「神戸人形」は、明治時代中頃に神戸で誕生したからくり人形です。台の上の人形が手を動かし、首をふり、大きな口をあけて西瓜を食べたり、酒を飲んだり…。その滑稽な動きと繊細な仕掛けは、神戸っ子だけでなく、神戸を訪れる外国人観光客の人気をさらいました。実際、明治から昭和初期にかけて作られた神戸人形は、アメリカやヨーロッパの各地に多く残されています。
 明治時代の神戸人形は、柘植(つげ)などの材料が使用され、木肌の美しさを強調した作品が多く、「お化け人形」あるいは「布引人形」(観光地・布引の滝で売られていたため)などとも呼ばれていました。昭和時代のはじめ、作品全体が黒で塗られるようになる頃には、「神戸人形」の名前が定着しました。
 神戸人形の作者として分かっているのは、初代の野口百鬼堂、二代目と目される出崎房松、昭和初期に神戸人形を有名にした小田太四郎、そして戦後、百種にも及ぶ神戸人形を精力的に製作した数岡雅敦です。ここ数年間は製作者もなく、廃絶状態となっていましたが、2002年より日本玩具博物館では、神戸人形を次代につないでいく活動を始め、藤尾秀久氏の協力を得て日本玩具博物館版の神戸人形(酒飲み・西瓜喰い・釣鐘お化け・面被り)を制作していました。が、諸事情から2014年に制作がストップしました。しかし2015年、佳き出会いがあり、神戸市在住で人形美術を専門とするウズモリ屋・吉田太郎氏に神戸人形の制作を引き継いでいただくことができました。
 当館では現在、同氏に制作いただいた日本玩具博物館版の神戸人形をミュージアムショップで販売しています。

ウズモリ屋・吉田太郎作
 
神戸人形の歴史

@明治から大正期頃

 通説では、神戸人形の創始者と確認できる最も古い作者は、神戸の長田神社の参道筋で、商店を営んでいた「長田の春さん」と思われます。春さんの作品は、木地のまま、あるいは茶系統の色合いが特徴で、ろくろ首や三つ目などのお化けのモチーフが目立ちます。この頃の神戸人形が「お化け人形」と呼ばれた所以です。これとは別に、明治35年頃には出崎房松が登場し、黒い色の人形も作られ始めます。

神戸人形(明治中期)
 
神戸人形・出崎房松作
【野口百鬼堂の神戸人形】

 明治時代の神戸人形には、台底に「野口百鬼堂」の商標(神戸長田村/元祖おばけ/野口百鬼堂)が押されているものがあります。この野口百鬼堂が、「長田の春さん」であると考えられます。
 春さんは、もとは芝居の小道具師で、明治30年頃には、神戸の長田神社の参道で山椒昆布を商い、あわせてからくり人形も作って売っていたようです。(※道畑佐市著『回顧七十五年』昭和46年発行による)。
あご髭をちょっと残した小柄な春さんは、自分の店の前に棺桶を据え、一日に何度も出たり入ったりして人を驚かせる奇人として、周りの人たちから愛されていました。おばけ人形の独創的な造形と動きには、人を驚かせるのが好きだった春さんのユーモアが漂っているようです。

【出崎房松の神戸人形】

 出崎房松(明治16年〜昭和42年)は、和歌山県有田に生まれ、大阪の呉服関係商に奉公した後、神戸の花隈に移り住みます。手先が器用で、木の根っこから動物などを作っていましたが、やがて、「糸巻き」を利用してからくり人形を作り始めます。明治末期から大正期にかけて、外国人観光客相手の土産物屋や輸出業者の注文をとって人形作りにいそしみました。
 出崎の作品と思われるものは、黒く塗られたものも見られ、背の高い台、蛇をあしらった作品が目立ちます。大正期頃は、大川某(名は不明)も出崎と一緒に人形を作っていたといいます。
 この他にも、神戸には、名前が知られていない「幻の作者たち」が何人かいて、からくりの巧妙さを競いあっていたようです。

A大正から昭和初期頃

 大正から昭和初期にかけて、神戸人形を有名にしたのは小田太四郎です。カタログらしいものを作成し、販売先を外国にまで広げていきました。小田は職人を使って制作しており、カタログ写真には、63種類の神戸人形が見出されます。昭和4(1929)年には、神戸へ行幸された天皇に作品を献上しています。この頃から「神戸人形」の名は、内外によく知られるようになりますが、小田以外にも神戸人形の製作に取り組む人達は存在したと思われます。
神戸人形・小田太四郎作
 
