日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

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企画展

冬の企画展 「ねずみの玩具とおめでたづくし」

会期
2007年11月24日(土) 2008年2月19日(火)
会場
1号館
小幡土人形・小槌のりねずみ(滋賀県東近江市)

干支(エト)をテーマにしたお正月の特別展も恒例となりました。「十二支」は、日本人の暮らしに深く浸透した民間信仰です。例えば、生まれ年にあたる動物の性質がその人の性格や運勢などに関係するという信仰、自分の生まれ年に因んだ動物を守りにする習俗などがあります。日本の郷土玩具はこれらを母体にして生まれた庶民的な文化財です。

平成20年は干支頭の「子(=鼠)」。鼠(ねずみ)は、その繁殖力の強さから、増大し繁栄することの象徴と考えられ、郷土玩具の世界に数多くの題材を提供してきました。各地の鼠の郷土玩具を集めてみると、鼠だけで造形されるより、様々な植物や器物との組み合わせで、その性格が表現される方が多いことに気づかされます。たとえば、蕪(かぶら)、唐辛子(とうがらし)、米俵、千両箱、巾着、小槌・・・など。蕪と鼠の組み合わせは、「株(かぶ)が鼠のように増える」ことのまじない、唐辛子も米もお金も鼠のように増えてほしいという願いが生んだ造形です。また、鼠は大黒神の使いであることから、大黒神の象徴である米俵や小槌との組み合わせも目立ちます。

伏見土人形・唐辛子ねずみ(京都府京都市/昭和30年代)

本展では、日本の庶民に愛された鼠の造形を、各地に伝わる郷土玩具の数々を通してご紹介します。

酒田土人形・ねずみのり大黒(山形県酒田市/明治末期)

あわせて本展では、鼠と大黒神の組み合わせにちなんで、恵比寿・大黒をはじめ、新春を寿ぐ七福神と宝船、さらに、福助、招き猫、達磨など、日本人がおめでたいものの象徴として親しんできた造形の色々を、郷土玩具の世界から取り出して展示します。あるものは、中国思想の影響を受け、あるものは日本独自の発想によって遠い時代に誕生した造形ですが、人々の健康、長寿、豊穣、幸福への願いと感謝の気持ちを託すものとして、庶民に広く愛されるようになるのは、江戸時代のことです。今もなお、私たちの家や街角の至るところでひっそりと、けれども確かな存在感を主張する日本の「おめでた」造形の豊かなバリエーションを、郷土玩具のデザインの中に訪ねます。

展示総数 約350点


①ねずみの玩具

 江戸時代の終わり、庶民階級が経済力を持ち、農村部にも商品経済が広がっていく頃になると、土や木や紙など身近にある材料を使って、専門的に、また農閑期を利用して季節的に素朴な玩具が作られるようになります。これらは郷土という範囲で流通したものが多く、今日、郷土玩具の名で知られています。人々の生活の中から生まれ、愛されてきた郷土玩具は、子ども達を喜ばせる玩具というに留まらず、郷土の信仰や伝説、美意識や幸福感を表現した小さな造形といえます。
 鼠(ねずみ)は、郷土玩具の題材としてよく取り上げられた動物です。

江戸~明治時代 描かれた鼠のおもちゃ

 このコーナーでは、約100点の鼠の郷土玩具を、「愛らしき造形~小さな白いねずみたち~」「蕪・唐辛子とねずみ~増えていくもののシンボル~」「米俵・小槌・大黒とねずみ~実りの豊かさを願う造形~」「巾着・千両箱・福袋とねずみ~豊かな暮らしを運ぶもの~」「動くねずみの玩具」の5つのグループに分けて展示し、鼠の玩具に託された人々の願いを探ります。

ねずみの郷土玩具展示コーナー(一部)


②おめでたづくし

●七福神と宝船●

 恵比寿、大黒、福禄寿、寿老人、布袋、毘沙門、弁天。もとは別々に信仰されていた神が、近世初期の頃、「七」という吉兆数に合わせて招福のために集められたものといわれています。順風満帆の宝船には、米俵や中国伝来の宝尽くし(七宝、丁子、宝珠、小槌、米俵、福袋、蔵の鍵、分銅など)の他、七福神をあしらった造形が目立ちます。

花巻土人形・七福神と宝船(岩手県花巻市/明治末期)

 仏教や道教に端を発するこれらの造形には、やがて日本庶民の信仰が混合され、江戸時代に入ると、玩具や人形の題材にも盛んに取り入れられていきます。  

●恵比寿・大黒●

 七福神の中、恵比寿と大黒の二人の神は、郷土人形の中で人気のある題材です。海の神のイメージをもつ恵比寿と、田の神のイメージをもつ大黒、出自来歴は異なりますが、ともに福の神として人々に親しまれてきました。

 恵比寿は大漁の守り神、ひいては商売や生業一般にも福利をもたらす神。大黒は、米俵の霊、あるいは台所の守り神。二神ともに、力を持ち始めた近世庶民の、現実生活における豊かさへの願望によってクローズアップされた神さまでした。そのため、近世に誕生した郷土玩具の中に、様々な姿の恵比寿と大黒を見つけることが出来ます。 

八橋土人形・ねずみ大黒と鯛恵比寿(秋田県秋田市/昭和30年代)

●だるま●

 だるま(起き上がり小法師)の原型は中国の張子製「不倒翁」にあるといわれています。達磨大師の物語と結びついた日本のだるまは、江戸時代の後半より、農村では養蚕の守りとして、商家では商売繁盛、あるいはその赤い色によって厄除けのまじないとしても親しまれてきました。
 ここでは、全国各地の特徴あるだるまを地域別にご紹介します。関東には、願かけをかねた「目無しだるま」が目立つ一方、関西では両目が初めから描かれただるまが多く見られます。

男達磨たち
女達磨たち

●招き猫●

 招き猫は、前脚をあげて何かを招く形をとったもので、平成の今も非常に人気のあるキャラクターです。一般的に、右脚は金運を招き、左脚はお客を招くと言われていますが、異説もあります。
 招き猫は、二百年ほどの前の江戸(東京)に残るいくつかの伝説によって、その由来が説明されています。そのひとつは東京都世田谷区の豪徳寺を発祥とする説。彦根藩第二代藩主・井伊直孝が鷹狩りの帰りに豪徳寺門前を通りかかると、和尚の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしていたので、寺に立ち寄り休憩したところ、雷雨が降り始めました。雨に打たれずにすんだことに感謝し、直孝は、荒れた豪徳寺を立て直す多額の寄進を行ったといいます。和尚はこの猫の死後、墓を建て、後には招猫堂が建てられたため、豪徳寺の招き猫の造形が有名になったという話です。他にも色々ありますが、いずれも、猫の前脚をあげて顔をかくような仕草と報恩譚が結びついたものです。

福助とまねき猫展示コーナー

●福助●

 背が低く、頭が異常に大きい裃姿の福助が幸福招来の縁起物として流行したのは、享和年間(1801~1803)のことと言われています。福助は、繁盛を極めた商家の主人あるいは番頭、また幸運によって富を築いた百姓など、実在する人物の物語と結びついて発展したとされています。ここでは、郷土人形の中に、福助の表情のバリエーションを訪ねます。


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