「雛まつり~江戸から昭和、雛の名品~」 | 日本玩具博物館

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特別展

春の特別展 「雛まつり~江戸から昭和、雛の名品~」

会期
2018年2月3日(土) 2018年4月15日(日)
会場
6号館
江戸後期の雛人形

春の恒例となった雛人形展は、500組をこえる日本玩具博物館の雛人形コレクションの中から、様々な時代や地域の雛人形を取り出して展示し、雛飾りの多様な世界を紹介する試みです。今春は、江戸後期、明治、大正、昭和初期の各時代に、江戸(東京)、京都、大坂(大阪)などの都市部で飾られた雛人形と雛道具を展示し、時代の移り変わりをたどりながら、雛飾りに込められた人々の憧れや願いを探ります。  

雛飾りに人形や諸道具を飾るための雛段が見られるようになったのは江戸時代のこと。初期の頃は、毛氈などの上に内裏雛だけを並べ、背後に屏風を立てた平面的な飾り方で、調度類も数少なく、簡素かつ自由なものでした。雛祭りが盛んになるにつれて、雛人形や添え飾る人形、諸道具の類も賑やかになり、雛段の数も次第に増えていきます。安永年間(1772~81)には4~5段、天保年間(1830~44年頃)には、富裕な町家の十畳座敷いっぱいを使うような贅を尽くした雛段も登場しました。

そうして江戸を中心に「段飾り」が発展する一方、上方では「御殿飾り」が優勢でした。建物の中に内裏雛を置き、側仕えの官女、庭掃除や煮炊きの役目を果たす仕丁(三人上戸)、警護にあたる随身(左大臣・右大臣)などの人形を添え飾るものです。御殿飾りは明治・大正時代を通じて京阪神間で人気があり、戦後には広く西日本一帯で流行しましたが、昭和30年代中頃には百貨店や人形店などが頒布する一式揃えの段飾り雛に押されて姿を消していきました。

本展では、江戸時代後期から昭和時代に都市部で飾られた町雛の名品の数々を、江戸(関東)地方と京阪地方を対比させ、また地方色にも注目しながらご紹介するほか、「屏風飾り」「段飾り」「御殿飾り」「源氏枠飾り」などの雛飾りの様式をご覧いただきます。また押絵や木目込みといった製作方法の異なる大正・昭和時代の雛人形をご紹介します。
雛飾りの背景に漂う人々の夢や憧れについても思いを巡らせながら、日本玩具博物館恒例の雛まつりをお楽しみ下さい。

江戸時代のお雛さま

衣装を着せた座り姿の雛人形は、江戸時代中頃から次第に豪華なものとなり、京都と江戸を中心に、雛人形を取り巻く産業も発達していきました。雛人形は、その様式によって、元禄雛、寛永雛、享保雛、有職雛、次郎左衛門雛、古今雛などの呼び名がありますが、いずれも毛氈の上に内裏雛を並べ、背後に屏風を立てた「屏風飾り」が基本になっていました。

雛段は、江戸時代、宝暦・明和(1751~72)頃には2~3段、安永(1772~81)頃には4~5段、さらに江戸末期になると、7~8段もの雛も見られるようになります。内裏雛を中心に、三人官女が添えられ、天明(1782~89)頃には、太鼓や笛を奏でる五人囃子も登場します。京阪起源と思われる随身(左大臣・右大臣)や桜・橘の二樹、また諸道具類も整えられて、江戸時代末期には富裕な階層においては、今日以上に豪華な段飾りが行われていました。一方、一般の町家では箪笥などを利用した素朴な段飾りが多かったようです。

  

享保雛(きょうほうびな)

面長で、目は切れ長、少し口を開けた立体的な表情が特徴です。装束は金襴、錦などを用い、男雛は両袖を張った形、女雛は五衣、唐衣姿で表されます。

このような様式の雛人形は、江戸時代の享保年間(1716~36)頃に流行したものと後世の人々は考え、「享保雛」の名で呼び習わされてきました。明治時代初期の頃まで作られており、比較的大型のものが見られます。

江戸後期の享保雛

 

江戸の古今雛(こきんびな)

江戸時代の安永年間(1772~80)頃、江戸では、京阪風を脱した新型雛が登場して人々に愛好されていました。

根付師でもあった名工・原舟月は、江戸好みの雛人形を作って脚光をあびます。人形の顔は面長、両眼には硝子玉や水晶玉をはめ込んで、活き活きとした表情をもっています。衣装には金糸や色糸で華やかな縫い取り(刺繍)がほどこされ、袖には紅綸子が用いられています。

江戸末期の古今雛

  

京阪地方の古今雛(こきんびな)

寛政年間(1789~ 1801)頃、江戸で「古今雛」の様式が流行するようになると、京阪地方でもその影響を受け、「享保雛」の様式とは異なる雛人形が作られるようになります。けれども、京阪地方で作られ始めた古今雛は、人形の頭も衣装の様子も、また天冠などの飾りも、江戸型とは違っていました。江戸時代の京阪型古今雛は、従来の描き目で、公家風の静かな表情が特徴的。衣装には緋や茜色、常磐色など明るい色調が好まれました。檜扇を広げてゆったりと座す女雛の姿を江戸型と比べていただくとその違いがよくわかります。

