「雛まつり~江戸の雛・京阪の雛~」 | 日本玩具博物館

日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

Language

展示・イベント案内

exhibition
特別展

日本玩具博物館40周年記念・春の特別展 「雛まつり~江戸の雛・京阪の雛~」

会期
2014年2月1日(土) 2014年4月15日(火)
会場
6号館

現在、私達は、五段あるいは七段に毛氈を敷き、屏風を立て廻して飾りつけるものが昔からのただ一つの雛の伝統だと思いがちですが、昭和初期頃までは城下町や地方都市、農村部など、土地によって様々に異なる雛の世界がありました。大都市部においても、関東(江戸文化)と関西(京阪文化)における美意識の違いを反映して、雛人形の様式や飾り方などに違いが見られました。
春の恒例となった雛人形展は、500組をこえる日本玩具博物館の雛人形コレクションの中から、様々な時代や地域の雛人形を取り出して展示し、雛飾りの多様な世界を紹介する試みです。今春は、江戸時代後期から昭和時代初期までの資料を一堂に集め、「江戸の雛・京阪の雛」をテーマとして、雛人形や雛飾りにおける地域の特色についてご紹介します。

今から一千年以上前のこと、平安時代の貴族の姫君たちは、人形を“ひな(=ひゐな)”と呼び、ひなのための小さな館や道具をそろえて“ひな遊び”を楽しんでいました。それは、人形遊びにままごとを合わせたようなもので、季節を問わず、いつでも行われていました。それが江戸時代になると、女性の健康と幸福を願う桃の節句の特別な遊びごとへと発展していきます。

持ち遊びの要素をそなえた「ひな遊び」の人形が工芸的な美をそなえて、「雛飾り」となっていくのは、江戸時代中頃のこと。そのはじめは、毛氈などの上に紙雛と内裏雛だけを並べ、背後に屏風を立てた平面的な飾り方で、調度類も数少なく、簡素かつ自由なものでした。雛まつりが盛んになるにつれて、雛人形や添え飾る人形、諸道具の類も賑やかになり、雛段の数も次第に増えていきます。
安永年間(1772~81)には4~5段、天保年間(1830~44年頃)には、富裕な町家の十畳座敷いっぱいを使うような贅を尽くした雛段も登場してきます。

そうして江戸を中心に「段飾り」が発展する一方、上方では「御殿飾り」が優勢でした。 「御殿飾り」 は、建物の中に内裏雛を置き、側仕えの官女、庭掃除や煮炊きの役目を果たす仕丁(三人上戸)、 警護にあたる随身(左大臣・右大臣)などの人形を添え飾るものです。御殿飾りは明治・大正時代を通じて京阪神間で人気 があり、戦後には広く西日本一帯で流行しましたが、昭和30年代中頃には、百貨店や人形店などが頒布する一式揃えの段飾り雛に押されて、徐々に姿を消していきました。

一方、江戸後期の頃から豪華になった雛道具は、黒漆塗りに牡丹唐草の蒔絵を施した大名道具的な調度品を映し、家の勢力を競うシンボルとしての要素が強まります。また、京阪地方では雛段には台所道具や身近な生活道具類が飾られました。白木の素朴な道具類は、女児の雛遊びを豊かにすると同時に、家庭教育的な役割を担っていました。京阪地方で御殿飾りを発達させた背景には、貴族社会における「ひな遊び」の伝統があるとも考えられます。

本展では、そのような飾り方や道具の違い、また雛人形の表情、衣装の形態などにも注目し、関東と関西の雛人形を対比しながら、時代を追って展観していきます。

展示総数  約50組


江戸時代の雛人形

  衣裳を着せた座り姿の雛人形は、江戸時代中頃から次第に豪華なものとなり、京都と江戸を中心に、雛を取り巻く産業も発達していきました。雛人形は、その様式によって、元禄雛、寛永雛、享保雛、有職雛、次郎左衛門雛、古今雛などの呼び名がありますが、いずれも毛氈の上に内裏雛を並べ、背後に屏風を立てた「屏風飾り」が基本になっていました。

 雛段は、江戸時代、宝暦・明和(1751~72)頃には2~3段、安永(1772~81)頃には4~5段、さらに江戸末期になると、7~8段もの雛も見られるようになります。内裏雛を中心に、三人官女が添えられ、天明(1782~89)頃には、太鼓や笛を奏でる五人囃子も登場します。上方起源と思われる随身(左大臣・右大臣)や桜・橘の二樹、また諸道具類も整えられて、江戸時代末期には富裕な階層においては、今日以上に豪華な段飾りが行われていました。一方、一般の町家では箪笥などを利用した素朴な段飾りが多かったようです。

明治時代の雛人形

 今日のように、価格によって製品が画一化し、人形と道具が一式揃えで頒布されるようになるのは大正中期頃です。それまでは、人形師や道具屋から気に入った品を買い集め、家ごとに個性的な飾りを行っていました。例えば、祖母の代の雛飾りに嫁いできた嫁の雛を合わせ、やがて女児が誕生すると流行りの雛道具や添え人形を買い足したりして、製作年代の異なる人形や道具が同じ雛段に飾られていました。

 明治時代の雛人形は比較的大型で豪壮な印象があり、御殿飾りにも家の権勢を誇示するような堂々とした構えの作品が目立ちます。

 この時代の雛飾りの見どころの一つとしては、雛段の下方に置かれる勝手道具や竈(かまど)など、庶民的な道具類です。京阪神の都市部の富裕な町家などで飾られたもので、井戸や流し場、洗濯道具や清掃道具なども揃えられ、当時の家庭の様子や女性の暮らし方を知る上でも興味深い資料です。

