NO.37
『世界の国の人形たち』から                             (2007.6.23 学芸員・尾崎織女)


 今朝から、今夏の特別展『世界の国の人形たち』が始まりました。本展は、1000点に及ぶ人形資料を機能別、性格別に展示する「人形の世界」のゾーンと地域別に世界各地の民族人形をご紹介する「人形で綴る世界紀行」のゾーンの二つに分かれています。100カ国をこえる国々から、様々な出自来歴をもった人形たちが明るい黄緑色のクロスの上に仲良く集いあう風景は、さながら世界民族の祭典のようです。来館者の皆さんはどのような受け止め方をして下さるでしょうか。とても楽しみな初日です。
▲西アフリカ諸国のアクアバの木偶


「あっ、このお人形、みんな裸んぼう!」
「大きな顔!お日さまに似てる…。」
「なんで、頭にとんがり帽子かぶってるの?」
「この人、泣いた顔して笑ってる…」

などと、まるで詩人のような言葉を発しながら、4、5歳の幼児たちがこぞって目をとめたのは、意外にも、<神々と人形>と題して、西アフリカ各地で製作される安産を祈る木偶(木製の偶像)や子宝を願う木偶などを展示するコーナーでした。造形的な面白さが子どもたちの心をとらえるのでしょうか。あるいは、精神的にも何かリンクするところがあるのでしょうか。確かに、ガーナのアシャンティ族が作る「アクアバの木偶」やガボンのコタ族の「納骨籠守護の木偶」などを見つめていると、子ども達の絵の世界にも通じる率直さと温かさが感じられます。小さな子どもの絵というと、関心のあるところ、思いのあるところが大きく強調されて描かれることが多いのですから。

▲ナムジ族の子宝を祈る木偶
 人形といえば、私たちは愛玩用のぬいぐるみ人形などを思い浮かべますが、この特別展では、それらのご先祖さまに当たるような、民間信仰の中にある小さな偶像などもあわせて展示しています。カメルーンに居住するナムジ族の木偶は、長い首とどっしりとした下半身に、動物の骨製ビーズやコイン、タカラ貝、皮紐などをたくさん飾ったものです。不妊に悩む女性は、これを自分の腹部に当たるようにして首からさげ、大切に世話をし続けると、霊力によって子宝に恵まれると信じられてきました。たとえば、この木偶のように、世界の人形をめぐる歴史の中では、人間の形を持った物体を、精霊の宿る形代とみなす考え方が長く受け継がれてきたと思われます。
 「人形を偏愛する民族」と世界中の人々から評される私たち日本人も、「人形は目にみえない霊魂の依代(よりしろ)だから、粗末に扱うのは恐い」という感情を抱くことが少なくありません。
 良い霊がつけば守りとなるけれど、悪い霊がつくと、家族に酷い災いをもたらす。お隣の韓国ではその観念が日本よりももっと強く、最近まで、目に見えない霊魂を畏れる感情から、人形を身近かに置くことは避けられてきたといいます。

 では、その霊魂は、どこから人形の中へ入るのか………「目」から、と世界中の多くの人々は考えました。
     
▲写真A・モーリタニアの民族衣装の人形 ▲写真B・ウクライナのぬいぐるみ人形

 写真Aは、一昨年、井上館長が名古屋で開催された愛・地球博会場で入手した北アフリカ・モーリタニアの民族衣装の人形です。詰め物を施した饅頭形のスカートに木の棒を差したボディー、黒いベールをかぶって髪はビーズで華やかに飾られていますが、顔には目鼻が作られていません。写真Bは中央アジア・ウクライナのぬいぐるみです。民族衣装用に裁った残り裂で作られた素朴な人形。赤ん坊を抱く母親を表わしているのですが、この人形にも目がありません。ままごと遊びの相手として女児たちに与えられる人形に悪霊が入り込み、女児たちが危険にさらされることを畏れたためといわれています。
 昭和57年に開催された『ソ連の人形と玩具展』(聖教新聞社主催)では、グルジア共和国の伝承人形も展示されましたが、顔には、表情の代わりに数色の糸で大きく×印の刺繍がありました。悪霊の侵入拒否!を訴えるかのように。

 今回の展示品の中に目鼻を持たない人形は数えるほどしかありません。展示室で人形を見入っていた小学3年生の女の子たちに、モーリタニアの民族衣装の人形やウクライナのぬいぐるみ人形について訊ねてみました。

「この人形はお顔がないけれど、もしも、あなたがこれをもらったら、どうする?」    
――――「かわいい目や口を描いてあげる。」
      「私は、笑った顔にする。」
      「お母さんに頼んで、刺繍してもらう。」
「これ作った人は、人形の目から、恐いものが入ってきて人に悪さをすると信じていたんだよ。だから顔を描かなかったの。」
――――「ふ〜ん・・・・・・。お化けとか・・・?」
      「・・・・・・・・・。」
      「大丈夫! 私が、人形を守ってあげるから!」

