2010年12月


高さ67p

生命の樹のキャンドルスタンド
(メキシコオアハカ州/ブリキ/1980年代)



 スペインによる征服以前、メキシコに住んでいた先住民の金属細工師は、金、銀、銅の素材で豪華な品々を作っていました。特にオアハカ州に住むミシュテカ人は金の鋳造技術に秀でており、スペイン人が驚くほどその技術は完璧でした。この作品の素材は、ブリキが使われていますが、綺麗な細工が施してあり、古来より続く金属細工技術が活かされています。
 ところで、「生命の樹」は、古代メキシコでは再生と生命と豊饒を象徴する聖なるセイバの木であり、天上界と地下界、すなわち神々の世界と人間界を結ぶ“宇宙樹”でありました。「生命の樹」には、メキシコ本来の宇宙観とスペイン人がもたらしたカトリックの宗教観が同時に表現されているかのようです。
 生命の樹のモチーフは、アダムとイブ、ヘビその他派手な装飾を施したものがほとんどですが、写真の作品は、先住民の太陽信仰を表現した太陽を中心に、星とハート、天使や楽器が選ばれています。先住民文化とスペイン文化の融合した造形であり、カラフルな色彩にメキシコらしいきらめきが感じられます。また、土台をみると、垂直に伸びた手は、上方に向って人差し指を立てています。そんな表現からも、この生命の木は作家による芸術作品ではないかと推測します。クリスマス装飾らしいキャンドルスタンドになっていて、メキシコの精神世界へと、想像の翼を広げてくれる一品です。
 「生命の樹のキャンドルスタンド」は、現在6号館で開催中の『世界クリスマス紀行』でご紹介しています。

2010年11月


セルロイドのサンタクロース(日本/昭和初期)


 現在、6号館で開催中の特別展『世界クリスマス紀行』に、今年は「日本のクリスマス」のコーナーも設けています。その中から初公開のサンタクロースをご紹介します。
 日本のクリスマスの祝会に、サンタクロースに扮する人物が初めて登場したのは、明治7(1874)年のことで、“殿様スタイル”であったと伝えられています。そして、最初にサンタクロースが描かれたのは、明治31(1898)年、日曜学校の子ども向け教材『さんたくろう(三太九郎)』という読本の扉絵。ロバを従え、右手にはクリスマスツリー、左手には杖を持ったドイツ系のサンタクロース「聖ニコラウス」や「ヴァイナッハマン」を彷彿させるスタイルで描かれています。
大正時代に入ると、児童向け雑誌『子供之友』などにも、赤い帽子に赤い服を着て太いベルトを腰に巻いた、現代と変わらないイメージのサンタクロースも盛んに描かれるようになります。トナカイのひくそりに乗ったサンタクロースが日本に定着するのは戦後のこと。国の復興を志す日本人にとって、サンタクロースは、アメリカ合衆国からもたらされる豊かな生活文化の象徴でもありました。
 ご存知のように、サンタクロースは、聖ニコラウスの祭りをベースに、アメリカ合衆国において育まれたイメージです。1822年、神学者クレメント・ムーアが書いた『聖ニコラウスの訪問』や、風刺画家トマス・ナストの挿絵は、アメリカ合衆国のサンタクロース像の醸成に大きく寄与し、20世紀に入ると、たくさんの挿絵画家や絵本作家がそのイメージを膨らませ、継承していきました。
 ドイツ系の「聖ニコラウス」から、アメリカ系の「サンタクロース」へ。写真でご紹介する昭和初期、つまり1930年代のサンタクロースは、長いローブをまとって、妙に真面目な表情と佇まい・・・。サンタクロース過渡期のイメージをよく伝えているように思います。  
 一方、昭和初期の日本は、玩具の製作技術が進歩を背景に、セルロイド玩具の生産額が世界一となり、セルロイドのキューピー人形が爆発的な人気を得ていました。軍事色に染まっていく時代を前に、セルロイドのサンタクロースは、素材の持つやわらかさや色鮮やかさと相俟って、大正ロマン・昭和ハイカラ時代への郷愁を呼び起こすようです。

