【新収蔵品の記録】
                  
2012年3月
  
檜(ひ)皮葺(わだぶ)き御殿飾り雛(大正11年)
 「学芸室からNo.121〜ようこそ、お雛さま」でもご紹介いたしましたとおり、過日、幕末から明治時代にかけて活躍した名工・玉翁の古今雛や大正時代、大阪製の源氏枠飾り雛の一揃いなどが入ってきたばかりですが、また新たに、神奈川県の個人のご家庭(関西ご出身)より、大正11年製の「檜皮葺き御殿飾り雛一揃い」をご寄贈いただきました。 

                 
 御殿も人形も諸道具も木箱に納まったそれぞれを作業場で開梱し、傷んだところを修理したり、手を加えたりしながら収蔵登録作業を行いました(この資料の登
御殿を収めた木箱(蓋裏に商標が貼られている)
録番号は、No.12-A011)。御殿を収めた木箱にも、人形を収めた木箱にも、「御雛人形司 大木平蔵」の商標が貼られています。これによって、御殿も人形も諸道具も、すべて、京の町雛の最高峰と謳われる大木平蔵、通称、丸平が調製した雛飾りであることがわかります。どれもこれも美術工芸的に素晴らしいだけでなく、時代の作風の基準を理解するためのよい資料となります。
 来春の雛人形展において、お披露目したいと計画していますが、ひと足早く、整理中の画像でその一端をご紹介いたします。









檜皮の重なりが美しい本殿の屋根 本殿奥におさまった内裏雛 細工が美しい左近の桜

桜の縫い取りがほどこされた振袖の官女

煮炊きをする関西らしい三上戸 表情が何とも美しい

象牙製の楽器いろいろ

表紋と裏紋、二つの家紋(松川菱と五三桐)が蒔絵された雛道具


 永くお手元で愛しんでこられた雛飾り一揃いの将来を、私どもにお預け下さいました寄贈者とご家族の皆様に、この場を借りて心より御礼申し上げます。

2011年4月・その2
  板葺き御殿飾り雛(明治30年代)

  

 先日、昭和9年製の檜皮葺き御殿飾り雛をご紹介させていただいたばかりですが、昨日は、現在、大阪市内にお住まいの個人から寄贈のお申し出を受け、井上館長がご自宅まで荷受けに伺いました。
 京都の伏見から奈良に移られた女性(明治30年代生まれ)から、寄贈者(昭和18年生まれ)が譲り受けられ、かつての奈良のご自宅で節句ごとに飾り、保管なさっておられた雛人形です。近くで火災があり、すんでのことで類焼をまぬがれたお雛さま。両の手を使っても一度に持ち切れるものではない豪華な一揃いですから、戦災はもちろん、様々な災害を越えて、110年以上の歳月を守り続けるのは大変なことだったと思います。
 
 御殿も人形も諸道具も木箱に納まったそれぞれを作業場で開梱し、細かいところを修理したり、手を加えたりしながら収蔵登録作業を行いました。木箱の中には、製作者の商標が貼られている場合があります。この雛飾りにおいては、添え飾る“花車”と“雪洞”に「御雛人形細工司/丸屋/大木平蔵」の商標が、御殿の上からつるし飾られる“桜と橘の薬玉”には「有職雲上流造花」の商標がみられます。明治中期から後期、京阪の地で作られ、裕福な町家で飾られた典型的な御殿飾りと思われますので、ここに画像を入れてご紹介させていただきます。

【板葺き御殿】
高さ90.0×奥行75.0×幅143.0(cm)  本殿と脇殿で構成され、階(きざはし)は本殿に付けられた一カ所のみ。屋根は岩絵の具を塗っただけの仕上げでツヤがなく、素朴な味わいがあります。庇はのちの時代のもののように一体型ではなく、各方向を組み合わせて飾ります。当館が所蔵している明治末期の御殿飾り雛各種に比べると、建てやすくシンプルな構造に思われます。
【雛人形】

  

内裏雛・三人官女・随身(左大臣/右大臣)・仕丁(=庭番、三上戸)の10人組。
 京阪の雛飾りは、江戸時代後期から明治時代前期にかけての御殿飾りには、五人囃子が付けられないことが多かったと思われます。江戸出身の五人囃子は武家の式楽である能楽を演奏している姿で作られるため、貴族的な御殿の中には合わないと考えられたためでしょうか。

【添え飾り】
桜橘の二樹の薬玉……収納箱には、「有職雲上流造花」(京都)の商標が貼られています。桜と橘は、御所に植えられた左右の二樹を模したものと考えられますが、これを薬玉に仕立てたのは、古来、端午の節句の贈答品であった薬玉の影響を受けたものと思われます。

