日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

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展示・イベント案内

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企画展

新春の企画展 「正月のおもちゃ」

会期
2014年11月15日(土) 2015年2月17日(火)
会場
1号館&2号館L字コーナー

正月の遊びを楽しく美しく彩ってきたものに、凧、コマ、羽子板、双六、歌留多などがあります。これらは、長い歳月、日本の風土に磨かれ育まれたユニークな色と形をもっており、私たちの祖先が丹精こめて作り上げてきた美の遺産ともいえるでしょう。また、日本庶民の価値観や美意識などを物語る民俗資料でもあります。古き良きものが時代の波の中で姿を消していくのは、寂しい世の習いかもしれませんが、時代をこえて受け継がれてきた玩具には人の心をとらえる普遍的な何かがあるのでしょう。べーゴマ(べー・ブレード)のように現代の子ども達にも人気を博し、復活を果たしていく力をももっています。

「春遊貴顯之令嬢」(明治23年頃/揚州周延画)より羽根つきの様子

本展は、正月の玩具や遊戯具の中から、コマ、羽子板、凧、歌留多、双六を取り上げ、350点の資料により、それぞれの起こりや発展についてふれながら、祖先が育み、今日に伝えられた豊かな造形をご紹介するものです。私たちがさらに後世に伝えていきたい玩具や遊戯具についてふり返ってみる機会にしたいと思います。

展示総数 約350点

コマ

コマは「木の実がクルクル回転する…」そんな動きにヒントを得た古代の人々によって創造されたのではないかと思われます。世界で発見されている最も古いコマは、今から4~5千年前のメソポタミアやエジプト古代遺跡から出土したものです。土、骨、貝殻、木、竹、石、木の実…様々な自然素材が回転を楽しむ小さな玩具に作られ、叩いたり、ひねったり、投げたり…様々な回し方が生まれ、互いに影響を与え合いながら今に伝えられたのです。このコーナーでは、「日本のコマの歴史」「郷土のコマいろいろ」の2つの項目で豊かな日本のコマの世界をご紹介します。

①日本のコマの歴史

コマは、平安時代以前に中国から朝鮮半島を経て伝わったとされています。当時書かれた『倭名類聚抄』(931~38)によるとコマは「こまつくり」と呼ばれ、孔のある形状から、唸りゴマと考えられます。『今昔物語』(1058頃)には「こまつぶり」とあります。形も機能も多くのバリエーションが誕生したのは、江戸時代。博多ゴマ、貝ゴマ(バイ/べーゴマ)、お花ゴマ、銭ゴマ、叩きゴマ、輪鼓など、コマ回しは発展して流行を極めました。

『江都二色』(北尾重政画/安永2・1773年刊)に描かれている「唐ごま」

②郷土のコマのいろいろ

江戸時代、コマは日本全国で地域性ある形と回し方が発展しました。東北地方には雪の上で回すのに適した「ずぐりゴマ」をはじめ、木地師たちの作る素朴な木地ゴマがあり、関東地方には、洒脱な形と華やかな色合い、からくりの要素をふんだんに折り込んだ美しい江戸ゴマがあります。九州地方には、砲弾型の「けんかゴマ」や紐を使って空中で回す皿型の「ちょんがけゴマ」があります。地域ごとに特徴あるコマを紹介します。

郷土のコマ(上段=神奈川県大山ごま・愛媛県今治の鉄輪ゴマ 下段=青森県のずぐりごま・長崎県のけんかゴマ)

雪国のコマ

 北海道や東北地方の豊かな森林を背景に、木地師がロクロを回して作る木地ゴマの色々を展示しています。伝承によると、江戸後期、文政(1818~1829) の頃には既に製品として温泉地などで売られていたといいます。雪深い地方に見られるコマの中で、代表的なものが「ずぐりゴマ」。雪を固めながら回せるように、着地する軸の先端部分が丸く作られています。 

