「端午の節句~京阪の武者飾り」 | 日本玩具博物館

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特別展

初夏の特別展 「端午の節句~京阪の武者飾り」

会期
2016年4月23日(土) 2016年6月5日(日)
会場
6号館

現在、端午の節句といえば、屋外に鯉のぼり、室内には甲冑などを飾って、男児の健やかな成長と幸福を願う行事です。端午の節句(節供)は、平安時代に中国から伝わったものとされていますが、時代を経るにつれ、日本人の季節に対する観念や信仰などを取り込んで発展していきました。そのはじめは、春と夏の節目に、人々を襲う邪気を払い、心身の健康を獲得するための行事だったようです。

端午の節句は「菖蒲の節供」と言われるとおり、古くから菖蒲や蓬(よもぎ)が盛んに飾られましたが、これは香の強い植物に辟邪の力があると信じられたためです。また端午の頃は、農耕暦の中でも、田植えを行う重要な季節。鯉のぼりなどの大きな幟(のぼり)には、田に訪れる神を迎える招ぎ代(おぎしろ)としての意味を見ることもできます。鎌倉時代に入ると、武家の興隆の中で、菖蒲が「尚武」の語音と通じることから、菖蒲の節句は、男児の祝儀と結びつき、武家の将来を祝福する行事へと展開します。それが、江戸時代に入ると、男児の出世と幸福を願う庶民の節句まつりへと発展していくのです。

江戸時代前期の頃は、家の門口の菖蒲兜、毛槍、長刀などの武具や幟を勇ましく立てる屋外飾りが主流でした。そこへ中期以降、武者人形などのつくり物を室内に飾る風習も加わります。
後期には、屋外・室内飾りともに大型化し、都市の富裕階級は、豪華な飾り付けで家の権勢を競い合いました。今日の節句飾りは、江戸時代に比べ、ずいぶん小型になっていますが、その様式化された飾り物の中に古い時代の華やかな屋外飾りの要素を伺うことも出来ます。

本展では、江戸末から明治・大正時代に、京阪地方の都市部で人気を博した武者人形や甲冑飾り、約30組を展示し、節句飾りが華やかだった時代をふり返ります。明治・大正時代は、江戸時代の流れを受け継ぎ、大将と従者の武者人形が主人公で、甲冑飾りはむしろ脇役だったのが、戦後になると、甲冑飾りの方が主、武者人形は小型化して、座敷飾りの下部に飾られるようになります。今ではあまり見かけることのなくなった明治時代の大型武者人形は本展の見どころです。

展示総数  約30組

  

武者人形

武者人形は、端午の節句に飾られる鎧(よろい)や兜(かぶと)をつけた武者姿の人形を言いますが、江戸時代中期頃に始まり、明治・大正の頃までは屋内飾りの中心でした。

和漢の歴史物語や芝居に登場する勇ましい英雄を人形化したもので、神功皇后と武内宿禰、秀吉と清正、義経と弁慶などが代表的です。一時は等身大に及ぶ大型の人形も登場しましたが、昭和以降は甲冑飾りに押されて、しだいに作られなくなりました。ここでは、明治・大正時代に京阪地方の都市部で飾られた大型の武者人形を展示します。

甲冑飾り

端午の節句が男児の祝儀に結びつき、武家の将来を祝福する行事として展開するのは、武家が興隆した中世のことといわれています。

武士の誉れの象徴として登場した鎧や兜の甲冑飾りが登場するのは江戸時代中期以降のこと。始まった頃の飾り兜は、支柱にかぶせて置かれていたのが、明治時代になると、胴が膨らんだ鎧櫃(よろいびつ)に甲冑が飾られるようになります。江戸時代の甲冑飾りは、武者人形の添え物的な位置を占めていましたが、昭和時代以降、次第に節句飾りの主流として今日に至っています。

本展では、京阪(関西)で飾られた明治・大正・ 昭和時代にかけての甲冑飾りの色々をご紹介します。



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