【花車・雪洞】
収納箱の中に「御雛人形細工司/丸屋/大木平蔵/京都市四条通堺町北東角」と商標が貼られています。
 来春の雛人形展は、「江戸と明治のお雛さま」がテーマなので、当館所蔵の幕末から明治時代末期までの御殿飾り雛と合わせて、ご紹介させていただこうと思っております。寄贈下さいましたご家族の皆様に、心よりお礼申し上げます。(尾崎)

                                                     
2011年4月・その1
  檜皮葺き御殿飾り雛(昭和9年)


 新春から旧暦桃の節句にかけての季節になると、家庭で飾っていた雛人形を寄贈したいというお申し出に接する機会が増えます。御子息の独立や転居、また受け継がれる方の事情などによって、雛人形を持てなくなったり、また時代を経た古雛は個人宅で飾るより、もっとふさわしい保管先へと考えられたりして、私どもへお電話を下さるのです。
 先日は、奈良にお住まいのご夫人から「御殿飾り雛一揃」を寄贈したいというお申し出を受け、井上館長が奈良のご自宅までお受けに伺いました。持ち帰らせていただいた雛人形や諸道具は、作業場で開梱し、簡易に低い雛段を組んで、一点一点、点検しながら飾り付けを行いました。人形や諸道具の撮影を行い、それぞれに登録番号(この資料はno.11-A015です)をふり、それぞれの木箱の様子を確認しながら梱包収蔵していきます。
 寄贈者のご夫人は昭和9年生まれで、当時、大阪府下に住んでおられました。この御殿飾り雛一揃は、夫人のご誕生を祝って、ご家族が購入されたものと伝わっています。雛飾りには、「大丸」の飾り方説明書が添付されており、一揃の雛飾りは、百貨店「大丸」によってプロデュースされたものとわかります。
 本年の旧暦桃の節句(=4月5日)は過ぎてしまいましたが、雛飾りの様子をこちらのページでご紹介させていただきます。
檜皮葺き御殿飾り雛(昭和9年)を作業室で組み上げたところ
松と鶴の彫刻が施されている本殿の欄間


雛料理の御膳……犬張子やでんでん太鼓の蒔絵
  がほどこされた朱塗の椀
桃の節句のままごと道具…勝手道具セット


雛道具を納める木箱
 檜皮葺き御殿飾り雛は、すでに5組所蔵しており、内訳は、明治末期から大正時代にかけてのものが3組(それぞれに姫路・豊岡・神戸の個人の寄贈)、昭和初期のものが2組(京都・愛知県春日井の個人の寄贈)です。今回のものを含め、昭和初期の3組は、すべて同じような様式で作られており、明治末期のものに比べて屋根の檜皮葺きの密度が粗くなっていたり、組み立ても簡便になっていたり…と細かい部分に多くの違いが認められます。
 今回、寄贈を受けた雛飾りにも、関西特有と思われる白木の勝手道具一揃が付けられ、また、桃の節句に、子どもたちが人形たちと雛料理の共食を行うための小さな御膳が10組揃っており、当時、関西の裕福な町家で行われていた雛まつりの様子を彷彿させます。
 「大丸」の飾り方説明書には非常に興味深いことが書かれていますので、全文をご紹介いたします。

雛人形の飾り方

お雛さまの飾り方にはむつかしい一定の規則はございませんので
雛段に形よく調和をとってお飾り下さい。
図に示しました屏風飾りと御殿飾りは一般的な飾り方の一例でございます。
雛段は、屏風飾りは五段、御殿飾りで三段が適当でございます。
お雛さまの持ち物は

 
●親王 笏、太刀
●姫 檜扇
●官女 向って右から長柄の瓶子、盃台(又は島台)、提柄の瓶子
●五人囃 向って右から扇子、笛、小鼓、大鼓、太鼓
●随身 向って右側に左大臣(老人)、左側に右大臣(若人)が背中に背負い矢、
右手に矢、左手に弓
●仕丁 京都製は向って右から笑い上戸(熊手)、怒り上戸(ちりとり)、泣き上戸(ほうき)
東京製は中央に沓台、両側に台傘と立傘
●御殿花 向って右に桜、左に橘

   
雛人形の御保存には

◇お仕舞になる時は天気のよい日を御選び下さい。
◇羽はたきやバラ毛の筆でほこりをよくお払い下さい。
◇顔・髪には直接綿をあてないでやわらかい紙でお包み下さい。
◇樟脳・ナフタリン等は必ず紙に包んで御使用下さい。
◇御保存には、湿気のない場所を御選び下さい。