お雛さまいろいろ~享保雛~

 面長で、目は切れ長、少し口を開けた立体的な表情が特徴です。装束は金襴、錦などを用い、男雛は両袖を張った形、女雛は五衣、唐衣姿で表されます。このような様式の雛人形は、江戸時代の享保年間(1716~36)頃に流行したものと後世の人々は考え、「享保雛(きょうほうびな)」の名で呼び習わされてきました。明治時代初期の頃まで作られており、比較的大型のものが見られます。

享保雛(江戸後期)

お雛さまいろいろ~古今雛~

 江戸時代の安永の頃(1772~80)、 京風を脱した新型雛が登場して江戸の人々に愛好されていました。根付師でもあった名工・原舟月(二代目)は、江戸好みの雛人形を作って脚光をあびます。人形の顔は面長、両眼には硝子玉や水晶玉をはめ込んで、活き活きとした表情をもっています。衣装には金糸や色糸で華やかな縫い取り(刺繍)がほどこされ、袖には紅綸子が用いられています。こうした様式は「古今雛」と称され、現在に続く雛人形の原型となりました。

江戸型古今雛(江戸後期)

京阪風と江戸風

 江戸時代や明治時代の「古今雛」には、地域によって顔立ちや衣装の着せ方に違いが見られます。特に江戸文化を受け継ぐ「江戸風」の雛人形と上方文化を受け継ぐ「京阪風」の雛人形との違いは際立っていました。引き目鉤鼻で静かな印象の「京阪風」に対して、「江戸風」は、目も口も大きく開いて華やかな表情をもっています。

 江戸風の男雛は、動的に袖を張り、女雛は袂を低く膝元におさめて、袖の中に手を隠した姿で作られます。対して、京阪風の女雛は、袖から両手をのぞかせ、檜扇を広げた姿に作られます。地方都市で飾られた「古今雛」は、こうした江戸風や京阪風の雛人形の姿を真似ながら、独自の様式を発展させていきました。

京阪型古今雛(江戸後期)

お雛さまいろいろ~有職雛~

 雛人形には、歴史的にいくつかの様式があり、また公家の雛、武家の雛、町家の雛など、階級によってその様式は異なりました。「有職雛」は、有職故実に基づいて造形された雛人形の様式で、有職の家柄である京都の山科家や高倉家によって、宝暦・明和年間(1751~72)頃に始められたと伝わっています。今回展示するのは、小直衣(このうし)姿の有職雛で、明治時代の作品です。本会場に展示する「享保雛」や「古今雛」と、衣装の形や髪型などを比べながらご覧下さい。

飾り方いろいろ~屏風飾りと段飾り~

 江戸時代、都市部の町家に雛まつりが定着していく時期の内裏雛は、座敷の床になった場所へ、一対あるいは数対が並べて飾られました。
 その背後には大和絵風の意匠をほどこした雛屏風が立てまわされていました。添え人形や雛道具は少なく、“屏風飾り”と呼ばれています。時代が下り、添え人形や雛道具類がにぎやかになっていくにつれ、雛飾りは段数を増やしていきます。江戸の町で発展したこの飾り方を“段飾り”と呼びます。

江戸型段飾り(左=大正時代 右=昭和1年代)
京阪型段飾り(昭和初期)

飾り方いろいろ~御殿飾りと源氏枠飾り~

  京都では、内裏雛を飾る館のことを御殿といいますが、その中に一対の雛を置く形式を「御殿飾り」と呼びました。京阪を中心に、この様式の雛飾りが登場するのは江戸時代末期のことです。

 御殿は御所の紫宸殿(ししんでん)になぞらえたものと思われます。華やかな貴族文化への憧れが育んだ復古的な雛飾りといえます。御殿の屋根をとりはらって人形の表情を見やすくしたものを「源氏枠飾り」と呼んでいます。江戸時代後期、天保年間頃に喜田川守貞が著した『守貞漫稿』には、京阪と江戸の雛飾りの違いが記されています。

「……京阪の雛遊びは、二段のほどの段に緋毛氈をかけ、上段には幅一尺五寸六寸、高さもほぼ同じ位の屋根のない御殿の形を据え、殿中には夫婦一対の小雛を置き、階下の左右に随身と桜橘の二樹を並べて飾るのが普通である。……江戸では段を七、八段にして上段に夫婦雛を置く。しかし御殿の形は用いず、雛屏風を立廻して一対の雛を飾り、段には官女、五人囃子を置く……」 

 本展では、幕末から明治時代にかけての一文雛の御殿飾りや重厚で上品な檜皮葺き御殿飾りをずらりと展示します。 

幕屏風の段飾り雛(昭和初~10年代)


雛道具のいろいろ

 雛人形に添えて飾られる黒漆塗り金蒔絵(きんまきえ)の雛道具には、衣食住に関する様々な生活道具が揃っています。もとは姫君の婚礼道具の目録代わりに作られたミニチュアの大名道具とも言われていますが、庶民は、雛人形の豊かな暮らしを想像しながら、雛道具の数々を発展させていきました。江戸時代から明治時代にかけての雛道具のバリエーションをご紹介します。


<会期中の催事>
解説会
  日時=2月16日(日)・3月2日(土)・9日(日)・16日(日) ※各回 14:00~
ワークショップ 「貝合わせ」を作って遊ぼう!
  日時=2月23日(日) 13:30~


*****************************************************************
前の特別展 → 冬の特別展*2013「世界のクリスマス」
次の特別展 → 初夏の特別展*2014「端午の節句~京阪の武者飾り~」