2012年12月


エジプトの降誕人形


 エジプトはイスラムの国として知られていますが、人口の約1割を占めるのがコプト教と呼ばれる東方教会系のキリスト教徒です。コプト教のクリスマスは1月7日ですが、12月25日と1月1日も一緒になって新年の行事として祝われるそうです。
 12月のクリスマスの季節になると、カイロの市場にはクリスマスツリーやオーナメントを売る店が軒を連ねる場所が出来ます。日本と同様に宗教を超えた行事としてクリスマスが祝われるようになり、コプト教以外の人もツリーを飾りプレゼントを交換する人が増えていると聞きます。
 この降誕人形は10年前に当館のスタッフが、カイロ市内の市場でさまざまな土人形と共に売られていたのを買い求めたものです。

2012年11月

ぶんぶん独楽(世界各地)

上から、二つはモンゴル(羊の骨製)、
     ブラジル(亀の甲羅製)、
     グリーンランド(セイウチの骨製)
上から、二つはブラジル(木の実製)、
     ネパール(竹製)


 ぶんぶん独楽は、円形や楕円形の板片などに穴を開けて紐を通し、紐の両側を持って、回しながら音を出す簡単素朴な玩具です。子ども時代、ボタンの穴に紐を通してブーン、ブーンと回し遊び、その音の面白さと紐がゴムのような弾力をもってくる不思議さに夢中になった…という方も少なくないことでしょう。
 日本では、古くは「松風独楽」の名で親しまれていました。松風とは、松林を風が通りつけるときの音をいい、寂しい海岸沿いの風景を連想させるもの、茶の湯においては、釜の湯がたぎる音を松風と表現したりもするそうです。遊び道具として愛されるぶんぶん独楽の音色を風流な音に結びつけたのは、江戸庶民の粋なセンスというべきでしょか。
 では、「ぶんぶん独楽は日本にしか存在しない玩具か?」と問えば、それはとんでもない思いあがりです。ぶんぶん独楽は、非常に長い歴史をもった発音具で、古代ギリシャの時代から存在しました。そして、世界を見渡すとき、このぶんぶん独楽にはたくさんの兄弟姉妹があることにも驚かされます。
北アメリカのイヌイットやグリーンランドの人々においては、セイウチの牙やアザラシの骨などから、ぶんぶん独楽(ブザー)を作り、また、ブラジル・マッットグロッソ州に住むクイクロ族は、ヒョウタンの実殻などを円形に切り取ってこれを作りました。怖い獣を遠ざけたり、悪魔を追い払ったりする道具と考える民族があれば、また、病気の治療に使用する秘具と考える地域もあったようです。雑音性に満ちたこの不思議な音には、目に見えない邪気や悪霊の類を退散させる霊力があると考えたのでしょう。
 ぶんぶん独楽は、いつ、どこの国で誕生したのでしょうか? あるいは同時多発的に世界各地で作られ始めたものなのでしょうか? また、まじないの道具であったぶんぶん独楽が、どのような過程で玩具の世界へと受け継がれたのでしょうか? 
 単純でありながら、秘密めいた音を立てるぶんぶん独楽―――、日本玩具博物館が興味をもって追いかけている玩具のひとつです。

2012年10月



左:ダマル型でんでん太鼓
ネパール/土・皮/1980年代
右:ダマル
ネパール/木・皮/1980年代


 赤ん坊をあやす玩具として広く親しまれている「でんでん太鼓(振り鼓)」は、柄が付いた太鼓の両側に糸で玉や小鈴を結び吊るし、それが太鼓の面に当たり鳴ります。
 写真は、ネパールのもので、チベットの宗教儀礼に登場する「ダマル」に似せた玩具です。これが「でんでん太鼓」のルーツであると考えられています。
 チベット大乗仏教の典礼音楽に用いる「ダマル」は、頭蓋骨を二個結合しています。二つの頭蓋骨は、ある種のシンボリズムの表現であるとされ、二つの椀を合せた形は、この概念の影響を受けたと考えられます。
 奈良時代に中国を経由して日本に伝えられた「振鼓」は、儀礼の中で使用され、それがやがて民間の「でんでん太鼓」に発展していきます。「でんでん太鼓」は、室町時代を経て、江戸時代には庶民層へも広がりました。日本の郷土玩具の「でんでん太鼓」のほとんどが、紙と竹、大豆によって作られています。
 「でんでん太鼓」は、アジアのほか、中南米・アフリカにまで分布しています。材質は、ココナツ実殻、瓢箪実殻、子安貝、動物の皮、竹皮など様々で、音質も国によって違いがみられます。
 現在1号館で開催中の企画展『世界の太鼓と打楽器・形と音色』に展示中です。

