2011年12月
レタブロ<祭壇の中のキリスト降誕の物語>(ペルー)


 ペルーのクリスマスには、レタブロと呼ばれる扉つきの箱型祭壇が飾られます。両側に扉を開けると、中には、たくさんの人形がぎっしりと詰まっていて、あっと息を呑みます。写真にご紹介するレタブロは、高さが75㎝ある大型で、馬小屋の飼葉桶の中に誕生したイエス、見守るマリアとヨゼフ、三人の博士、羊飼いを祭壇中央に、周りを嬉しげな音楽隊や料理人、帽子屋、花屋、民芸品屋、壺屋などが取り囲むものです。登場人物はざっと200人! 壮観です。
 スペインがインカ帝国へ入植した折、宣教師たちが住民にキリスト教を布教する道具として箱型祭壇を使ったのがクリスマス・レタブロの始まりとされています。時代が下ると、キリスト教に大地母神や山神などへの土着信仰が加わり、アンデス独自のレタブロがアヤクチョの町を中心に作られるようになりました。
 かつて人形類には、ゆでたジャガイモの生地が利用されましたが、最近では粘土を手捻りで細工して彩色されます。祭壇の外側の植物文様は自然の力を象徴し、正面上部の三角形は、家畜の守護神が宿る“聖なる山”を表現するといわれています。
 日本玩具博物館は、2005年に中南米の民芸を専門に扱っておられた業者の方々のご協力によって、この大型レタブロを3基入手しました。3基それぞれに趣が異なるため、年を追い、1基ずつ順番に出してご紹介しています。今冬は、写真の作品を当館に展示している他、小倉城庭園博物館へも1基、出張展示中です。

2011年11月

クルミ割り人形(ドイツ)

  


 クルミ割り人形は、実用性にとんだ道具で、二百年以上前から作られています。燕尾服の後ろの裾を持ち上げると、大きな口を開け、口にクルミを入れて再び燕尾服の裾を下すと、カチッと音を立てて固い殻が割れる仕掛けです。
 この実用的な木製人形をクリスマスに結びつけたのは、ドイツの作家E・T・Aホフマンの童話『クルミ割り人形とねずみの王』です。1892年、ロシアの作曲家チャイコフスキーは、この物語をモチーフに三幕三場のバレエ音楽「クルミ割り人形」を書き、以降、クリスマスに上演される舞台として世界中で愛されるようになりました。
 あらすじを紹介すると――――クリスマス・イブのパーティーで、小父さまからクルミ割り人形を贈られたクララは、ベッドに入った後もなぜか人形のことが気になり、様子を見に行きます。果たして時計が零時を打った途端、ねずみの大群が現れ、「錫の兵隊」との戦争が始まりました。クルミ割り人形は、ねずみの王と一騎打ち。クララは、人形に加勢しようと、ねずみの王をめがけてスリッパを投げつけます。クララのおかげで人形たちが勝利すると、クルミ割り人形は、お礼がしたいと、クララをお菓子の国へ案内しました…………。どこか哀愁を帯びたクルミ割り人形には、人々の心に霊感を与え、クリスマスの幻想を掻きたてる魔力が潜んでいるのでしょうか。
 クリスマスを待つ季節、クルミは栄養価の高い食べ物として、古くから大事に扱われてきました。クリスマスは、一年の収穫に感謝する儀礼をともなうものであることを考えると、クルミ割り人形がクリスマス・プレゼントに選ばれる理由に気付かされます。
 クルミ割り人形は、現在開催中の6号館の特別展『世界のクリスマス飾り』でご紹介しています。

2011年10月



三春張り子・鞨鼓(かっこ)(福島県郡山市)