 女の子たちのとても前向きな感じ方に感心しながら、私は思いました。大人たちの観念から離れて子どもたちの手に移った人形たちは、その明るい笑顔の下に表情を得、子どもたちの親しい家族になっていくものかもしれないと。

      
▲トルコの双子を抱く子守人形
…描かれた素朴な表情
▲ハンガリー・サーロクーツの民族人形
…描かれた素朴な表情

 本展は、10月9日までの長丁場です。「学芸室から」では、1000点の人形たちと来館者の皆さんとの出あいについて、会期終了まで、折にふれてご紹介していきたいと思っています。




NO.36
夏の展覧会準備の日々                             (2007.6.5 学芸員・尾崎織女)

 5月は、夏から秋にかけて玩具博物館の内外で行う企画・特別展や協力展の準備に没頭していました。
 ひとつ目は、鹿児島市の長島美術館での『懐かしの玩具と四季のちりめん細工展』(2007年7月21日〜9月2日)への出品資料の選定と展示案作り。当館では、今回、初めて展示企画を担当した学芸スタッフの井上伊都子が中心となり、先方のご担当者と話し合いながら、また、美術館の展示にふさわしいものになるようにと連日連夜、悩みながら準備を進めてきました。長島美術館の展示スペースに合わせてのシミュレーション作業が完了し、よそ行きの梱包をほどこされた展示品たちは、出張する日を待つばかりとなりましたが、展覧会作りの仕事はまだまだ続きます。明治・大正・昭和の各時代に子ども達に愛された玩具を、その世相と時代の美意識に照らしてご覧いただける内容になるよう、また、来館者に展示品と親しく触れ合っていただけるよう、これから、時間ぎりぎりまで工夫をしていかなくてはなりません。
 当館の玩具たちにとっては初めての鹿児島出張です。ちょっといつもとは様子の異なる上質な雰囲気の展示環境ですから、彼らには、晴れがましい気分になることでしょう。さて、どんな出会いが待っているかしら?

   
▲大正時代の玩具                    ▲昭和初期の玩具

<長島美術館『懐かしの玩具と四季のちりめん細工』展>
          ・・・展示する資料や作品をシミュレーションしながら選定する・・・

   
 梱包され、搬出を待つ玩具たち▲

 ふたつ目は、伊丹市立博物館(兵庫県伊丹市)で開催される夏季企画展『昭和の子どもたち〜元気な子どものアルバムから〜』(2007年7月1日〜9月2日)への協力です。この企画展は、昭和時代の各時期、子ども達の居た風景を写真によってたどり、遊びには不可欠だった玩具も時代ごとに展示されます。
 実は、伊丹市立博物館での企画展協力は三度目を迎えます。一度目は、1992年の『子どもの遊び』展で、取り上げた時代は明治から昭和30年代中頃まで。二度目は、10年後の2002年で、昭和30年中頃から50年代がテーマでした。担当者は代替わりしていったとしても、10年先、20年先まで見通しを立てて、博物館が企画を持ち続けるというのは、指定管理者制度の問題もあり、公立館の場合は特に難しい状況になってしまいました。そんな今だからこそ、地道な活動を展開される博物館にとって、安定した協力が必要であるなら、私たちはそれを大切に考えたいと思っています。
 一昨日の日曜日、伊丹市博の学芸スタッフを迎えて展示資料を確認した後、梱包作業を行い、送り出しを完了しました。近代的な工業製品に加えて、四季折々の自然素材玩具なども出張します。

   
                            ▲作業風景

<伊丹市立博物館・夏季企画展『昭和の子どもたち』>
          ・・・出品予定の資料を伊丹市立博物館の学芸スタッフと一緒に梱包する・・・


   
▲自然素材の玩具いろいろ

 この後は、日本モンゴル民族博物館(兵庫県豊岡市)で9月から開催される企画展『世界の鳥の玩具と造形(仮称)』へ協力する仕事があり、急いでその準備にとりかかりたいところですが、私たちの博物館にとっても、6月は夏の展示替えを行う季節。玩具博物館の周りは既に水田となって早苗がゆれ、夕方など窓を開けていると、蛙の大合唱が響きわたって打ち合わせの声さえ聞こえない騒がしさです。湿った風にのって、チカ・・・チカ・・・チカ・・・チカ・・・と、蛍が迷い込んだりもする夜中の展示替えは、ちょっとした風情があります。来週に入ったら、まずは端午の節句飾りの収蔵から始めましょう。今夏、6号館の特別展は『世界の国の人形たち』、1号館の企画展は『世界の船のおもちゃ』を予定しています。
 自館の展示も、他館の展示も、どれもみんな心を込めて準備してまいりますので、どうぞ、ご期待下さい。



