■2018年1月23日 「たばこと塩の博物館」講演会資料■
ちりめん細工(裁縫お細工物)の復興に取り組んで
 
井上重義(日本玩具博物館館長)
1、はじめに
 1冊の郷土玩具の本との出会いから玩具の蒐集を始めて54年、玩具博物館を開館してから43年の歳月が流れた。
日本玩具博物館外観

 私は蒐集の過程で「子供や女性にかかわる玩具や人形も大切な文化遺産であるのに、それらが評価されずに失われていくものが多い」現状を知り、蒐集した資料の素晴らしさや大切さを知ってもらいたいと、私財を投じて博物館を設立した。
 開館は1974年11月10日。そして当館の使命は「評価されることが少ない子どもや女性の文化遺産を蒐集保存し、それらに光を当てることにある」と考え、現在までさまざまな活動を展開してきた。その大きな成果のひとつが、女性の伝統手芸である「ちりめん細工の復興活動」である。
 ちりめん細工は子どもたちが作るものではなく、また子どものために作られたものも少ない。玩具博物館である当館の基本的な使命や活動目的からからいえば、幹ではなく、枝葉の部分であるともいえる。それが大きく繁り、幹を支える役目もしている。
 地方の一介の個人が設立した私立博物館が、32年間に亘り取り組んできたちりめん細工の復興活動が大きく花開き、地方から全国へ広がり、大きな流れになっている。その経緯について発表したい。

2、ちりめん細工とは
 江戸時代から明治時代にかけて、縮緬の小さな残り裂を縫い合わせて、手のひらに載るほどの花、動物、人形、玩具などの小袋や小箱が作られ、かつては琴爪やお香や大切なものが入れられた。いつごろ何処で作られ始めたのかは不明だが、縮緬という布が裕福な階層の人々のものであり、伝承される古作品からも、当時の上層階級の女性たちの手で作り伝えられてきたと判断できる。ところが生活様式の変化や、戦争による混乱の中で昭和に入るといつしか忘れられた存在になった。
 ちりめん細工という言葉は私が考えた造語である。以前は「縮緬の裁縫お細工物」と呼ばれてきたが「ちりめん細工」と短く易しい言葉を考え、1994年にNHK出版から出版した『伝承の布遊びちりめん細工』以降、意識的に出版物や展覧会などで使ったのが市民権を得たのである。

3、なぜ取り組んだのか
 私は女性の手になる手まりや姉様人形などを1963(昭和38)年以来収集してきた。その過程でちりめん細工の存在を知った。だが蒐集は進まず、復興活動
明治42年刊『裁縫お細工もの』
の進展もなかった。それが1970年、神戸の古書市でちりめん細工のバイブルともいえる『裁縫おさいくもの』明治42 (1909)年刊を入手したことで大きく進展した。同書には口絵にカラーで桜袋・うさぎ袋・にわとり袋・蝉袋・鶴袋・人形袋などが紹介され、39種類の作品が型紙と共に作り方が解説されていた。この本でちりめん細工がものを大切にする心や手指の器用さを養い教養のひとつとして女学校などで教えていたことを知った。さらには裁縫お細工物=ちりめん細工が、日本女性の美意識や造型感覚を表現し、手の技を伝える芸術品でありながら、評価されずに埋もれた存在であることにも気付いた。素晴らしい手の技や美意識を表現し、芸術品として認められるべきものが「手芸品」といった言葉で片付けられているのが残念で、その復興を計ることが私の使命であると考えた。

4、復興への具体的な活動

@ちりめん細工講座の開設・・・1984年に当館へ手まりを見にこられた方が『裁縫おさいくもの』を探しておられ、コピーを差し上げたところ、一年後にお礼として復元作品を寄贈いただいた。1986年にその資料と館蔵品とを合わせて『明治のお細工物と郷土雛展』として全国の郷土雛とちりめん細工約100点を展示した。それが地元の神戸新聞の家庭欄に大きく取り上げられて反響を呼び、「作りたい」と大勢の希望者が申し出られた。そして手芸の好きな方約20名が当館に集い、『裁縫おさいくもの』を教科書に年に2〜3回集まって勉強会を続けた。1989年から、勉強会の参加者でちりめん細工研究会を組織し、その後、当館が入手したお細工物に関する文献資料に基づく作品作りや古作品の復元作業に取り組み、ちりめん細工の技術の伝承と質の向上を計ってきた。
 1991年からは研究会の主要メンバーを講師に毎月講習会を開催し、現在に至る。2年以上20講座に出席すると研究会(現在会員は約200名)に参加でき、4年以上40講座に出席すると講師認定の資格がとれる。講習会や研究会には遠く全国各地から参加されており、講師認定者も増えて現在までに70人を超える。 
 ちりめん細工に関心が高まると各地から講師の派遣要請があり、現在、当館認定講師による講座が、秋田、山形、仙台、新潟、東京、横浜、静岡、京都、
『伝承の小裂細工』と本文の頁
大阪、奈良、兵庫、広島、山口、徳島、北九州、佐賀などで開催されている。私は講師の皆さんに「出し惜しみせずに教えて欲しい」とお願いし、どこの講座も好評で盛況である。詳しくは当館のちりめん細工のホームページをご覧下さい。

