「夢の超特急(フリクション)」 | 日本玩具博物館

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今月のおもちゃ

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2008年8月

「夢の超特急(フリクション)」

  • 昭和34~39(1959~1964)年
  • 日本/ブリキ

 昭和30年代中頃から後半にかけて、「弾丸鉄道」「夢の超特急」「Dream Super Express」「超特急・いなづま号」などの名前でたくさんの鉄道玩具が製作されました。これらの姿は、新幹線(0系)とよく似ているようで、どこか違っているようです。

 技術的な裏付けのもと、広軌道の超特急(のちの新幹線)建設計画が承認されたのは昭和33(1958)年、翌34(1959)年4月には起工式が行われました。昭和36(1961)年、当時の国鉄は、3年後には完成させばければならないという厳しい条件つきで世界銀行から8,000万ドルの融資を受け、目標どおり、昭和39(1964)年10月1日、東京オリンピックの開会に合わせて、東海道新幹線を開業したのでした。

 戦前、満州への大量物資輸送のために、広軌道を走る「弾丸列車計画」があり、実現に向けて、土地買収やトンネル開削などなされていました。新幹線建設は、戦前戦中の弾丸鉄道計画をうまく活用するカタチで進められたために、5年という短期間での完成が可能となったといわれています。
 皇太子ご成婚、東京オリンピック開催・・・。日本経済が発展し、社会の近代化が進む時代、世界に向けて日本の技術力をアピールした時代、技術革新が家庭生活を変えていった時代、新幹線は、この時代を生きた人々の夢を担って、明るい未来へと走る「夢の超特急」だったのでしょう。

 「新幹線」という名前が決まり、その姿形が公表されるまでの間、玩具メーカーは、東京・大阪間を約3時間で走り抜けるという新しい特急列車を夢想しながら玩具として売り出しました。これらプレ・新幹線の玩具は、すべて、ゼンマイ仕掛けではなく、当時流行のフリクションによって走ります。タイヤを床面に何度か強くこすりつけるように回転させたあと手を離すと、勢いよく走り出す仕掛けです。夢の超特急の玩具には、フリクションによる走行こそがふさわしいと考えられたのです。

 このように、玩具は、新しいものに敏感かつ忠実で、小さいながらに、時代の夢を表現した形だと思います。ブリキ製のプレ新幹線たちは、1号館で開催中の夏の企画展「おもちゃの汽車」でご紹介しています。