  一般的な飾り方の例として、屏風飾りと御殿飾りが紹介されていますが、昭和時代に入っていますので、内裏雛(親王と姫)が置かれる位置がかつての飾り方と逆になっているところ、仕丁における京都製と東京製との違いについて明記されているところにもご注目下さい。

 来春の雛人形展は、テーマを「江戸と明治のお雛さま」としたいと考えていますが、近い将来、当館が所蔵する檜皮葺き御殿飾り雛を一堂に飾ってお目にかけたいと思っておりますので、その折には、昭和9年、大丸プロデュースの雛飾りも登場いたします。ご期待下さいませ。    (尾崎)

 当館では、日本の郷土玩具、近代玩具、伝統玩具、伝統手芸、海外の玩具の五項目にわけて収蔵整理を行っています。毎年、1千点ずつのペースで増え続けてきた新収蔵品ですが、近年、海外からの収集品が少なく、総点数は縮小傾向です。2009年度は526点でした。グローバリゼーションの進展に反比例して、「民族色」を伝える民芸的な玩具が、世界的規模で減少しているためです。寄贈・購入の比率は、3対7程度。資料は収蔵登録後、項目ごとに分類し、カード化整理しています。最近収蔵庫に入った資料の中から幾つかを紹介します。

タルトゥの民芸玩具(エストニア)

木片の動物と羊飼い(エストニア)
 昨夏、交流が始まったタルトゥ玩具博物館から、エストニアの素朴な民芸玩具の寄贈を受けました。木片の動物と羊飼い、投げ独楽、ラトル(がらがら)、小さなままごと人形、布の抱き人形、ボードゲームなど七種類です。
 この中で、私は、「木片の動物と羊飼い」に惹かれました。二股に分かれた木の枝を削ってつくられる羊飼い、3つのとんがりが切れ出された羊、2つの角が刻まれる牝牛と雄牛、弓なりの首と2つの耳、小さな尻尾がつけられる馬、丸い鼻をもつ豚…。木の枝を集めて作られるこの素朴な玩具は、羊飼いたちによって作られ始め、19世紀後半には、エストニア中に普及しました。田舎の少年少女たちは、石や木片を拾って、牛小屋や納屋、井戸をつくり、羊飼いの人形を地面に立てて、動物たちの世話をする真似事遊びに夢中になったそうです。小さな子どもは、父親や祖父に作ってもらい、やがて熟練してくると、自らも小刀をもって小さな弟妹たちのために、玩具を刻んだといいます。
 目鼻を作らず、脚さえもたない、これらの動物は、抽象化された造形表現が非常にユニーク。馬以外の動物は、そうと言われなければ羊や豚とはわからないほどです。これらは、シベリア各地の北方諸民族が作る動物玩具とも、非常によく似ています。アムール川流域に住むナーナイの人々は、この抽象化を、悪霊が玩具の中に住みつき、遊ぶ子どもに害を及ぼすことがないよう、悪霊の目をあざむくためと説明しています(『シベリア民族玩具の謎』A・チャダーエヴァ著・斎藤君子訳/恒文社/1993年)。古い時代から受け継がれてきたエストニアの動物玩具もまた、そのような意味をもつ造形なのでしょうか。


端午節の麦わら細工〜香包〜(中国)
端午の節句の麦わら細工(中国)


 昨年の端午の節句、中国蘇州(江蘇省)の屋台で売られていた麦わら細工を、旅行者の手を経て入手することが出来ました。虫かご形、毬形、立方体、星形、正8面体、苺形、車形、三角つなぎ形、6芒星形…と様々な形状に麦わらが編まれ、クリスマスオーナメントを思わせる趣ですが、中には、それぞれ白檀系の香が入れてありました。
 端午の節句には、吉祥文様の布袋の中に薬草などを詰めて首から提げたり、柱飾りにしたりする風習が残されており、日本玩具博物館にも、数種類の所蔵品があります。今回、初めて、麦わら細工の香包に出合い驚きました。このめずらしい麦わら細工の数々は、来年、端午節を祝う頃に展示したいと思っています。


