもちゃづくりのスタートです。最初はわくわくとできるかなの顔もだんだん形が出来上がってくると笑顔になっていきます。完成するとどの子もみんなですぐに風車を持って嬉しそうに走り回り、回ったよ!と誇らしそうに報告してくれる顔がとてもかわいらしいです。
 一生懸命遊んで、おもちゃを手作りして、館内のいろんなおもちゃへの興味と疑問をたくさん持って帰ってくれていると嬉しいです。 


NO. 247
てるてる坊主・照々法師・日和坊主
                                       (2019.6.20 学芸員・尾崎織女)
雨の季節。遠足で幼稚園などから来館される小さな子どもたちのため、晴れを願って博物館の窓辺にたくさんのてるてる坊主をつるしました。
しとしと雨にうつむき加減で下がっていると淋しそうに見え、それが青空の下、涼風に吹かれていたら一転して愉しそうにも感じられるのですから、人形とは不思議なものですね。

さて、このてるてる坊主、四角い白布や紙の真ん中に綿をおき、糸でくくって頭を作っただけの素朴な形が一般的ですが、江戸時代のてるてる坊主は白い着物を着ているのをご存知でしょうか。去る春、名古屋市博物館で開催された浮世絵の特別展で、歌川国芳の「三海めでたいつゑ 十 天気にしたい」という作品に目がとまりました。画面のなか、美しい娘が“天気にしたい!”とばかりに、てるてる坊主にお猪口で酒を飲ませようとしているのです。それは、まじないをこめて「てり、てり、てり、てり・・・」と墨書きをした白い着物をまとっています。


◆嘉永5(1852)年・歌川国芳の浮世絵
「三海めでたいつゑ 十 天気にしたい」
(部分)に描かれた照々法師 
※名古屋市博物館特別展「挑む浮世絵」
図録より

◆国芳の浮世絵の照々法師を再現
『嬉遊笑覧』(喜多村信節著/天保年間)をはじめ、江戸後期の文献をみると、当時は「照々法師(てりてりほうし)」「てり雛」「てるてる」など様々な呼び名があり、晴天の願いをかなえてくれた暁には目を書き入れ、神酒を飲ませたらしいことがわかります。国芳の「てりてり」に興味
◆剪紙作家・上河内美和氏作の「掃天婆」
を覚え、京都の七夕紙衣を仕立てる要領で、浮世絵のなかの照々法師を再現してみました。ホオズキ人形のような簡素なてるてる坊主に比べて、和紙を縫ったり貼ったり、墨で文字を書き入れたり、帯用にこよりを作ったり……と手間がかかる分、思いもこもり、ずいぶん愛着がわいてきます。

ところで、晴天を請け負う人形「てるてる坊主」の起源はどこにあるのでしょうか?
一つには、中国の「掃晴娘(サオチンニャン)」の影響が考えられます。降り続く長雨に大洪水の危機が村に迫るとき、晴娘が自分の命と引きかえに雨を止ませたという伝説があり、元朝(13世紀)の頃より、黄河や揚子江流域の町々では、晴天祈願に際して掃晴娘をかたどった剪紙(=切り紙細工)が作られていたそうです。「掃天婆(サオティエンポー)」と呼ぶ剪紙を作って捧げる地域もあるようで、中国剪紙作家の上河内美和さんから「掃天婆」の剪紙を見せていただいたことがありました。掃晴娘も掃天婆も雲を掃く箒を持つ姿で表現されています。

◆『今昔画図続百鬼』
(鳥山石燕著 /安永8・1779年)
より「日和坊」
もう一つは、夏の晴天時に山中に現れる妖怪「日和坊」につながりを求める説があります。
『今昔画図続百鬼』(鳥山石燕著/安永年間)を見ると、日和坊は、常陸の国の切り立った山を背に剃髪した僧侶の風情でたたずんでいます。昭和中期頃までは、てるてる坊主を「日和坊主」と呼ぶ地域もあったようで、この妖怪とてるてる坊主もどこかで関係しているのではないかと思われます。

「照々法師」「てり雛」「てるてる」「日和坊主」………。かつては様々な呼び名をもっていた晴天祈願の人形が「てるてる坊主」の名で全国に定着したのには、大正10(1921)年に発表された童謡「てるてる坊主(作詞=浅原鏡村・作曲=中山晋平)」が愛称されたことや昭和8(1933)年の小学国語読本に登場したことが大きな理由だったのではないでしょうか。小学国語読本第二巻には、遠足の前日、雲行きのあやしい空模様を心配した太郎さんがてるてる坊主を作り、木につるして、「テルテルボウズ、テルボウズ、アシタ天キニシテオクレ」と歌ったと綴られます。全国の子どもたちがこの教科書で学び、太郎さんと一緒に愛唱したのであれば、名前が統一されていくのも当然のことだったと思われます。今、高齢者が集われる生涯大学などで尋ねてみると、ほぼ全員が「てるてる坊主」と回答されます。

