洛北の麦藁人形の再現~京都精華大学ギャラリーTerra-S企画展「スケッチーズ~八瀬の石黒さん家から見た世界」のために | 日本玩具博物館

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学芸室から 2025.06.01

洛北の麦藁人形の再現~京都精華大学ギャラリーTerra-S企画展「スケッチーズ~八瀬の石黒さん家から見た世界」のために

美術家で京都精華大学教員でもある中村裕太さんからお誘いを受けて、同大学のギャラリーTerra-Sで開催される今夏の企画展「スケッチーズ~八瀬の石黒さん家から見た世界」に、参加協力することとなりました。❝石黒さん❞とは、石黒宗麿(1893-1968)のこと。昭和11(1936)年に京都洛北の八瀬に窯を築き、晩年まで八瀬を拠点に作陶を続けた陶芸家で、独自の鉄釉陶器の技法に対して、昭和30(1955)年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された巨匠です。

本展は、建築、陶芸、集古、庭景、玩具などをテーマに、建築家、陶芸家、研究者、デザイナー、学芸員など、様々な分野の方々が集い、対話を重ねながら、八瀬の石黒さんが見ていた世界を描いていくもの。私も、デザイナーの軸原ヨウスケさん、郷土玩具作家の長友真昭さん、仏教美術研究者で郷土玩具蒐集家の山名伸生さんとともに「玩具」チームに参加させていただくこととなりました。

石黒さんが八瀬の里に築窯した昭和10年代のころ、この地の郷土玩具として知られていたのは「八瀬の麦藁細工・大原女(小原女)」です。それは、大原の里から八瀬、さらに三宅八幡宮のある高野の里を通って柴や薪を洛中へと行商した❝大原女❞の姿をうつしたもので、麦藁を編んだ頭には白い和紙の手拭い、麦藁束を十字に結び留めた胴には濃紺の和紙を着せ、頭上に結び付けた麦藁を柴に見立てた人形です。童画家・武井武雄は、自著『日本郷土玩具』(西の部・昭和5年/東西合本・昭和9年刊)のなかで、八瀬の大原女には品位があって、「京都名玩中の一としてまづ挙ぐべきもの」と絶賛しています。


八瀬の麦藁細工には、大原女のほかに灯籠(とうろう)や山籠(やまかご)があり、それらとよく似たものが三宅八幡宮参道の茶店でも笹につるして売られていました。「三宅八幡の麦藁細工」は、糸で結んだ麦藁束につやのある西洋紙を着せた簡素なつくりで、大原女、灯籠、馬乗り武者、船乗り、自転車乗りなどの種類が知られています。


戦前の大原女の作者として、八瀬より南に下った山端に住む森田タキの名がいくつかの文献に記されていますが、彼女の作った大原女が八瀬の里で売られたものか、三宅八幡宮の参詣土産であったかは判然としていません。戦後は全国的な麦作の退潮のなかで製作が途絶え、昭和の終わりに川久保フミが三宅八幡の麦藁細工を復活させましたが、それもまもなく姿を消しましたので、これらは皆、廃絶した郷土玩具といってよいでしょう。

そこで、地元での復活を期して、まずは作り方をまとめてみたいと思い、友人が育てている小麦をひと束頂戴して整理し、当館が所蔵する実物資料を観察しながら、様々な麦藁人形を再現を試みましたが、いかがでしょうか。

大原女人形については、早春のころ、石黒さんの八瀬陶窯跡に玩具チームのメンバーや主催者が集い、戦前の文献や実物を広げ、戦前の品により近い作品を目指して、皆で作ってみました。

夏の企画展には、石黒さんの大原女スケッチ(陶作品の絵付けのモチーフに描いたものか)と合わせて、古作品や再現過程を展示してみようと「玩具チーム」の皆で話し合っているところです。大原女などの麦藁細工については、館内のワークショップでも機会をとらえてご紹介できればと思っています。

(学芸員・尾崎織女)

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