日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

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学芸室から 2008.03.14

伊勢の蘇民将来  

先週の休館日は館長の運転で伊勢を訪ねました。ちょっとした仕事があり、伊勢神宮のお膝元「おかげ横丁」訪問が目的 でしたが、学芸スタッフの研修もかねての遠出でした。5人それぞれが小学校の修学旅行以来の伊勢――ひさかたの光あふれる伊勢神宮はさすがの風格を漂わせて、美しくも厳かに在りました。

スタッフそれぞれに久々のお伊勢さん!

参道筋のおはらい町も「おかげ横丁」もたくさんの人出で賑わいをみせ、遠来の客人たちをもてなすことと、町の人たちが地元の伝統を受け継いでいくこと、その両立を目指して頑張っておられる元気な方々に接し、私たちもずいぶん刺激を受けました。

さて、伊勢の町を歩いておもしろいものが目につきました。3月に入った今も、家々の軒に注連縄が付け置かれているのです。注連縄には「蘇民将来子孫家」と書かれた木札(裏側には「急急如律令」の文字)が下げられています。松阪から伊勢にかけての地域では、正月迎えのために用意された注連縄が、一年中、外されることなく、家に災厄がふりかからないよう、家人が病気に罹らないよう守ってくれるとされてきました。           

伊勢地方のしめ飾り「蘇民将来」の護符がつけられています

「蘇民将来」の故事は、鎌倉時代の『釈日本紀』に引用された『備後国風土記』(奈良時代)をはじめ、いくつかの文献に記され、江戸時代には、厄除けのまじないに「蘇民将来」の木札を用いることが庶民の間でも広く行われていたといわれます。その故事にはバリエーションがありますが、概略、次のようなものです。
 ・・・・・・・将来という名の兄弟がありました。旅の途中で宿を乞うた武塔の神を、非常に裕福な弟の巨旦将来(こたんしょうらい)は断りましたが、兄の蘇民将来(そみんしょうらい)は、貧しいながらに心を込めてもてなしました。後に将来のもとを再訪した武塔の神は、巨旦の妻となっていた蘇民の娘に茅の輪を付けさせ、それを目印として娘を除く巨旦将来の一族を滅ぼしてしまったのです。武塔の神(スサノオと目される)は言います。「もしも、のちの世に疫病が流行っても、蘇民将来の子孫だといって、茅の輪(茅でつくった輪)を腰につけていれば、災厄を逃れることができよう」と。

伊勢の注連縄にかけられた蘇民将来の木札は、この故事にもとづいたまじないです。

郷土玩具の世界には、数多くの「蘇民将来」の護符や木札が伝えられています。宮城県仙台の陸奥国分寺、山形県米沢の笹野観音、長野県上田の国分寺八日堂、埼玉県飯能の天王山竹寺、愛知県名古屋の洲崎神社、京都の八坂神社などから授与されるものが有名です。洲崎神社のものを除いて、皆、角柱型。上田の国分寺八日堂で授与される護符は六角柱で、その六面には、「蘇民・将来・子孫・人也・大福・長者」の文字が墨と朱で書かれています。

郷土玩具の世界の「蘇民将来」
左=後ろ側3点は、上田の国分寺八日堂の授与品/前側の細長い1点は、飯能の竹寺の授与品 右= 米沢の笹野観音の授与品
尾崎清次著『育児上の縁起に関する玩具図譜』(昭和4~6年)に描かれた蘇民将来の護符(長野国分寺薬師堂の蘇民将来/仙台国分寺薬師堂の蘇民将来)

郷土玩具の常設コーナーには、このような護符の類も展示しているのですが、「ええ?これが玩具?!信仰的なものなのでは?」と驚きの声でご質問を受けることがあります。これらは、確かに子どもの遊び道具ではありませんが、古くから郷土玩具の世界にも属していました。

「玩具」という書き言葉、「おもちゃ」という話し言葉が子どもの遊び道具をあらわす日本語として統一されたのは、日露戦争前後、国体意識が強まる明治時代末期のことです。この頃におこった国語統一運動の中、新時代にふさわしい共通語として様々な言葉が明治政府によって採用されていきました。「玩具」は、貴族社会で上流階級の男性が使っていた書き言葉の中のひとつ、「おもちゃ」は、上流階級の女性が使っていた話し言葉でした。ともに、手に持って遊ぶ道具をさしています。一方、庶民は、というと、「手遊び」「手守り」「手すさび」「もちゃそび」「わっさもの」・・・・など、地方によって様々な言葉を使用し、それらが指し示すものは、遊び道具というにとどまらず、持つことで魔をよけ、幸福を呼び込むような、まじないや縁起に満ちた呪具をも含んでいたのです。近世社会においては、「蘇民将来の護符」は、「手守り」の仲間と位置づけられていたと思われます。

西欧社会と肩を並べるような近代国家をめざす明治政府は、近世社会が育んできた「手遊び」「手守り」「手すさび」などの世界を旧弊として退け、「玩具(がんぐ=おもちゃ)」に、近代的国民育成のための教育的な道具、工場の生産ラインで作られる規格化された遊び道具という意味を与えました。それらは近世庶民が愛した呪術性のある「手遊び」「手守り」の世界とは一線を画するものだったと思われます。
                           

遊びに出て 子供かへらず  取り出して 走らせてみる 玩具(おもちゃ)の機関車

石川啄木が、明治45年に発表した歌集『悲しき玩具』の中にこのような歌があります。「機関車」は富国強兵時代の象徴、くわえて啄木は、「玩具」という言葉にも新時代の響きと匂いを託したのでしょう。玩具の機関車は、工場で作られるブリキ製であったか、と想像します。
国家が採用した「玩具」という言葉に押し出され、時代から置いてきぼりにされた近世の「手遊び」や「手守り」の文化を引き継いだのが、私たちがいう「郷土玩具」です。ですから、民間信仰に満ちた四季折々の小さな護符や守り札などの類は、郷土玩具の世界の住人としても、生き続けているのです。呪具と玩具は、地続きの関係にあるといってもよいと思います。

・・・・・・理屈っぽい話になってしまい、申し訳ありません。何にしろ、遠く訪れた町々で、古い時代から伝承される小さな護符などが生き続けている様を見るのは、非常に心惹かれること!に違いありません。(尾崎織女)

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