日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

Language

展示・イベント案内 exhibition

特別展

春の特別展 「御殿飾り雛」

会期
2008年2月2日(土) 2008年4月15日(火)
会場
6号館
檜皮葺き御殿飾り(昭和初期/谷本要助・大阪製)

現在、私達は、五段あるいは七段に毛氈を敷き、屏風を立て廻して飾りつけるものが昔からのただ一つの雛の伝統だと思いがちですが、昭和初期頃までは関東と関西の違いのみならず、城下町や地方都市、農村部など、土地によって様々に異なる雛の世界がありました。

春の恒例となった雛人形展は、500組をこえる日本玩具博物館の雛人形コレクションの中から、様々な時代や地域の雛人形を取り出して展示し、雛飾りの多様な世界を紹介する試みです。今春は、江戸時代や明治時代に都市部で飾られた豪華な町雛を展示する他、主に、京阪を中心とする西日本地域で愛された「御殿飾り雛」を、時代を追って一堂にご紹介します。

雛飾りに人形や諸道具を飾るための雛段が見られるようになったのは江戸時代のこと。初期の頃は、毛氈などの上に紙雛と内裏雛だけを並べ、背後に屏風を立てた平面的な飾り方で、調度類も数少なく、簡素かつ自由なものでした。雛祭りが盛んになるにつれて、雛人形や添え飾る人形、諸道具の類も賑やかになり、雛段の数も次第に増えていきます。安永年間(1772~81)には4~5段、天保年間(1830~44年頃)には、富裕な町家の十畳座敷いっぱいを使うような贅を尽くした雛段も登場してきます。

そうして江戸を中心に「段飾り」が発展する一方、上方では「御殿飾り」が優勢でした。建物の中に内裏雛を置き、側仕えの官女、庭掃除や煮炊きの役目を果たす仕丁(三人上戸)、警護にあたる随身(左大臣・右大臣)などの人形を添え飾るもので、御殿を京の御所に見立てたところからか、桜・橘の二樹も登場してきます。御殿飾りは明治・大正時代を通じて京阪神間で人気があり、戦後には広く西日本一帯で流行しましたが、昭和30年代中頃には百貨店や人形店などが頒布する一式揃えの段飾り雛に押されて姿を消していきました。

本展では、江戸末、明治、大正、昭和の代表的な御殿飾り雛によって、時代時代の人々の憧れや美意識、生活感などについてもさぐってみたいと思います。展示総数約50組の華やかな展覧会です。

御殿飾り展示風景

展示総数  約50組

江戸後期から明治時代の雛人形<時代の移り変わり>

 立ち雛、享保雛、古今雛など、江戸時代に現れた雛人形の様式の色々をご紹介します。
 人形は、年齢によって眉や鉄漿(おはぐろ)、結髪の形などをきちんと区別して作られています。今日のように、価格によって製品が画一化し、人形と道具が一式揃えで頒布されるようになるのは大正時代になってからです。それまでは、人形師や道具屋から気に入った品を買い集め、家ごとに個性的な飾りを行っていました。例えば、祖母の代の雛飾りに嫁いできた嫁の雛を合わせ、やがて女児が誕生すると流行りの雛道具や添え人形を買い足したりして、製作年代の異なる人形や道具が同じ雛段に飾られていました。

江戸時代後期の江戸の古今雛 五人囃子は江戸幕府の式楽である能楽の演奏者で江戸好まれた人形

 明治時代の雛人形は比較的大型で豪壮な印象があり、御殿飾りにも家の権勢を誇示するような堂々とした構えの作品が目立ちます。それが大正時代に入ると一転。百貨店が制作した小型の段飾り雛や御殿飾り雛の一式揃えが都市部で流行し始めます。剛健で優美な明治と繊細で軽快な大正、各時代の雛人形を比べながらご観覧下さい。