『小学国語読本 巻二』(昭和8・1933年)の挿絵 太郎さんとてるてる坊主 ※国立国会図書館デジタル化資料より
江戸時代、手作りの着物を着せて晴天を願った人形は、近代化とともに簡素な姿となり、多様性を失いました。さらに天気予報の精度があがるにつれ、その出番はめっきり減ってしまったようです。けれど、なんでもない姿のなかにも歴史が秘められ、時代時代を生きた人々がそれぞれに晴天の佳き日を願う純な心が表現されています。雨の季節――ぜひ、子どもたちと一緒にてるてる坊主を作ってみて下さい。

NO. 246
遊びの思い出教えてください①
                                       (2019.5.18 学芸員・原田悠里)
◎あっという間に5月も半月が過ぎ、青々とした緑が気持ちいい季節になりました。超大型ゴールデンウィークには、玩具博物館は、連日多くの来館者がお越しくださり、とても賑やかな日々でした。来館者のみなさんが、展示室、おもちゃ作り、遊びのコーナー、らんぷの家やテラスでの語らい、中庭の散策と、館内を思い思いに過ごされている様子を見ると、博物館施設が持つ可能性についても考えさせられます。たくさんの方にご参加いただいたゴールデンウィークのおもちゃづくりの様子は、別途ご紹介していますので、よろしければご覧ください。
◎さて、令和元年がはじまりました。4月30日の様子をニュースで拝見して、カウントダウンやら年越しそばやら、大晦日並みのたいへんな盛り上がりに驚きました。令和時代への期待が感じられる中、当館1号館の企画展「平成おもちゃ文化史」では、過ぎ去った平成時代の流行玩具の移り変りをご覧いただいています。
◎小中学生の子どもさんと来館されるご家族の中には、例えば、昭和50~60年代のコーナーと平成10~20年代のコーナーを行き来しながら、ドレッサーやクッキング・トイの変化を見て、買い物や料理の相談が始まったり、ロボット玩具のギミック(各部品の仕組み)について親子談義が開催されたりと微笑ましい観覧の様子に嬉しくなります。プレイコーナーでの遊びやおもちゃづくりでも見守るというよりも一緒に作る・体験するというご家族が多いように感じます。親の世代が自分の子ども時代やそこから続く自分自身の趣味趣向と向き合いながら、親子で同じ玩具趣味を持ったり子どもと同じ目線で接しながら友達のような親子観がでてきたのも平成の特徴ではないでしょうか。とくに平成時代の人気玩具は、その時々の流行デザインや技術が組み込まれてリニューアルされたり、昭和の人気キャラクターが現代版として再登場したものも多く、自分たちが遊んでいた玩具への懐かしさと、進化に新鮮な気持ちで楽しむようになるのはある意味自然な感覚のような気もします。さらにそこには、玩具が子ども世界のものから大人の趣味や癒しのアイテムとしての価値観が受け入れられてきた平成時代も浮かび上がります。


ビー玉の弾き方
いろんな方向にリードが
取りやすいということなので
しょうか?
◎先日、平成の駄菓子屋玩具コーナーを楽しんでいらっしゃった60代のおばさま方とビー玉遊びの話で盛り上がりました。おはじきを見て思い出されたそうなのですが、遊び方は、土にビー玉が入る穴をあけて相手のビー玉を除けたり、飛ばしたりしながら、先に穴に入れたほうが勝ちというシンプルな遊びです。盛り上がったのはビー玉の弾き方です。わたしと一人のおばさまが同じ弾き方をしていたそうなのです。右利きの場合、左手の小指を地面に立てて、左手の親指と右手の小指を繋いで、右手の親指でビー玉を弾きます。この左手が疑問で、なんの効果がある
チェインリングで遊ぶわたし。
平成3年ごろ
んやと思いつつも、子ども心に妙にかっこいいと思っていたような気もします。するとおばさまも全く同じ疑問を持っていたそうで、おばさまもわたしもそれまで全く忘れていたビー玉遊びと、謎の弾き方に笑ってしまいました。世代や地域差を超えて、子ども時代の感覚を共有できた興味深いひとときでした。

