日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

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学芸室から 2007.02.06

震災から12年目のお雛さま  

1995年1月の阪神淡路大震災後、日本玩具博物館は、家屋の倒壊や移転などのため行き場所を失った節句飾りのいろいろについて、新聞を通して、引き取りを呼びかけました。「仮説住宅や親類宅への一時避難のため、かさばる上に気をつかう雛人形の置き場に困っている人がいる。雛道具などは粗大ごみで出されているので可哀想。人形や玩具の面倒をみてもらいないだろうか。」被災地からそんな声も聞かれた4月のことでした。文化財としての評価が定まったものに対してさえ、カタストロフィ的な状況の中ではかえりみる余裕がなくなるのは当然のこと。人形や玩具などはなおさらで、私たちは、それら小さなものたちの生命をつなぐ仕事になんらかの役割を果たしたいと思ったのです。

春以降、夏までに120件に及ぶ人形たちが到着しましたが、すべてを保管できないため、寄贈者の了解を得て、近隣の博物館や海外の博物館施設に再寄贈したり、また製作年代の若いものは学校や社会教育施設、病院や福祉施設などに贈ったりして、人形たちの保存先を決めました。それから数年にわたり、私達のもとへは、様々な節句関係の人形が届けられ、日本玩具博物館が被災地から寄贈を受けた所蔵資料は150件を数えます。それらは、毎春、開催する雛人形展で順次展示を行い、来場者の目を楽しませてくれています。

M家から寄贈を受けた明治末期の雛人形         


展示される雛人形の寄贈者には、会期中にお越し下さるようご案内をさしあげるので、ご家族揃ってご来館され、懐かしい雛人形との再会を楽しんで下さる日もあり、それは私達にとっても何よりうれしいひとときです。先日も、寄贈者である神戸市須磨区のM家より、大正生まれのご夫人とそのお嬢さんのご訪問を受けました。ちょうど、展示室正面に「明治時代の段飾り」として展示しており、お二人は目を潤ませて懐かしい雛人形に寄り添い、ご家族の近況を人形に向かって話されているご様子でした。帰り際には、「お人形たちが幸せそうに見えて、本当にうれしかった」と言葉を残していかれました。  

寄贈者が懐かしいお雛さまに会いにお越し下さいました。館長と記念撮影。


また、今日は、大阪市のK家から、ファックスでお手紙が届きました。「いただいたご案内状は、ただ今、亡き母の写真の前に広げて、見せているところです。加齢とともに、体力の低下で、私達姉妹もなかなか動きにくくなり、お雛様との再会はいつになるかわかりませんが、飾られている人形たちの様子を想像しながら桃の節句を過ごしたいと思います・・・・・・。」と。

K家から寄贈を受けた明治後期の雛人形(上段の内裏雛)


震災から12年、お元気でこの博物館へと雛人形を託された寄贈者の訃報があちこちから舞い込む近年です。雛飾りが、個人のものではなく、まだ家のものであった明治から大正時代、家族全体にその思い出はいきわたり、戦後生まれの私達が考える以上に、雛飾りは家にとって、大きな意味をもっていると感じます。そうした文化自体にも配慮しながら、受け取った人形たちの延命をはかる仕事を私達が引き継いでいかなくてはなりません。

恒例の雛人形展「雛の世界」の準備に、木箱から一つ一つ雛人形を出しては、その元気な姿を確認し、ほっとしているところです。本展では、江戸時代終わりから明治時代にかけての雛人形の表情をご紹介する他、江戸(東京)と上方(京阪)の雛飾りの違い、また地方都市や農村部などの雛飾りも展示し、雛の世界の広がりと奥行きを御覧いただきます。

また、2月10日から、たばこと塩の博物館で開催する「ちりめん細工の世界」展の中でも、「第三部・雛祭りとちりめん細工」として、明治末期の檜皮葺(ひわだぶ)き御殿飾り雛や京阪風の古今雛などをご紹介する予定です。


たくさんの方々からの深い思いとともに寄贈を受けた雛人形は、展示品として、雛祭りの文化を伝える資料として、今後、ますます活躍してくれると思います。ただ、資料の老化を最小限に食い止め、よりよい状態で後世に伝えていくという、博物館として第一番目の使命を思うと、雛人形の春は、私達に課された役割の重さと大きさ、保存についての勉強の足らなさを振り返り、焦る気持ちが高まる季節でもあります。(尾崎織女)

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