有職雛(明治時代)
有職雛・小直衣姿(明治時代)
 今春、個人のコレクターを通じて、明治時代の「有職雛」を入手しました。
 雛人形には、歴史的にいくつかの様式があり、また公家の雛、武家の雛、町家の雛など、階級によってもその様式は異なりました。「有職雛」は、有職故実に基づいて造形された雛人形の様式で、有職の家柄である京都の山科家や高倉家によって宝暦・明和年間(1751〜72年)に始められたと伝わっています。
 今回、当館の雛人形コレクションに加わったのは小直衣姿の有職雛で、高さ22〜3pの愛らしい姿。来春の雛人形展でお披露目致します。当館が所蔵する雛屏風の中、春の花々を描いた大和絵風の屏風を背景して、やさしい風情をご覧いただきたく思っています。


きりばめ細工の袋物〜米津為市郎コレクション〜(明治末〜大正時代)
きりばめ細工の袋物「鞍馬天狗と牛若丸」「牛若丸と弁慶」


 ちりめんの小裂を縫いつないで作られる袋物の中には、比較的大型で、自然の風景や人物を、絵を描くようにして作られた作品が目立ちます。歴史物語や王朝物語などの名場面、また、福神や松竹梅、鶴亀などの吉祥文様を大胆に表現した袋物の多くは、下絵に従って縫い代をつけて布を裁ち、部分と部分を細やかに縫いつないでいく「きりばめ」の手法が使われています。きりばめ細工は、技術と根気を要する難しいもので、地域によっては、作り手の技を嫁ぎ先に披露するものとして、花嫁道具と一緒に持参れました。これらは、寺院へ米や穀物を供えたり、親類知人へ祝いの米を贈ったりする入れ物として使用されていた地域もあります。
 今春、愛知県一宮市在住の袋物収集家より、明治末期から大正時代にかけて、近江地方で作られた袋物19点の寄贈を受けました。「鞍馬天狗と牛若丸」「牛若弁慶」「義経と静御前」「俵藤太の百足退治」などの歴史物語、「海上の七福神」や「猩々の舞」などの縁起物、大正時代のモダンな少女たちの暮らしを題材にしたものなど、袋物に表現された手の技と色彩感覚の豊かさを感じさせてくれるすばらしい資料の数々です。
 初夏の特別展『子どもの晴れ着とちりめん細工』で、その中の11点を展示させていただきましたが、また、機会をとらえてその全貌をご紹介したいと思っています。


「村松百兎庵氏の年賀状・暑中見舞状・絵葉書集」〜能勢泰明コレクション〜(大正〜昭和10年代)

村松百兎庵の年賀状(川崎巨泉作)
 1997年、日本玩具博物館は、能勢泰明さんのご家族より、同氏が蒐集された木地玩具などのコレクションの寄贈を受けましたが、その折、能勢氏のもとで保管されていた村松百兎庵氏の『年賀状交換帖・全11冊』が一緒に入ってきました。
 兎の玩具の蒐集家にふさわしく「真向かい兎」がデザインされた布張りアルバム11冊の中には、村松百兎庵(茂)氏に届けられた、大正末期から昭和初期の年賀状、2717枚が綺麗に収められていました。干支ごとに集めて並べられた各々の頁は、開くごとに美しく、百兎庵氏の丁寧で几帳面なお人柄と美意識が偲ばれるものです。差出人の多くは、百兎庵氏と交友のあった当時の趣味人たち。彼らは「浪花道楽宗」と、仏教の宗派のような名前のグループを形成し、グループのメンバーは、互いに山号寺号で呼び合っていました。例えば、村松百兎庵氏は、「萬集山雅楽多寺」。年賀状の差出人欄には、「葛齢山亀楽寺住職」、「美奈山吾尊寺住職」、「遊戯山三昧寺住職」など、浪花の旦那衆たちの達筆な署名が踊っています。村松氏に年賀状を送った人々の居住地は、大阪を中心に、京都、名古屋、東京、鳥取、長崎、中国東北部や朝鮮半島にも及んでおり、武井武雄氏(東京)や宮尾しげを氏(東京)、板祐生氏(鳥取)など、自画・自刻・自摺の賀状もあれば、「上方最後の浮世絵師」と言われた長谷川小信氏(三代貞信1848-1940)や川崎巨泉氏(1877-1942)に依頼して製作された賀状もあり、また大阪出身の画家・山内神斧氏(1886-1966)による賀状もあって、戦前の趣味人たちの幅広い交友のあとをたどることが出来ます。
 今春もまた、能勢泰明さんのご家族から、同氏が蒐集された土人形や張子玩具の数々を追加寄贈いただきましたが、その中に、村松百兎庵氏宛に届けられた年賀絵葉書、暑中見舞絵葉書、風景印絵葉書、諸国名物絵葉書、全国郷土玩具絵葉書、国勢調査記念絵葉書、宝船絵葉書、全国土鈴絵葉書、全国祭礼絵葉書…などが含まれており、その数、3千余枚。既に収蔵している11冊の『年賀状交換帖』に収められた数を合わせると、6千枚に及びます。現在、整理作業の最中ですが、1枚1枚詳しくみていくと、戦前の趣味人たちの絵葉書交換会の様子や交流の跡が詳しく理解できる内容です。
 季節に合わせ、日本各地の郷土玩具や土鈴などとともに、少しずつご紹介する計画を立てておりますので、どうぞご期待下さいませ。