2010年10月



「鯨の潮吹き」
日本・長崎県/紙/昭和初期
長さ27cm×巾19cm


 毎年10月7〜9日の3日間、長崎の氏神・諏訪神社の秋の祭礼「おくんち」が開催されます。この祭礼は、江戸時代寛永11年(1634)、二人の遊女が諏訪神社神前に謡曲「小舞」を奉納したことが始まりといわれています。当時のキリシタン対策もあって奉行所(幕府)も後押ししたようで、豪華な行事へと発展しました。
 「長崎くんち」は、日本三大祭と称され、奉納踊は国指定重要無形民俗文化財に指定されています。各町から龍踊、コッコデショ(太鼓山)、唐人船・・・など異国情緒豊かな奉納踊りや農耕儀礼に因む曳物が登場し、祭りの歴史を辿ってみると長崎独特の文化が感じられます。
 中でも、万屋町が曳き出す「鯨の潮吹き」は、江戸時代の古式捕鯨の様子を表現し、全長6メートル,重さ2トンもある曳物で、背中からポンプで水を吹き上げる仕掛けです。安永5年(1776)の初奉納以来、祭りの人気を集め続けています。7年に1度の奉納のため、次回は平成25年に予定されています。
 写真は、その「鯨の潮吹き」の曳物を玩具にしたもので、「鯨のだんじり」とも呼ばれています。全長27cmもある大型の張り子製で、戦前に製作された貴重品です。木製の台には四つ車が付き、押し進めると、鯨の左右のひれが揺れ動く仕掛けです。明治44年(1911)刊の玩具画集『うなゐの友』には、古くから祭礼玩具として子どもたちに遊ばれてきたことが記され、また、昭和32年(1957)の年賀切手の図案にもなりましたが、既に廃絶しました。当館は、他にも大正から昭和初期製の「鯨の潮吹き」を多数所蔵しています。その時代の資料が多く残されているのは、蒐集家にも人気があったからでしょうか。
 現在開催中の1号館「玩具にみる日本の祭」展でご覧いただけます。

2010年9月



オリナラのヘリコプター
メキシコ/瓢箪・木製(漆塗)

高さ21cm×長さ32cm


 メキシコの民芸は、古代インディオの民族的な伝統とスペイン文化の融合で生まれてきました。ゲレロ州オリナラはスペイン人到来前の豊かな伝統の残る漆塗りの産地で、その最盛期は18世紀から19世紀にかけてと言われています。
 オリナラ古来の技法は、彫りこみと刷毛塗りの二つで、リナロエと呼ばれる香木を用い、下地を作り、地塗りをします。その上に油で練った粘土を手で塗っていきます。色粉や石粉かけ、磨石でこすり、幾重にも層の厚みができます。伝統的な模様は、花や鳥や動物です。現地では、スペイン植民地時代、塗り物はマケと呼ばれ、18世紀後半から“ラッカー”という名で親しまれるようになりました。
 かぼちゃや瓢箪を食料とし、また乾燥し加工して容器や用具を作ったのは南米ではメキシコが最も古いと言われています。そのかぼちゃや瓢箪の実殻を、自然のままの形で使用したり、彩色したりして、ユニークな造形が見られます。
 写真は胴体部分を表現した瓢箪にラッカーで彩色し、上部に伝統的な花を描いています。ヘリコプターらしく搭乗している人の顔も見えます。古いものと新しいものが混ざり合い、プリミティブなインディオの世界をも彷彿とするところに、この作品のおもしろさがあるように感じます。
 現在、6号館「乗りもの玩具博覧会2〜陸と空の乗りもの〜」展の「空を進む翼」コーナーに展示中です。


2010年8月



積み木トラック
イタリア/木製/1980年代



 当館が常設展や企画・特別展の中で紹介している玩具の中には、既に廃絶し、今では入手不可能なものがたくさんあります。イタリア・セヴィ社の木製玩具もその一つです。
 セヴィ社が、ジョセフ・アントン・セノネール(Josef Anton Senoner)によってドロミテ渓谷の小さな村オルテッセに設立されたのは、1831年のこと。豊かな森林と農民たちの木彫技術を背景にして、セヴィ社は、170年間、温かみのある木製玩具作りにこだわり続けてきましたが、1999年経済的な諸事情により同地での製作を中止してしまいました。当館は、1979年頃よりセヴィ社の玩具収集を始め、現在、500点に及ぶセビィ・コレクションを有しています。1988年には、当時の社長ご夫妻の訪問を受けたこともありました。
 写真は、表情のかわいらしいメルヘンチックな人形がカラフルな積み木を載せたトラックを運転しているデザインです。小さな子どもがひもを引っぱって遊ぶこともでき、大きくなれば、積み木で自分の世界を創造し、箱に戻す時はパズル遊びもできる、発達に応じて長期間遊べる玩具です。交通システムへの子どもの関心を満たし、遊び心を忘れないイタリア人らしい気質が表現されているようです。
 現在、「積み木トラック」は、6号館で開催中の「乗りもの玩具博覧会U〜陸と空の乗りもの〜」展の「工事現場の車」コーナーで紹介しています。

