日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

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学芸室から 2013.11.20

秋に想う・その2~博物館との出あい~  

国立民族学博物館の特別展「屋根裏部屋の博物館」へ出かける

先日は、かなり無理をしてスケジュールを空け、千里万博公園にある国立民族学博物館へ特別展「屋根裏部屋の博物館」を観に出かけました。

美しく黄葉した万博公園のイチョウ

屋根裏部屋の博物館“Attic Museum”とは、昭和時代の財界に大きな業績を残した渋沢敬三氏が、邸内の屋根裏部屋に設立した博物館(兼研究所)をさします。日本銀行総裁、大蔵大臣という重職にありながら、一方で、日本の民俗学、やがては“民族学博物館”の基礎を、心と頭と体と財力で支え続けた渋沢敬三氏の業績を顕彰し、その心を継ぐ人たちの仕事を歴史の中に位置づける展覧会でした。この特別展の会期終了が12月3日。かなり無理をしてでも観ておきたかったのは、この特別展を企画されたのが近藤雅樹先生だったからです。

渋沢敬三という人の思想と学問を深く敬愛しておられた近藤先生は、「渋沢敬三没後五十年の記念事業」の一環として、この特別展を企画され、開催に向けて奔走しておられた今年8月、急逝されました。 近藤先生は、民博へ移られる前は、兵庫県立歴史博物館の学芸員として、我らが播磨の地で、県博の民俗系事業を支えておられた方です。

国立民族学博物館特別展「屋根裏部屋の博物館」図録(2013年)と兵庫県立歴史博物館「おばけ・妖怪・幽霊」図録(1987年)

1987年、近藤先生が満を持して企画されたのが「おばけ・妖怪・幽霊」展です。今では、夏がくると、お化けの展覧会が各地で開催され、そう珍しくもないテーマとなっていますが、80年代において、公立館がこのようなテーマで展示をつくることは、本当に斬新で、近藤先生にとっては大きな挑戦ではなかったかと思われます。 この展示に出あって、20代半ばの私は衝撃を受けました。お化けや妖怪や幽霊に惹かれたというよりも、博物館の企画力ということに初めて触れ、胸の高鳴りを覚えました。すでにやりがいのある仕事を得ていましたが、どうしても博物館学が学びたくて、復学を決めたのでした。隅っこを支えるので充分だから、どのような形でもよいから、博物館の仕事に携わりたいと願いました。そのような思いを日本玩具博物館の井上館長に受け入れてもらって、今日に至ります。そんな理由から、近藤先生が最後に企画された展示をぜひ、拝見しておきたいと思ったのでした。

特別展示室二階へあがる階段の上に、敬三氏の人格円満な大きなお写真と言葉が掲示されていました。「Harmonious Development」――――多くの異なる仕事や立場をもつ人たちとともに手を携えて世界を築いていこうという言葉。
私がお訪ね出来たのが無料開放日だったこともあり、館内には多くの方々が入っておられましたが、興味深げに観覧し、展示品をみて何ごとかを静かに、熱心に話されている来場者の様子を、写真の中の敬三氏が会場の高いところから、微笑みながら観ておられる――そんな会場構成もおもしろかったです。
特別展示室の最後のパネルには、民博の先生方による近藤先生を顕彰する一文が掲示されており、淡々としたその言葉の背景にたくさんの思いを感じて、出口に佇み、涙ぐんでしまいました。博物館を支える人たちの“考え”に光をあてたとてもよい特別展だと思います。玩具や人形好きの方には、昭和時代初期のだるま(起き上がり小法師)や凧、“おしらさま”や小絵馬の逸品にも出合えますので、会期中にお訪ねいただきたいと思います。http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/special/20130919attic/index


博物館施設の存在価値はどこにある?

博物館施設の価値というのは、目に見えない部分に存在します。そこでの作品や資料との出あいがその人の暮らしにどのような影響を与えたかは数字や量に表れるものではないし、ましてや、その出あいがその人の人生をどのように変えたかというのは、すぐにわかるものではなく、意味をなしていくのに長い歳月を要します。兵庫県立歴史博物館の特別展「おばけ・妖怪・幽霊」は、私の人生を変えるきっかけとなったものですが、私自身、このような話をしなければ、1987年の特別展が来館者にもたらした価値と意味は、本人をのぞいて、誰にもわからないことなのです。

数年前の梅雨の頃、十数人の幼児を連れて来館された若い女性が、私に声をかけて下さったことがありました。「あのときのお姉さんですね。保育士になれたら、子どもたちを玩具館へ連れてきたいと思っていました。夢が叶いました。」と。私が日本玩具博物館にお世話になって、二十余年の歳月が流れ、毎日、たくさんの方々に出会いますので、申し訳ないことに、私は彼女を覚えていませんでした。
「……私が高校二年生だった頃、担任の先生に連れられて、クラスメートとここへ来ました。その頃の私は、学校や親に反抗ばっかりしていて、『なんで、いまさら、おもちゃなの?! バカ馬鹿しい』と思って、ここ(=海外の木製玩具に触れるコーナー)に、ぼんやり座っていたんです。でも、ちょうど三、四歳の子どもたちが、動物の玩具を取り合って喧嘩をしていて、止めに入った私は、いつの間にか、一緒になって遊んでしまったんですよ。そこを通りかかったお姉さんが、『うわぁ、あなた、小さい子の気持ちがよくわかるのね、子どもと遊ぶのがとても上手』と褒めてくれて、ヨーロッパのデザイン玩具のこと、いろいろ話して下さいました。それだけではないのですが、思えば、そのことがきっかけで、私、保育士になろうと思ったんです。ヨーロッパの玩具のことも勉強しましたよ。」と彼女は、懐かしそうに、嬉しそうに話してくれました。

当館プレイコーナーのヨーロッパの木製玩具

こんなふうに、博物館で過ごされたひとときが、ひとりの人生に何らかの影響を及ぼすことがあった―――短いとはいえない歳月を経て、そんな事実とめぐり合った時、博物館が社会に存在している意義と役割のひとつを知るのです。大切なことは目に見えない――――けれど、大切なものは目に見えないと繰り返していても、理解は得られないのだから、色や形をもち、数や量も備えた“モノ”が溢れかえる博物館では、目に見えないものを言葉や展示にかえて表現し、相手の胸に届くように伝える努力をしなくてはならないのだと思います。美しい秋の一日、「屋根裏部屋の博物館」を巡りながら、ささやか過ぎる自分の二十余年をふり返りながら、そんなことを想ったのでした。(尾崎織女)

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