また今も駄菓子屋さんで売られているチェインリング。カラフルなプラスチックの輪が連なったものです。平成生まれのわたしは、これをつなげてネックレスにしたり指輪にしたり、ブレスレットにしたりと遊んでいたのですが、他のスタッフはお手玉にして、放り投げてはひとつ拾う、ふたつ拾うと遊んでいたようで、これはこれで同じ玩具でも世代間での遊び方の違いが面白いですよね。同じ遊びでも呼び方が異なったり、地域ルールがあったり、子どもたちがのめりこむ遊びの世界の楽しみは子どもの数だけあるのではないでしょうか。 
◎そこで、玩具博物館で引き起こされたみなさまの思い出を教えていただけたらと思い、簡単な質問票を作りました。来館者の好きなおもちゃ、または思い出のおもちゃについて、名前、遊び方、遊んだ年齢、今の年齢という項目を設けています。現在進行形の子どもたちの遊び、海外の方から先の話のような、同じ玩具でも遊び方の変化や世代間での流行りも見えてくるのではないかと思っています。みなさま自身の玩具、遊びの話お待ちしております。
質問票とスタッフに書いてもらった見本
みなさまの玩具話をお寄せくださいませ

NO. 245
真鯉が泳ぐ展示室
                                       (2019.4.26 学芸員・原田悠里)
ぐんと気温が上がり、館の庭にも気持ちのいい風が吹きぬけます。6号館の展示室も緋毛氈から緑の毛氈に変わり、初夏の特別展「端午
*美しい顔の太閤秀吉と加藤清正/西山製
(京都烏丸通神屋町)
の節句飾り」が始まりました。今年は「雛まつり」展に展示していた160組の雛飾りのうち、西室に展示していた江戸後期から大正期製の「まちの雛」を収蔵し、半分の展示室に端午の節句飾りをほどこしました。幕末から明治・大正・昭和の各時代に大都市部の町家で飾られた武者飾りと甲冑飾りをテーマに、各時代に人気を博した節句飾りの様式をご紹介しています。また、豪華な衣を身に着けた武者飾りが届かない地方都市や農村部などでかつて人気のあった金太郎の土人形や、張り子の虎、端午の節句にまつわる郷土玩具を合わせて展示しています。

そして展示室でひときわ目をひくものが、和紙できた全長3m20cmの鯉のぼり!20年ほど前に生野よりご寄贈いただいた手描きの和紙製です。
 鯉のぼりが5月の空を泳ぎ始めたのは、江戸時代後半になってからのこと。山田徳兵衛による日本人形史(昭和17年)によると、合戦の時に武将が立てたような大きな武者幟の先に、小さな鯉が付けられている様子が伺えます。江戸時代に生まれた鯉のぼりは紙製で、比較的小さなものでしたが、端午の節句が男の子の幸福を願う行事として盛んになるにつれ、中国の「龍門伝説」にもなぞらえられ、どんどん大きくなっていきました。けれども江戸時代から明治・大正時代に至るまで、鯉のぼりといえば、黒い鯉一匹(旒)というのが一般的だったようです。大正時代に飾られた端午の節句の掛け軸を見ると、幟や吹き流しがはためく青空に、五月の風を受けて黒い鯉が尾をはね上げています。
 和紙製の資料を天井から吊り下げて展示するのは、なかなか大変な作業でしたが、掛け軸の鯉幟のように、黒の真鯉が悠々と力強く展示室を泳ぐ姿は迫力満点です。
展示室で泳ぐ鯉のぼり 慎重さと大胆さが必要な、展示作業中
さらに6号館で紹介しきれなかった金太郎人形のプチコーナーを、4号館郷土玩具展示室に設けました。江戸時代末期から明治時代にかけて、端午の節句には、土製や張り子の人形が飾られていましたが、その中でも人気だったのが金太郎です。ふくよかな体型と力強さは、健やかな子どもの象徴として親しまれてきました。青森から鹿児島まで全国で金太郎が作られていますが、面白いのはその怪力ぶりの表現方法です。根をはった松や竹をひきぬく、米俵や釣鐘を担ぎ上げる、熊を押さえつける、鯉にまたがって流れを上る…などなど、重いもの強いもの勢いのあるものとの組み合わせで、金太郎の力自慢を強調しています。
 金太郎というと、真っ赤な身体を思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。これも力のかぎり!という血色のよさを表わすとともに、江戸時代慢性的に流行した疱瘡(天然痘)をはじめとした、疫病除けの願いが込められているためです。ユニークな表情と勇ましい金太郎軍団をお楽しみください。
そして、6号館東室では、引き続き「ふるさとの雛」も展示していますので、日本各地の春と初夏の節句飾りにおける郷土性をきっかけに、郷土玩具の面白さも再発見していただけたら嬉しく思います。
6号館端午の節句の郷土玩具コーナー 4号館金太郎人形コーナー
さて、ゴールデンウィークが始まります!当館では「初夏の光きらきら★ゴールデンウィークおもちゃづくり教室」として、ゴールデンウィークの期間中の6日間でおもちゃづくりを行います。作り方はとってもシンプルですが、楽しく遊べるおもちゃばかりです^^
4月28日(日)ストローのお花ラッパとロケット、29日(月・祝)2枚羽根の風車、5月3日(金・祝)鳴くニワトリ、4日(土・祝)2枚羽根の風車、5日(日・祝)よくあがる折り紙の凧、6日(月・祝)ひらひら蝶々です。各回13:30~と15:00~で30分ほどです。
 ご来館いただいた方ならどなたでもご参加いただけますので、姫路へお越しのご予定がありましたらぜひよろしくお願いいたします。

