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学芸室から 2024.03.03

雛飾りのなかの桃花酒

3月3日、新暦の上巳節。今日は高校生から「古代に中国から伝わったという上巳の節句と雛まつりはどんな関係ですか? 上巳の節句の名残は雛飾りに遺されていますか?」という質問を頂戴しました。――――こちらでおこたえしてみますね!
――――「上巳」は3月の初めての巳の日(甲乙丙丁…の十干と子丑寅卯…の十二支を組み合わせて暦日に当てていきます)。ちなみに「端午」は5月の初めての午の日という意味です。この暦日は年によって異なり、古代中国で「上巳」や「端午」が始まったころは、しっかり3月初巳の日、5月初午の日に合わせて、神に供物を供えて健康を祈る行事がもたれていたようです。

それが、やがて陰陽道の影響を受けたものか、奇数(陽数)と奇数(陽数)が重なる3月3日、5月5日などに、日が定められたと考えられています。陽と陽が重なると陰を為すとして、7月7日の七夕や9月9日の重陽も含めて、みな、よくないことの起こる日。もともとは、その不吉を避け、身の健康を保つための儀礼が節供(句)行事の中心にあったと思われます。

3月下旬から4月上旬、月遅れの桃の節句のころに満開になる桃の花

上巳節、中国では、漢の時代から水辺で禊(みそぎ)祓(はらえ)をする風習があり、六朝時代に入ると、流水に盃を浮かべて宴をはる「曲水の宴」が行われたといいます。また、酒に桃の花を浸して飲んだり、野草(母子草など)の汁を入れた羹(餅状のもの=龍舌絆)を作って食すると邪気が祓われるとして、桃花酒や龍舌絆が上巳節には欠かせないものでした。この季節に花を咲かせる桃が魔をはらう霊力を秘めた仙木であり、春の野草には薬効があると考えられたためでしょう。


中国で成立した上巳節の風習は遣唐使によって日本の貴族社会に伝えられ、平安時代には中国さながらの上巳の節会が行われ始めましたが、ここに雛人形は登場してこないのです。貴族社会の13歳までの女児が日常行っていた「ひゐな(雛)遊び」の「ひゐな」が、姿を変え、桃の節句にだけ遊んだり飾ったりする特別の人形として登場してくるのは近世を待たねばなりません。

「風流古今十二月内 弥生」(天保年間ごろ・1831~45年/歌川国貞画)に描かれた江戸の雛飾り――三方に置かれた一対の瓶子(中身は桃花酒と考えられます)

現在の雛飾りに遺されている上巳節の名残といえば、内裏雛に供えるように飾られる「三方」に置かれた一対の錫製「瓶子(へいし)」です。今でも甘い白酒に桃の花びらを浮かべていただく風習がありますが、徳利状の瓶子は「桃花酒」を表しており、瓶子には桃の花の造花が飾られます。お酒を注ぎ入れ、花が開き始めた桃の小枝を差すと、本物の桃花酒となりますね。

段飾り一式のなかにも、内裏雛の間に供え飾られます

もともとの上巳節に雛人形や雛飾りの要素は存在しませんが、「桃の節句」という言葉にも、また、私たちの雛飾りのなかの「桃花酒」にも、古代の中国文化とのつながりが遺されていて、そのことを素晴らしいと感じます。

(学芸員・尾崎織女)

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