展示・イベント案内
exhibition夏秋の特別展 「おもちゃの20世紀~日本近代玩具の歴史~」
- 会期
- 2015年7月18日(土) 2015年10月27日(火)
- 会場
- 6号館
■いつも子どもたちの傍らにある玩具は、小さなものでありながら、色や形、あるいは材料やテーマにも時代の精神がふんだんに表現されているため、これらを通して、私たちは、自らの生活史に触れることができます。今夏は、日本玩具博物館が開館以来、40年の歳月をかけて収集してきた“近代玩具コレクション”の中から1,500 点を選び、近代玩具の変遷を通して過ぎた20世紀を振り返ります。
■日本における20世紀は、日露戦争開戦前夜の明治後期から始まります。近代化を急ピッチで推し進め、教育や文化が中央集権的に統一され始めた時代、江戸庶民の間で言い継がれてきた「手遊び」「手まもり」という言葉が、「玩具」という書き言葉とやさしい響きをもった「おもちゃ」という話し言葉に統一されていきます。それは、
家内工業的に手作りされた地方色豊かな郷土玩具と入れ替わりに、工場で大量生産される近代玩具が日本中に流通し始める、おもちゃの20世紀の幕開けでもありました。
■西洋に学びながら、ブリキや金属、ゴムなどの新素材、ゼンマイのような新しい動力を使ったものが登場し、軍国調の玩具が子どもの間でも人気を得るようになった明治時代、アンチモニーやセルロイドが新しい素材として脚光をあび、アルコール燃料を使用した発明玩具が誕生した大正時代、玩具輸出がドイツを抜いて第一位となった昭和戦前、高分子科学の発達によりプラスチックが主流となり、機構的にもフリクションから電動式が一般化した戦後、新媒体のテレビの影響でマスコミ玩具が日本中を覆うようになった高度経済成長期、そして電子ゲーム類の隆盛を極める平成時代……と、この百年に玩具の世界は、数度の大変革を体験したといえます。
■一方、そうした近代工業玩具とは別に、子ども達には駄菓子屋玩具の世界がありました。紙メンコやベイゴマ、おはじきや当てものなどの駄菓子屋玩具は、一般の玩具店で売られる高額な玩具とは違い、子どもの小遣い銭で買える程度に安価で、小さく、壊れやすいものでしたが、子どもの興味関心に添うものでした。過去に駄菓子屋のブームは2回訪れています。大正末期から昭和10年頃と昭和20年代から30年代初めです。季節毎にかわるお菓子と玩具の多様さに心をときめかせ、学校が終わると仲間と駄菓子屋へ走っていく子どもの姿は、自分達の社交場へ向かう喜びに満ち溢れていました。
■日本の20世紀の玩具は、近代的で商業主義的なものばかりと言われがちです。確かに、「子どもの心に栄養をもたらすもの」という理念より、「売れるものをより多く作る」という論理が優先されてきたことは、否定できない玩具史の事実です。しかし、戦争中、軍国主義の嵐が吹き荒れる中にあっても情緒豊かな教育玩具が製作され、心あるデザイナーや主義をもつメーカーが時代に流されない玩具作りを行ってきたことも忘れてはなりません。
■本展では、この百年に現われた玩具の諸相について時代を追って展示し、1500点の玩具を通じて20世紀をふり返ると同時に、時をこえて子ども達に愛される玩具、子どもの心と身体に栄養を与える玩具について考えたいと思います。ハイテク時代と言われる今日、次代に伝えたい玩具の姿を模索する機会ともなれば幸いです。
■展示総数 約1500点
①明治時代~近代玩具の始まり~
明治時代は、新政府が唱える「文明開化」のスローガンのもと、欧米文化を積極的に取り入れ、国をあげて近代化にまい進した時代。明治5年に出版された福沢諭吉の『学問のすすめ』は、「学問が国を豊かにする」という時代精神の根幹を支えました。
また、幼児教育の大切さが説かれ、子どもや遊びに対する関心が高まった時代でもありました。そんな中、玩具(おもちゃ)を「教育の道具」ととらえる考え方が登場し、例えば、コマや羽子板は、筋力を訓練する道具、おはじきは器用さと集中力を養う道具と位置付けられました。
明治後期になると、外国から輸入されたブリキやゴム製玩具をまねて工場生産が始まります。一方、郷土玩具の世界もまだまだ健在。江戸時代以来の伝統的な遊び文化も生き続けていましたし、駄菓子屋では安価な小物玩具が売られて、子どもたちの人気を集めました。
②大正時代~児童文化の時代~
大正時代に入ると、日本経済はさらに発展。ブリキ、セルロイド、アンチモニーなどの新素材玩具は、工場で大量生産され始めます。「made in Japan」の玩具が広く海外に進出し、玩具は日本の輸出産業の重要な柱となっていきました。また、舶来物に関心が集まり、キューピーや西洋風俗をまねたセルロイド製人形が人気を博しました。