江戸小物細工〜服部コレクション〜(昭和10年代を中心に)

江戸小物細工「雷門定見世」(昭和10年代)
 昭和初期から10年代にかけて、都市部を中心に、静かなミニチュアブームがありました。「小林礫斎」がプロデュースする日本美術の粋を集めたミニチュア工芸から、有名デパートが頒布する「吉田永光」プロデュースの郷土玩具づくし、農民芸術運動で誕生した小さな風俗人形まで、様々な分野で縮小された造形が人気を呼びました。
 今春、大阪在住の方から、故人が蒐集されていた、ミニチュア工芸やミニチュア玩具、約百点の寄贈を受けました。中には、明治時代に江戸文化を懐かしんで作られ始めた「江戸小物細工」の町並(手のひらに乗るサイズ)や「大江戸風俗衆」(江戸の物売り風俗を表現した人形/高さ約8p)なども含まれていました。
 これらは、来年の秋に開催する『ミニチュア玩具の世界』で展示紹介させていただきます。  (尾崎)



2009年5月
     宮参りの帽子・お食い初めのよだれかけ(日本) 

▲男児用・初宮参りの帽子(明治時代末期)





 日本玩具博物館では、ここ数年、初宮参りや七五三などの通過儀礼の折に使用
された祝い着や帽子、よだれかけ、守り袋(巾着)などの手づくり資料を収集しています。
男児用・初宮参りの帽子(明治時代)▲

 この度、当館とおつきあいのある方を通して、初宮参りやお食い初めに着用された帽子やよだれかけ、約20点を入手いたしました。

 初宮参りは、生後一ヶ月の頃、赤ん坊の誕生をうぶすな産土かみ神に報告し、正式に氏子となるための儀式で、多くの地域で男児は31日目、女児は32目に行われます。
 この儀式には、一般に、男児は五つ紋黒羽二重・大名袖の祝い着、女児は五つ紋裾文様・縮緬の祝い着が用意されます。あわせて、魔除けの赤や吉祥文様をあしらった帽子やよだれかけも作られ、厳かな儀式を愛らしく彩りました。明治時代、男児には、後ろ側に縁飾りのある二枚の「しころ」布を垂らした頭巾が魔除けの力を持つとして、人気がありました。







▲初宮参りの帽子のいろいろ(明治末〜大正期)
 お食い初めは、一生、食べものに不自由由しないことを願い、生後100日目、赤ん坊に歯がはえ始めた頃に行われる儀式です。祝い膳に赤飯や尾頭付きの魚などを並べ、赤ん坊に食べる真似事をさせるものですが、かつては母親たちが手作りしたよだれかけが着用されました。今回、入手したものは、裁った着物の残り裂(縮緬・錦紗・金襴・緞子)を「きりばめ細工」の手法を用いて縫いつなぎ、二匹の鯛や松と座り鶴、獅子舞と牡丹などの絵柄を作るもので、縁飾りがもうけられています。
 二匹の鯛は、「祝い鯛」といわれ、中国から伝わった吉祥の図柄。中国で魚は「yu」と発音します。この音が余裕の「余」に通じることから、余剰、豊穣を意味するおめでたい造形と考えられました。中国文化の影響を受けた「祝い鯛」は、目出「たい」意匠として、日本庶民にも広く親しまれ、将来の豊かさを願うお食い初めの儀式にふさわしいものと考えられていました。

                                        
▲ 初宮参りやお食い初めの儀式に使われたよだれかけ(明治末〜大正時代)
※ 右端は、鳳凰をかたどったよだれかけ。赤ん坊の首元に掛けられたところをご想像下さい。


2008年5月
     リカちゃん&ジェニー (日本)