 張り子人形は全国各地で作られていますが、歴史と格調高い作風からその代表格がこの三春張り子です。
 この張り子は三春藩主が江戸から人形師を招き農民に技法を学ばせたのが起こりと伝わり、今から200年ほど前の文化文政頃が最盛期でした。盛衰はありましたが今も4~5軒が人形のほかに、虎、だるま、獅子頭、面など各種の人形や玩具を作っています。
 人形は歌舞伎や浮世絵から題材をとった躍動感あるものが多く、写真の鞨鼓もそのひとつです。手に持つ鞨鼓は演奏の速度を決めたり終わりの合図をする打楽器です。
 作者が住むでこ屋敷は郡山市にありますが、原発事故の影響で訪問客も激減、売り上げも大幅に減少したと聞きます。最近になって全国からの注文が増え、やっと明るさが見えてきたそうです。
 この鞨鼓は1号館の企画展「ふるさとの玩具・古今東西」で展示中です。


2011年9月



ラフィア細工のワオキツネザル(マダガスカル/2000年代)


 今月は現在開催中の世界の動物造形展・アフリカコーナーよりラフィア細工のワオキツネザル(マダガスカル)をご紹介します。
 大昔に大陸から離れたマダガスカル島にはアイアイやカメレオンなどの固有種も多く残されています。ワオキツネザルもその一種で、顔が白く、目の周りと鼻が黒、白と黒の縞模様の長い尻尾が特徴の霊長目キツネザル科に属する動物です。
 ラフィアとはマダガスカル原産の植物であるラフィア椰子の葉を加工し、取り出した繊維のことをいいます。アフリカ大陸の南東・インド洋に浮かぶマダガスカル島は、農業を主産業とし、繊維産業の輸出が多く、水に強いこの繊維を使用した籠やバッグ、帽子などが作られています。
 ラフィア細工のワオキツネザルはその土地原産の素材で作られた固有種の動物造形であり、地域色のよくでた1点です。

2011年8月



中秋の兎子王
中国・山東省/土・針金/1980年代


 中国山東省高密の泥人形は400年余りの歴史を持っており、土俗信仰を背景にして縁起物が作られています。その中から、造形に神話伝説を取り入れ、子どもの玩具としての機能も兼ね備えた兎の民芸品を紹介します。
 旧暦8月15日は中秋節です。中秋の夜は満月を拝み、中国では月餅(げっぺい)や果物を食べ、一家団欒や豊作を祝います。
 中国の中秋節といえば、月にまつわる「嫦娥奔月(じょうがほんげつ)」伝説があります。羿(ゲイ)の妻・嫦娥が、羿が西王母からもらった不老不死の仙薬を飲み、月の宮殿へ舞い上がってしまう一説や嫦娥が天に昇るとき、兎を抱いて月へ行き、兎は神薬山から摘んできた薬草を絶えず杵で搗いているといわれる「玉兎搗薬(ぎょくとどうやく)」伝説もあります。
 写真は、「玉兎搗薬」伝説を表現したものです。「黄虎にのる兎」は山東省済南市で中秋の市に販売され、底に出ている紐を引くと、兎が薬を搗く仕草をする玩具です。
 この玩具は、現在開催中の「世界の動物造形」展の「アジアの動物」コーナーで紹介しています。


2011年7月

七夕人形(長野県松本市/明治時代初期)

「着物かけ型七夕人形」 馬場家住宅の七夕飾り(2005年8月)