NO. 244
さぼん玉・シャボン玉
                                       (2019.4.7 学芸員・尾崎織女)
タンポポとギシギシの葉のおひなさま
卯月四月は野に山に里に街に桜が満開! そして本日2019年4月7日は、太陰暦三月三日にあたります。近世の桃の節句は、桜も花桃も山茱萸も樹々の花が妍を競い、地にはタンポポやスミレが咲き揃う春爛漫の季節感のなかで祝われていたのですね。田舎育ちの私は、旧暦の雛まつりが近づくと、野の草花を摘んで草花雛を作りたくなります。今年は、博物館の庭に明るい黄色を投げるタンポポとギシギシの葉でタンポポ雛を仕立てました。小皿に水を張って据え置くと、花の茎が水を吸い
「子供の遊戯」(P・ブリューゲル)
  よりシャボン玉遊び
 ※Wikipedia「子供の遊戯」より
あげるので、長く室内でも楽しめます。皆さまもぜひ。


さて、やがて花びらを散らす暖かい東風が吹くと、懐かしい童謡を歌いながらシャボン玉を飛ばしたくなります。……♪シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで 壊れて消えた……♪ (「シャボン玉」<作詞=野口雨情・作曲=中山晋平>より)
ポルトガル語で石けんを意味する“シャボン”が、ポルトガルやスペインから日本へ伝わったのは16世紀末、安土桃山時代のことと考えられています。当時のヨーロッパではすでにシャボン玉遊びが行われており、16世紀フランドルの画家、ピーテル・ブリューゲルが描いた有名な絵画「子供の遊戯」の中にも、子供が皿の上でシャボン玉をふくらませている様子が見えます。生まれてもすぐに消えてしまうシャボン玉に人生のはかなさを託した散文や詩も遺されていて、この遊びが子どもにも大人にも広く親しまれていたことがわかります。

「金魚づくし玉や玉や」
    (歌川国芳画)  

江戸時代前期の文献『洛陽集』(延宝8・1680年)に「空やみどりしゃぼん吹かれて夕雲雀」という美しい句が記されていることから、17世紀には日本でもシャボン玉遊びが始まっていたと想像されます。
江戸時代も後期になると、京阪では神社の祭礼に「吹き玉やさぼん玉、吹けば五色の玉が出る…」と行商人が繰り出し、江戸では「玉や、玉や……」と通りを歩くシャボン玉売りに子どもたちが群がりました。幕末期に活躍した歌川国芳の浮世絵にも擬人化された金魚が水中でシャボン玉を売り歩く(泳ぐ?)姿があり、商品を収めた箱を肩から斜め掛けにし、シャボン液に麦わらをつけてぷくぷくと水玉を吹き出す“金魚の玉や”が愛らしく描かれています。

ただ近世において石けんは貴重品で、ムクロジの果皮や焼いた芋の茎などの自然物が使われていたといいます。そこで去る秋にムクロジを収穫した折、果実に湯を注ぎ、松ヤニを加えてシャボン液を作ってみました(実の中の黒い種は羽根付きの“追羽根”のオモリに使われています。今も!)。
想った以上に泡立ちがよく、麦わらの先を液に浸して静かに吹くと、五色に輝く透明の玉が膨らみました。
ムクロジの液に麦わらの先を浸して、
   シャボン玉を吹く
江戸時代のシャボン玉遊びはこのようなものであったか…と感慨深く思ったことでした。

ムクロジの実
明治から大正時代、石けんの国内生産が盛んになるにつれ、シャボン玉遊びは各地へと広がり、大正12年に発表された童謡「シャボン玉」の愛唱とともに、全国の子どもたちに親しまれる春から初夏の遊戯となったのです。