一方、『赤い鳥』などの芸術性の高い児童雑誌が相次いで創刊され、童話や童謡の創作運動が展開されと、玩具にも武井武雄の絵のような情感豊かなデザインが目立つようになります。「大正デモクラシー」と呼ばれる自由な時代の雰囲気の中で、都市部の子どもたちは、放課後、草野球、鬼ごっこ、缶けりなどをして走り回り、メンコ、ベーゴマ、ビー玉、おはじきなどを使った遊びも定着していきました。
③昭和初期~ハイカラとロマン主義~
大正時代の終わりは、日本中にデモクラシーの風潮が高まり、児童文化にも大きな関心が寄せられた時代です。子どもの心を育てる道具として玩具を位置付ける考え方が強調され、玩具の中に情操の豊かさが求められました。
その余韻が続く昭和初期の玩具は、動物ぐるまや人形などに見られるように、詩情の豊かさが特徴的です。素材的にはキューピーなどのセルロイド製玩具が一世を風靡しました。
④昭和10年代~おもちゃの中の戦時色~
昭和6年の満州事変から、やがて日中戦争、太平洋戦争へと、日本中が戦争一色になったこの時代の玩具には、鉄かぶとにサーベル、大砲、戦車、軍艦の玩具、「愛国イロハカルタ」や「コクボウ双六」など軍国調のものが数多く見られます。戦争が激しくなるにつれ、玩具の素材は厳しく統制され、やがて金属製の玩具は作られなくなりました。
一方、昭和初期から10年代にかけては駄菓子屋玩具の全盛期です。グライダー、活動写真、竹トンボ、ベーゴマ、ピョンピョン駒などの小物玩具が勢揃いした駄菓子屋の店先は、子どもたちの楽しい社交の場となっていました。
⑤昭和20~30年代~廃墟からの復興~
戦後の日本。まだまだ生活は苦しいけれど、焼け跡から子どもの歓声があがります。ターザンごっこや西部劇ごっこ、野球ごっこなどに興ずる子どもたちの間で、ブロマイド、日光写真、写し絵、着せ替え、針金細工などの駄菓子屋玩具が人気を博します。
占領下の日本では、輸出玩具に「made in occupied Japan」と明記することが義務づけられ、安価な日本製玩具が続々とアメリカへ送られていました。
昭和20年代の終わりには、玩具の新素材としてプラスチックが登場し、以降、玩具の材料の主流となっています。
⑥昭和30~40年代~高度経済成長期~
電化製品の様々が家庭になだれ込んだ時代。昭和28年放映開始のテレビが34年の皇太子成婚をきっかけに大普及します。テレビは、子どもたちの生活にも大きな影響を及ぼし始め、やがてテレビキャラクターをテーマにしたものが商品玩具の主流を占めるようになります。鉄人28号、鉄腕アトム、ウルトラマン、オバケのQ太郎、仮面ライダーなどのマスコミ玩具がこの時代を代表しています。
日本経済の発展の中で、古い生活様式は急速に失われ、空き地が減り、子どもたちの塾通いも始まります。子ども世界が伝承してきた「原っぱ文化」の崩壊が社会問題となりました。
⑦昭和50~60年代~ハイテク時代~
家電製品にコンピューターが利用され、暮らしのハイテク化が進むにつれ玩具の世界にも影響を及ぼし始めます、昭和50年代にテレビゲームが発売されて人気をさらい、さらに58年にはファミリーコンピューターが登場して、子どもの世界にテレビゲームが定着していきます。
一方、宇宙戦艦ヤマト、機動戦士ガンダム、アラレちゃん、キン肉マンなどのマスコミ玩具は、相変わらず人気を博し続けました。
メンコのいろいろ
江戸時代の泥製メンコ(面子)や明治時代の鉛板製メンコを経て、明治後期には紙製メンコが出現します。泥製メンコの時代は、地面にほった穴に投げ入れたり、おはじきのように互いのメンコを弾き飛ばしたりする遊びでしたが、鉛板製メンコの出現によって、メンコを投げ打ち、相手のものを裏返して勝敗を決する遊びへと変わっていきました。
紙メンコの形は、丸型、角型、人型・・・と、時代によって様々です。また、絵柄を見ていくと、明治・大正時代は武者や力士、昭和初期の軍人などを経て、戦後は漫画本やテレビ番組のキャラクターが多く登場してきます。メンコを通して、子どもたちが憧れ、親しんだヒーローたちの移り変わりもよくわかります。これらは、「メンコ(面子)」の名が一般的ですが、瀬戸内地方から九州にかけての主な地域では「パッチン」、大阪をはじめ上方地域では「ベッタン」と呼ばれています。
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