今月のおもちゃ
Toys of this month雛道具「貝桶と合わせ貝」
「貝合わせ」は貴族社会に発生し、長く受け継がれた王朝遊びとして知られていますが、平安時代の「貝合わせ」は、貝殻の形や色合いの美しさや珍しさを愛で、その貝殻を題材にして歌を詠じ、優劣を競う遊びでした。それとは別に、一対の貝における身と蓋(ふた)を合わせる遊戯があり、それは「貝覆い」と呼ばれていました。時代が下ると、この遊びもまた「貝合わせ」と呼ばれるようになり、今日に伝えられています。
「貝合わせ」の遊戯に使用する貝殻を「合わせ貝」といいます。一対の貝の蝶番になったところをよく観察すると、凸になった方と凹になった方があるのに気付きます。凸になった方を“陽”(=地貝/じがい)、凹になった方を“陰”(=出貝/だしがい)と呼び、男女に見立てられた合わせ貝は、別々の貝桶に収めて保存されます。貝合わせ(古くは貝覆い)に使用される蛤貝は360個とされ、貝の並べ方にもルールがあったようです。
江戸時代に遊ばれた「合わせ貝」には、幅9cmほどもある大きな蛤貝が用いられ、金箔や蒔絵で美しく装飾されていました。これらのうち、凸の貝“地貝”を同心円状に伏せて並べおき、その中心に凹の貝“出し貝”をひとつ伏せおいて、多くの中から、もとの一対を探します。対になる貝を違えないところから夫婦和合の象徴とされました。大名の姫君の婚礼調度の中で、合わせ貝とそれを収めた貝桶は、最も重要な意味を持ち、婚礼行列の際には先頭で運ばれたといいます。
合わせ貝とそれを収めた貝桶を小さく作った雛道具は、古くから雛人形とともに飾られてきました。写真は明治時代後期の雛道具で、蛤貝は幅3.5cmほどの愛らしもの。梅、椿、花菖蒲、撫子、女郎花、紅葉など四季の花々が描かれて美しく、女性たちの遊び心をくすぐったことでしょう。