端午の掛け軸飾り「桃太郎の物語」~端午の節句展より | 日本玩具博物館

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学芸室から 2024.04.29

端午の掛け軸飾り「桃太郎の物語」~端午の節句展より

初夏恒例の「端午の節句展」——本年は、明治・大正時代から昭和時代初期に町家で飾られた武者人形を掛け軸飾りとともに展示しています。

武者人形は、端午の節句に飾られる鎧(よろい)や兜(かぶと)をつけた武者姿の人形をいいます。和漢の歴史物語や芝居などに登場する勇ましい英雄を人形化したもので、江戸時代に室内飾りとして登場したころは、等身大に及ぶ大型の武者人形も見られました。明治・大正時代、やわらかなものを好む京阪地方では、優美な武者人形が愛され、大将と従者の組み合わせを節句飾りの中心にすえる様式が甲冑飾りと並んで人気を博していました。このころの武者人形を集めてみると、その題材として、『古事記』や『日本書紀』のなかで英雄的な支配者として描かれる神功皇后(応神 天皇の母君)と六代の天皇に仕えた忠臣・武内宿禰、また足軽から身を起こし、天下人となった太閤秀吉と家来の加藤清正などが好んで製作されていたことがわかります。

掛け軸飾りにも、室内外の節句飾りの様子を描いた画面の中心に、牛若丸と弁慶、太閤秀吉と加藤清正など、歴史物語で有名な武将やその家来が活き活きと登場します。また一方、松や桜の木の下に源義家や楠木正成などの武将、中国渡来の鍾馗、鯉抱える金太郎などが、画面の主役として大きく描かれたものも見られます。掛け軸飾りは、場所をとらず、簡素で、節句飾りを象徴的に表現できるため、戦前は庶民の間でも非常に人気がありました。

そのような掛け軸のなかに、日本人が長く親しんできた昔話「桃太郎」を描いたものがあります。大正時代の作とされるこの掛け軸絵は、三つの場面に分かれています。遠景には吹き流しや千成瓢箪のついた馬印、鯉抱き金太郎を描いた幟、毛槍、一旒の鯉のぼりがはためく端午の空。中景には海を隔てて鬼たちが暮らす鬼ヶ島、そして近景に浜辺の松樹のもとに軍扇を広げて座す桃太郎と、甲冑を着込んで武具や幟旗をもつ猿、犬、雉の一行が配されています。特に、小さく描かれた鬼たちの表情がとても豊かで、この掛け軸を飾った端午の座敷では、幼い子どもたちが柏餅などを頬張りながら、年長者が語る桃太郎の勇ましさに楽しく耳を傾けたことでしょう。

明治時代の小学校の教科書には、今、一般的に知られているストーリーの基本形ではないかと思われる昔話「桃太郎」が掲載されており、国立国会図書館のデジタルコレクションに収められている『尋常小學讀本』 (明治20・1887年/文部省編輯局・大日本圖書刊)をあらためて読んでみました。要約すると、———むかしむかし、川へ洗濯に出掛けたおばあさんのもとへ大きな桃が流れ着き、その桃をおじいさんと一緒に食べようと持ち帰ったところ、桃が割れてかわいらしい子どもが生まれました。桃太郎と名付けられ、元気者に育った男の子は、ある日、鬼ヶ島へ宝物を取りに行きたいと黍団子を携えて出発します。桃太郎は(日本一美味しい)黍団子と引きかえにお供を願う犬、猿、雉を連れて、鬼ヶ島に上陸し、鬼ヶ島の門の内へと押し入ります。桃太郎一行は(鬼たちをなぜ懲らしめるのか、その理由を語ることなく、一方的に)鬼たちをしばりあげて降参させ、鬼ヶ島の宝物(隠れ蓑・隠れ笠・打ち出の小槌・珊瑚樹など)を車に積んで持ち帰りました。——と。

戦前には桃太郎を題材にした武者人形が多く作られていましたし、座敷幟のデザインにも繰り返し、桃太郎が登場します。京都・大木平蔵調製の座敷幟一式には、左右に立てる幟に、桃太郎と鬼たちから奪った宝物が美しく描かれています。

神功皇后と武内宿禰、太閤秀吉と加藤清正、桃太郎と犬・猿・雉、———伝承や歴史と昔話を並列するのには無理がありますが、夫・仲哀天皇の遺志をついで三韓征伐へと向かい、帰国後にのちの応神天皇を出産した強き母・神功皇后も、明の征服を決意して朝鮮半島へ出兵した秀吉も、そして桃太郎も、こらら側の論理によって海の向こう側へと攻め入ったストーリーの主人公たちであるという共通点が見られます。実際、同時代の掛け軸飾り「神功皇后と武内宿禰」の構図と上記でご紹介した「桃太郎」は非常によく似ています。

西欧の帝国主義に対抗して日本が国体意識を強めていく時代、二つの掛け軸に描かれる海のひたひたと満ちてくる小波を見ていると、子どもの幸福と健康を願う優美で平和な節句飾りのなかへ、様々な曲折を経ながら日中戦争、太平洋戦争へと向かっていく戦前の思潮が静かにおり込まれていくように感じられます。

(学芸員・尾崎織女)

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