 去る3月、手工芸専門の出版社日本ヴォーグ社を通じ、株式会社タカラ(現在、株式会社タカラトミー)が製作したリカちゃん
▲日本ヴォーグ社刊・わたしのドールブック・リカちゃんシリーズ
(Licca-chan)とジェニー(JeNnY)を中心とする着せ替え用キャラクタードール約500点とその資料約150点の寄贈を受けました。日本ヴォーグ社は、リカちゃんやジェニーという、玩具メーカーのいわゆるマスプロダクトな人形のための着せ替え服や小物の作り方を提案するシリーズものの雑誌を刊行して、長きにわたり少女たちからの支持を受け続けてきました。その過程で、同社は人形や着せ替え服などを多数所蔵しておられたわけです。当館は、日本ヴォーグ社よりちりめん細工を紹介する書籍(『四季の傘飾りと雛飾り』を発刊しており、現在も新刊を準備中ですが、そのご縁によって、今回の寄贈をお受けすることとなりました。


 ご存知のようにリカちゃんは、1967(昭和42)年の誕生以来、3回(4回)にわたる小さなモデルチェンジを繰り返しつつ、40年以上の長きにわたって少女たちに愛され続けてきた人形。リカちゃんの年齢設定は小学5年生で、低年齢層(3〜6歳ぐらい)の女児を対象としているため、家族や友人たちの人形も数多くを揃えて、ごっこ遊びが展開できる内容をもっています。一方、ジェニーは1986(昭和61)年にタカラバービーから改名して誕生したキャラクタードールで、リカちゃんよりも少し高い年齢層を対象に作られています。基本的なジェニーの設定年齢は17歳ですが、同じジェニーでありながら、様々なバリエーションと限定商品などを持っています。ごっこ遊びを重視する「リカちゃん」に対して、「ジェニー」では豊かなファッション性が強調され、友人たちとのおしゃれな暮らしをテーマにした周辺世界が形づくられています。日本ヴォーグ社という出版社とのコラボレーション、ファッションブランドとのタイアップなどを通じて、少女だけではなく、大人のファンやコレクターが多いことも特徴的でしょうか。

 今回、寄贈を受けた人形の製作年代は、主に1985年から現在まで。ヴォーグ社の石坂文子さんの丁寧な解説メモを参考にしながら、1週間かけて「リカちゃん」と「ジェニー」、その他の人形、それらを説明する資料、書籍にわけて整理を行い、大方のリストが出来上がりました。
▲整理風景・・・・・・1週間の人形漬けにより、ジェニーたちが夢に現れるようになりました。

 


 リカちゃんは3代目、4代目、5代目(1992年製)などの基本的な人形に、幼児、中学生、25歳などの年齢バリエーション、25周年記念のビスク・ドールや初代リカちゃんトリオの復刻版、ボディーが自由にうごくダンシングリカチャンシリーズ、リカちゃんアルバムシリーズなどがあり、ママやパパ、おばあちゃん、双子の妹などの家族、いづみちゃんやあきちゃん、リボンちゃん、みいちゃん、もえちゃん、ななみちゃんなどの友人たち、またそれらの着せ替え服や小物、家具を合わせて、今回約200点です。
 一方、ジェニーは、バリエーションでみると、ノーマルジェニー、エクセリーナ、エイティーンジェニー、プリンセスジェニー、1991年フェイス、レインボージェニー、エンジェルズガーデンジェニー、フォトジェニックジェニーなどほとんどのタイプを網羅し、エリカ、エリー、アヤ、アベル、キサラ、オリーブ、ジェーン、シオン、たまき、ティモテ、フランソワ、リサ、リナ、マリーン、ジェフ、タクミ、レイフなど、賑やかに友人たちが揃っています。また、これらに着せ替える衣装と小物類が非常に多く、すべてを合わせると、300点をこえる資料群です。


▲リカちゃんのいろいろ
左からタカシマヤ・オリジナルのリカちゃん、タカラ株主優待のリカちゃん、中学生リカちゃん、ハッピースマイルリカちゃん
▲ジェニーのいろいろ
左からフェルト服ノーマルタイプジェニー、ニット服のノーマルタイプジェニー、ジェニーズクラブ・プレミアムドール、エクセリーナ
 日本玩具博物館は、すでに1970年代のリカちゃんとその周辺資料を少なからず所蔵しており、少女のごっこ遊びの友として、また昭和の玩具史に欠かせない資料としてこれまでにも折に触れて展示してまいりましたが、今回寄贈いただいた人形資料たちについては、さらに整理した後、これらをどのようにとらえ、私たちのコレクションの中にどのように位置づけていくかが課題です。まずは、来春、3月から6月にかけて、リカちゃん&ジェニーの世界を紹介する企画展を催してみたいと考えていますので、どうぞご期待下さい。詳しい日程や内容が決まり次第、このサイトでもご案内させていただきます。              
(尾崎織女)