関東のコマ

 関東には、横浜、箱根、大山(神奈川県)、日光(栃木県)などのロクロ挽き玩具の産地があり、古くから栄えてきましたが、明治時代以降は、日本の輸出玩具生産の中心地としても知られています。また、この地方には、洒脱な形と色合い、からくりの要素をふんだんにおり込んだ美しい「江戸ゴマ」があり、江戸から明治時代の粋な庶民文化を今に伝えています。

関西のコマ

 関西のコマは城下町の風情を伝える姫路ゴマ、また湯原(岡山県)や岩井(鳥取県)の木地ゴマに代表されます。伊勢や奈良に伝承される鳴りゴマを回すと、平安の昔に高麗(こうらい/朝鮮半島)から伝来したという「唐ゴマ」にもつながる不思議な音色が響きます。

南国のコマ

 九州地方を代表するのは、ヨーロッパの投げゴマや叩きゴマの形に通じる長崎、佐世保(長崎県)の「けんかゴマ」や中国雑技に登場する輪鼓(デア・ボーロ)と回し方を同じくする「ちょんがけゴマ」などです。大陸に近い地理的な要素や、江戸時代、唯一、海外文化を受け入れてきた歴史とを考えると、南国のコマに表れる独特の造形は意味深いものに思われます。

南国(四国・九州各地)の郷土ゴマと郷土凧

羽子板

羽子板は、女児の正月の遊びとして人気のあった羽根つき(追羽根)の遊び道具です。
迎春厄除の意味を持ち、押し絵などで飾り立てられた「飾り羽子板」と、羽根をついて遊ぶ実用的なものがあります。当館では、江戸末期から明治にかけて全国各地で作られ、やがて廃絶した郷土羽子板の数々を所蔵していますが、これらは、今では地元では見ることの出来ない貴重なものです。このコーナーでは、日本の羽子板の歴史に簡単に触れながら、郷土羽子板の素朴で楽しい世界を紹介します。

羽子板の展示コーナー(左義長羽子板・描絵羽子板・押絵羽子板)

①日本の羽子板の歴史

左義長羽子板

 左義長は、正月15日に、清涼殿東庭で天皇の吉書や扇子、短冊 などを焼き、厄払いをした宮中行事。(民間ではトンドとも呼ばれています。)正月の羽子板も左義長の火に投じたことから、宮中で行われる左義長行事を図案化した羽子板が誕生しました。両面とも胡粉で模様を盛り上げ、金箔をのせた繊細豪華なものです。地方では、これらを略化したものが作られ、京羽子板とも呼ばれました。


押絵羽子板

 布に綿を含ませて部分を作り、一つの絵柄を作っていく押絵細工が羽子板にも用いられるのは、江戸時代も後期、文化・文政(1804~30)の頃とされています。初期の頃は、左義長の図柄が多く、模様全体の浮き上がりも浅かったのが、美人や役者の図柄が登場すると、人気を博し、江戸の終わりから明治にかけて都市部を中心に大流行をみました。

②郷土の羽子板いろいろ

江戸時代も終わりになると、日本各地に羽根つき遊びが広がり、害虫駆除、招福の護符とも考えらる俗信で流行し始めます。少女達の間では数え唄なども工夫され、各地独特の個性的な羽子板が登場しました。地域ごとに代表的な資料を展観します。

つまみ細工の羽子板と郷土羽子板

双六

双六には盤双六と絵双六があります。盤双六は、マス目が入った箱型の台に駒を置いて遊ぶ盤上ゲームの一種で、中国やインドに起源をもつ世界的な遊戯具です。これは、天平時代にはすでに中国より日本の貴族社会に伝わり、時を経た江戸時代には庶民の間でも流行をみました。一方、絵双六は江戸時代初期にあらわれた「仏法すごろく」がその始まりとされ、僧侶が駒を進めながら仏教の教義を後進に解かりやすく教えたものと言われています。やがて庶民文化の開花とともに「道中双六」「錦絵双六」などの絵双六が製作されるようになり、もっぱら婦女子や子どもの正月遊びとして定着していきました。明治時代に入ると、絵双六は機械刷りによって日本全国に広まり、少年少女雑誌や婦人誌の付録として人気を博します。ふりだしから上りに至る絵双六のコマ絵には、時代時代の人々が暮らしの中に夢見た幸せの形や興味関心の対象がよく表され、時代の風俗習慣を知る資料であると同時に、人々の幸福観や美意識を伝えるものです。