2010年7月


  やんばるぶに
   山原船グヮー
日本・沖縄県/木・布/1930年代



 山原(やんばる)船は、江戸時代から昭和戦前まで沖縄で荷物輸送に活躍した二本マストの小型帆船です。山原とは沖縄北部のことをいい、豊かな原生林が生い茂るこの地方の港から那覇に薪などを運び、帰路は焼酎、米、反物などの生活用品が積み込まれました。大正時代になると自動車の出現で陸路が整備され、海上輸送から陸上輸送と輸送の主役が代わるとヤンバル船も昭和30年代にその姿を消しました。中国の影響を受けて、「ジャンク船」と大変似通った形をしています。
 この山原船の玩具は、山原船が活躍していた昭和初期に、神戸在住の医師であり玩具研究家であった故・尾崎清次氏が蒐集されたものです。当時の作品は残るものが少なく貴重な作品です。高さ36p。
 現在開催中の「世界乗りもの博覧会1〜海の乗り物〜」で展示しています。

2010年6月


木彫彩色の馬/ スウェーデン/木


 6月21日は夏至です。日本では梅雨の季節ですが、スカンジナビア地方では太陽の恵みに感謝する季節の到来です。多 くのキリスト教国では、サンクトハンス・アフテン(聖ヨハネの夜)とも言われる、クリスマスの次に盛大に祝われる夏至祭があります。スウェーデンの夏至祭は、白樺の葉や花輪を飾った十字架のメイポール(柱)が立てられ、民族衣装をまとった人々がその柱を中心に、踊りながら回る儀式が大切にされています。

 さて、今月はそのスウェーデンに伝承される民芸玩具の中から木彫彩色の馬「ダーラナ・ホース」を紹介します。
 ダーラナ・ホースが作られているダーラナ地方は、スウェーデン人の心の故郷ともいわれ、伝統的な夏至祭が多く残されています。今から約400年前、冬の夜に木こりが子どもたちのために作ったおもちゃが始まりだといわれています。馬は、農業の運搬に欠かせない従順な動物で、身近でかけがえのない存在だったためにモチーフとされたのでしょう。実際、ダーラナ・ホースは「幸せを運んでくる馬」と言われ、愛され続けています。19世紀にな ると、銅鉱山でとれる塗料で赤く色づけされるようになり、装飾的な模様はクルビッツ塗りです。松の木の伐採から完成まで1ヶ月以上かけて職人が手づく りするダーラナ・ホースは、1939年のニューヨークで開催された国際見本市で紹介され、世界的に知られるようになりました。
 今でもこの素朴な木彫の馬が世界中の人々に愛されるのは、森や湖とともに暮らしてきた素朴な感性が、現代を生きる私たちに大切なものを感じさせてくれる からでしょう。
 写真の木彫彩色の馬は、常設展示4号館「海外のおもちゃ・北欧」で展示しています。高さ10pです。

2010年5月



大浜土人形・義元と信長(愛知県碧南市)


 三河地方は三州瓦の産地として知られていますが、瓦や土器などに適した良質の胎土にも恵まれたこともあり、全国的にも特筆すべき土人形の産地として有名です。さらにこの地方が歌舞伎など芸能の盛んな土地柄であることを反映して、歌舞伎の主人公を題材にした優れた土人形の数々が作られました。中でも有名なのが大浜土人形です。明治25・6年ごろから作られてきたもので、高さ30p以上もある武者の大型組み物の数々が作られて高い評価を得ています。写真は永禄3年(1560)の有名な桶狭間の戦いでの今川義元と織田信長の迫力ある名場面を組み物にした作品です。現在開催中の『ふるさとの武者人形』で紹介しています。

2010年4月



犬山土人形・内裏雛(愛知県犬山市/江戸末期)