御殿飾り雛の移り変わり

 京都では、内裏雛を飾る館のことを御殿といいますが、その中に一対の雛を置く形式を「御殿飾り」と呼びました。京阪を中心に、この様式の雛飾りが登場するのは江戸時代末期のことです。御殿は御所の紫宸殿(ししんでん)になぞらえたものと思われますが、華やかな貴族文化への憧れが育んだ復古的な雛飾りといえます。御殿の屋根をとりはらって人形たちの表情を見やすくしたものを「源氏枠飾り」と呼んでいます。ここでは、こうした御殿の飾りを、時代を追って展示します。

○江戸時代後期の御殿飾り雛○

 江戸時代後期、天保年間頃に喜田川守貞が著した『守貞漫稿』には、京阪と江戸の雛飾りの違いが記されています。

「……京阪の雛遊びは、二段のほどの段に緋毛氈をかけ、上段には幅一尺五寸六寸、高さもほぼ同じ位の屋根のない御殿の形を据え、殿中には夫婦一対の小雛を置き、階下の左右に随身と桜橘の二樹を並べて飾るのが普通である。……江戸では段を七、八段にして上段に夫婦雛を置く。しかし御殿の形は用いず、雛屏風を立廻して一対の雛を飾り、段には官女、五人囃子を置く……」 

 江戸後期の頃、江戸の段飾りに対して、京阪では御殿飾りが一般的であったことがわかります。

 ここでは、幕末から明治時代にかけての一文雛の御殿飾りをご紹介します。「一文雛」は簡素で安価な小雛をさし、京都周辺の地域で作られたといわれています。

屋根のない御殿・源氏枠飾り(明治中期)

○明治時代の御殿飾り雛○

  江戸時代後期に誕生した御殿飾りは、明治時代に入ると京阪周辺へも広がり、豪華なものから簡素なものまで、様々な様式が生まれました。

 ここに展示するものは、明治時代末期の檜皮葺き(ひわだぶき)御殿飾りで、細部まで実物に違わない秀作。宮大工や指物師などがこの季節にあわせて腕をふるったものと思われます。御所の紫宸殿での貴族の暮らしを再現するように、殿中に使える官女、能楽を奏する五人囃子(能楽は貴族社会よりむしろ、武家社会で歓迎され、庶民に広がったもの)、護衛にあたる随身、掃除したり煮炊きしたりする仕丁らがいきいきと表現されています。

檜皮葺き御殿飾り(大正時代)

○大正から昭和初期の御殿飾り雛○

 大正から昭和時代初期にかけて、御殿飾りは京阪地域の都市部を中心にさらに広がりをみせ、簡素で軽快な印象のある板葺きの御殿が数多く作られました。明治時代流行の大型御殿飾りに比べ、細やかなパーツをコンパクトに収納できる一式も作られるようになり、人口の集中した都市の住宅で歓迎されました。

 昭和初期になると、折り畳み式で、飾りやすい御殿が比較的大量に生産されるようになり、御殿飾りのさらなる普及につながりましたが、戦争色が強まる昭和10年代には、物資不足から雛飾りの佳品は姿を消していきます。

百貨店などで販売が始まった御殿飾り一式(大正14年)
昭和10年代の御殿飾り 屋根に鯱が飾られる東海地方製の御殿

昭和中期の御殿飾り雛

 戦中戦後の物資不足と社会の混乱によって、雛人形製作は一時中断していましたが、復興が果たされる頃には、関西から西日本一帯にかけてきらびやかな御殿飾りが流行し始めます。明治・大正時代の豪華さとは質が異なり、金具で派手に装飾された賑やかな御殿には、暮らしの豊かさへの庶民の夢が込められているようです。これらの多くは、静岡や名古屋など、中部東海地方で製作されたもので、時には讃岐地方製の御殿飾り雛も見られます。

竜宮城のような御殿飾り(昭和30年代)

 このように発展をとげた御殿飾り雛も、高度経済成長時代が始まる昭和30年代後半には、ぱったりと姿を消してしまいます。雛人形は急速に地方色を失って画一化し、昭和40年代になると、関東出身の段飾り雛が全国津々浦々に普及していきます。


<会期中の催事>
解説会
  日時=2月10日(日)・23日(土)・3月2日(日)・9日(日)・20日(木/祝)
     ※ 各日 14:00~