A出版活動・・・当館がちりめん細工の復興活動に本格的に取り組む以前の文献は、『伝承の小裂細工』(林芳江・須藤久美子、グラフ社1979年刊)と『ちりめんの手芸』(望月葉瑠、文化出版局1983年刊)位だった。上記のいずれもの文献が『裁縫おさいくもの』を参考にしているため、私は、お細工物の普及にはバイブルともいえる『裁縫おさいくもの』の復刻が必要だと考え、1991年に『裁縫おさいくもの』を2千部自費出版したが大きな反響を呼び完売した。さらに同年『私の部屋』NO118冬号に『日本手芸リバイバル発信地・兵庫県日本玩具博物館を訪れる』として特集が組まれ、当館の活動が全国に知られ、脚光を浴びるようになった。
 『裁縫おさいくもの』を出版後、同書が明治時代の文献であることから読みにくく、理解しにくい、現代文の解りやすい本をとの要望が数多く寄せられた。そのため、1992年にマコー社から『ちりめん遊び』を私の監修で出版。さらに1994年にはNHK出版『おしゃれ工房』の1・8月号の巻頭に取り上げられ、同年9月には同社より『伝承の布遊びちりめん細工』を出版した。1ヵ月で再版になるなど大きな反響があり、同書は増刷(28刷)をくり返して現在に至る。続いて1998年に私の監修でNHK出版より『ちりめん細工で遊ぶ四季』、婦人生活社から『やさしく作れる伝承のちりめん細工』を出版した。
 1999年には雄鶏社から『ちりめんで作る細工ものと押し絵』、2000年に『四季を彩るちりめん細工』、2003年に『和の布遊びちりめん細工』、2004年に『季節のつるし飾り』、2005年に『お雛さまと雛飾り』、2009年には当館所蔵の江戸や明治期の古作品を集大成した『江戸・明治のちりめん細工』が出版されたが、同社は同年に倒産した。その後、管財人からの連絡があり『四季を彩るちりめん細工』、『和の布遊びちりめん細工』、『季節のつるし飾り』、『お雛さまと雛飾り』の
当館講師の創作作品ほか
著作権を当館が取得し自費出版(書店では売られていない)している。
 日本ヴォーグ社からも出版の話しがあり、2007年に『ちりめん細工傘飾りと雛飾り』、2008年に『ちりめん細工お手玉とお祝い物』を出版した。
 2011年出版の『ちりめん細工つるし飾りの基礎』は増刷が続き、現在までに93000冊発売。続いて出版した『ちりめん細工つるし飾りの基礎2』(2014年刊)、『基礎からわかるちりめん細工のつるし飾り』(2016年刊)も増刷が続き、今春も同社から『季節のつるし飾りとちりめん細工』が出版される。昨年は朝日新聞出版からも『ちりめん細工の小さな袋と小箱』が出版された。
当館講師による創作作品など
 私が監修する出版物では館所蔵の江戸や明治期の古作品を復元して、型紙や作り方を発表するとともに、講師の皆様の創作作品を発表。それらの成果を共有しながら質の向上を図り、ちりめん細工の伝承と普及に努めてきた。創作作品は伝承作品と思われているものが多いが、創作這い人形袋、蛙袋、たけのこ袋、ふきのとう袋、菊の花(千本菊)袋、犬筥袋、御馳走ほか、数多くの作品を発表してきた。さらに大きな成果は紐先の処理である。以前のものは結ぶだけか、丸いボンボンをつけるだけであったが、講師の皆様が様々な花のつぼみや実を紐先として考案され、『やさしく作れる伝承のちりめん細工』(婦人生活社1996年刊)で発表して以来、数々の工夫を凝らした作品を発表されてきた。
つるし飾り
 上記の本はいずれも私の監修であるが、当館のちりめん細工講師の皆さんが当館所蔵の古作品を研究して型を起したり、創作された作品を発表したもので、いわば私と制作者との共著ともいえる本である。ちりめん細工の生命は型紙にあり、ちりめん細工の愛好者を増やすためにも、数多くの創作作品の
傘飾り
型紙を出版物でオープンにして、出来るだけ分かりやすく解説することに努めてきた。 