日本経済新聞の土曜日夕刊に、月1回の割合で連載させていただいている「モノごころヒト語り」の4月分(4月6日掲載)に、このシャボン玉遊びを取り上げようと思い、現在、市販されているシャボン玉玩具をいくつか取り寄せました。合成界面活性剤液の健康への影響についての配慮がなされ、どの商品も安全性をうたっています。どんなものがあるかというと、管先にシャボン液をつけて、もう一方の管から吹き出す従来型に加え、パイプ型や水ピストル型、大道芸のごとく大きな玉を作るリング型など様々な種類が見られます。また、夜の遊びを想定したLEDライト付きや遊園地を思わせる音楽が軽快に流れる商品もありました。とくに、平成時代は電動式バブルマシンのようにシャボン玉を量産できる玩具も多く製品化されており、スイッチひとつで、きらめく大量のバブルが勢いよく飛び出す様子を見ていると、私たちの消費生活が象徴されているというような想いもして、ふと考えさせられます。
電動式シャボン玉玩具で遊ぶ子どもたち
平成時代が終わろうとしている今、1号館では、「平成おもちゃ文化史」と題する企画展を開催中です。平成生まれの原田学芸員が、子ども時代を過ごし、思春期から青春時代を生きてきた平成という時代の生活文化について、玩具を通してふり返ってみようと構成や収集も含め、懸命に取り組んだ展示です。―――果たして、日本玩具博物館始まって以来の平成のおもちゃ展は、ご家族そろって楽しんでいただける見どころの多い内容になりました。昨日に続く今日であり、何かが急に変わるものでもありませんが、この節目にあたり、立ち止まって来し方を眺め、行く末の姿を模索してみるのも良い過ごし方ではないかと思います。うららかな春の日を選び、ぜひ、ご来館下さいませ。

NO. 243
平成おもちゃ文化史
                                       (2019,4.2 学芸員・原田悠里)
令月4月1日、氣淑く風和ぐ館の庭、春の香り漂う中、新元号「令和(れいわ)」が発表されました。新しい発表というのは、希望や楽しみ、時には不安ももたらすように思いますが、元号というのはまた不思議な感覚でした。過ぎていく世を振り返り、新しい時代と未来を見据えて進む必要があるように感じて、身が引き締まる思いもします。
館長(館長室No133)からも紹介がありましたように、1号館では、「平成おもちゃ文化史」が始まっています(11月12日まで)。玩具を通して「平成」を振り返ってみようという試みです。遊びの道具でありながら、玩具には、その造形や技術、テーマにもその時々の社会の流行や文化が反映され、時代の精神のようなものが表現されています。社会の動きの中でどのような玩具が登場してきたのか、昭和の後期(50~60年代/1970
~1980)から、平成初期(1989~1997)、平成10年代(1998~2007)、平成20年代(2008~2018)とコーナーを、10年ごとに区切り、各年代に流行した玩具を、年代順に追ってご紹介しています。
 また、小遣いを握りしめた子どもたちが、世代をこえて夢中になる玩具にも注目し、「平成の駄菓子屋文化」「おまけ」、「メンコ」、「伝承玩具」の歴史もご紹介しています。元号が変わるからと言って、これまで築かれてきた社会や文化の有り様が一変するわけではありませんので、今回の展示でもあえて、「昭和」の世界を登場させています。玩具文化の連続した側面と同時に、新たな側面を発見していただきたいと思います。
玩具の平成時代は、マンガ・アニメ・テレビ・ゲームから誕生した玩具、日進月歩の新技術が組み込まれた玩具が浸透するとともに、伝承玩具のリバイバルや木製玩具およびアナログ玩具への再注目がなされました。、さらにそのようななかで、玩具が子どもだけでなく、高校生や大人も楽しむものという価値観も生まれました。多種多様(数億種類の玩具が登場したとも言われています@@)な平成の玩具は、同時代の資料ということもあり、館のコレクションとしても決して多いわけではありませんが、平成を彩った流行玩具約350点から、移り変わりを楽しんでいただけましたら幸いです。
平成初期 平成を代表するキャラクターとともに、昭和からの人気者も再び登場します。 平成10年代 ロボット玩具やバーチャルペットも登場
・「アンパンマンのおもちゃがある!」
・「好きなポケモンがおらん!」
・「これ知ってる!」
・「これはぼくが子どものときに流行ってたな」と言う男の子は10歳ぐらい(笑)
・「このこれ、お父さんのときのおもちゃやで~懐かしいな~」
・「あんたもこのカード何枚も持っとったやん!」
・60代ぐらいのご婦人たち「え?ひょっこりひょうたん島もおそ松くんもわたしらの子どものときやんな~」
・30代ぐらいの女性「わたしの子どもの時にも再放送されていたんですよ^^」