 短冊を吊るした笹飾り、瓜や胡瓜、茄子などハツモノの野菜。これらを天の川でめぐり逢う牽牛・織女に捧げる七夕まつりは、千年をこえる歴史をもっています。もともと機織の上達を天の二星に願う儀礼として中国から伝来した七夕は、日本文化に溶け込むにつれ、織物や縫物だけでなく、和歌や管弦、書や立花などの上達を祈る一夜の行事へと発展を遂げます。さらに江戸時代後半に入り、農村部へと七夕が普及すると、初秋の豊作祈願や盆の祖霊祭などとも結びついて地域ごとにユニークな行事を形づくり、豊かなバリエーションを見せはじめます。
 地方が伝える七夕飾りの中で、全国的に知られているのが、長野県松本市の「七夕人形」です。七夕人形には、紙雛型、流し雛型、着物かけ型、カータリ(川渡り)と呼ばれる人形など、様々な様式がみられますが、写真のものは「着物かけ型」の七夕人形で、松本市内ご出身の女性から寄贈いただいた資料。板製の頭には牽牛と織女の顔が描かれ、それぞれに広げた両腕が着物をかけるハンガーになっています。寄贈者によれば、江戸時代から続く町家の蔵に保管されていたもので、明治初期頃のものと推定されます。
 子どもが初節句を迎える家には、親類や縁者からこのような七夕人形が贈られます。「着物かけ型」の七夕人形には、初宮参りの祝い着や晴れ着、浴衣などを着せかけ、他の形式の七夕人形と一緒に、中庭に面した軒下に吊るし飾られます。着物の虫干しを兼ねたものとも、また、子どもが着るものに不自由しないためともいわれます。
 写真の七夕人形は、現在開催中の企画展『七夕と夏まつり』の中でご紹介しています。


 
2011年6月

清水の芥子人形
昭和初期



 芥子とは極小の意味で、芥子人形とは小さな人形のことを言いますが、左の出前持ちも右の金魚売も人形の高さはわずか3cm。小さいが精巧なつくりです。まもなく会期が終了する「世界のミニチュア玩具」展には明治末期から昭和初期にかけて作られたと推測されるこのような日本製の小さな人形が40体余りも展示され、来館者の関心を集めています。
 しかし、残念ながら誰がいつ作ったのかは不明です。ただ芥子人形は江戸時代に流行し人気があり、京都を中心に作られたと文献にも記録されています。
 戦前までは清水寺の参道周辺で種々の豆人形が作られ、土産物屋で売られましたので、この人形たちもそのひとつと考えられないでしょうか。風俗ものが多く、魚屋や飛脚、竹馬乗りなどがあります。

2011年5月

江戸末期の太鼓櫃の甲冑飾り

正面から 側面から

 男児の健やかな成長を願って、端午の節句には幟や武者人形などと共に甲冑が飾られます。その端午の節句飾りにも時代による変遷があり、江戸初期には幟や飾り兜や武者人形などが屋外に飾られました。それが江戸後期に屋内の座敷で飾られるようになると、工芸技術を生かした豪華な甲冑飾りが作られるようになって今に至ります。しかし、甲冑飾りにも変遷があって、大正頃までは現在のような長方形の鎧櫃でなく、江戸製も京都製も同じく三味線形の胴をした素朴な太鼓櫃が主流でした。ただ甲冑は江戸製が本物を真似た渋好みが多いのに対して、京阪製の甲冑は袖や草摺りに赤い絹糸を使った派手な豪華なものが多かったのです。写真は現在では見かけることが少ない江戸末期の太鼓櫃の甲冑飾りで江戸製(左)と大阪製の (右)です。現在開催中の特別展「端午の節句飾り」で展示しています。高さ74センチ。

2011年4月

イースターラビット(ドイツ・エルツゲビルゲ地方)