 江戸時代、高価な衣装雛は一般庶民には手が届かず、京都伏見で土人形が作られ始めると、全国各地で伏見人形をもとに地域色豊かな土雛が作られました。
 古くから交通や物流、政治の要所として栄えてきた愛知県犬山市は江戸時代には城下町として発展し、三州瓦の生産地が周辺にあったことから、多くの土人形の原型が生み出されたとも言われています。この周辺では、土人形のことを「おぼこ」と呼び、農村歌舞伎の影響により歌舞伎ものも多くみられます。
 大正の末頃に廃絶した犬山土人形は、幻の土人形と言われましたが、昭和に入り、郷土玩具研究者によって調査され、特徴などが知られるようになりました。土人形を作るための良質な粘土が犬山周辺には豊富にあったので、白色で肉質が薄く、軽く焼き上げられています。また、型は平面的で、朱や緑青を中心とした淡い色彩により独特の雰囲気を醸し出しています。
 この写真の内裏雛は三河系土人形とは異なる型で焼かれ、高さ13.5pです。古今雛を模したもので、ニスが塗られていないことからも江戸時代末期の作品だと推測されます。この土人形は、現在開催中の『ふるさとの雛人形』の中でご紹介しています。

2010年3月


古賀土人形・内裏雛(長崎県長崎市/昭和40年代)


 鎖国時代、唯一の開港地であった長崎に伝わる古賀人形のお雛さまです。古賀人形は外来文化の影響を受けて、西洋婦人や阿茶さん(中国人)など外国人を模した人形が知られていますが、節句に飾る雛人形や武者人形なども作られてきました。
 この女雛は、両袖を前に重ねた江戸型の古今雛を模したものと思われますが、博多人形、弓野人形など共通する形態です。ただ、濃い萌黄、鼠、緋、黒、黄色の独特の色調が古賀人形らしい独特の雰囲気をかもし出しています。 昭和40年頃の作品で、現在開催中の当館1号館「ふるさとの雛人形」で展示しています。 写真の人形は、高さ21pです。


2010年2月

狆ひき官女
(大正時代/大木平蔵製) 




 明治時代後半から昭和時代初めの雛飾りの中には、狆(ちん)という名の小さな犬を連れた官女姿の人形がよく見られます。「狆ひき官女」は、「三人官女」とは異なり、五段、七段、十三段…と賑やかに広げられた段飾り雛一式に置かれる添え人形。嫁入り前に購入して、雛飾りと一緒に婚家へ持参されたりもしました。
 狆は、江戸時代、五代将軍・徳川綱吉の時代(1680〜1709)、江戸城内で「お座敷犬」として飼育されはじめ、上流階級だけでなく、遊郭などでも愛玩された小型犬です。明治時代になっても、家の中で飼う犬といえば狆が代表種であり、非常に身近な存在であったため、人形・玩具の世界で犬を表現するものといえば、耳の立った大和犬と並んで、狆が多くの題材に取り上げられてきました。
 おっとりとして愛らしいこの官女は、花々の縫い取りが美しい振袖をまとった未婚の女性ですが、口元をのぞくと、鉄漿(お歯黒)をほどこしていますから、どうやら、結婚相手が決まっているようです。婚家へ持参する雛飾り一式に、この添え人形が好まれたのは、嫁いだ娘がめでたく赤ちゃんを授かり、無事、安産を果たせますように…という親たちの願いが込められたのでしょう。添え飾りとはいえ、犬を安産の守りと考える日本古来の信仰や、雛人形(雛飾り)は女性の幸せな一生を見守ってくれるものという人々の熱い思いが伝わる興味深い人形です。
 この人形は、現在開催中の『雛まつり〜江戸から昭和のお雛さま〜』の中でご紹介しています。製作者は、京都を代表する雛人形師(着付師=プロデューサー)のひとり、大木平蔵で、大正時代のもの。
 京阪神に住まわれていた明治32年生まれの女性が、嫁入りの折に持参したものと伝わっています。

2010年1月



首振りの虎
(島根県出雲市/張り子/昭和30年代) 


 縁結びで有名な出雲大社の門前町の一角で作られてきた首振りの虎。出雲地方では子供が災厄からのがれ、健やかに成長することを願って、節句の祝い物に張り子の虎を贈る風習がありました。厳めしい表情と勢いよく立った尾に力強く踏ん張った四脚、その勇壮で風格のある姿は、全国の虎玩具の中でも屈指のものとされています。
 この虎は明治26年のシカゴ万国博覧会や同33年のパリ万国博覧会で入賞した松江出身の彫刻家荒川亀斎(1827〜1906)が作った原型を元に、明治初期から首振りの虎として作られたと伝わり、昭和37年の寅年に年賀切手のデザインに採用されたことから脚光を浴びました。残念なのは昨年、作者の6代目の高橋孝市さんと7代目の壮四郎さんの両名が相次いで他界されたことです。そして、その継承が大きな課題になっています。
 この作品は現在開催中の「日本一の虎玩具展」で展示中です。

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