今月のおもちゃ
Toys of this month「伏見土人形・熊と金太郎」
五月人形といえば、金太郎が有名ですが、端午の節句飾りに金太郎が登場するのは江戸時代後半のことです。
金太郎は、源頼光の四天王の一人、剛勇の武者として知られた坂田金時の幼名で、相模国(現在の神奈川県)の足柄山に山姥から生まれたとされています。怪力の持ち主で、真っ赤な身体に腹掛けをしてまさかりを担ぎ、熊、鹿、猿などを相手の相撲を好み、元気な子どもの象徴として親しまれてきました。
金太郎は江戸時代、歌舞伎や人形浄瑠璃、謡曲などにもしばしば取り上げられ、気は優しいが、不正をただして悪を懲らしめる物語に、大人も子どもも拍手喝采、大変な人気者でした。
その人気ぶりを今に伝えているのが、江戸時代後半から明治時代にかけて、庶民の節句人形として全国各地で作られるようになった土や張子製の郷土人形です。青森から鹿児島まで、全国の産地で金太郎が作られていますが、集めてみて面白いのは、その怪力ぶりの表現方法です。しっかりと根をはった松や竹をひきぬく、米俵や釣鐘を担ぎ上げる、熊を押さえつける、鯉にまたがって流れを上る…などなど、重いもの強いもの勢いのあるものとの組み合わせで、金太郎の力自慢を強調しているのです。
写真の「熊と金太郎」は、京都・伏見稲荷大社への参拝土産として人気を博した土人形で、明治時代末期の作品です。金太郎の全身が真っ赤に塗られているのは、かつて日本人の間では広く、赤い色が疱瘡(ほうそう)除けになると信じられていたからです。
昭和30年代後半姫路市生まれの筆者は、たくさんの友だちと縄跳び遊びをするとき、決まってこんな風に歌っていました。「♪三角四角、四角は豆腐、豆腐は白い、白いは兎、兎は跳ねる、跳ねるはお馬、お馬は赤い、赤いは金太郎さん、金太郎さんは強い、強いは大将!」と。昭和40年代中頃、金太郎さんといえば赤いもの、強いものという常識がわらべ歌の中に、まだ生きていたのでしょう。