 イースター(復活祭)は、イエス・キリストの復活を祝う行事で、春分の日を過ぎ、最初に満月を迎えた後の日曜日がイースター当日にあたります。本年は4月24日がイースター・サンデーです。
 キリスト教世界では、クリスマスより重要な意味をもつ祝祭ですが、日本ではあまり紹介されることがありません。ヨーロッパのイースターには、美しく彩色されたパン、それらを飾った木などが街に登場し、人々は、キリストの復活と大自然の春の目覚めを喜び合います。蠟(ロウ)で染め抜いたり、絵の具で模様を描いた卵(イースター・エッグ)を庭に隠し、子どもたちが互いに探し合ったり、みつけた卵でイースター・サンデーの食卓を囲んだりする楽しい習俗も各地に残されています。
 写真は、ドイツ・エルツゲビルゲ地方で作られる木製玩具で、高さ3cmほどの小さな小さなウサギです。花の根元にいるウサギは、彩色されたイースター・エッグが置かれています。ヨーロッパには古くから、「ウサギがイースター・エッグを運んでくる」という伝承があり、ウサギとイースターとのつながりの深さを示しています。古代ゲルマン人にとって、ウサギは新しい種をもたらす豊穣のシンボルと考えられ、また、他者のために自分を犠牲にする動物と信じられていたため、キリスト教の心に通じるものだったのでしょう。
 巡りきた春に、草花が芽吹き、新しい生命が生まれていく喜びを象徴するのがイースター・エッグなら、ウサギたちは、生命の源をもって大地を駆け回る「喜びのメッセンジャー」でしょうか。
 エルツゲビルゲ地方は、ヨーロッパ有数の木製玩具の産地として知られますが、ミニチュア玩具も数多く作られています。写真の愛らしいウサギは、“おもちゃ村・ザイフェン”の工房で誕生したもの。現在、1号館で開催中の企画展『世界のミニチュア玩具』でご紹介しています。

 
2011年3月

五人囃子(江戸時代後期)

 
 今、雛飾りといえば、五段、あるいは七段の雛壇をつくり、最上段に屏風を立てて内裏雛をすえ、二段目には三人官女、三段目に五人囃子、四段目に随身(左大臣・右大臣)、五段目に仕丁(三上戸)…と並べた様子を思い描きます。けれども、このような様式が定まり、全国各地に普及していくのは、明治時代終わり頃のことです。
 江戸時代の絵画を見れば、屏風を立てて幾組もの内裏雛と諸道具を並べ飾るものや、数段を組んで内裏雛と添え人形、それにお供え物の菱餅や草餅、諸道具類を並べ置くものなど、本当にさまざまです。

 江戸では、京製雛人形の移入が禁止された宝暦9(1759)年以降、原舟月をはじめ、江戸町独自の名工が現れて、江戸好みの雛人形が作られるようになりました。天保2(1831)年刊行の『宝暦現来集』(山田桂翁著)によると、「五人囃子」もまた、天明年間(1781~88)に江戸町で考案されたものだといいます。
 五人囃子は、謡、笛、小鼓、大鼓、太鼓をそれぞれが担当し、全体に能楽を演奏する童子姿の人形です。もし、こうした楽隊の人形が京都で考案されていたとしたら、それは雅楽を演奏する童子、あるいは官女の人形であったでしょう。能楽は武家の式楽(幕府が儀礼に用いる音楽)であり、将軍家のお膝元である江戸町で、当時、非常に人気がありました。愛らしい童子姿の五人囃子は、江戸の人々の大歓迎を受け、内裏雛のもと、添え飾りとして雛壇を彩り始めました。 
 実際に、天保年間(1830~43)頃に描かれた香蝶楼国貞(歌川国貞)の江戸の浮世絵『風流古今十二月ノ内 弥生』においても、内裏雛の下の段には五人囃子がずらりと飾られています。けれど、ここには、三人官女や随身、仕丁の姿は見えません。なぜなら、これらは京都生まれの添え人形だからです。私たちが見慣れた十五人揃いの雛飾りは、つまり、京都と江戸の雛人形たちが合体して構成されたもの、といえるでしょうか。

 写真にご紹介する五人囃子は、江戸時代末期、江戸町で製作された作品です。きりりとした童子たちの表情を細見すると、笛の童子は上唇ととがらせて息を吹き込み、太鼓の童子は、口をつぼめて撥を打たんとする瞬間であることがわかります。渋い色あいの衣装には、金糸によって愛らしい蒲公英(たんぽぽ)の縫い取りも施され、隅々に工人の技が光る佳品です。この作品は、6号館で開催中の特別展『雛まつり~お雛さまと雛道具~』において、江戸後期の古今雛の下段に展示しています。

2011年2月

古今雛~江戸風と京阪風~(江戸時代後期)

 