2012年9月


ひょうたん細工の鳥(ペルー/1980年代)


 10月16日まで開催中の世界の鳥のおもちゃ展では、木・紙・土・布などさまざまな素材で作られた鳥を展示しています。そのような中で珍しいのがひょうたんで作られた鳥です。ひょうたん細工は南米のペルーの特産品として昔から知られてきました。
 ひょうたんはアフリカが原産地とされますが南米のペルーでも約6000年も前から栽培されてきたといわれます。ひょうたんの殻は容器として利用するだけでなく、同国では約35000年も前の遺跡からもひょうたんに彫刻で模様を入れたものが発見され、同国のひょうたん細工は古い歴史を持った工芸品として親しまれてきました。
 現在もペルー土産として人気があり、中央アンデスのマンタロ渓谷やワンタで作られたものが有名で同国各地で売られています。製法は表面を火で黒く焦がし、それに彫刻刀で模様を入れます。
 ひょうたんの形は大小さまざまですが、その大きさや形を巧みに生かして、人形や動物、それに楽しい鳥の数々が作られてきました。

2012年8月

明治末期 昭和初期 昭和40年代

神戸人形の西瓜喰い


 現在、当館1号館では企画展「幻の神戸人形」を開催中ですが、創始者とされる野口百鬼堂をはじめ歴代の作者が作ってきたのが西瓜を食べる動作をする人形です。両手で持った西瓜を大きく開けた口に運ぶ動作をするもの、左手に包丁を持って西瓜を切り、右手には西瓜を持って口に運ぶ動作を交互にするもの、さらには台の上に2体の人形が載って、右の人形はスイカを切り、左の人形は両手で持ったスイカを食べる動作をするものなどです。2代目の出崎房松、3代目の小田太四郎、それに4代目の数岡雅敦も西瓜喰いの神戸人形を作っています。
 もともと西瓜はアフリカが原産地で日本には室町時代以降に中国から伝わり、西瓜という漢字も中国語に由来します。なぜ神戸人形に西瓜喰いが連綿として作られてきたのか。大きな口を開けて大きな西瓜を食べる、その動作の面白さが時代を超えて人気があったからではないでしょうか。
 これらの「西瓜喰い」は、現在開催中の夏の企画展『幻の神戸人形展』でご紹介しています。


2012年7月

バルセロスの鶏と鳥笛(ポルトガル/1980年代)