【小田太四郎の神戸人形】

 小田太四郎(明治16年〜昭和26年)は、日露戦争で両足を負傷し、神戸市からの斡旋を受けて、神戸人形を作り始めたといいます。出崎房松の妻が太四郎の妹にあたることから、出崎に人形作りを習ったとも考えられます。小田は手先が器用な上、仕事熱心でしたが、一度に量産が出来ないので、人形の部品などは、明石や姫路の木工所に外注していました。昭和4年、神戸へ行幸された昭和天皇へ献上にあたって小田が書いた作品の解説書によると、品名は「神戸人形」、材料は鹿児島県産の柘木、3人の職人を使い、年間の生産量は約1万個、年間生産総額は7千円としています。販売先は国内および外国で、作品の用途としては、小児の玩具、また「学生の勉強による疲労を癒すもの」と小田自ら位置づけていました。
 小田の作品は、野口や出崎のものに比べて様式化され、色調は黒と赤に統一されていきました。

B昭和期頃から現在

 神戸人形は、太平洋戦争中に岡山へ疎開した小田太四郎によって戦後も作られますが、小田の死後、途絶えます。その後、昭和30年代中頃から、神戸人形の復活に取り組む人が現れました。兵庫県加古川市に住む数岡雅敦(喜八)で、古い神戸人形を分解研究するなどして、その再現に成果を上げました。昭和時代の神戸人形は、数岡のほか、神戸市内の民芸店神戸センターと元町の玩具店キヨシマ屋が製作・販売を行い、復元の形をとりながら伝承を受け継ぎました。数岡の作品は一体が8千円から8万円と高価で、普及にも限りがありました。神戸センター製やキヨシマ屋製の作品は、数岡に比べて細工等の質は落ちるものの安価で、普及版としての大きな役割を果たしました。

【数岡雅敦の神戸人形】

 数岡雅敦(昭和3年〜平成元年)は、神戸の郷土史家・荒尾親成氏(当時、神戸市立南蛮美術館館長)の助言を受け、また明治・大正期の古い神戸人形を分解し、その仕掛けを研究するなどして、再現に取り組みました。その結果、昔とそれほど変わらぬものを作れるまでになり、百種以上の神戸人形を作り上げました。
 昭和56年、神戸で開催されたポートピア’81で、神戸人形は神戸土産として脚光をあび、広く知られるところとなりましたが、量産できる人形ではないため、普及には限りがありました。数岡の作品は黒と赤の対比が美しく、動く時に発する音にも魅力があります。


【キヨシマ屋・神戸センターの神戸人形】

 神戸元町で古くから玩具店を営む「キヨシマ屋」や三宮センター街の民芸店「神戸センター」でも昭和40年頃から神戸人形が作られ、平成初期まで売られましたが、数岡作品と比べると廉価でしたが、質は高いとはいえませんでした。
 
数岡雅敦作

日本玩具博物館の「神戸人形コレクション」
 当館は館長井上重義が昭和39年に数岡雅敦と出会って以来、精力的に収集に取り組んできました。アメリカの収集家から貴重な資料を買い取るなどして、「野口百鬼堂」から現代までの作品約600点や神戸人形にかかわる資料を多数所蔵しています。
日本玩具博物館所蔵品による神戸人形展

原田の森ギャラリー・リニューアル記念 幻の神戸人形展〜港町・神戸のからくり人形、百年の歴史をたどる〜
2003年7月20日(日/祝)〜8月3日(日) 原田の森ギャラリー(旧兵庫県立近代美術館)東館1階

〜港町・神戸のからくり人形、百年の歴史をたどる〜
幻の神戸人形展
2012年6月9日(土)〜9月11日(火) 日本玩具博物館 詳細はこちらのページをご覧ください。

神戸人形と世界のからくり玩具
2016年6月18日(土)〜10月23日(日) 日本玩具博物館 詳細はこちらのページをご覧ください。

神戸人形〜ミナトマチ神戸生まれのからくり人形〜 
2017年6月14日(水)〜10月15日(日)
 デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO) 詳細はこちらのページをご覧ください。

「神戸人形」頒布再開のお知らせ
 現在、日本玩具博物館版・神戸人形として、当館では下記の作品を販売しています。酒呑みと西瓜喰いに続いて、釣鐘お化けと面被りも完成し、ウズモリ屋特製の釣鐘だるまも合わせて5種類の神戸人形をミュージアムショップで販売しています。人形制作のプロの手になる作品だけに完成度も高く素晴らしい作品です。

      

ミュージアムショップにて販売中です。

 





名 称 酒呑み 西瓜喰い つり鐘お化け
復活
面被り
復活
 釣鐘だるま
完成品 \7,000(税別) ¥7,000(税別) ¥10,000(税別) \10,000(税別) \11,000(税別) 

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