日本玩具博物館開館35周年
春の企画展「リカちゃんとジェニーの世界」詳細はこちらのページへ


2008年4月
     セジュナン焼きの人形と動物造形(チュニジア)
▲地中海に面したアフリカ北部の国。東にリビア、
西にアルジェリアと国境を接しています。
  この度、アフリカ州各地の民族造形や衣料などを扱う民芸業者を通じて、チュニジアの土人形を多数入手しました。セジュナン焼きの人形と動物造形のいろいろ―――形といい、色調といい、模様といい、非常にユニークな作品の数々です。
  チュニジアは、アフリカ大陸北部に位置するアラブ諸国の一つです。古代カルタゴ時代から地中海貿易で栄え、のちに東西のローマ帝国、やがてオスマン帝国の支配を受ける歴史の中で、キリスト教世界とイスラム世界、その双方からの影響下にこの国の文化が育まれました。

 

  セジュナン(Sejjnane)は、チュニジア北部の小さな村です。セジュナン焼きの人形や動物造形は、ベルベル人(北アフリカ各地に居住するベルベル諸語を母語にもつ先住民族)の女性たちの手によって生み出されます。手ひねりで成形して乾かし、小さな土窯で焼成する素朴なもので、植物や鉱物などからとれる天然の絵具で彩色されています。



▲セジュナン焼きの人形・ベルベル人

  猫、豚、鳥、フクロウ、魚、亀といった身近に居る小動物は、まろやかなラインが特徴的、白、茶、黒のアースカラーで大胆に模様付けされた作品の数々は、メキシコやペルー、ブラジルなどラテンアメリカの土製民芸とも共通する味わいがあります。今回入手したのは20点。中には、高さ25cmほどの比較的大型のものもありますが、ほとんどが手のひらにのるサイズで、子どもたちの持ち遊びにも適した重量と手触りです。
 いくつかを画像でご覧いただきましょう。

▲魚 ▲仔猫 ▲猫 (高さ27cm)
▲鳥 ▲豚 ▲亀
 動物のおもちゃ展やアフリカの造形展などを開催する折に、ご紹介したいと思っています。


                                         

2006年12月
     ドイツ・エルツゲビルゲ地方の玩具

 先日、ドイツから日本へ一時帰国中の古本清子さん(エアランゲン在住)から1970〜80年代のエルツゲビルゲ地方の木製玩具が入ったダンボール箱が届けられました。
▲届けられたエルツゲビルゲのおもちゃ


 ドイツ連邦共和国の東南部、チェコと国境を接するエルツゲビルゲ地方は、19世紀初頭、木製玩具の産地として知られていました。この地方は、古くは鉱業で栄えた町でした。鉱石の枯渇による廃鉱後、人々はロクロを使って生活用品や玩具を作り、周辺の町々へ行商することを通して暮らしを立てるようになりました。
 今も、エルツゲビルゲ地方には、ザイフェンやグリュンハイニッヘンなどの「おもちゃ村」が点在し、村の歴史や風景をテーマにした物語性豊かな玩具や、クリスマスに登場するしかけのある燭台や人形など、独創性にとみ、技術の高さを示す作品が、大小の工房で作り続けられています。
 
 この地方の玩具作りの現状について、私たちがその詳細を知らされたのは、東西ドイツが再統合を果たした翌年の1991年、古本・ヘルベルトご夫妻の来館を受けた折でした。ヘルベルト氏はエンジニアとして大手企業に勤務されていましたが、エルツゲビルゲのミニチュア玩具の調査収集をサイド・ワークに楽しまれている方でした。1994年新春には、井上館長がドイツを訪問し、ヘルベルト氏の案内でエルツゲビルゲ地方の木製玩具産地の中心ともいえるザイフェンの町を訪ね、同年のクリスマスに博物館の学芸スタッフと友の会のメンバーが団体で訪ねた折には、清子さんが通訳として町の工房を案内して下さいました。当時、アジアからのツアーは珍しく、私たちは、日本初の団体旅行者としてザイフェンの方々に大歓迎を受けました。
 1990年代前半、ザイフェンの町には、10カ所ほど大きな工房と家内工業的な小さな工房は140ほどありました。人口約3000人にして、700人近くが玩具職人という、文字どおりのおもちゃ村。工房の小さなショーケースや家々の窓には、何代にもわたって作り継がれてきた玩具とキャンドルの明かりが暖かく、光のピラミッドやクルミ割り人形の大きなつくりものが町を飾るクリスマスアドベントの風景が深く心に残っています。
 しかし、旧東ドイツに位置していたエルツゲビルゲ地方は、東西統合後、急速に変化を遂げました。ザイフェンの町にも、西側の資本が入り、たくさんのホテルが立ち、旧来のマニュファクチュアによる玩具作りを固守するマイスター(熟練工)たちの暮らしにも、様々な影響が出始めています。ザイフェンのマイスターたちは、以前ほども玩具が売れなくなってしまった・・・と頭を悩ませているといいます。

