日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

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学芸室から 2013.05.07

伊勢土産の笙の笛

野に山に街路に民家の庭に、初夏の陽に輝く新緑のまぶしい季節です。ゴールデンウィークが終わり、皆さまにはお元気でいつもの暮らしへと戻っていかれたでしょうか。日本玩具博物館は多くのご家族連れをお迎えして笑い声の絶えない一週間でした。また、学芸室ではいろいろなお客様のご訪問を受け、刺激的なゴールデンウィークになりました。
―――去る日は、香川からは、戦前における日米の人形交流を後付け、“ミス香川(市松人形)”をアメリカ合衆国から里帰りさせた市民団体の方々が玩具博物館所蔵の市松人形を観たいとご来館され、また去る日は、三重県立博物館からは学芸員のU氏が、昭和初期の頃、“伊勢土産の笙の笛”と呼ばれて神宮の参詣客に愛された竹笛を調査にご来館され、資料を交えて興味深い話を聴かせていただきました。

“おかげまいり”とて、江戸時代には全国各地から人々の参拝を受けたお伊勢さん、そのお膝元では土産物文化が発達し、各地の土産物や郷土玩具の世界にも影響を与えたと思われます。喜多村信節の『嬉遊笑覧』(文政13・1830年)に、“貞享四年の衣服のひな形にいせ土産の模様あり 笛は小さき笙の笛なり”と記されていることは、勉強不足の私も知るところでしたが、U氏から『女用訓蒙図彙』(貞享4・1687年)に、その伊勢土産のが描かれた小袖のひな形の図が収録されていることを教えていただきました。

江戸時代前期に伊勢土産として有名だった品の数々
『女用訓蒙図彙』(貞享4・1687年より)

その図を見ると、すげ笠や貝杓子、柄杓、しゃもじ、物差しなどと並んで、小さな“笙の笛”がふたつ描かれているではありませんか! 伊勢神宮で奏でられる雅楽に使われた楽器“笙”を真似て簡素に作られたものと考えればよいのでしょうか。

土産物は各地から人々を集める寺社仏閣を有する町より誕生し、郷土玩具の世界にも影響を与えて、今に遺されたものも少なくありません。“ねんねんころりよ おころりよ”ではじまる子守唄は、宝暦年間(1751~64)頃には江戸市中で唄われていたと伝わりますが、ご存知のように“里の土産になにもろた でんでん太鼓にさう(しょう)の笛”と続きます。
―――このでんでん太鼓は、当時、一般的に“振り鼓”と呼ばれていた枠型太鼓をさすのか、あるいは、打てばデンデン♪♪となる小さな太鼓を指すのか、少し疑問が残されます。一方、子どもが吹いて遊べるような、あるいは子守の少女が赤ちゃんをあやせるようなさう(しょう)の笛とは、どんなものだったのでしょうか。雅楽器の笙を玩具化したものなのか、あるいはショー♪♪と鳴る笛だったのでしょうか。
―――実は、現在までに、この頃のさう(しょう)の笛のおもちゃ(=手遊び)の実物は見つかっておらず、その姿については、いくつかの文献の文章説明から想像するしかありません。

郷土玩具研究のバイブルである武井武雄の『日本郷土玩具』(昭和9年刊)には、三重県の郷土玩具中に“宇治山田(伊勢)の笙の笛”が取り上げられており、このように説明されています。「幅六七分長さ二寸位の角型で、栗色飴色の縞模様をつけた極めて簡素なもの、日本の郷土のハーモニカといふ様なものであったが、これ亦二三十年前のもので、当今、鬻がれてゐる(売られている)笛は似ても似つかぬ五寸位の唯の竹の棒で、茶と黒で描線を入れたもの。往時の笛と混同しない事にしたい。」と。

昭和初期頃に伊勢土産として親しまれた笙の笛

上の写真が、武井武雄が、昭和初期の頃、「かつて作られていたものとは似ても似つかぬ」 と書いた笙の笛で、日本玩具博物館の所蔵品です。三重県立博物館のU氏は、この笛の調査に来られたのです。確かに「唯の竹の笛」ですが、吹き口が飛び出しているところが特徴的で、雅楽器の笙を模した名残が感じられます。それは、竹の吹き口側が塞がれ、リコーダーのような窓が設けられ、指孔は3つのものと6つのものがあります。この笛は、横に構えて吹くのが自然ですが、笙のように縦に構えて演奏することもでき、笙をとことん簡略化したものと言われれば、なるほどそうなのかなと思えなくもありません。つまり、笙を構成する幾本かの管の中から、一本だけを取り出した竹笛。
そして音は――嫋々とした笙独特の響きからはるかに遠ざかり、まるでリコーダーのような音が鳴ります。(ただし、この小さな吹き口が飛び出した一本竹の笙の笛も戦後には廃絶し、現在、伊勢土産に売られているのは、竹製のリコーダーですから、戦前の郷土玩具として貴重品の一つに数えられています。)

もとにもどって、明治時代にすでに廃絶してしまった“宇治山田(伊勢)の笙の笛”とは、一体どんなものだったか、知りたい気持ちが高まります。武井武雄は「幅2㎝、長さ6㎝ほどの角型で栗色の縞模様を付けた和製ハーモニカ」と表現しています。
最近になって、日本玩具博物館は、江戸時代後期の雛道具として、当時の玩具(手遊び)が蒔絵された弁当箱 を入手しました。ピンピン鯛、竹鳴り独楽、投げ独楽、でんでん太鼓(振り鼓)が全体に散らされ、蓋の部分には、独楽、兎のとんだりはねたり、毬、豆本、春駒、弾き猿、そして、ここに笙の笛(写真左端)と思われる絵が見えるのです。雅楽器の笙の笛と比べると、明らかに簡素化されており、これが、笙の玩具と言われれば、なるほどそうかと納得できる姿 です。“宇治山田の笙の笛”、あるいは子守唄に唄われる“さう(しょう)の笛”は、こおもちゃ絵のような姿だったのでしょうか。

幕末期の雛道具(蒔絵の弁当箱)に他の玩具(手遊び)とともに描かれている「笙の笛」

玩具をはじめ、暮らしの中の道具の生命はとても儚く、意識して遺そうと努めなければ、あっという間に姿を消してしまいます。文章による記録はとても大切ですが、色や形、ことに音を知りたいとなると、現物資料が残されることの意味が強く思われます。伊勢土産の笙の笛、アンテナを高くあげて求めてみようと思っているところです。何か情報をお持ちの方がおられましたら、どうかご教示下さいませ。

(学芸員・尾崎織女)

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