NO.35
たばこと塩の博物館『ちりめん細工の世界』展からのプレゼント
    (2007.4.27 学芸員・尾崎織女)

 4月は、たばこと塩の博物館に出向いての『ちりめん細工の世界』展の撤収作業と資料到着後の収蔵作業、同時併行で6号館の『端午の節句飾り』の準備作業…とめまぐるしく過ぎ、今、学芸室はほっとひと息ついたところです。

 『ちりめん細工の世界』展は、企画、印刷物の用意、展示構成、シミュレーションと梱包、キャプションなどの製作、講演会の準備など学芸室での作業に加え、ちりめん細工講座の材料セットやミュージアムショップ向け商品の手配など、たばこと塩の博物館のスタッフと当館のスタッフ全員が一緒になって懸命に取り組むことが出来、私たちにとって思い出深い展覧会となりました。「10年ぶりの東京での展示が、よいものにならなかったらどうしよう…」と内心、あれこれ心配にも思い、重い責任を感じ続けてきただけに、肩の荷が下りた気分でもあります。「館長室からNo.21」で井上館長がご報告させていただいたように、来場者数において、非常によい成績を残せました。そのことはもちろん、有り難いのですが、終了後に関東方面の方々から頂戴するメールや電話などの内容が私たちを喜ばせています。
 「母の思い出につながる懐かしい世界と再会でき、涙がこぼれました。」
 「展示室で見たものを全部、この目に焼き付けておきたいのに、そう出来なくて、それが辛いぐらいです。今度はいつ見られますか?」
 「会期中に7回も訪ねてしまいました。いくら見ても、作品のひとつひとつが新鮮で、何度訪ねても、違った感動がありました。」
 「日本女性の美意識を再確認でき、誇らしい気分になりました。伝承の模様とか形とかを暮らしの中に取り入れていきたいです。次の展覧会はいつですか?」

 そして、私が個人的にもっとも嬉しく感じたのは、講演会に参加して下さった60代の女性から、こんな風に声をかけていただいたことです。「何にも興味が持てなくて、鬱々とした毎日でしたが、この展覧会を訪ね、講習会にも参加して、ずっと心の底で願っていたものに巡り合えた!と思いました。古い作品に込められた形の意味を学びたいし、これからやりたいことが目の前にいっぱい広がってきて、私の人生が変わりそうです!」という言葉。展覧会主催者にとって、これ以上に嬉しい言葉のプレゼントがあるでしょうか。
 今、日本の博物館では、展覧会の評価を来館者数のみによって行う傾向がまだまだ根強いのですが、いかに来館者の心を動かし、どのぐらいの大きさでその人の人生に影響を与えられたかということが、来館者数の大きさよりも、もっと重要で意味の深い、展覧会への評価づけだということを私たちは確認し合いたいと思います。そして、博物館の展覧会活動が他の施設のそれと異なるのは、20年先、50年先、100年先の来館者に対しても、それ以上の意味をもたせなくてはならない、という点です。そのためには、今、美しい資料が出来るだけよい状態で保存され、後世に伝えられなければならない。これが、言うは易く、非常に難しい課題です。
 
 さて、今回『ちりめん細工の世界』展のために、たばこと塩の博物館にお願いして造作してもらった展示台(高さ×奥行×全長=30×30×150cm)の16基を私たちは、本展の記念に頂戴することが出来ました。ちりめん細工展に合わせて、黒いクロスを貼ったものですが、ただ今開催中の『端午の節句飾り』では、深緑色のクロスをかけてさっそく全基使用しています。とても美しい展示台で、当館の展示ケースのサイズにもぴったり。夏の『世界の国の人形展』に、秋冬の『世界のクリスマス展』に……と末長く、活躍してくれることでしょう。展示担当の私にとっては、これも非常に嬉しいプレゼントでした。



  →  

たばこと塩の博物館『ちりめん細工の世界』展で          当館の『端午の節句飾り』展で使用しています。
使用した展示台                              3基を使って金太郎の郷土人形を段飾りに。
 


 関連企画展

端午の節句飾り


NO.34
ドイツから届いたイースターエッグ
             (2007.4.6 学芸員・尾崎織女)
 

 緋桃、利休梅、木蓮、土佐ミズキ、染井吉野・・・・玩具博物館の木々が一斉に花を咲かせて春爛漫の好季節です。『雛の世界』展も会期が終わりに近づきましたが、春休みとあって、展示室は連日、家族連れの来館者で賑わっています。

