「雛道具・白木の勝手道具」 | 日本玩具博物館

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今月のおもちゃ

Toys of this month
2024年3月

「雛道具・白木の勝手道具」

  • 明治末~大正初期
  • 日本/木・竹・土・陶磁器・銅板など

桃の節句の雛人形に添え飾る道具といえば、大名の姫君の嫁入り調度を小さくしたような黒漆塗金蒔絵(くろうるしぬりきんまきえ)の豪華な道具を思い浮かべますが、かつて、京阪(関西)地方では、町家の台所を人形サイズに縮小したような道具類が雛壇の下方に並べ飾られていました。

京阪地方の雛道具「白木の勝手道具」(明治中期頃の作)

江戸末期、喜田川守貞が著した風俗誌『守貞謾稿』(序文=嘉永6・1853年)には、当時の江戸と京阪の雛飾りについて、興味深いことが記されています。
「京坂(阪)の雛遊びは・・・(中略)・・・調度の類は箪笥(たんす)、長持(ながもち)、多くは厨(=台所)の諸具をまね、江戸より粗で野卑に似たりといえども、児に倹(=倹約)を教え、家事を習わしむるの意に叶えり」と。江戸末期の京阪地方では身近な台所を小さく作ったものが雛飾りに用いられ、これらは、ままごと道具の要素をもちつつ家庭教育にもひと役買っていたことがわかります。

京阪地方の雛道具「白木の勝手道具」・その2 (明治末期頃の作)
京阪地方の雛道具「白木の勝手道具」・その1 (明治末~大正初期頃の作)

京阪地方では台所を“勝手(かって)”と呼びました。上の写真、2つの勝手道具は、明治末期から大正初期の雛道具です。流し台も水屋も、車井戸も、当時そのままの素材で小さく作られ、樽(たる)や桶、笊(ざる)、カツオ節削り器、七輪、石臼、焙烙(ほうろく)、焼き網……、ネズミ捕り器までセットされ、見ているだけでワクワクしてきます。小さなまな板の上で野菜を刻んだり、客人にお茶を入れたり…。少女たちはハレの日のままごと遊びを通して家事を覚え、良き婦人になるための心得を身に着けていたのでしょう。

神棚には、小さな布袋の土人形が並べられています。京都の古い勝手には“荒神棚”が設けられ、そこには火伏(火除け)の“布袋さん”(伏見の土人形)を並べる風習がありましたので、写真の2つの勝手道具は、京都の台所の姿を映したものといえそうです。
また、車井戸の傍には水道の蛇口が見えます。大阪では、明治28(1894)年に桜の宮水源地が完成し、京都では琵琶湖第一疎水の完成後の明治24(1891)年に蹴上発電所が立ちあがっています。明治末から大正時代にかけて、京阪神の諸都市では、生活用水としての水道設備が整っていきました。ただ、勝手道具のなかに水道の蛇口を探すと、まだ“外”に備え付けられていることに気づきます。食器や食材の洗い場である“流し”の上に蛇口が出来るまでにはもう少し時間を要しました。 

昭和初~10年代の「白木の勝手道具」

雛道具としての勝手道具は、昭和30年代半ば頃まで、京阪神地方一帯の家庭の桃の節句を賑やかに彩りましたが、今では雛飾りのなかからすっかり姿を消しています。ふり返ってみると、これらハレの日のままごとにも用いられた雛道具は、私たちの生活文化史を探究するための資料価値をも有しています。

(学芸員・尾崎織女)