↑鶏の親子笛
幸運の鶏 ←鳥の巣笛


 バルセロスは、ポルトガル北部にある古い町で、民芸のメッカとして知られています。民族色豊かな舞踊や芸能が数多く伝承される土地柄、食器類や日常雑器類にも味わい深い民芸陶器がみられます。中でも素焼きに手彩色された人形や動物、鳥などの玩具は本当に魅力的です。たくさんの鶏や小鳥が集合した「鳥の巣笛」、親鶏がひよこたちを従えた様子も愛らしい「鶏の親子笛」などは、白地に赤、黄、青、桃、橙、緑などでカラフルに彩色され、明るく朗らかな雰囲気が漂います。こんなに賑やかな土笛からはどんな音が出るのか?と、わくわくしながら手にとって小さな吹き口から強く息を吹き込むと、ピィーーー!!と、思いの外、甲高い音色が響き渡るのに驚かされます。
 さて、バルセロスのシンボルとして有名なのが、「バルセロスの鶏(o galo de Barcelos)」。こんな伝説が知られています。・・・・昔々、ある男が巡礼の旅をしてバルセロスの宿に泊まりました。その夜、宿屋の主人は銀製の食器類が盗まれたと騒ぎ、彼は、みんなのいる宴席で旅人に疑いをかけました。旅人は身の潔白を主張しましたが、誰も信じません。そこで旅人は深く信仰する聖母に祈りながら言いました。私が無実なら、テーブルの上でこんがり焼けた鶏肉が三度、鳴くでしょう、と。鶏は、その言葉どおり、三度、鳴き声を響かせ、旅人は解放されました・・・・・・。
 この鶏にちなんで作られるのが、バルセロスの幸運の鶏です。黒、赤、白、黄、青、茶で愛らしく塗られた素焼き彩色の「幸運の鶏」は、この地方を旅する人たちの土産物としても古くから愛されています。
 これらの民芸は、現在開催中の夏の特別展『世界の鳥のおもちゃ』でご紹介しています。

2012年6月

稲の女神(インドネシア・バリ島/1980年代)



 日本玩具博物館のある香寺町は姫路郊外の農村部に位置し、6月ともなれば、あたり一面に水田が広がります。水田で大合唱するカエルの声を聴いていると、遠いインドネシアの農村風景が想われたりもします。
 インドネシアのバリ島では、どこを訪ねても寺院や祠が目につきます。緻密な文様に埋め尽くされた石の「割れ門」をもつヒンズー寺院が島内に何万とあり、精霊をまつる小さな祠も無数にあります。人々は、それらの寺院や祠に朝夕、花や食べ物など、様々な供物をささげ、島を美しく清浄に保っています。
 祭りの日には、村中に椰子の葉で作られた聖なる飾りものが登場します。精霊の依り代として、また邪悪な霊から村を守る結界を表すものとして、寺院の門の前にはたくさんの若い椰子が立てられます。高さ3メートルほどの木の先端は花弁のように細工され、日本のしめ飾りにも似た様子です。日本における竹のように、インドネシアでは椰子が様々な場面で聖なる儀式と結びついているのです。
 稲の収穫祭には、ロンタルヤシを編んで、「稲の女神」と呼ばれる人形が作られます。初穂には実りをもたらす穀物霊が宿ると信じられ、これを刈り取って大切に祀ります。この時、一緒に供えられるのが稲の女神です。女神は稲の霊を形象化したものでしょうか。
 画像は、祭りの露店で売られていた高さ30センチの小さな女神です。昔のものは、目鼻も描かれず、素朴で厳粛な雰囲気をもっていましたが、カラフルに色付けされた最近の作品には、儀式を終えた後は女の子の遊び相手にもなってくれそうな愛らしさがあります。
 「稲の女神」は、4号館2階「世界の人形と玩具」の常設コーナーでご紹介しています。

2012年5月

飾り兜(江戸末期~明治初期)

日本歳時記貞享5年(1655)に描かれた飾り兜


 飾り兜は兜頭巾とも呼ばれ、5月5日の端午の節句に飾られました。しかし飾り兜が飾られたのは今から100年以上も前です。明治末期には製作されなくなったと推定され、現存するものは少なく貴重です。
 端午の節句は古くは武家を中心に行われ、江戸時代中頃までは往来に面した家の外に、戦陣にならって幟や吹流し、槍や長刀、飾り兜などが飾られ、裕福な町人もそれを真似て飾りました。
 外飾りは次第に小型化して、江戸時代末期には幟や吹流しのほかは屋内で飾られるようになります。飾り兜も小型化し、高級化して屋内で飾られるようになりました。
 写真のものは江戸末期か明治初期のものと推定され、今では見かけることがない貴重な飾り兜で高さ44㎝です。当館所蔵の尾崎清次コレクションのひとつでもあり、現在、6号館で開催中の特別展「端午の節句~明治と大正の武者飾り~」で展示中です。

2012年4月

フィリモーノボ土人形笛・小鳥を抱く貴婦人(ロシア/1970~80年代)