 さて、生命が再び芽吹くこの季節、キリスト教世界ではイースター(=復活祭)が祝われます。イースターは、イエス・キリストの復活を祝う祭りで、春分の日を過ぎ、最初に満月を迎えた後の日曜日がイースター当日にあたります。今年は4月8日がイースター・サンデーです。ヨーロッパのイースターには、美しく彩色された卵やパン、それらを飾った木々が町中に登場し、人々はキリストの復活と大自然の春の目覚めを喜び合います。
 イースターが近づくと、子どもたちは、卵の殻に模様や絵を描いて、木に飾りつけたり、庭や
野原にゆで卵を隠して、卵さがしを楽しんだり・・・・・・。今では、卵形をしたチョコレートを、家族や親しい人同士で交換する風習も盛んになっているようです。
 
 一昨日、十数年前から資料交換などを行っているドイツのヒラ・シュッツさん(学芸室からbPでご紹介しています)から、イースターの贈り物が届きました。小さな小包の中には、彩色されたウクライナ製の卵(=イースター・エッグ)や手づくりの鶏形卵ホールダー、それからドイツ・エルツゲビルゲ地方の兎たち(=イースター・ラビット)などがぎっしり納められていました。
 イースター・エッグは、本物の鶏卵の中身を抜きとり、卵殻に特殊な染料で伝統的な模様が描かれたものや、ロウで染め抜いたもの、また本物の卵殻では壊れやすいため、卵形の木に彫ったり、描いたりして模様付けしたものなど様々です。
 それでは、卵殻に描かれる模様にはどんな意味があるのでしょうか。国や地域によって違いがありますが、たとえば、魚はキリスト教への信仰心、鳥は子宝、樹木は永遠の若さを表し、花は愛と慈悲、麦穂は豊かさ、十字は結婚を象徴するそうです。                

本物の鶏卵の殻に模様付けしたイースター・エッグ▲
 (ウクライナ)
▲イースター・ラビット(ドイツ・エルツゲビルゲ) ▲イースター・エッグ(ウクライナ)と
鶏形ホールダー(ドイツ)

 卵は古来、生産力、繁殖力の源として神聖視され、孵化することから、目覚めや再生につながると考えられてきました。枯れ木にた
▲枯れ枝につるされたイースター・エッグ(ドイツ)
くさんのイースター・エッグがつるされた造形は、華やかで美しいものですが、これには、農耕の始まりの季節にあたって、秋の豊かな実りを予祝する民俗的な心情がこめられていたと考えられます。

 ヨーロッパには古くから、「兎がイースター・エッグを運んでくる」という伝承があり、兎とイースターとのつながりの深さを示しています。ゲルマン系の人々にとって、兎は新しい種をもたらす豊穣のシンボルと考えられ、また、他者のために自分を犠牲にする動物と信じられていたため、キリスト教の心にも通じるものだったのでしょう。めぐりきた春に、草花が芽吹き、新しい生命が生まれていく喜びを表現するのがイースター・エッグなら、イースター・ラビットは、生命の源を持って大地を駆け回る「喜びの配達者」でしょうか。

 こうして、少しずつですが、東欧や中欧の各地で作られたイースターにまつわるオーナメントや玩具が手元に増えてきました。いつか、イースターの伝承的な飾り物などを集めた展覧会を行ってみたいと思っています。
 シュッツさんへの当館からの返礼の贈り物は、今年の干支、猪の郷土玩具と小さな雛人形の数々。ディスクリプションカードを付けて、本日、発送したところです。




NO.33
『ままごと道具の今昔』から
          (2007.3.26 学芸員・尾崎織女)


 今、1号館では『ままごと道具の今昔』と題する企画展を開催中です。桃の節句に飾られたハレの日の台所道具や食器、また普段使いのままごと道具を時代ごとに展示しています。
▲ママ・クッキーとママ・レンジ

 昭和40年代のままごと道具のコーナーでは、展示品を指差しながら、懐かしい目をして、小さく歌を口ずさむ方もあります。♪ママ〜レンジ、ママレンジ、エプロンつけて〜クッキング……。これは、昭和43年にアサヒ玩具という玩具会社が食品会社とタイアップして開発したままごと道具「ママ・レンジ」のコマーシャルソングです。この頃に少女時代を過ごした世代にとって、これが特に印象深いものとなっているのは、家庭用電源を使用して、例えば本物のホットケーキやお好み焼きが調理できたからです。けれども玩具にしては高価であり、また、それまでのままごと遊びの常識を覆すものであったために、欲しくても買ってはもらえず、コマーシャルの中、楽しそうにホットケーキを調理する少女の姿に、羨望を抱いたりもしたわけです。ママ・レンジ以降、昭和50年代にかけて、ママ・クッキー、ママ・ナガシ、ママ・ポット、ママ・ミラー、ママ・ポップコーンなど、本物シリーズが相次いで販売され、物質的に豊かな時代の象徴ともなりました。