B飾り方の提案・・・ちりめん細工は本来、袋物や箱物として作られたものである。それが1998年に伊豆の稲取温泉で過去に行われていた雛祭りのつるし飾りを町おこしとして復興された。翌年には福岡県の柳川で、さらに2006年には山形県酒田で傘にちりめん細工を吊るす傘福が始まった。その後、全国各地で町おこしとして、雛祭りに輪にちりめん細工を吊るす「雛のつるし飾り」が行われるようになった。雛のつるし飾りは過去には各地で行われ、その時代は明治後期〜昭和初期と推測される。しかし当時とは住宅事情も変わり、天井から吊るせなくなり、雛人形も小型化していることから、私は『四季を彩るちりめん細工』(2000年)以降、小型で手軽に吊るして飾れる一文字棒や十文字棒の飾り、傘飾り、つるし飾り台(50cm・70cm・90cm)などを考案。講師の皆さんに雛の季節だけでなく四季折々に楽しめるちりめん細工のつるし飾りの作品を制作いただき、出版物で発表してきた。

C展示活動・・・ちりめん細工の素晴らしさと魅力を知っていただくためには実物作品を見ていただくことが大切だと考え、当館では1986年以降、ほぼ隔年ご
目黒雅叙園での展示
とに新しく本に発表した作品と新収蔵した作品を中心に企画展としてちりめん細工展を開催してきた。
 館外から請われての展示も続き、1992年に東京家政大学生活資料館に出品以来1996年に明石市立文化博物館、1997年に有楽町マリオンギャラリー、1998年に大阪阪神百貨店ギャラリー、2003年に豊田市民芸館、2006年に大阪守口京阪百貨店ギャラリー、2007年には東京のたばこと塩の博物館と群馬県の日本絹の里、2008年には小倉城庭園、2010年には静岡県の佐野美術館、2015年には目黒雅叙園のひな祭りに展示したが、いずれも大勢の来場者があり大きな反響があった。 
当館で販売している二越縮緬


D普及のための材料供給活動・・・ちりめん細工が盛んに作られていた江戸や明治時代の縮緬は、薄くて伸縮性のある二越縮緬だった。しかし現在、織られている縮緬は厚くて伸縮性もなく、お細工ものに適していないことがわかった。ちりめん細工に古布が使われるのは、風合いだけではなく、薄くて伸縮性があり、縫い易いからである。ところが古布は高価で入手も困難であり、ちりめん細工の復興には薄くて伸縮性のある明治期の二越縮緬の再現が必要であることに気付いた。
 1996年の秋、本場の丹後の試験場や織元を訪ねた。しかし伸縮性のある二越縮緬は過去のものになって織られておらず、売れるかどうか分からない縮緬を織ってくださる織元はなかった。が、協力いただける織元がみつかり、共同して再現に取り組んだ。試行錯誤の末、2年後の1998年にほぼ満足できる二越縮緬が再現でき、さらに京都の老舗の染工場の協力を得て、江戸や明治期の古布を参考に明治の型友禅の再現に成功した。「古風江戸縮緬」と名付けて見本帳を作り、当館ミュージアムショップで通販に取り組んでいる。作り手の方に少しでも安く届けるために、卸売りはせずに卸値で皆様にお分けしている。全国のちりめん細工の愛好者から喜ばれ、不況に苦しむ産地からは、新しい需要を掘り起こしたと感謝されている。

5、おわりに
 ちりめん細工は現在、雛の吊るし飾りブームの影響もあり、再び大きな関心が寄せられている。しかし、残念なのは20年ほど前から中国製のまがいものが、ちりめん細工の名で京都を始め各地の観光地で売られるようになって、「悪貨が良貨を駆逐する」という状況もうまれている。
 また「吊るし飾り」についても、一部で「つるし雛」という言葉が使われているが、吊るし飾りはあくまでも雛祭りを盛りたてるためのもので、雛壇の添え物的存在であり、雛人形を吊るすものではない。
 私は日本女性が作り上げてきた文化遺産でもあるちりめん細工の評価を高めるには、質の向上を図ることが大切だと考えている。
 当館は博物館の使命として長い歳月をかけ、子供や女性の文化遺産を守り育てるための活動を真摯に展開してきた。これからもちりめん細工の質の向上を計り、日本女性が守り育ててきたちりめん細工が世界に誇れるものであるとの評価をいただくためにも、さらなる努力を続けたい。