平成20年代 木製玩具への関心が高まるのも平成の特徴です。赤ちゃんも乗り出して見てくれています。
展示が始まって嬉しいことに、これまで多くの子どもたちは来館するやいなや、遊びのコーナーに一直線だったのが、立ち止まって展示を見てくれるようになりました。受付のすぐそばが平成20年代のコーナーということもあって、自分たちの見慣れたキャラクターや玩具に親しみを感じてくれるようです。また、親子二代三代、同世代の友人らと来館してくださった方々が、自分たちの子ども時代に遊んだことや、子育て時に買い求めた思い出話で一緒に盛り上がっている声が、事務所まで聞こえてくることもあります。
 さらには、海外の来館者の方々が、合体ロボットやセーラームーン、キティちゃんを見つけて、「カワイイ!」と一緒に写真を撮っている様子も見受けられます。昭和40年代から輸出されていた日本のマンガ・アニメの人気が高まり、日本文化として広く受け入れられるようになったのも平成時代の特徴です。
 まだ展示が始まって少しの時間しかたっていませんが、それでも、このような同時代の資料への来館者のみなさんの反応を拝見していると、外国の方も含め、様々な世代や国の人々が今、玩具と自分や社会、文化とのつながりをどのように感じ、思い考えているのだろうかということにあらためて興味関心がわいてきます。このような興味関心は、これからの「おもちゃ」や「遊び」の姿を考えることにもつながっていると思います。11月までと長い展示の中で、来館者のみなさんのお話もお伺いさせていただきながら、この企画展の内容を充実させ、さらに発展させていきたいと考えています。



NO. 242
雛のつき、弥生に
                                       (2019.3.26  学芸員・尾崎織女)
サクランボの花とメジロ
ソメイヨシノがあちらこちらで開花をはじめ、季節は春爛漫へと向かっていきます。日本玩具博物館では、弥生三月とあって、6号館の雛人形展会場は、二世代、三世代、四世代…と家族揃って雛まつりを楽しまれる方々の笑い声で華やいでいます。
先日は、米寿を迎えるお母さんが「日本玩具博物館の雛まつりに行きたい」とおっしゃったそうで、三人の娘さんたちがお母さんの手を引きながらご来館下さり、展示解説会の一部始終を他の来館者とともに楽しんでいかれました。“米寿のお祝い”が母娘揃っての雛人形展訪問とは!―――「念願がかないました。楽しかった…」とにっこり笑う米寿のご婦人。私たちにとっては、博物館冥利につきる嬉しい笑顔でした。

さて昨年、当ホームページ「学芸室からNo.223」に、館が寄贈を受けた木彫彩色の雛人形のことを書きました。―――その雛人形(山田国廣彫刻・松原米山彩色)は、寄贈者の亡き母君が大事になさっておられた一刀彫の段飾りで、大正末から昭和初期にかけての作品。児童文学作家、石井桃子さんの名作『三月ひなのつき』のなか、主人公のお母さんの思い出として語られる”寧楽びな”にそっくりです。この物語に登場する雛人形は今も実在するのだろうか―――と。
そうしたところ、その「学芸室から」の便りを読まれた東京子ども図書館「石井桃子記念かつら文庫」のご担当者S女史からご連絡を頂戴し、『三月ひなのつき』に語られる“寧楽びな” (山田国廣彫刻・松原米山彩色)が実在し、文庫では毎年、三月ひなの月になると、大切に展示しておられることやその雛飾りが石井桃子さんとお付き合いのあった小説家、犬養道子さん旧蔵の品であることなどをご教示いただくことが出来ました。
左=日本玩具博物館が2017年に寄贈を受けた木彫彩色の段飾り雛。
中央・右=『三月ひなのつき』とそこに描かれた木彫彩色の段飾り雛。

そしてS女史から幸便に託して、故・石井桃子さんが百歳の誕生祝いの返礼として著されたエッセイ『雛まつり』の素敵な冊子をお贈りいただいたのです。明治40年生まれの桃子さんご自身の雛まつりについて、幼い日の思い出を丁寧に語られた作品です。
石井桃子さんのエッセイ『雛まつり』

『雛まつり』によると、桃子さんは五人姉妹の末っ子―――15歳上のご長女にはお母さまのご実家から内裏雛と家来の人形や道具一式が、二番目以降は「高砂」などの添え人形が贈られ、五番目の桃子さんには「神功皇后と武内宿禰」が届けられたそうです。また、近隣からは「坐り雛」という名の裃を着てかしこまっている童子の人形(私たちは「裃雛」と呼んでいます)が次々にもたらされ、雛壇の下方に何十体も並べ飾られていました。雛飾りは桃子さんのお祖父さまの差配によって行われ、一体一体丁寧に修理しながら雛壇へとあげていかれたといいます。
――――大正時代の埼玉県浦和の町家における雛飾りの様子がありありと伝わってくるエッセイ。資料として大切に保存させていただこうと思います。