 それまでのままごと遊びにおいて、ホットケーキもお好み焼きも想像の中に存在するか、あるいは、草や花びらを混ぜた土饅頭だったでしょう。季節は春、ままごと
▲ままごと道具セットを使ってままごど遊び・・・。
セットが手元にあるなら、それらを外に持って行き、田の畦に座って友達を誘います。菜の花やカラスノエンドウ、レンゲソウ、イタドリ、タンポポなどを小さな包丁で刻むと、小さなフライパンにのせて、これまた小さな電熱器の上で調理するのです。市販のままごと道具がなくても大丈夫。まな板も鍋も皿も、田の畦にあれば、なんでも用意することが出来ました。そんな楽しい思い出は、世代共通のものかもしれません。私にしても、少女時代の春を思い起こせば、お椀見立ての大根の葉の中に、オオヌノフグリの花が輝いていたことや幼馴染の笑い声がよみがえります。

 土や陶器、木、竹など本物の道具の素材そのままに作られていた明治・大正時代、やがて、ブリキやアルミ、セルロイドなどの工業製品が加わりますが、ままごと道具の世界に、プラスチック製品が登場するのは昭和27〜8年頃のことです。初期のプラスチック製ままごとセットのパッケージには、「美しい もえない こわれない」と誇らしげに連呼されます。水に当たると錆びてしまうブリキに対して美しい。引火性の強いセルロイドに対してもえない。欠けやすい陶器に対してこわれない……ということでしょうか。実際、色とりどり、鮮やかなプラスチック玩具は、安物製品の代表ではなく、ハイカラで素敵なものの象徴として時代の歓迎を受けました。展示室でも、プラスチック玩具の登場によって、それまでのダークトーンは一気に変換します。土間の台所をピカピカのシステムキッチンにリフォームしたみたいに。

▲昭和10〜20年代の台所セットとティーセット ▲昭和40〜50年代のままごと道具

 けれど、物が豊かになることで、たくさんの商品玩具が登場することで、子ども達の想像力や美意識が豊かになったかどうか、また、友人たちと触れ合う時間が豊かになったかどうか…、展示室のままごと道具に見入りながら考えます・・・・・・。『ままごと道具の今昔』は、特に女性にとって幼い日の思い出につながる玩具と再会し、時代の移り変わりを通して、遊びにとって大切なものについても感じていただける企画展だと思っています。ご来館、お待ちしております。


    

 関連企画展

ままごと道具の今昔




NO.32
ランプの家の雛まつり
                     (2007.2.23 学芸員・尾崎織女)

源氏枠御殿飾り雛

 庭のマンサクは満開。福寿草や雪割一華の可憐な花も明るい光にゆれています。春先の庭を望むランプの家に、今日はまた新たな雛人形を展示しました。

 「源氏枠御殿飾り雛」―――これは、2004年9月、和歌山県有田市の寺院、善福寺より寄贈を受けたものです。同寺では、江戸時代後期(天保の頃か)、和歌山藩出入りの豪商、酒田屋吉兵衛の娘が善福寺に嫁いだ折に嫁入道具として持参したと伝わっています。
 屋根のない御殿は、桧材で作られ、高さ×幅×奥行=87×135×110(cm)の大型。奥の間、中の間、表の間の三つの間に仕切られています。それぞれの間の障子や襖、板戸などには繊細な花鳥画や龍虎の墨絵が描かれて豪華です。御殿の御簾や畳は、当館が寄贈を受ける前に同寺によって修理がなされていました。「これと同じ形態の源氏枠御殿飾り雛が、当時、三組作られており、一組は京都の大寺院へ、他のもう一組は不明である…。」とは、善福寺ご住職・山口氏のお話です。
 中に飾られる雛人形は、太平洋戦争末期頃、善福寺の裏山に爆撃を受けた際、収納箱ごと吹き飛ばされたため、傷みが激しく、今回、一部しか展示できませんでした。比較的状態の良い内裏雛は、江戸型の古今雛を思わせる様式で、源氏枠の中におさめると、女雛の前袖の縫取りが美しく映えます。

 江戸時代後期、京や大坂(阪)を中心とする関西地方は、御殿(屋根のないもの)の中に雛人形を飾る様式が流行したと、『守貞漫稿』(喜田川守貞著・嘉永6年)にも記されていますが、この源氏枠御殿飾り雛は、江戸後期、関西圏で飾られていた町雛の様子を知るよい資料です。