      

  

明治・大正時代のお雛さま

今日のように、価格によって製品が画一化し、人形と道具が一式揃えで頒布されるようになるのは大正中期頃です。それまでは、 人形師や道具屋から気に入った品を買い集め、家ごとに個性的な飾りを行っていました。

例えば、祖母の代の雛飾りに嫁いできた嫁の雛を合わせ、やがて女児が誕生すると流行りの雛道具や添え人形を買い足したりして、製作年代の異なる人形や道具が同じ雛段に飾られていました。
 明治時代の雛人形は比較的大型で豪壮な印象があり、御殿飾りにも家の権勢を誇示するような堂々とした構えの作品が目立ちます。

明治時代の古今雛

明治時代に入っても、古今雛は、東京(関東地方)と京阪(関西地方)では人形の表情や衣装の形態、衣装の色調、天冠の様式などに違いが見られました。表情における大きな違いは、関東の古今雛は、仏像彫刻にみられる“玉眼”(水晶や硝子などをはめ込んだ目)の手法が用いられて、より写実的に表現されている点です。明治時代初期には、京阪においてもこの手法が採用され、従来の描き目から玉眼の雛人形が作られるようになりました。
江戸の人形師・玉翁は、江戸型古今雛の様式を京へ伝えた名工として知られています。

御殿飾り

京都では、内裏雛を飾る館のことを御殿といいますが、その中に一対の雛を置く形式を「御殿飾り」と呼びました。
 京阪を中心に、この様式の雛飾りが登場するのは江戸時代後期のことです。この頃、喜田川守貞は『守貞漫稿』の中で京阪と江戸の雛飾 りの違いを次のように記しています。

「……京阪の雛遊びは、二段のほどの段に緋毛氈(ひもうせん)をかけ、上段には 幅一尺五寸六寸、高さもほぼ同じ位の屋根のない御殿の形を据え、殿中には夫婦一対の小雛を置き、階下の左右に随身と桜橘の二樹を並べて飾るのが普通である。……江戸では段を七、八段にして上段に夫婦雛を置く。しかし御殿の形は用いず、雛屏風を立廻して一対の雛を飾り、段には官女、五人囃子を置く……」と。 

江戸時代の終わり、江戸の段飾りに対して、京阪では御殿飾りが一般的であったことがわかります。また、屋根のある御殿に先んじて、屋根のない御殿(「源氏枠飾り」でしょうか)が用いられていたこともわかります。

平安貴族社会の“雛遊び”を思わせるような京阪地方の御殿飾り雛は、やがて、明治時代後期になると、江戸時代以上に大型化し、家の権勢を誇るような贅を尽くしたものも登場します。

檜皮葺御殿飾り(大正11年/大木平蔵製)

源氏枠飾り

御殿の中の貴族たちの暮らしを再現するような京阪地方独自の雛飾りは、遠く、平安時代の姫君たちが行っていた“雛遊び(ひゐなあそび)”につながるものでしょうか。

江戸時代、京阪地方で作られ始めた雛を飾る御殿は、最初は屋根のない形態であったようです。それはまるで「源氏物語絵巻」の“吹き抜き屋台”という構図にも似て、御殿の中の人形たち表情がよくわかり、明るい印象の雛飾りです。このような御殿が「源氏枠」と呼ばれる所以です。

ここでは、明治後期から昭和初期にかけて、京阪地方で飾られた比較的小型の源氏枠飾りをご紹介します。この時期を最後に源氏枠飾り雛は姿を消していきます。

源氏枠飾り(明治後期・大正期)

昭和時代のお雛さま

画一化された段飾り雛や御殿飾り雛の一式揃えが爆発的に普及するのは戦後、家々の暮らしが豊かになっていく昭和20年代後半から30年代にかけてのことです。やがて高度経済成長期に入ると、京阪地方から西日本一帯に普及した御殿飾り雛も地方都市の簡素な衣装雛も、それまで農村で盛んだった土雛も瞬く間に姿を消し、雛段から地方色が失われ、各地で進む核家族化を象徴するように、雛飾りは一家のものから個人一代のものに変わっていきます。
 ここでは、そのような量産型の雛人形ではなく、前時代から受け継がれた美術工芸的な雛飾りのいくつかをご紹介します。

木彫彩色雛(昭和初期/東京かなめや製)


<会期中の催事>

解説会
  *日時= 2月11日(日)・3月4日(日)・3月18日(日) ・4月1日(日)
      ※各回14:30~ 45分程度
  *会場=6号館特別展示室
ワークショップ 「貝合わせ」を作って遊ぼう!
  日時=3月24日(土) 13:30~15:30
  *会場=6号館前テラス&ランプの家
  *持ち物=筆記用具
  参加費=300円(材料費含む)



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