江戸時代から人形作りで栄えた埼玉県岩槻市では、古くから雛人形に加えて童子姿の「裃雛(坐り雛)」が作られ、関東地方の都市に向けて広く販売されていました。今も、岩槻は人形製作が盛んな人形のまち。毎春、町をあげて「まちかど雛めぐり」が開催されています。先年、岩槻を訪問した折に拝見した雛飾りの風景が、桃子さんのエッセイに語られる思い出の雛飾りにぴったり重なります。家庭の行事について丁寧に書きとめたものは、近代の民俗資料としても非常に貴重です。博物館は人形たちの背景にある家族の物語をお伺いできる範囲で聞き取りをし、資料として遺していく務めがあるとあらためて胸に刻んだことです。
埼玉県岩槻市・東久人形の歴史館に展示されている圧巻の裃雛(坐り雛)
今春は玩具博物館に『三月ひなのつき』の“寧楽びな”そっくりの雛人形は展示していないのですが、人形がご縁で結ばれ、広がっていく世界があることを嬉しく感じています。

NO. 241
如月雨水、雛日和
                                       (2019.2.24  学芸員・尾崎織女)
新暦桃の節句が近づき、博物館の空にマンサク、地に福寿草が満開です。春恒例の特別展「雛まつり」――今年は“まちの雛・ふるさとの雛”と題して、雛飾りの地域的バリエーションをご紹介する展示を広げています。
江戸の町人文化が活況を呈してくる安永年間(1772-81)頃になると、雛人形製作が京から江戸へと飛び火し、財力のある町衆の間に賑やかな雛まつりが行われるようになります。江戸好みの「古今雛」が人気を博すると、京坂(阪)でも京坂好みの古今雛が作られ、江戸後期には三都(江戸・京・大坂)を中心に多くの名品が誕生しました。これらは庶民が描く夢の世界を表現するもので、宮中や公家社会で
江戸好みの「古今雛」
飾られる有職故実に忠実な雛人形とは異なることから、“まちの雛”と総称されます。
幕末から明治時代にかけて、大都市部の雛まつりは地方の町々、農村や山村へもどんどんと拡大し、それぞれの土地では、身近にある材料を使って素朴な人形作りが盛んになりました。みなが一心に自分たちの雛人形を求めたのです。良質の粘土がとれる農村部では型抜きで土雛が作られ、反故の和紙などがたくさん出る城下町などでは張り子の雛が、また地方の町々では残り裂を利用した押絵の人形が初節句に贈答されました。江戸末期から昭和初期にかけて、
ふるさとの雛の素朴な表情いろいろ
私たちの国には、土地ごとにユニークな雛飾りがあり、想像する以上に彩り豊かな雛まつりが行われていました。

6号館東室では、福島県三春張り子の雛飾り、会津若松や島根県出雲地方の雛天神、兵庫県氷上町の天神を上段にすえる土雛飾り、大分県日田の歌舞伎の名場面を押絵人形に仕立てた「おきあげ雛」、岩手県水沢の押絵の「くくり雛」など、雛飾りのイメージをくつがえすような“ふるさとの雛”が勢揃いしています。また、4号館常設展示室にも広島県三次の雛飾りを展示しました。明治中期から大正時代、三次地方で焼か
広島県三次地方の雛飾り――天神人形をずらり上段に。
れた土人形がぎっしりと並んでいます。天神を上段に、二段目以降には金太郎や武者などの節句物、立ち娘や花魁などの女物、歴史物語の主人公、恵比寿・大黒などの縁起物、童子、力士…と様々な土人形で構成する雛飾りは、ひと月遅れの4月3日に男の子も女の子も揃って祝う節句まつりの華ともいうべきものでした。こうした土俗的な世界をなつかしくご覧下さる方々がおられる一方、若い世代には祖先の造形感覚や美意識を新鮮に感じていただけるのではないかと思います。

緋毛氈の上に老若男女がやさしいまなざしを注ぐ雛日和――日曜日ごとに展示解説会やワークショップを開いています。子どもたちが楽しげに折り紙のお雛さまを作り、解説会では大人の皆さんが熱心に雛人形のお話をお聴き下さっています。弥生三月も日曜日ごとに展示解説会を開いていますし、3月21日(木・祝)の13時30分からは、これまた春恒例の「貝合わせ」を楽しむワークショップを予定しておりますので、ぜひ、お時間を合わせてご来館下さいませ。

展示解説会風景――展示品を取り出して雛人形のみどころを解説 6号館前のテラスでは「折り紙のお雛さま」作り


NO. 240
見て知って、作って遊んで、おもちゃの楽しみ再発見
                                       (2018.1.19  学芸員・原田悠里)
新しい年を迎え、皆さまにはますますご清祥のことと存じます。本年もどうぞよろしくお願い申しあげます。