 
 ここで少し、組み立ての様子をご紹介しましょう。


@土台を組む A横枠を立てる B枠を完成させる


C畳を入れる D表の間に障子を立てる E奥の間に襖を立てる


F御簾をかける G欄干や階を付ける H人形を飾る

 展示を終えるとあたりを夕闇が包んでいました。収納箱の整理をする手をふと休めて雛段を見上げると、人形たちは灯りの中で、昼間に見せていた穏やかな表情を一変させ、重厚で厳かな薫りをまとっていました。雛人形の座す空間に、江戸、明治、大正、昭和、平成…と、長い歳月が一どきに満ちてくるような、不思議な感覚に打たれました。

 「源氏枠御殿飾り雛」は3月4日までの展示ですが、6号館の特別展『雛の世界』の会期が終了する4月10日まで、ランプの家では、明治・大正・昭和時代の雛飾りを行っておりますので、ご来館の皆さまには、春の庭を眺めながら、ゆったりと雛まつりをお楽しみいただきたいと思います。







NO31
震災から12年目のお雛さま             (2007.2.6 学芸員・尾崎織女)



 1995年1月の阪神淡路大震災後、日本玩具博物館は、家屋の倒壊や移転などのため行き場所を失った節句飾りのいろいろについて、新聞を通して、引き取りを呼びかけました。「仮説住宅や親類宅への一時避難のため、かさばる上に気をつかう雛人形の置き場に困っている人がいる。雛道具などは粗大ごみで出されているので可哀想。人形や玩具の面倒をみてもらいないだろうか。」被災地からそんな声も聞かれた4月のことでした。文化財としての評価が定まったものに対してさえ、カタストロフィ的な状況の中ではかえりみる余裕がなくなるのは当然のこと。人形や玩具などはなおさらで、私たちは、それら小さなものたちの生命をつなぐ仕事になんらかの役割を果たしたいと思ったのです。
 春以降、夏までに120件に及ぶ人形たちが到着しましたが、すべてを保管できないため、寄贈者の了解を得て、近隣の博物館や海外の博物館施設に再寄贈したり、また製作年代の若いものは学校や社会教育施設、病院や福祉施設などに贈ったりして、人形たちの保存先を決めました。それから数年にわたり、私達のもとへは、様々な節句関係の人形が届けられ、日本玩具博物館が被災地から寄贈を受けた所蔵資料は150件を数えます。それらは、毎春、開催する雛人形展で順次展示を行い、来場者の目を楽しませてくれています。

 展示される雛人形の寄贈者には、会期中にお越し下さるようご案内をさしあげるので、ご家族揃ってご来館され、懐かしい雛
▲M家から寄贈を受けた明治末期の雛人形

※三人官女の真ん中に座る女官長は、地震の折に修復不可能なほどに壊れ、展示していません。

人形との再会を楽しんで下さる日もあり、それは私達にとっても何よりうれしいひとときです。先日も、寄贈者である神戸市須磨区のM家より、大正生まれのご夫人とそのお嬢さんのご訪問を受けました。ちょうど、展示室正面に「明治時代の段飾り」として展示しており、お二人は目を潤ませて懐かしい雛人形に寄り添い、ご家族の近況を人形に向かって話されているご様子でした。帰り際には、「お人形たちが幸せそうに見えて、本当にうれしかった」と言葉を残していかれました。          


▲K家から寄贈を受けた明治後期の雛人形(一部)

※K家の雛飾りには50組以上の雛道具や添え人形が付けられ、展示の中で全貌をご紹介することはまだ出来ていません。
 また、今日は、大阪市のK家から、ファックスでお手紙が届きました。「いただいたご案内状は、ただ今、亡き母の写真の前に広げて、見せているところです。加齢とともに、体力の低下で、私達姉妹もなかなか動きにくくなり、お雛様との再会はいつになるかわかりませんが、飾られている人形たちの様子を想像しながら桃の節句を過ごしたいと思います・・・・・・。」と。
                      
 震災から12年、お元気でこの博物館へと雛人形を託された寄贈者の訃報があちこちから舞い込む近年です。雛飾りが、個人のものではなく、まだ家のものであった明治から大正時代、家族全体にその思い出はいきわたり、戦後生まれの私達が考える以上に、雛飾りは家にとって、大きな意味をもっていると感じます。そうした文化自体にも配慮しながら、受け取った人形たちの延命をはかる仕事を私達が引き継いでいかなくてはなりません。

 恒例の雛人形展『雛の世界』の準備に、木箱から一つ一つ雛人形を出しては、その元気な姿を確認し、ほっとしているところです。本展では、江戸時代終わりから明治時代にかけての雛人形の表情をご紹介する他、江戸(東京)と上方(京阪)の雛飾りの違い、また地方都市や農村部などの雛飾りも展示し、雛の世界の広がりと奥行きを御覧いただきます。
 また、2月10日から、たばこと塩の博物館で開催する『ちりめん細工の世界』展の中でも、「第三部・雛祭りとちりめん細工」として、明治末期の檜皮葺(ひわだぶ)き御殿飾り雛や京阪風の古今雛などをご紹介する予定です。