 マトリョーシカをはじめ、木彫りのクマの仕掛け玩具、色彩が美しい土笛など、ロシアでは、数多くの民芸的な人形や玩具が作られてきました。農家の納屋で、雪に閉ざされる冬の居間で、春を待つ庭先で……暮らしの中で作られるそれらには、人々の生活心情が込められています。
 ドゥイムコボ(キーロフ市)村の華やかな土人形は、日本でも早い時期に民間芸術品として紹介されて有名になりましたが、ドゥイムコボ土人形と並んで素晴らしいのが、トゥーラ州オドエフスク地区のフィリモーノボ村の作品群です。フィリモーノボ村は、良質の粘土に恵まれ、陶磁器の生産について、400年もの歴史を有しています。“フィリモンじいさんが土で壺や玩具を作っていた”という伝承があり、それがこの村の名の由来ともなっています。19世紀の終わりには、村の7割近くの人々が玩具作りに従事していたといわれ、たくさんの種類の土人形や土笛が作られました。
 フィリモーノボ土人形は、兵隊や騎士、貴婦人、幻想的な動物などが題材となり、のびやかで動きのある造形と、マリーナ(華やかで濃いピンク)、コバルトブルー、ダークグリーン、イエローの鮮やかな描彩が特長です。また、“小鳥を抱く貴婦人”のように、どこかに笛が仕込まれていることもフィリモーノボ独自の面白さだと思います。貴婦人が抱えた小鳥の尾羽が吹き口になっていて、笛の音色は雑音性を帯びた高温。指孔が一つ、ないし二つ設けられているので、孔を開閉しながら尾羽を吹くと、ピロピロピロ…♪と、小鳥がさえずるような明るい音が響きます。
 1970年代末、日本玩具博物館では、ロシア民芸に大きな関心をもち、在ロシア大使館やロシア民芸業者のご協力を得て蒐集活動に着手しましたが、フィリモーノボ土人形は、なかなか入手できませんでした。それが1993年、チェルノブイリ原発事故の被害に苦しむ子どもたちへの支援活動のため、日本語通訳として来日されていたニコライ=タチェンコ氏と出会い、彼の手を通して日本玩具博物館にたくさんのフィリモーノボ土人形がもたらされたのです。ニコライさんはロシア民芸復興の仕事にも携わったことがある方で、博物館活動にも多くのご協力を下さいました。玩具博物館の海外の玩具コレクションは、他国の方々の暖かいお心に支えらえれているのです。
 フィリモーノボ土人形(笛)は、4号館2階の常設コーナーでご紹介しています。

2012年3月

雛道具・貝桶と合わせ貝(明治時代)

 

 雛人形と一緒に飾る雛道具は、江戸時代前期の頃からみられました。貞享5 (1688) 年刊の『日本歳時記』には、お座敷の一角に屏風を立てまわして立ち雛と座り雛を並べ、その前には、三方にのせた菱餅や重箱、瓶子などの諸道具が描かれています。江戸時代はじめの雛飾りは、人形も雛道具も簡素なものであったことがわかります。時代が下ると、大名や武家の婚礼調度を模して小さく作った道具を、町家でも賑やかに飾るようになります。箪笥(たんす)、長持(ながもち)、挟箱(はさみばこ)、鏡台、針箱、化粧道具、懸盤(かけばん)、湯桶、飯桶、菱台、高杯、保貝(ほかい)、杯と杯台、書棚、黒棚、厨子棚…などなど。このような雛道具は黒漆塗り金蒔絵の豪華なものになっていきました。大名家の姫君は、お輿入れの際、婚礼調度の雛形を作り、目録代わりに婚家へ持参することもあったようで、そうした雛形の調度類が雛道具の前身といわれています。
 こうした雛道具の中に、合わせ貝が詰められた貝桶があります。合わせ貝は、「貝合わせ(=貝覆い)」という王朝時代より伝承される遊戯具で、360組の蛤貝の身と蓋を合わせて遊ぶ「貝合わせ」に用いられるものです。貝殻の内側には色絵具や金箔、金泥を用いて、花鳥風月や王朝物語の世界が繊細に描かれ、それぞれの一対は、身と蓋(ふた)に分け、別々の貝桶の中に収められました。実際に遊ばれる合わせ貝は横幅8~9cmの大きな蛤貝が選ばれましたが、雛道具の合わせ貝は3cmほどの小さな蛤貝です。
 写真でご紹介する貝桶と合わせ貝は、明治時代中頃のもので、仙蓼(せんりょう)、椿、れんげ草、撫子(なでしこ)、杜若(かきつばた)、桔梗、女郎花(おみなえし)、紅葉……など、十二か月の花々が色絵具で愛らしく描かれています。これは、現在6号館で開催中の特別展『雛まつり~江戸と明治のお雛さま~』の中でご紹介しています。

