日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

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学芸室から 2006.04.15

寄贈者Sさんの思い出

特別展示室6号館の西室では、初夏の特別展「端午の節句飾り」が始まりました。今、端午の座敷飾りといえば、甲冑を中心に、弓矢と太刀、陣笠と軍扇、太鼓などを添え飾る組み物が一般的ですが、明治・大正時代の京阪神地方では、武者人形を主役に据えた座敷飾りが流行していました。

写真は、京都のSさんより寄贈を受けた大正時代の武者飾りです。 陣幕を描いた屏風の前に「応神天皇(おうじんてんのう)と武内宿禰(たけうちのすくね)」の武者人形を据え、軍扇、太鼓、白馬を添え飾るもので、人形の箱書きには「森店」、道具類には「田中弥兵衛」の商標が貼られています。全体に65cmをこえる大型ですが、人形の表情も細工も、武者飾りにしては優美な雰囲気が漂う京都らしい一揃いです。

Sさん寄贈の大正9年の武者飾り

この武者飾りと雛人形一式を寄贈したいというSさんからのお申し出を受けて、上京区烏丸通寺之内のご自宅へ伺ったのは、もう10年も前のことです。Sさんは当時、満80歳。身寄りの無いご婦人で、1階に台所と小さな居間、2階にお座敷がひとつあるだけの町家に一人で暮らしておられました。老人介護施設への入居を決められたSさんの唯一の心配は、「2階のお座敷に住んでいるお人形さまのこと」でした。
運送業者の方と一緒にSさんを訪ねたのはご指定のあった大安吉日。彼女は部屋に香を焚き、秋の花を生け、赤飯を用意して待っていて下さいました。「大げさではなく、お人形さまは私の人生の宝なんです。わが子をお嫁に出すのと同じ気持ちであなたの博物館に託します。」Sさんはそう言って、名残に飾ったという人形たちを潤んだ目で見つめておられました。

「春と秋、お天気のよい日にはお人形さまをみんな出して、一日、風に当ててやり、明くる日は、お人形さまと一緒に両親の思い出、弟の思い出を語りながら、仕舞っていました。」 そんなお話を伺うまでもなく、雛人形も武者人形も、博物館で梱包や収蔵を専門に扱っている我が身が恥ずかしくなるような、立派で手厚い扱いを受け続けてきたことは、80年近い歳月を経た人形たちの瑞々しい生命感から充分に察せられました。Sさんにとって、人形たちは単に大切にすべき物ではないのです。武者飾りに添え飾る白馬の脚に巻かれた白い包帯に手を当てて、「この度の地震(阪神淡路大震災)で、可哀想にお馬さんの脚が折れてしまって…。博物館でしっかり治してやっていただけますか?」と真剣な表情で話されたことが思い起されます。雛人形一式は大正4年生まれのSさんのため、武者飾り一式は大正8年生まれの弟君の初節句を祝ってご両親が求めたものでした。武者人形は、たった9歳で他界された弟君の形見の品として、平坦ではなかったSさんの人生を根底で支えてきたのだと、後の手紙のやりとりで知りました。

Sさんの「お人形さま」が当館の所蔵品になってから既に10年。春に、初夏に、と季節の特別展に展示し、その度にSさんは「一度、会いに行きたい」とお電話を下さいましたが、お身体の不調のため、いつも叶わず、ついに3年前、他界されました。あの秋の夕方、人形たちを乗せたトラックが見えなくなるまで、手をふって見送っておられたのが、Sさんにお会いした最後となりました。

当館へは、寄贈という形で、また購入という形で、日々、様々な品物が入ってきます。中には、埃に全身を覆われ、衣装が型崩れし、泣き顔になった人形もあります。いくら元がよい品物であっても、また展示できる状態まで手入れを施しても、彼らの泣き顔を幸せな表情に変えるのには、長い時間がかかります。それは、丁寧に出したり、仕舞ったりしている中で、身にまとった汚れが少しずつ払われ、衣装の皺がのびていくという物理的な現象なのかもしれません。けれども、展示室でSさんの人形を見る度、大切にされてきた品物には、確かに、誇りに満ちた輝きがあると感じられるのです。

端午の節句飾り展示風景

館長や学芸スタッフたちと深夜の展示替え作業を行いつつ、展示品の背後にある寄贈者の方々を順番に思い起しながら、戦争をこえ、地震をこえ、持ち主の愛情で守られた人形たちが、美しいまま命を永らえるよう、次に愛情をかけていくのは私たちの役目だと皆で話し合ったことです。

(学芸員・尾崎織女)


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