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館長室から 2007.09.23

横浜人形の家を訪ねて

9月も半ばを過ぎ、朝夕はしのぎ易くなりました。今夏は猛暑の影響もあったのか入館者が大きく減少しましたが、秋の訪れと共に賑わいが戻ってきました。とりわけ1号館の企画展「おもちゃで綴る日本の祭」は秋祭りとも連動した催しで、来館者の評判も上々です。
「館長室から」では、世界華商大会にまつわる当地への記念ツアーや夏休みのおもちゃ作り教室の報告を約束していましたが、その約束が果たせないままになりました。華商大会の記念ツアーは実施日が大会前日であり、参加者が少なく姫路コースは残念ながら中止になりました。夏休みおもちゃ作り教室はどの講座も定員オーバーの状況で、子どもたちは夏休みの大きな思い出を持ち帰ってくれました。

当館資料による館外での展示は、この秋も日本・モンゴル博物館で「世界の鳥~その色と形」群馬県立日本絹の里で「暮らしの中のちりめん遊び」が開催されます。今月の13日~18日まで、東京池袋の西武百貨店で開催された「第4回私の針仕事展」には、約300点のちりめん細工を出品しました。パッチワークが中心の催しで、当館資料は会場の3分の1ほどでした。予想外の入場者があり、連日5000人を超え、初日は入場制限までありました。パッチワークの世界の凄さに驚きましたが、大勢の皆様にちりめん細工の素晴らしさをご覧頂く機会を得て喜んでいます。

池袋西武の展示撤収のために上京した機会に、久しぶりに横浜人形の家に行きました。同館とは「人形の社会的評価を高め、保存展示する」共通の使命や、アポロ社の故遠藤欣一郎コレクションを人形の家と当館とで受け入れた経緯もあり、設立母体の違いを越えて学芸員同士の太いパイプもあり、友好館として太い繫がりがありました。しかし昨年4月、同館に指定管理者制度が導入され、ブリキ玩具のコレクター・北原照久氏がプロデューサーに就任されましたが、残念ながら人形の家のベテラン学芸員全員が離れられ、その後、同館との連絡は途絶えました。その後どうなっているのか、同じ人形文化を守る館として気がかりでもあったからです。それに先般、千葉からの来館者から、横浜人形の家よりも当館の「世界の人形展」の方が素晴らしいと、気になる言葉を聞かされたからでした。

横浜人形の家は変わっていました。約1年間の工事でリニューアルされ、「『横浜発・世界の人形ふれあいクルーズ』をコンセプトに、いつ来ても楽しく、何回来ても、新たな発見ができる施設として展開していく」とされていましたが、正直言って私は良くなったとは言いがたく、長年に亘り資料を守り続けていたヒト(学芸員)がいなくなったツケは大きいと思いました。展示品も人形の家は良質の資料を多数所蔵されているはずなのに、その資料が出ていないのです。世界の人形コーナーも確かに千葉の方が指摘されたとおりでした。「質も量も」、更に展示手法もです。とりわけ気になったのは展示ケース内の明るさです。人形は布や自然素材の材料が多く繊細です。いくら紫外線カットの光源を使っているといっても、長時間強い光に当てると退色は当然です。直近からスポットが当てられた人形が何点もあります。人形に対する深い愛情があれば、こんな展示にはならないはずだと私は思いました。

聞けば複数おられた学芸員は1人になり、それも常駐でなく兼務と聞きました。ケース内だけでなく明るすぎる白っぽい館内、人形を見て心を癒したいと訪れる来館者も多いはずですが、その雰囲気からは程遠いものを私は感じ、何か寒々としたむなしさを胸に同館を後にしました。
指定管理者制度は、地方自治体が「住民の福祉を増進する目的をもって、その利用に供するため」に設けている文化施設や体育施設、公園などの『公の施設』の管理について、「多様化する住民ニーズにより効果的、効率的に対応するため、民間の能力を活用しつつ、住民のサービスの向上を図るとともに、経費の節減等を図ること」が目的とありますが、その制度が本当に文化を守ることにつながるのか、私は大きな疑問を感じました。

(館長・井上重義)

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