 雛人形には、発展していく歴史の中にいくつかの特徴的な様式があり、「寛永雛」「元禄雛」「享保雛」…と元号を冠して呼び習わされています。また、公家の雛、武家の雛、町家の雛など、階級によってもその様式は異なっていました。

 「古今雛」は、元号をその名に冠しない町家の雛の一様式です。江戸時代後期の明和年間(1764~72)、江戸上野池端の人形問屋が、日本橋十軒店の人形師、原舟月に作らせたのが始まりとされています。雛人形の顔は面長、硝子玉や水晶玉をはめ込んだ「玉眼」の手法によって、リアリティのある表情が作られました。衣装は、江戸好みの粋な色彩が選ばれ、金糸や色糸で縫取(刺繍)がほどこされた女雛の袖には、それまでにはない華やかさが感じられます。“まるで夢のようなお雛さま”――「古今雛」は、江戸町の人々の大歓迎を受けました。
 そうして、江戸で古今雛が人気を博するようになると、京都でも同じ様式の雛人形が作られ始め、この「古今雛」が、現在、私たちの家々で飾られている雛人形の源流となっていくのです。

 さて、江戸時代や明治時代の「古今雛」には、地域によって顔立ちや衣装の着せ方に違いが見られます。特に江戸文化を受け継ぐ「江戸風」の雛人形と上方文化を受け継ぐ「京阪風」の雛人形との違いは際立っていました。引き目鉤鼻で静かな印象の「京阪風」に対して、「江戸風」は、目も口も大きく開いて華やかな表情をもっています。江戸風の男雛は、動的に袖を張り、女雛は袂を低く膝元におさめて、袖の中に手を隠した姿で作られます。対して、京阪風の女雛は、袖から両手をのぞかせ、檜扇(ひおうぎ)を広げた姿で座しています。
 江戸風(向って左)と京阪風(向って右)、両方の女雛の画像を並べてみました。読者の皆さまは、どちらのお雛さまがお好きですか? 
 6号館の特別展『雛まつり~お雛さまと雛道具~』では、地域による違いにも着目して展示していますので、それぞれの風情の違いをお楽しみいただきたいと思います。


2011年1月



カチカチ山の舟
大阪府大阪市/紙・竹/昭和初期



 大阪張子は400年もの古い伝統をもち、西日本各地に伝わる張子玩具の元祖です。
張子技術は中国から伝わり、貴族文化が栄えた京都で発達しましたが、貴族生活に利用されていた和紙が子どもの玩具に登場するようになったのは、戦国末期か桃山時代の頃だといわれています。その後、日本の経済の中心が京都から大阪へと移り、最大の商都として繁栄した大阪が、町人文化で知られるとともに、張子玩具も人気の一つとなります。土人形が重くて破損しやすいのに対して、張子は軽くて丈夫で子ども達に安全でした。
 明治維新後は、急速な近代化により、玩具の世界にも鉛やアンチモニー、ブリキ、セルロイド、ゴムなどの新素材が登場するようになります。張子より丈夫で安価な新興玩具に押され、張子玩具は影を落とすようになります。
 写真の玩具が製作された時代、大正期から昭和終戦前までは大阪張子は個性的な作品が作られています。兎が乗っている舟には四輪がつき櫂を持っていますが、張子特有の柔らかさが生かされ、小ぶりでかわいらしいです。モチーフはお伽話「かちかち山」です。仲良くしていた老夫婦を酷いめにあわした狸を兎が成敗し、泥舟に乗った狸は溺れ死に、木の舟に乗った兎は助かるというお話です。昔から兎は知恵を働かせる動物として描かれてきましたが、死と再生を司る動物であると考える人もいます。
 残念ながら、その後、大阪張子は衰退していき、廃絶の道をたどります。この張子玩具も既に廃絶した作品です。高さ10㎝。
 写真の「カチカチ山の舟」は、1号館で開催中の『干支のうさぎと羽子板』展でご紹介しています。

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