「迷子札」 | 日本玩具博物館

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今月のおもちゃ

Toys of this month
2022年3月

「迷子札」

  • 明治末~大正初期
  • 京都府京都市/布(縮緬・白絹・麻)・紙・綿

3号館の常設展示室には、江戸末期から明治・大正時代の女性たちの手になる裁縫お細工物を展示していますが、そのなかに明治末期の「迷子札」があり、来館者がじっと目を止め、伴われたご家族としみじみ何ごとかを話しておられる風景をよく見かけます。迷子札は、まだ言葉を充分に話せない幼い子どもが迷子になったときのために、住所や氏名を書きつけて、その子に携帯させる提げ札のことをいいます。
明治から大正時代、都市部では各家庭の女性たちの手で作られた迷子札が使用されていました。大きさは5㎝から8㎝ほど。実寸大の図案を写した厚紙をパーツごとに切り離し、その上に薄く綿をのせ、ちりめんなどの小裂をかぶせた後、パーツを組み合わせて仕上げる押絵の手法が用いられています。裏側には白絹や白麻布を張り、そこに子どもの住所や氏名などが書かれました。

仔犬形の迷子札/裏側に子どもの住所と氏名が書かれている

たとえば、「上京区押小路東洞院東へ入ル町南側藤井熊之助 倅(せがれ)為造」と墨書きされた仔犬の迷子札が遺されています。百年以上前、仔犬の札を帯に結んで京都の街を走りまわる為造くんは、周囲の人々に見守られてすくすく育っていたことでしょう。展示品には、明治時代の新春、めでたい言葉を発しながら門付けをした「ちょろけん(長老軒)」や中国の故事にもとづく「甕割り唐子」といった意味深いデザインもみられます。

迷子札のいろいろ(京都府京都市で製作されたもの/明治末~大正時代)


一方、鈴、絵馬、まが玉などの縁起物、筆、太鼓、鏡、将棋の駒、扇、鏡餅、羽子板、なかにはおろし金や植木鉢といった暮らしの道具をデザインしたものもあり、女学生たちが習う裁縫の教科書にも多彩なデザイン例が掲載されています。果たして小さい子どもがこれらを喜ぶだろうかと不思議に思っていたところ、あるとき、明治生まれの老婦人から、「当時も都会には誘拐などの危険が潜んでいたので、住所や名前を書かずにおいて、町の人たちなら迷子札の形からどこの家の子かがわかるようなものが作られていましたよ」と教えられ、合点がいきました。つまり、おろし金は金物屋、植木鉢は花屋を表わし、あるいは、それぞれのデサインが持ち主の家の屋号を象徴するものだったのかもしれません。

『裁縫のおしゑ』(柴垣京子著/赤志忠雅堂・明治42年刊)より迷子札の図案と裁縫教科書と明治末期の迷子札

さかのぼって江戸時代、迷子は、遊びに夢中になった子どもたちが、単に道に迷ったのではなく、魔物によって連れ去られたり、見えなくされたりするものとも考えられていました。鉦や太鼓を打ち鳴らし、大声で迷子の名を呼び歩くのは、音で魔物をおどかして子どもを取り戻すための行為でもありました。迷子札のなかの宝珠や小槌、隠れ笠など御守りとなるデザインには、我が子の無事を祈る心が織り込まれています。

今もまた、誰かの保護を必要とする人たちのために、情報公開の危険性に配慮した迷子札がさまざまに工夫されていますが、本来これらは、人々の善意と社会への信頼があってこそ意味をなすものです。小さな手作りの迷子札は、弱者を守れる地域力を育てることの大切さをそっと教えているようです。

(学芸員・尾崎織女)