日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

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学芸室から 2011.02.08

絵画や小説に登場する手車(=ヨーヨー)  

先週は、兵庫県立山崎高等学校からお招きを受け、生活創造科の生徒さんたちに玩具(おもちゃ)の話をしに出かけていました。

全4時間の授業の中、1時間目と2時間目には、『江都二色』という玩具絵本(北尾重政画・大田南畝著/安永2・1773年刊)をとりあげ、近世の終わりに江戸市中で流行していた「玩具(=手遊び)」の話をしました。その絵本の画像と実物を見てもらいながら、江戸時代の玩具の特徴について、生徒さんたちと一緒に探っていきました。素材について、仕掛けの多彩さについて、玩具に込められた物語性や呪術性について、そして、江戸時代の玩具の国際性についても。
「つまらないもの…と思っていたけれど、小さな仕掛けのかわいらしさに感動しました」とか「『なんで、牛の玩具が赤いんやろ?』『なんで犬が笊をがぶってるんやろ?』など、ずっと疑問だったことが解けて、そしてびっくりしました。」とか「江戸時代のおもちゃの仕掛けはとても新鮮で感心しました。」とか……お話の後には、生徒さんからの瑞々しいレポートがたくさん寄せられていました。私は“玩具たちのお母さん”ではないけれど、玩具たちがほめられると嬉しいものです。中でも、「日本独自のものと思っていたヨーヨーやぶんぶんゴマが、世界中にあることを知って驚きました。」という感想が多く聞かれました。

この日、「近世の玩具(=手遊び)の国際性」を感じてもらおうと思い、『江都二色』の中から“団十郎の屏風からくり”“手車(てぐるま)”と“松風ごま”が描かれた画面を取り上げました。それぞれを現代の名前に呼び変えれば“隠れ屏風”と“ヨーヨー”と“ぶんぶんゴマ”です。これらは、世界の各地で時を合わせるようにして流行をみた玩具なのです。

『江都二色』に描かれた手車(隠れ屏風と松風独楽も)

例えば、“手車”は、江戸時代中期頃に中国から伝えられて長崎を中心に広まりました。享保(1716~36)の頃には京阪で土製のものが売られています。『近世畸人伝』(伴蒿蹊著/寛政2・1790年刊)には、「享保のはじめ、京に手車といふものをうる翁あり。糸もてまはして、是は誰かのじや、といへば、これはおれがのじや、と答て童べ買てもてあそぶ。……」と、手車を売る翁のことが記されています。もう少し時代が下ると、『守貞漫稿』(喜田川守貞著/嘉永6・1853年)には、「……近年迄江戸も此物あり、蜑の釣りごま(あまのつりごま)と號く也」として登場してきます。


こうして、江戸時代後期の日本で流行をみた「手車」は、同じ18世紀、中国からインドへ経てヨーロッパにももたらされ(イギリスでは「プリンス・オブ・ウェールズ」、フランスでは「ヨーヨー・ド・ノルマンジー」と呼ばれました)、彼の地でも流行をみたようです。

日本で、再び、手車が大流行するのは、昭和初期のこと。フランスで流行していた「ヨーヨー」が輸入されたことが契機となりました。「…裏通の角々にはヨウヨウとか呼ぶ玩具を売る娘の姿を見かけぬ事はなかった…」(『シ墨東綺譚』昭和7年冬/永井荷風著・昭和12年刊)ほどとなり、昭和7年に「ヨーヨー選手権大会」が開かれました。


先年、高崎市立タワー美術館の企画展で、榎本千花俊の「揚々戯(ようようぎ)」と題する女性風俗画に出合いました。クリスマスツリーが飾られた室内で、それぞれ緑と赤のパーティードレスに身を包んだ若い女性が二人、優雅にヨーヨー遊びを楽しんでいる美しい絵でしたが、制作は、昭和8年。女性たちのモダンなファッションに加え、小道具として流行のヨーヨーが画面に動きを作りだしているところがとてもユニークに思われました。


こうして都市部で大流行をみたヨーヨーは、当時10銭。地方の町々では2銭という価格で売られはじめました。けれど、2銭のヨーヨーを買ってもらえない子どもたちもたくさんありました。私が大好きな小説に、吉野せいの『洟をたらした神』という短編があります。ヨーヨー遊びが村々で流行した昭和5年夏のこと、数え年六つのノボル少年は、ヨーヨーが欲しくて、母親に2銭をせがみます。けれど、貧しい開拓農民の家にはその2銭のお金がありません。ノボルは泣きそうな顔をして外へ駆け出します。母親はあとで黒島伝治の小説を思い出しました。それは、コマを回す2銭のコマ紐を買ってもらえなかった子どもが、村はずれの粉ひき小屋で、コマ紐を自分で作ろうとし、あやまって牛にふみ殺されてしまう、という凄惨な物語…。母親は、2銭を惜しんだ自らを後悔して気をもみます。けれど、その夜、ノボル少年は、松の木の枝のこぶで、絶妙にバランスのとれたヨーヨーを見事、自作して持ち帰ったのでした。「満月の青く輝く戸外にとび出したノボルは、得意気に右手を次第に大きく反動させて、びゅんびゅんと光りの中で球は上下をしはじめた。それは軽妙な奇術まがいの遊びというより、厳粛な精魂の怖ろしいおどりであった。」小説はそう結びます。

吉野せい著『洟をたらした神』と戦前のヨーヨー

昭和初期、美しい貴婦人の手で優雅に回転し、開拓農家の洟をたらしたノボル少年の手の中に踊るヨーヨー。流行を繰り返す小さな玩具は、絵画や小説の中にも、流行した当時の輝きをとどめているのです。
玩具のしかけが単純であり、けれど遊び手の技量が要求されるものであれば、それらは国境をこえて人の心をとらえ、瞬く間に世界へ広がっていきます。そして、それが一旦すたれてしまったとしても、ある日、再び息を吹き返し、少し形を変えて新たな流行をつくりだしていくものだと思います。手車(=ヨーヨー)もそんな玩具のひとつです。ヨーヨーはこの後、昭和40年代後半、そして平成初期の頃に日本で流行を観ましたが、それは、イギリスでもアメリカでもブラジルでも、同時期であったと言われています。

皆さま、美術展に足を運ばれるとき、また小説や随筆などを読まれるとき、そこに玩具がひょっこり顔を出していないか、何かの意味をもって描かれてはいないか……、ちょっと心にかけていただくと、時代や人の心がふと身近に感じられたりするのではないでしょうか。そして、面白い作品を見つけられたときには、私どもにもぜひお教えいただきたいと思います。(尾崎織女)

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