   
▲たばこと塩の博物館へ出品する雛人形         ※梱包の前に組み立てて、コンディションをチェック 

 

 たくさんの方々からの深い思いとともに寄贈を受けた雛人形は、展示品として、雛祭りの文化を伝える資料として、今後、ますます活躍してくれると思います。ただ、資料の老化を最小限に食い止め、よりよい状態で後世に伝えていくという、博物館として第一番目の使命を思うと、雛人形の春は、私達に課された役割の重さと大きさ、保存についての勉強の足らなさを振り返り、焦る気持ちが高まる季節でもあります。
 

 関連企画展

雛の世界




NO30
たばこと塩の博物館『ちりめん細工の世界展』に向けて     (2007.1.15 学芸員・尾崎織女)


 こちらのトップページでも、「館長室から」でもご紹介していますように、来る2月10日(土)から、東京渋谷にあるたばこと塩の博物館と日本玩具博物館が共催で『ちりめん細工展』を開きます。当館が東京で開催する10年ぶりの本格的なちりめん細工展とあって、各方面からの期待の声も多く聞かれる中、学芸室では気を引き締めて連日連夜、準備を行っています。
 去る9月、たばこと塩の博物館へ出向いて、担当者と展示のコンセプトや展示構成などについて会議をした後、チラシやポスター、展示解説書などの制作を共同で進めてきました。年末からは当館で、構成に従って展示グループごとに具体的なシミュレーションを行い、本日、展示資料約600点の梱包作業がほぼ整ったところです。この後、私たちは展示資料を紹介するキャプションやパネルを製作していきます。

 収蔵庫前の作業室で、実際の展示ケースの寸法に合わせて、資料を展示します。シミュレーション風景を写真でおさえた後、一点一点梱包し、グループごとにパッキングします。楽しいけれど、非常に骨の折れる作業です。 
↑資料送付専用のダンボール箱約25ヶ口に収まりました。
←展示グループごとに薄用紙で梱包していきます。
 展示概要について少しご紹介しますと・・・・・・今回は、「江戸と明治のちりめん細工」「よみがえったちりめん細工」「雛祭りとちりめん細工」の3部構成で、ちりめん細工の中に込められた日本人の自然観や幸福観などを描きたいと考えています。「江戸と明治のちりめん細工」のゾーンでは、特に、近世から受け継がれてきたお細工物の手法として「きりばめ」「押絵」「つまみ」を取り上げ、色彩や文様に託された思想や美意識をご紹介できればと思います。「よみがえったちりめん細工」のゾーンでは、「ちりめん細工で綴る日本の四季」として、春夏秋冬、季節感あるお細工物を立体的に楽しめる傘飾りを初公開します。また、たばこと塩の博物館での展覧会を記念し、明治・大正時代の女学校の教科書から、煙草入れやキセル入れなどを復元制作して展示する運びとなりました。
日本玩具博物館ちりめん細工の会会員制作の
煙草入色々・・・・・・今回初めて展示します。


 それから、2月10日から4月8日という会期がちょうど雛祭りの季節に重なるため、京阪神地方で明治時代に飾られていた檜皮葺き御殿飾り雛や京都の古今雛などもちりめん細工の「さげ飾り」などとともに展示します。明治時代の京阪風の雛人形は、関東の方々には目新しい雛の風景になるのかもしれません。
 展示会場へは2月7日あたりに出かけ、たばこと塩の博物館の学芸スタッフと一緒に準備を進めてまいります。多くの皆さまにちりめん細工の世界の面白さを感じていただける展示になるよう努めてまいりますので、どうぞご期待の上、ご来場をご予定下さい。

 一方で、来週からは、館内の特別展『雛の世界』の準備が始まります。館の庭では早くもロウバイが芳しい香を漂わせています。私たちも花々に遅れることなく、展示室の季節を春へと動かさなくてはなりません。



NO29
凧あげ祭りとともに新春スタート!          (2007.1.4 学芸員・尾崎織女)   


▲第32回全国凧あげ祭りの風景
〜福助の大凧(福崎町・志水洋己さん作)〜

 新しい年が明け、日本玩具博物館の一番最初の仕事は、「全国凧あげ祭り」の開催と決まっています。全国から凧づくり名人や凧あげ名人が集い、自慢の郷土凧を新春の大空に披露する行事で、本年、1月7日をもって、第33回目を数えます。前夜祭と当日を通して、参加者、主催者、協力者・・・・・・何百人もの方々の力で盛り上がる祭りで、私たちは「明けましておめでとうございます」の挨拶を一体、どのぐらい言い交わしたかしら?と思うほど、多くの人たちと新春を祝いながら一年がスタートします。