今週は館内見学、おもちゃ作り、伝承遊びと3日間を通して香呂小学校の1年生との交流を楽しみました。小雨のふる中、学校から歩いて見学に訪れてくれた70名の1年生。館長の説明と、コマさばきを見たあとは、ワークシートを使ってレッツ見学!4~5人の班にわかれて、1号館から6号館をめぐる子どもたちは目は好奇心いっぱいです。ワークシートの内容は、現在の展示内容に合わせて、1号館「世界の伝承玩具」から、世界のけん玉からお気に入りを絵に描いてもらったり、6号館「世界のクリスマス」でチェコのパン細工のオーナメントを探して、素材をあててもらったり、常設展の4号館2階では、各国で作られている「ついばむ鶏」を探してもらったりと小学校低学年を対象に、展示室も多く、資料も多い当館で、モノをじっくり見て、博物館を楽しむことを知ってもらうために、作成したものです。
ワークシートは見開き4ページ5問です
6号館で子どもたちを観察していると、写真と同じ飾りを見つけるのも、なかなか大変です。そりゃそうですよね、70本以上のツリーの中、太陽や天使のモチーフはたくさんありますし、気になる飾りやおもちゃもあるので、たどり着きそうでたどり着きません。子どもたちの興味もさぐりながら、ちょっとずつヒントを出してお目当ての資料へと導いていきました^^素材もまずは資料を観察して、わからなかったら、博物館で展示しているモノにはその名前と何でできているか、名札がついてるよと、キャプションの見方も伝えます。
見つかった!わかった!パンや!見つかったときの閃きと、答えが解けたときの喜びを子どもたちの素直な反応は、
こちらも忘れかけていた好奇心を思い出させてくれます。
翌日、今度は館長と香呂小学校へ。体育館で70名の子どもたちが館長を囲んでの凧作り教室です。折り紙に厚紙の凧骨をつけてできるとても簡単な凧ですが、よく揚がるので、当館人気のおもちゃ作りのひとつです。角を切る、顔を描く、凧骨をちょうどいい場所に貼る、凧にするための大事な工程には、工作の基本がつまっています。穴に通して結ぶのが一苦労、それでもみんな満足のいく凧ができあがり、運動場で思いっきり自作の凧あげを楽しみました。
 凧作りと運動場での凧あげの様子
そしてこの日はもう一人、凧名人のTさんもゲストとして登場され、連凧やだるまや鶴を描いた大きな凧を、子どもたちに見てもらおうと持ってきてくださっていました。Tさんは、当館と姫路市が共催で2012年まで38年間行っていた全国凧あげまつりの常連さんだったこともあり、館長とも旧知の仲です。40枚の連凧が勢いよく揚がり、1年生、見学にきた2年生の大歓声があがったのもつかの間、15分ほどたつと、風がやんでしまいました。「風よふけ~!」と皆で祈りましたが、空は穏やかな晴れ間をのぞかせるだけ。あっという間に終了のチャイムが鳴ったとたん、また強い風が吹き始め、最後にもう一度連凧をあげることができました!遊びたい時にいつでも遊ぶことができるおもちゃもあれば、凧のように思い通りにいかない、自然の力を待つ時間も遊びのひとつだと思います。風がやんでしまい、「大きな扇風機があればいいのに~」と退屈気味に言っていた子どもたちも、最後は「風や!いまや!」と待ったからこその楽しさを知ってもらえたのではないかと思います。Tさんは「凧あげはだいたいそんなもんや。またあげにきたるよ」と笑顔で帰っていかれました。
悠々とあがる連凧
さらに今日19日は、香呂小学校のオープンスクール、「昔あそびを楽しもう」が行われ、お手伝いに行ってきました。1年生の祖父母の方々が竹とんぼ、コマ、羽子板、あやとり、おはじき、お手玉、カルタ、だるま落とし、ヨーヨーなどの伝承玩具を子どもたちに教えながら一緒に遊ぶ恒例行事です。祖父母の方々にまじり、子どものころ学童保育で伝承玩具を遊びつくしたわたしもヨーヨーの担当として子どもたちと楽しみました。
ヨーヨーはハイパーヨーヨーやプラスチックの巻き取りやすいヨーヨーでなく、木のシンプルなヨーヨーなので、うでのスナップ加減でヨーヨーが傾いたり、糸を巻き上げる力が弱くなるとすぐにとまってしまいます。コツをすばやくつかむ子もいれば、なかなか思うようにできない子も。一緒に手を持って糸を巻きあげる感覚を知ってもらいながら、子どもたちに教えていると、自分自身がどうやって遊びを覚えてきたのかを思い出すきっかけにもなりました。伝承玩具の多くは、ちょうどいい加減を身体で覚えるものが多く、その適当さは何回も何回も練習して、毎日遊ぶ中で工夫して自然に身についていくものです。そしてシンプルな作りや遊びだからこそ、基本のかたちからいろんなルールや独自の遊びが生まれてきます。今日の行事が昔遊びという一度きりの体験としてではなく、毎日の遊びと結びつきながら、新たな伝承玩具の世界が生まれるといいな~と感じました。

ヨーヨーで遊ぶ子どもたちと伝承遊びのプロたち


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