2012年2月

仕丁(明治30年代)




  


 雛人形とは、一般的に、内裏雛だけでなく、三人官女、五人囃子、随身(左大臣・右大臣)、仕丁を含めた15人揃いをさしています(かつて、地方ではこれら以外の人形でも、桃の節句に飾りつける人形は、皆、“雛”と呼ばれていました)。
 雛飾りの人形たちの中で、最も親しみやすいのは、“仕丁(しちょう)”ではないでしょうか。仕丁とは、徭役(君主や地主の命のもとに行われる住民の奉仕)に従事する人たちをさします。 “つかえのよぼろ”とも呼ばれ、大和朝廷の時代から存在しました。
 関東で好まれた仕丁は、台傘、立傘、沓(くつ)台)を捧げもち、かしこまった表情で座すものでしたが、御殿飾りなどに登場する京阪の仕丁は、食べ物の煮炊きをしながら酒盛りをしたり、掃除用の箒やがんじきを放り出して談笑していたり…と、庶民的で親しみやすい人々です。酒盛りの仕丁たちは、徭役の期間が明けた祝宴を開いているとも、宮中に婚礼を祝っているとも、様々な物語が想像されます。
 “泣き上戸(じょうご)、笑い上戸、泣き上戸 ”とも呼ばれるように、特徴的な表現によって雛飾りに人間的な感情をそえる役割を果たしてきました。写真の仕丁は、明治30年代の京阪製で、現在6号館で開催中の『雛まつり~江戸と明治のお雛さま~』に展示しております。雛飾りに一歩近付いて、彼らの豊かな表情をご堪能下さい。

2012年1月


玉とり姫(滋賀県東近江市/昭和中期)・玉とり海女(香川県高松市/昭和後期)

 


 2012年の干支の動物は辰(=龍)。「龍」を創造した中国において、それは、水中に棲み、必要になれば天空を飛翔することができる霊獣と考えられてきました。人知人力の及ばない世界を自在に翔る龍には不老不死のイメージが託されます。また、日本において、大空を裂くイナビカリが龍の姿とされ、農作稲作に恵みをもたらす雨の神としての信仰も集めてきました。こうした龍に対するイメージを背景に、辰年には「龍」の郷土玩具が製作されます。

 京都府の伏見土人形(京都市)、滋賀県の小幡土人形(東近江市)、香川県の高松土人形(高松市)などでは、海に住む龍神と人間との関わりをテーマにした郷土人形が作られています。それは、香川県さぬき市志度に伝わる伝説に基づいたものです。
・・・・・・藤原不比等は、志度の海で龍神に奪われた「面高不背の玉」をとり戻そうと身分を隠して志度へ。そこに暮らす海女と不比等は契りをかわし、海女は赤ん坊(藤原房前)を産みます。不比等から玉の奪還を頼まれた海女は、“房前を藤原家の跡取りにすること”を条件に龍宮へとおもむき、玉を奪い返します。けれど、龍神に追われた海女は命を落とし、玉だけが不比等のもとに戻りました・・・・。悲しい伝説に取材した郷土人形ですが、小幡の玉とり姫も、高松の玉とり海女も、その表情に悲壮感はなく、龍神を手なずけたように、大らかな笑顔で表現されています。
 これらは、現在1号館で開催中の企画展『十二支の動物造形』に展示中です。

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