 第13回目からは姫路市との共催が実現し、80種900点近い全国の郷土凧が広い青空に揃い揚がる新春の風物詩として、また、ギャラリーがのべ2万人平均という大きな地域催事として、全国紙一面トップにカラーで紹介される年があるほど有名な行事となりましたが、その中心には、第1回目から変わることのない井上重義館長の、和凧の美への憧憬とそれを育んできた郷土文化に対する敬愛があり、それを信頼し共感して、毎年、ほとんど手弁当で集って下さる全国の凧師たちの長く続く友情があります。 



 この年末、本棚を整理していて、昔、井上館長からもらった『
▲『明石豆本らんぷ叢書・日本の凧』の表紙と袋
限定100部の内NO.75

明石豆本らんぷ叢書第18編・日本の凧』というのを久しぶりに手にとりました。明石豆本は、片手にすっぽり収まるサイズのミニチュア本です。昭和40年代、兵庫県在住の文化人100名が会員となり、各会員が1冊ずつ執筆するという趣旨で「明石豆本らんぷの会」が発足し、100号を目標に刊行を開始したようですが、種々の事情から26号で中断してしまいました。
 昭和28(1953)年、小樽で刊行された「ゑぞまめほん」が発端となって、各地で郷土色を生かした地方豆本が続々と刊行されるようになったと言われています。やがて、各地の豆本を集めて楽しむ人も増え、愛好家の中には自分の豆本を作ることも流行したようです。明石豆本も、そうした戦後の豆本製作ブームの流れを受けたものと思われます。紙は播磨特産の杉原紙、表紙の挿絵はやはり地元の画家、納健氏の手によるものです。


 さて、館長が『日本の凧』を著したのは、博物館をオープンする前、昭和47(1972)年のことです。本書には、凧の歴史について簡単に触れた後、手元に集めた日本各地の郷土凧250点ほどの資料をもとに、東北、関東、中部・北陸、関西、中国、四国、九州の7地域に分けて写真入りで解説がなされ、その形や歴史、製作者のこと、また収集の過程でわかった事実についても書き込まれています。当時、郷土凧をテーマに書かれた文献はほとんどなく、とても画期的だったでしょうし、限定100部の豆本にありながら、昭和40年代の和凧の現状が収まった一冊として、今となっては貴重な文献です。お正月に読み返してみて、あらためてそう感じました。

▲『明石豆本らんぷ叢書・日本の凧』を開いたところ
  「・・・・・・日本の凧は明治の中頃から衰退の一途をたどっているが、今、浜松(静岡県)や白根(新潟県)、鳴門(徳島県)、長崎(長崎県)などの凧揚げの盛んな地方は、ディスカバー・ジャパンの波にのって、多くの観光客が凧揚げや凧合戦に押しかけるようになった。しかし、観光用になったことで、昔の勇壮さがなくなったと、嘆く人が多い。また、現存する各地の凧も、その多くは民画としてのよさが評価され、観賞用として民芸店や物産展に並ぶようになったが、骨がない凧絵のみで売られる場合が多く、揚げるという本来の機能を失った凧は、筆法も昔のような力強さがなく、素朴さが消えていくのは当然のことである。・・・・・・」 
 井上館長は、このように当時の和凧の様子を語っていて、これが、昭和50(1975)年、手元に収集した郷土凧を暗い展示室ではなく、明るい新春の大空に動態展示して、凧本来の姿を多くの人に伝えようという「凧あげ祭り」に結びついていきます。



 たかが33回、されど33回。私がご一緒してきたのは第15回目からにすぎませんが、それでも、人間が集う祭りですから、いろんなことがありました。ひとつの行事、ひとつの仕事を継続させていくのに最も必要なのは、時流をみきわめる目とか経済力とか卓抜した広報力とか、そういうものではなくて、その行事、その仕事の要(かなめ)のハートが冷めず、動ぜず、ぶれないことでしょう。凧あげ祭りの場合、それは、井上館長の冷めず、動ぜず、ぶれないハートであるわけですが、この祭りのさらなる継続を考えると、肝心要を一人が担い続けることの問題点が大きく浮かび上がります。
 いずれにしろ、大きなお祭りが近づき、私たち裏方は準備のことに気をとられています。その一方で、凧と人とのどんな出会いが待っているのか、わくわく楽しみな仕事始めであります。春夏秋冬、めぐる季節はいつも同じはずなのに、その度に季節との出会いは新しく鮮やかです。思えば、祭りを望む心は、やって来る季節を待つ気持ちにも似ています。



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