日本玩具博物館 - Japan Toy Musuem -

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企画展

冬の企画展 「双六と歌留多」

会期
2000年12月2日(土) 2001年2月20日(火)
会場
1号館 

毎年、新春にちなんだ玩具を紹介する当館冬の企画展ですが、本年は、故・遠藤欣一郎氏(玩具文化史研究家)から寄贈を受けた双六(すごろく)や歌留多(カルタ)を中心に、約100組の資料によりその移り変わりをたどります。

故・遠藤欣一郎氏より双六の寄贈を受ける――ご子息ご来館 1999年9月

双六には、マス目が入った箱型の台に駒を置いて遊ぶ盤双六と、絵の中をふりだしから上がりへ駒を進める絵双六があります。「道中双六」や「役者双六」などの絵双六が、婦人や子どもの正月遊びとして一般化するのは江戸時代のこと。一方、16世紀後半の大航海時代にポルトガル人らが伝えたカルタが日本風にアレンジされ、「うんすんかるた」が大流行するのも江戸時代です。またこの時代、王朝時代の歌合せを基本にカルタの影響を受けた歌カルタが成立し、「百人一首」の名で現在に伝わっています。

‘ふりだし’から‘上り’に至る絵双六のコマ絵には、時代時代の人々が暮らしの中に夢見た幸せの形や興味関心の対象がよく表され、歌留多もまた、人の手から手へ遊び継がれながら変転し、時代の美意識、教養、知恵、幸福観などを映し出すものです。本展では、江戸・明治・大正・昭和と時代を追って双六と歌留多の変遷をたどり、その種類の豊富さと時代の夢を探ります。


<双六(すごろく)>

盤双六は盤上ゲームの一種で、中国やインドに起源をもつ世界的な遊戯具です。これは、天平時代にはすでに中国より日本の貴族社会に伝わり、時を経た江戸時代、庶民の間でも流行をみました。

雛道具 盤双六(幕末~明治時代)

一方、絵双六は江戸時代初期にあらわれた「仏法すごろく」がその始まりとされ、僧侶がこまを進めながら仏教の教義を後進に解かりやすく教えたものと言われています。やがて庶民文化の開花とともに「道中双六」「役者双六」などの絵双六が製作されるようになり、婦人や子どもの正月遊びとして定着していきました。明治時代に入ると、絵双六は機械刷りによって日本全国に広まり、少年少女雑誌や婦人誌の付録として人気を博します。


●絵双六の種類………江戸時代に発達した絵双六の中で代表的なものは、次々と宿駅を通って目的地へと進んで行く「道中双六」や名所旧蹟をたどる「名所双六」、歌舞伎役者の錦絵が描かれた「役者双六」です。このコーナーでは、絵双六の始まりとされる「仏法双六」や、「文芸双六」や「教育双六」など、絵双六の種類を紹介します。

浄土双六   江戸後期・弘化5(1848)年/菊屋喜兵衛(京都寺町)
佛法双六 「證果増進之図」    江戸後期・明和4(1767)年頃の復刻

●江戸時代の双六………江戸時代も元禄の頃になると、産業や文化が発達し、大名の参勤交代制の徹底などにより国内交通も発達しました。「道中双六」が人気を博したのは、庶民の心に旅への憧れや日本地理への関心が高まったためでしょうか。江戸中期には、多色刷り版画による錦絵が成立し、絵双六を美しいものへと変えていきます。女性に人気を博した「役者双六」や子どもの「正月双六」なども登場。幕末頃の双六には、国周、広重、国貞らの浮世絵師の名前が見られます。

道中双六 「浮世道中膝栗毛滑稽双六 」  一立齋廣重(歌川広重)画/江戸後期/恵美寿屋庄七(江戸照降町)板
道中双六 「参宮上京道中一覧双六」 一立齋廣重(歌川広重)画/江戸後期/蔦屋吉蔵(江戸南伝馬町)板

●明治時代前半の双六………錦絵の絵双六は明治時代にも盛んに作られ、初期の頃は、いわば江戸文化の華が行き続けた時代と考えられます。けれども、双六の内容には、ニュース性の高い「時事双六」や、機械刷りによる「教育双六」なども現われ、新時代の到来を感じさせます。

●明治時代後半………明治37~8年の日露戦争とともに手作りの錦絵が姿を消し、印刷技術の進歩とともに双六も大量生産の時代を迎えます。画面から江戸文化の香りは失われ、大臣や高級軍人へ上る「出世双六」や教訓的な内容のもの、また世界に目を向けた「周遊双六」が登場します。雑誌の付録として趣向をこらされた絵双六も誕生し、家庭の正月遊びとして定着していきます。

●大正時代の双六………少年少女雑誌などが急増し、その新年号の付録には必ずといってよいほど双六がつきました。有名な童話作家の巌谷小波や川端龍子などが麗筆を揮い、昭和初期にかけての双六には生活に密着したものや子どもの夢をかなえるような楽しいものがみられます。

●昭和時代の双六………第二次世界大戦後、世の中が安定してくると、少年少女雑誌が復活し、付録の絵双六も子どもたちのもとに戻ってきましたが、以前のような華やかさは失われました。昭和を通じて、子どもたちにはテレビや漫画本の影響を受けたものやスポーツ選手双六などが人気を得ました。また、昭和40年~50年代のふるさとブームにのって、日本各地でふるさと双六が作られました。


歌留多(カルタ)

歌留多(カルタ)は、16世紀後半にポルトガル人らが伝えたもので、ポルトガル語のcartaが語源と考えられます。この南欧系のカードゲームは、やがて日本風にアレンジされ「うんすんカルタ」として江戸初期には大流行を見ます。うんすんカルタの日本化がさらに進むと「花札(=花カルタ)」が生まれます。

一方、17世紀末に刊行された『雍州府志』には紙に描かれた和歌合わせの遊び方が書かれていますが、これは、王朝時代に盛んに遊ばれた貝合わせ(歌貝)と南欧のカルタが融合した歌カルタのことで、「百人一首」がその代表です。

歌留多展示風景