NO. 238
目が出る芽が出る!めでたい神戸人形・亥
                                       (2018.12.1  学芸員・原田悠里)
カレンダーも残すところあと1枚!?ひぇ~!師走に入ると、年末年始の準備にとりかかる方も多いのではないでしょうか。
本日、ウズモリ屋の吉田さんご夫妻が神戸人形の新作を持ってご来館くださいました。なんと、来年の十二支にちなんだ「亥」の神戸人形です!十二支をモチーフにした神戸人形は、今年の「戌」から作られ始められたちょっと変わり種の神戸人形です。おめでたい赤色(カシューナッツのカシューが原料の塗料だそうです。)の土台に、かわいらしいウリ坊が乗っています。おいしそうな竹の子をめがけて、猪突猛進のウリ坊ですが、つまみをまわすと、なんと狙っていた竹の子が消えてびっくり!つんのめって目も飛び出しています(笑)ウリ坊が動く際に、カタッ、カタッと鳴る、木の音もとってもかわいらしい!
よし!おいしそうな竹の子にかぶりつくぞ! え~!!消えてしもた!!!
この神戸人形は、朴の木で作られていて、ウリ坊のしっぽには、イワシクジラのヒゲが使われているそうです。詳しい製作過程は、ウズモリ屋さん公式の「ウズモリ屋の神戸人形ブログ」に書かかれています。木からウリ坊を削り出す様子や、それぞれの部品がどのように組み合わされて作られているのか、からくりの仕組みも写真つきでご紹介されていますので、神戸人形だけでなく、からくり玩具や人形制作に興味のある方もぜひご覧になってみてください。
今回、吉田さんのご厚意で館の資料として1体をご寄贈いただきましたので、さっそくに資料登録をさせていただき、1号館で開催中の「猪のおもちゃ」に仲間入り♪神戸人形のユニークさと新春のめでたさが合わさった亥の神戸人形に会いにいらしてくださいませ。
            
 つんのめるウリ坊を手に、ウズモリ屋吉田さんご夫
そしてなんと吉田さんが、工房太郎&ウズモリ屋特製のアドベント・カレンダーを館にプレゼントしてくださいました!クリスマス
1日は運転手のこぼっとくんでした!
の夜の神戸を走り抜けるウズモリ屋印の二階建てバスが主役のようです。ツリーには、リンゴとドイツの経木細工の光のオーナメントが!神戸人形だけでなく、吉田さんが日ごろ手掛けていらっしゃる人形たちも登場するということで、玩具博物館スタッフで毎日楽しみにめくってゆきたいと思います♪                                           
                           
そうです!お正月も待ち遠しいですが、その前にクリスマス★。12月に入ると、ヨーロッパでは、アドベント・カレンダー(待降節の暦)を楽しみに過ごす子どもたちもいます。アドベント・カレンダーは、19世紀ドイツの家庭で誕生し、デンマークやスウェーデンなどでも盛んです。クリスマスの町の風景などの美しい絵の中に、1~24までの数字が書かれた窓があり、窓をあけるとクリスマスにちなんだ絵が出てきます。12月1日から毎日ひとつずつ日付と同じ窓を開け、すべての窓が開いた日がクリスマス・イブ。
玩具博物館のアドベント・カレンダーがあったらいいなぁ~と思い、考えた結果、おもちゃたちに協力を依頼しました!24日まで毎日ひとつのおもちゃが、日付の数字をかかげてくれます。記念すべき1日は、ドイツ・エルツ地方で作られた「煙出し人形・おもちゃ売り」です。さてどこにいるでしょうか^^
ご来館いただいた際には、ぜひ輝く星印を探して、玩具博物館のアドベント・カレンダーをお楽しみください。  

黄色い星が目印です。アドベント・カレンダーに選ばれたおもちゃ売りを右上からチラリと見ているのはプラムの人形ツッヴェッチゲンメンラインの音楽家(笑)

