「玩具のなかの戦争色~戦時下のこどもたち~」 | 日本玩具博物館

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企画展

夏季テーマ展示 「玩具のなかの戦争色~戦時下のこどもたち~」

会期
2024年7月20日(土) 2024年9月30日(月)
会場
2号館 特別陳列コーナー

この夏、日中戦争(中国では抗日戦争)、太平洋戦争を含む第二次世界大戦終結(1945年8月15日/連合国は9月2日・中国は9月3日)から79年を迎えます。平和と幸福を希求し続けながらも、現実には世界に諍いは絶えず、国や地域間の戦争、内線、紛争が繰り返されています。このような社会情勢に照らし、この小展示では、日中戦争から太平洋戦争へと向かう昭和初期から10年代前半、さらに戦局が厳しくなる10年代後半に日本のこどもたちの傍らにあった玩具や遊戯具をとりあげ、社会体制がこどもの遊びにもたらしたものについて振り返ります。

「兵隊サン イロハカルタ」と土の兵隊サン(昭和初~10年代初頭)

兵隊サンごっこの鉄兜やサーベル、ラッパ、戦車や機関銃の玩具、「兵隊サン イロハカルタ」「日本ヨイクニ(カルタ)」「愛国イロハカルタ」「輝く日本双六」「コクボウ双六」などの遊戯具、また幻燈のための種紙(スライド)や紙メンコ、ヌリエなど、日常の楽しい遊びを通して、こどもたちは自然に、当たり前のように、少国民としての徳目――日本は(他国に増して)美しいクニ、私たちのクニを守るために戦うこと、戦地で働く人々のために倹約に努め、銃後の守りを整えること――を受け入れていきました。それは、よくもわるくも、当時の社会体制が、企図してこどもたちに求めた国民の姿だったといえます。戦前戦中の玩具資料をひとつひとつ細見していただき、こどもたちの未来とこれからの社会のあり方について思いを巡らせる機会としていただければ幸いです。

展示総数 50組

玩具のなかの兵隊サンの姿
日清・日露戦争のころ、明治末期から昭和初期、昭和10年代前半、昭和10年代後半……と「兵隊サン」の制服(大日本帝国陸軍、海軍の軍服・軍帽)は、階級や季節、場面によっても異なりますが、儀礼的でスタイリッシュなものから合理的で実用向きの様式へと細やかに変化していきます。玩具や遊戯具のなかの「兵隊サン」には、濃紺から茶褐色、暗緑色へ、立ち襟(詰襟)から折り襟へ、といった軍服の移り変わりもよく表れ、こどもたちが遊びを通して、兵隊サンへの親しみと憧れを深めていたことが伝わってきます。

玩具のなかの戦時色
昭和 6(1931)年の満州事変から日中戦争、さらに太平洋戦争へと日本が世界大戦へと向かっていく時代の様相は、こどもたちの遊びに大きな影響を与えます。男の子は兵隊をまねて鉄かぶとをかぶり、サーベルやラッパを手に野山を駆けまわり、戦争積み木、戦車、軍艦、大砲、ゼロ戦などの玩具が登場して人気を集めます。

幼児向け観察絵本『キンダーブック』(昭和14・1939)年12月号)より「ヘイタイゴッコ」
「ヘイタイゴッコ」にも使われた鉄兜・サーベル・ラッパ(昭和10年代前半)

一方、戦時下の材料統制が始まり、まずは昭和13(1938)年、国内向けブリキ玩具の製造が禁止されます。まだアルミニウムやアルマイトの使用は許可されていたため、ブリキに代わってひととき、アルミ製玩具が作られましたが、17(1942)年には金属製玩具一切の製造がかなわなくなり、玩具の素材は近代以前の竹製や木製、練り物製へと回帰することになります。ブリキのサーベルは木刀に、ブリキの機関銃は竹の機関銃に、アルミのままごとセットはろくろ挽きや陶磁器の茶道具揃いに……。玩具のパッケージや袋には、材料統制を通過した証として、昭和13年からは「日本玩具人形類統制協会」のシールが、昭和16年からは「日本玩具統制協会」のシールが貼られました。

昭和10年代の玩具を表すキーワードは“愛国”でしょうか。「愛国イロハカルタ」や「愛国百人一首」「愛国積み木」……と、この言葉を冠した玩具が目立ちます。「愛国イロハカルタ」は太平洋戦争の戦況が悪化していく昭和18(1943)年 、“次代の日本を担う少国民の心構えを育て、愛国の念を涵養する”ことを目的に、公募によって日本玩具統制協会から発行されました。イセノカミカゼテキコクカウフク、ロバタデキクセンゾノハナシ、「ハイ」デハジマルゴホウコウ…。応募総数約26万句から選ばれた読み札には“皇国民錬成”のスローガンが並び立ちます。

「愛国イロハカルタ」(日本玩具統制協会/昭和18・1943年)