「端午の節句と武者人形」 | 日本玩具博物館

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企画展

初夏のテーマ展 「端午の節句と武者人形」

会期
2003年4月19日(土) 2003年6月17日(火)
会場
2号館 L字コーナー

五月五日の端午の節句は、泰平の世が続いた江戸時代を経て日本中に浸透した初夏の行事です。そのはじめは、季節の変わり目に人々にふりかかる邪気を払い、心身の健康を保つための儀礼であったと思われます。江戸時代後期の武家や都市部の富裕階級が好んだ節句飾りは、華やかで勇ましい幟や武具が中心でしたが、江戸末期から明治にかけて節句行事が庶民の間で盛んになると、武者人形、金太郎などの人形も登場して、男児の出世と健康を祈る祝日になっていきました。

『絵本寝覚種』(寛保4・1744年)より五月節供 

武者人形は、端午の節句に飾られる鎧や兜をつけた武者姿の人形をいいますが、江戸時代中期頃に始まり、明治・大正の頃までは屋内飾りの中心的な存在でした。和漢の歴史物語や芝居に登場する勇ましい英雄を人形化したもので、神功皇后と武内宿彌、秀吉と清正、義経と弁慶などが代表的です。一時は等身大に及ぶ大型の人形も登場しましたが、昭和以降は、甲冑飾りにおされてしだいに作られなくなりました。このコーナーでは、今ではあまり見られなくなった明治・大正時代の武者人形を展示します。

金太郎は相模の国(現在の神奈川県)足柄山に、山姥の子として生まれた怪力の持ち主で、のちに源頼光の四天王の一人「坂田金時」として剛勇の名をはせました。身体に腹がけ、肩にまさかりを担ぎ、熊や猿を相手に相撲を好む元気な金太郎は、日本人にとって男の子の理想像として親しまれ、これを人形化したものが江戸時代中期頃から端午の節句に飾られるようになります。
裸形の金太郎が赤く彩色されているのは、健康な子どもの力感を表わしているばかりか、赤い色が古くから疱瘡(天然痘)除けや悪病払いのまじないとされてきたことにも関係があります。

本テーマ展には、郷土人形の中から代表的な金太郎約60組を展示します。松や竹の根を引き抜くもの、まさかりを担ぐもの、鯉や熊と組み合わせたものなど、いずれも躍動感のある力強い表現が特徴です。

展示総数 約60組

<武者人形>
太閤秀吉(大正8年頃)
<郷土人形 金太郎>
三次土人形・松ひき金太郎(広島県三次市/明治中期) 稲畑土人形・鯉抱き金太郎(兵庫県氷上町/大正期) 伏見土人形・熊と金太郎(京都府京都市/明治末期) 早瀬土人形・熊と金太郎(兵庫県佐用町/明治中期) 御来屋土人形・熊のり金太郎(鳥取県大山町/大正期) 鶴岡土人形・俵かつぎ金太郎(山形県鶴岡市/昭和初期)


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同時開催の企画展 → 春の企画展*2003「世界のままごと遊び」