今月のおもちゃ
Toys of this month「雛の勝手道具」
雛人形に添え飾る道具類といえば、大名道具を小さくしたような黒漆塗金蒔絵の伝統的な調度を思い浮かべますが、京阪地方の町家では、江戸時代の終わり頃から、普段の庶民的な暮らしの道具をそのまま小さく作った諸道具が飾られていました。
江戸時代後期、嘉永6(1853)年に喜田川守貞が著した『守貞謾稿』には、江戸と京阪の雛飾りについて、興味深いことが記されています。「京阪の雛遊び・・・(中略)・・・・・調度の類は箪笥(たんす)、長持(ながもち)、多くは庖厨(=台所)の諸具を小さく模し、江戸より粗で野卑に似たりといえども、児に倹を教え、家事を慣わしむるの意に叶えり・・・・・」 江戸時代後期、京阪地方では身近な台所道具が雛飾りに用いられ、女児の家庭教育の糧としての位置づけをもっていたと考えられます。
写真は、明治末期の雛の勝手(=台所)道具です。神棚のある勝手、車井戸、くど(=かまど)などが当時そのままの姿で小さく作られ、その中には味噌樽(みそだる)、醤油樽(しょうゆだる)、鰹節削り器(かつおぶしけずりき)、焙烙(ほうろく)、七輪、きぬた、石臼・・・・・・ネズミ捕り器までセットされています。少女たちは、小さなまな板の上でトントン野菜を刻んだり、客人にお茶を入れたり、小さな箒で庭掃除をしたりして空想の翼を広げました。それは、とりもなおさず、将来、家庭の良き主婦になるための勉強だったのでしょう。こうして、雛の勝手道具は、高度経済成長が始まる昭和30年代半ば頃まで、京阪から関西一帯の家庭の雛飾りを賑やかに彩り、節句のままごと道具として女児たちに親しまれ続けました。
今春の特別展「雛と雛道具」では、明治時代から昭和20年代までの「雛の勝手道具」を多数ご紹介しています。