日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

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学芸室から 2009.12.22

村松百兎庵さんの年賀状交換帖  

現在、開催中の「日本一の虎玩具展」の一画に、大正3年甲寅歳と大正15年丙寅の年賀状を展示しています。平成22年庚寅歳より七~八まわり前に送られた年賀状ですが、デザインはどれもこれも、斬新かつ新鮮で、差出人たちの美意識の高さには驚かされるばかりです。

「日本一の虎玩具展」に展示した百兎庵氏の年賀状交換帖
村松百兎庵氏のもとに届けられた大正15年の年賀状
左から宮尾しげを(東京)/藤崎芳松(大阪)/川崎巨泉(大阪)/河野新吾(京都)より

1997年、日本玩具博物館は、能勢泰明氏のご遺族により、同氏が収集された木地玩具などのコレクションの寄贈を受けましたが、その折に合わせて頂戴したのが、村松百兎庵氏の『年賀状交換帖・全11冊』で、展示している冊子は、寅歳の年賀状を集めたものです。

兎玩具のコレクターらしく、「真向かい兎」がデザインされた布張りアルバム11冊の中には、「大阪国文社」気付で村松百兎庵(茂)氏に届けられた、大正末期から昭和初期の年賀状が綺麗に収められています。年毎に順番に並べられたファイルの中身は、頁ごとに画面が美しく、村松氏の丁寧で几帳面なお人柄がしのばれます。

昭和9年戌年の年賀状帖より

村松氏がコレクションされた年賀状は合計で2717枚。大正10年から集め始め、大正14年の乙丑歳からは、その数が100枚を超えます。昭和2年の丁卯歳から昭和9年の甲戌歳までの8年間においては、200枚から300枚にも及び、氏が年賀状交換に夢中になっておられた様子が伺えます。

差出人は、百兎庵さんと交友のあった趣味人たち。 彼らは「浪花道楽宗(なにわどうらくしゅう)」と、仏教の宗派のような名前のグループを形成し、グループのメンバーは、互いに山号寺号で呼び合っていました。例えば、村松百兎庵さんは、「萬集山雅楽多寺」。 年賀状の差出人の署名には、「葛齢山亀楽寺住職」とか、「美奈山吾尊寺住職」とか、「浪花道楽宗第五番札所・遊戯山三昧」とか、すっかりその気になった浪花の旦那衆たちの達筆が踊っています。

村松氏に年賀状を送った人々の居住地は、大阪を中心に、京都、名古屋、東京、鳥取、長崎、中国東北部や朝鮮半島にも及んでおり、武井武雄(東京)や宮尾しげを(東京)、板祐生(鳥取)など、自画・自刻・自摺の賀状もあれば、「上方最後の浮世絵師」と言われた長谷川小信(三代・貞信/1848-1940)や川崎巨泉(1877-1942)に依頼して製作された賀状もあり、また大阪出身の画家・山内神斧(1886-1966)による賀状などもあります。多色摺の画面は、どれもこれも本当に美しく出来ていて、文人らしい判じものや見立てものもふんだん、文献知識の豊かさに支えられた粋な画面も目立ちます。
干支の動物のデザインや古文書、浮世絵などの写しに加え、郷土玩具を題材にしたものが圧倒的に多く、現在はすでに廃絶してしまった玩具の有様を知るうえでも、貴重な資料に違いありません。
戦前の趣味人たちの遊び心にあふれた年賀状の世界、今回はほんの一部ですが、「日本一の虎玩具展」と合わせてお楽しみいただきたいと思います。

百兎庵氏のもとに届いた年賀状
上左から板祐生(鳥取・大正13年)/松田昇太郎(東京・昭和2年)/瀬川俊峰(大阪・
川崎巨泉デザイン・昭和3年)/若林峯太郎(大阪・山内神斧デザイン・昭和8年)/武井武雄(東京・昭和10年)/中田政三(大阪・渋谷修デザイン・昭和4年)

12年前の寅歳にお受け入れした故・長尾善三氏の虎たちと一緒に迎える新年は、私たちにとって、2度目となりました。たくさんの方々のご好意やご協力、叱咤激励に恵まれて、充実していたこの12年を振り返ってみる今日この頃ですが、さらに、日本玩具博物館が次の寅歳を目指して頑張っていけますよう、これまでと変わらず、暖かいお心でお見守り下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。(尾崎織女)

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