 
←エルツゲビルゲ地方のユニークな玩具製法〜ライフェンドーレーン〜「馬が出来るまで」
小さな動物を作るとき、ドーナツ型の輪をあらかじめロクロにセットし、足のすき間や背の盛り上がり、頭の傾きなどを、ロクロを回しながら、専用の刀で切り込みます。断面をカットすると、一つのドーナツ型から何十体もの動物が出来上がります。この製法をライフェンドーレーンと呼び、ザイフェンを中心とするエルツゲビルゲの熟練工独自と技術として伝わっています。
















  さて、今回、古本さんから届けられたエルツゲビルゲ地方の木製玩具は、旧東ドイツ時代、1980年代前半頃のものが中心です。木のドーナツ型(ライフェンドーレーン)から動物が切り出される様を紹介する資料、乗り物のミニチュア、メリーゴーランドなど仕掛け玩具、糸仕掛けで動く小さな人形、削りかけの木(シュパーンバウム)と動物、積み木と街づくり、ミニチュアままごと道具、クリスマスのオーナメントなど、総数にして約100点です。

 2006年の現在、エルツゲビルゲの工房では、それぞれに同じ形態のものが作り続けられていますが、20〜30年前のそれらは、今のものとどこか違っています。塗布される絵の具の色彩も、装飾や華美を退けた雰囲気のシンプルな造形も、旧ソ連時代に作られたロシアの木製玩具に通じるものがあり、箱の中から次々に出てくる玩具が並ぶと、過ぎ去った「東ドイツ」の空気が立ち込めるようです。

▲ツリー飾り・天使たち  ▲乗り物玩具のミニチュア(全長5〜6cm)
▲削りかけの木(シュパーンバウム)と鹿 ▲天使のキャンドルスタンド


 これらの玩具は、4号館の常設コーナーに順次、展示し、また機会をとらえてドイツの木製玩具の歴史を紹介する企画展を開催してみたいと思っています。
 古本ヘルベルトご夫妻と出会い、それから玩具を通じた交流が続いていること、ご夫妻の日本玩具博物館への変わらぬご協力ご支援に対して、この場をかりて心より御礼申しあげます。

▲エルツゲビルゲの木製玩具 1970〜80年代



2006年10月
     ウクライナの玩具


 ウクライナは、旧ソビエト連邦の共和国で、南に黒海、東にロシア、西にハンガリーやルーマニア、スロバキア、ポーランドなどの東ヨーロッパの国々と接するスラブの国家です。旧ソ連時代は、音楽芸術やスポーツ方面にも大きな役割を果たしてきました。首都はキエフ。1991年のソ連解体によって独立国家となりましたが、北にチェルノブイリを抱える国でもあり、まだまだ経済的には不安定で、多くの国際的な援助を必要としています。
 今夏、発展途上の国々を支援し、日本との友好を図ることを目的に活動している団体の方を通して、ウクライナの玩具、約50点を入手しました。内容は、素焼き彩色の風俗人形、出土品をモチーフに作られた創作的な土人形、家畜を題材にした土笛、白樺で作られた木製玩具、麦わら細工のクリスマスオーナメントです。
 当館は、既に1970〜80年、旧ソ連時代に作られたコーソフ地方の馬笛や騎馬笛、白樺製玩具など、民族色豊かな伝承玩具を収蔵していますが、それらに比べて、今回の資料には現代的なセンスが加わっています。特に風俗人形のデフォルメされた表情には、アニメーションのキャラクターにも通じる現代的な遊び心があります。






             
     コーソフ地方の山羊笛 (旧ソ連時代1970〜80年代)           素焼き彩色の風俗人形(2000年代)            

 一方、山羊やライオン、馬、豚、猫などを題材に手ひねりで作られた土笛が面白く、その造形からオポーシュ二ャ地方の伝承をひくものと思われます。また、馬車、家鴨車、カタカタ、ぶんぶん独楽、パズル、うなり木、復活祭の玉子など、白樺で作られた木製玩具の素朴さや、細部の文様などには、ウクライナの民族色がしっかりと残されています。
 今回入手した玩具50点は、2000年代のウクライナを伝える資料といえるでしょう。

   
山羊と馬の土笛(2000年代/オポーシュニャ地方か)           白樺製の馬車(2000年代)