「参宮上京道中一覧双六」(歌川広重画/江戸後期)

このコーナーでは、江戸時代の「仏法双六」、「道中双六」、「役者双六」、明治時代の「時事双六」や「教育双六」、大正・昭和時代の子ども達のための双六をご紹介します。

双六展示コーナー

歌留多

歌留多(カルタ)という言葉は、ポルトガル語のCARTAに由来します。16世紀後半の大航海時代にヨーロッパ文化を持ってやってきたポルトガル人やスペイン人などが伝えたものです。
この南欧系のカードゲームCARTAは、やがて日本風にアレンジされた「うんすんかるた」として江戸初期には大流行し、幕府は賭博と結びつきカルタの禁令を度々出しているほどです。うんすんカルタの日本化がさらに進むと「花札(=花カルタ)」が登場します。一方、17世紀末に刊行された『雍州府志』には紙に描かれた和歌合わせの遊び方がれ、百人一首など、日本的な遊戯が成立したことがうかがえます。これは、王朝時代に盛んに遊ばれた貝合わせ(歌貝)と南欧のカルタが融合したものと見られ「歌カルタ」とも呼ばれます。

私たちに馴染みの深いトランプTRUMPが日本人に知られるようになるのは、明治時代に入ってからで、フランス系のカードゲームがイギリス経由で紹介されたものと考えられています。
歌留多もまた、人々の手から手へ遊び継がれながら変転し、時代の美意識、教養、知恵、幸福観などを映し出すものです。
このコーナーでは、復刻盤の「うんすんかるた」、「カブ・メクリ」に「花札」、「歌がるた」に「百人一首」、そして子ども達が大いに楽しんだ「いろはがるた」などをご紹介します。

歌留多展示コーナー

人間は、風で木の葉が空高く舞い上がる、鳥が翼で空を舞うのを見て、空に大いなる憧れを抱いたのでしょうか。南洋の島々には、今も木の葉の凧が伝承されており、その創まりの形を物語ってくれます。鳥、虫、動物、人・・・・・・世界の各地に様々な形の凧が伝承され、遊びのため、儀式のため、あるいは漁や運搬のためなどにも凧は活躍しています。日本において凧あげが庶民の遊戯として親しまれるようになるのは江戸時代のこと。日本各地で郷土色豊かな形と色をもった、呼び名も様々な「郷土凧」が生まれました。このコーナーでは、日本の北から南へ、代表的な郷土凧を天井の常設展示の凧と合わせてご紹介します。

雪国(東北地方)のコマ・関東のコマと郷土凧

羊の郷土玩具

平成27(2015)年の干支の動物は未(=羊)。十二支の動物で時刻や方角、あるいは年月を表わす考え方は、古代に中国から伝わったものですが、長い歴史を経て日本人の暮らしに深く根を下ろし、庶民の間でも非常に親しまれてきました。これらの動物の中では、造形物として人気のあるものとそうないものがあります。「午(=馬)」「丑(=牛)」や「(=犬)」などには多彩な造形が残されていますが、「巳(=蛇)」や「辰(=龍)」、そして「未(=羊)」は古くからあまり好んで作られませんでした。羊の造形が少ない理由には、大陸とは異なり、高温多湿でよい牧草が育たない日本では、羊を飼う習慣がなく、親しみが持ちにくい動物だったからでょう。それでも、羊には女性的でやわらかく優しいイメージが託され、郷土の土人形や張り子の産地で、愛らしい作品が作られてきました。
昭和6年の未年を祝う年賀状とともに、日本各地の羊のおもちゃを北から南へと展示します。

羊のおもちゃ展示コーナー



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