「日本の近代玩具のあゆみ・Ⅰ~明治・大正・昭和〜」 | 日本玩具博物館

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常設展

新常設展*1 「日本の近代玩具のあゆみ・Ⅰ~明治・大正・昭和〜」

会期
2021年1月4日(月)
会場
2号館

いつも子どもたちの傍らにある玩具は、小さなものでありながら、色や形、材料やテーマにも時代の精神がふんだんに表現されているため、これらを通して、私たちは、自らの生活史に触れることができます。日本玩具博物館が開館以来、収集を続けてきた“近代玩具コレクション”の中から、約500種類を選び、近代玩具の変遷を通して、明治・大正・昭和30年代までを振り返ります。

教育や文化が中央集権的に統一され始めた明治時代、家内工業的に手作りされる地方色豊かな郷土玩具に代わって、工場で大量生産される玩具が日本中に流通し始める時代に日本の近代が幕を開けます。ブリキやゴム、セルロイドなどの新素材、ゼンマイを使った玩具が登場した明治・大正時代、プラスチック素材が主流となり、機構的にも、フリクションから電動が一般化した昭和中期と、この100年余りの歳月にも、玩具の世界は数度の大変革を体験しました。

2号館では、明治・大正・昭和30年代までの各時代に登場した流行玩具を時代ごとに展示し、時代の移り変わりと子どもにとってのおもちゃの役割を探ります。

<明治時代 ―1868~1912―>
明治時代は、新政府が唱える「文明開化」のスローガンのもと、欧米文化を積極的に取り入れ、国をあげて近代化にまい進した時代。明治5年に出版された福沢諭吉の『学問のすすめ』は、「学問が国を豊かにする」という時代精神の根幹を支えました。また、幼児教育の大切さが説かれ、子どもや遊びに対する関心が高まった時代でもありました。そんな中、玩具を「教育の道具」ととらえる考え方が登場し、例えば、コマや羽子板は筋力を鍛える道具、おはじきは器用さと集中力を養う道具と位置づけられました。
明治後期になると、外国から輸入されたブリキやゴム製玩具をまねて、工場生産が始まります。一方、郷土玩具の世界もまだまだ健在。江戸時代以来の伝統的な遊び文化も生き続けていましたし、駄菓子屋では安価な小物玩具が売られ、子どもたちの人気を集めました。

明治時代の玩具 展示コーナー
「教育動物園翫具」(明治後期)


<大正時代 ―1912~1926―>
大正時代に入ると、日本経済はさらに発展。ブリキ、セルロイド、アンチモニーなどの新素材玩具は、工場で大量生産され始めます。「made in Japan」の玩具が広く海外に進出し、玩具は日本の輸出産業の重要な柱となっていきました。また、舶来物に関心が集まり、キューピーや西洋風俗をまねたセルロイド製人形が人気を博しました。一方、『赤い鳥』などの芸術性の高い児童雑誌が相次いで創刊され、童話や童謡の創作運動が展開されると、玩具にも童画家の武井武雄の絵のような情感豊かなデザインが目立つようになります。
「大正デモクラシー」と呼ばれる自由な時代の雰囲気の中で、都市部の子どもたちは、放課後、草野球、鬼ごっこ、缶けりなどをして走り回り、メンコ、ベーゴマ、ビー玉、おはじきなどを使った遊びも定着していきました。

大正時代の玩具 展示コーナー
文化人形(大正末期)

<昭和初期~10年代 ―1926~1945―>
児童文化への関心が高まった大正時代の余韻の中で、昭和時代前期は、子どもの心を育てる道具として玩具が位置づけられ、詩情豊かな人形や動物玩具が数多く作られました。一方で、昭和時代前期は、昭和6年の満州事変から日中戦争、太平洋戦争へと、日本中が戦争一色になった時代でもありました。

昭和初期の玩具 展示コーナー
象乗り童子(昭和初期)

玩具の世界もやがて戦時色に染まり、鉄かぶとやサーベル、大砲、戦車、軍艦の玩具、「愛国イロハカルタ」など、軍国調のものも多く見られるようになります。戦争が激しくなるにつれ、玩具の素材は厳しく統制され、昭和18年にはすべての金属製玩具の製造が禁止されます。
そのような時代背景の中で、駄菓子屋の玩具が子どもたちの心をとらえました。グライダー、活動写真、竹トンボ、ベーゴマ、ぴょんぴょん駒などの小物玩具が勢揃いした駄菓子屋の店先は、子どもたちの楽しい社交場となっていました。

昭和10年代の玩具 展示コーナー
「愛国イロハカルタ」(昭和18年・日本玩具統制協会製)

<昭和20~30年代 ―1945~1965―>
太平洋戦争後の日本。まだまだ生活は苦しいけれど、焼け跡の広場から子どもの歓声があがります。ターザンごっこや西部劇ごっこ、野球ごっこなどに興ずる子どもたちの間で、ブロマイド、日光写真、写し絵、着せ替え、針金細工などの駄菓子屋玩具が人気を博します。

昭和20~30年代 子どもたちに親しまれた駄菓子屋の玩具
日光写真(昭和20~30年代)


占領下の日本では、輸出玩具に「made in occupied Japan」と明記することが義務づけられ、安価な日本製玩具が続々とアメリカへ送られていました。昭和20年代終わりには、玩具の新素材としてプラスチックが登場し、以降、玩具の材料の主流となっています。

ダンシングカップル(昭和20年代前半・占領下の日本製)


ここでは昭和20年代から30年代、戦後復興から高度経済成長が進行していく時代の玩具を紹介します。まだまだ家庭の経済力が高価な商品玩具購入を許さなかった時代、国内の子どもたちが親しんでいた安価な玩具と、輸出向けに作られ、主にアメリカの子どもたちの手元に届けられていた玩具――この二つの世界があったことにご注目下さい。

昭和20~30年代 輸出向けに製造された玩具
昭和20~30年代 高度経済成長が進行していく頃、豊かになりゆく時代の玩具

       ※「日本の近代玩具のあゆみ・Ⅱ~昭和・平成時代~」へ続く


<2号館常設展・小コーナー> 「草花遊びの世界」 (2021年9月2日→ )
春夏秋冬、子どもたちは、身の周りにある自然物を利用して即席の玩具を作り出してきました。春には草の葉っぱの人形やレンゲソウの首飾り、初夏には、麦わらでホタルを入れるカゴを編み、夏には笹竹を船の形に作って小川に浮かべて遊びます。秋には、マメのツルで祭りの神輿(みこし)を作ったり、ドングリでヤジロベエ(バランスをとって遊ぶ玩具)を作ったり。冬は、桜の木を削ってコマを作り、ムチで打ち付けてコマまわし。子どもたちにとって、遊び道具を作ることは楽しみであり、むしろ作ること自体が遊びのだいご味ともいえるのではないでしょうか。
自然との触れ合いを通して誕生し、伝承された「草花遊び」の玩具をご紹介します。