NO. 237
秋季祭礼の唐人踊りと唐人さんの人形
                                       (2018.11.7 学芸員・尾崎織女)
去る夏は、展覧会協力で三重県総合博物館とのつながりを深くしたのですが、そのご縁もあって、10月6日と7日の2日間にわたって三重県津市で開催された津まつりを訪ねました。その中で、江戸前期以来、380年の歴史を刻む津八幡宮の祭礼の奉納される風流行列のひとつ「唐人踊り」(三重県指定無形民俗文化財)を間近で見学することが叶いました。これは、朝鮮王朝より江戸幕府へ派遣された通信使節をまねたものとされ、裾が四方にめくれた長衣(赤・黄・白)に肩飾り(ケープ)をつけ、笠子帽に喜怒哀楽を表す面をつけた一団が、チャルメラや笛、鉦、太鼓の囃子で歓喜の踊りを披露しながら町中を練り歩きます。李氏朝鮮風の仮装と独特の音楽がかもし出す雰囲気は非常に魅力的です。
江戸初期の津八幡宮の祭礼は、他の都市型祭礼と同じように、神の遊行を意味する神輿行列と豪華な衣装や造り物で群衆が囃し踊る風流行列とで構成されていました。氏子である各町が趣向をこらした風流行列を仕立て始めたのが寛永年間。――商人町である分部町は、上方などで見聞した唐人行列をまねて、阿蘭陀(おらんだ)や清国の人々など、様々な異国風俗を取り入れた風流を行っていたようですが、時代が下ると、朝鮮通信使の行列に特化して、賑やかでユーモラス、独特のムードをもった「唐人踊り」へと発展させたのだと、保存会の方からお話を伺いました。
津八幡宮の祭礼に町を練る「唐人踊り」一団
友好交流のための使節は、室町時代からすでに両国を往来していましたが、豊臣秀吉が起こした戦役によって断裂します。国交回復と隣国との平和を期する江戸幕府は、対馬の宗氏を仲介役として、信(よしみ)を通わせる使節派遣を朝鮮国に要請し、以降、通信使の来訪は260年間に12回にも及びました。
朝鮮国のエリートを正使として、当代の文化人を擁する500人もの一団は、海路、対馬から瀬戸内海沿岸の港町を経由しなが
唐人飴売り(『一蝶画譜』より 英一蝶 画)
ら、大坂(阪)まで進み、京都からは陸路、東海道を東進して江戸へと向かうルートをたどったようです。幕府はもちろん、沿道の諸藩は大歓待に心を砕き、宿泊先の寺院や宿屋へは学者や医師、文人らが押しかけて最新の学問を求め、詩や書画を取り交わして隣国の芸術家と親交を深めたのだといいます。
美麗な衣装をまとい、チャルメラやラッパなど、日本人には珍しい民族楽器を奏しながら街道を進む一行に、庶民は胸を高ならせたことでしょう。
その様子は絵巻物や屏風、浮世絵や絵馬にも描かれ、行列に触れる機会のなかった人々の好奇心を大いに刺激したことでしょう。
やがて町々には唐人に仮装して飴を売る行商人まで現れて、子供たちの人気をさらいます。

江戸後期から明治時代、盛んに作られた女性たちのちりめん細工のなかにも唐人はよく題材として取り上げられ、また各地の郷土玩具にも唐子人形や唐人笛が見られます。それらは当時の絵図を元にした意匠でもあり、また唐人飴売りに想を得たものもあるようです。人形の多くは笠子帽をかぶり、ドジョウヒゲを生やして、大きなラッパやチャルメラ(太平簫)、太鼓などを手にしています。
ちりめん細工の唐人袋(江戸時代末期から明治時代) 郷土の唐人人形
(奈良県桜井市・福島県郡山市・青森県弘前市・広島県福山市)
10月28日には、岡山県瀬戸内市牛窓町に伝わる「唐子踊り」(岡山県指定無形民俗文化財)の見学に出かけました。唐子踊りは、紺浦地区の疫神社にて、毎年10月第4日曜日の秋季祭礼の神事として奉納される稚児舞で、肩車にのって参詣した男児2名が小太鼓と横笛と歌に伴われて対舞するものです。唐子の踊りは本当に愛らしくて、町の人たちも他所から見学にきた人たちもみんな笑みをたたえて見入ります。

疫神社の秋季祭礼の奉納される「唐子踊り」
朝鮮通信使は、江戸往復の途中、牛窓に15回寄港し、9回の宿泊をしています。「唐子踊り」の起源については、朝鮮通信使の事跡と結びつける説、神功皇后の伝説とからめる説、地元創作説など様々な考えが出されていましたが、近年の研究では、最初、異国風の踊りが奉納されていたのが、江戸時代、朝鮮通信使を通して、朝鮮を身近に感じていた牛窓の人々が各地で流行していた唐人踊りと結びつけて、現在のような唐子踊りを創出したという説がとられています。
唐子踊りは疫神社だけでなく、天神社や薬師堂、塩釜神社などの前で奉納され、男児たちは紺浦地区の船型だんじり“飛龍丸”に乗って町を練ります。―――風雅な囃し方の音楽が帰宅する道々、ずっと頭のなかで木霊していました。

こうして民俗芸能や郷土の玩具の世界にも、近世における善隣友好使節の事跡が大切に遺され、受け継がれていることがなんとも嬉しく思われました。
郷土玩具の唐人笛(宮城県大崎市鳴子温泉・長野県野沢温泉)

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