「端午の節句~京阪地方の武者飾り~」 | 日本玩具博物館

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特別展

初夏の特別展 「端午の節句~京阪地方の武者飾り~」

会期
2022年4月16日(土) 2022年6月26日(日)
会場
6号館東室

平安時代以前に中国から伝わった端午の節句(節供)は、旧暦五月五日の節目に、身を清らかにして神に供物を捧げ、健康を祈る行事でした。中心的な役割を果たしたのが、香気が強く、辟邪の力があるとされた「菖蒲」で、菖蒲酒や菖蒲湯、菖蒲葺きなど菖蒲にまつわる多くの儀礼やしつらえが端午を彩ってきました。

日本玩具博物館玄関の屋根に菖蒲葺き(2021年5月の画像)

武家が興隆した中世から近世、この菖蒲が「尚武」(=武を尊ぶの意)の語音に通じることなどから、菖蒲尽くしの節句は武家の祝儀と結びつき、男子の将来を祝福する行事へと変容します。やがて江戸の庶民たちは、武家をまねて家々に勇ましい武者飾りをほどこし、男児の成長と幸福を願う節句まつりへと展開してみせました。私たちの祖先は、本家の中国とは異なる日本独自の節句文化を育ててきたといえます。

江戸前期の頃は、家の門口の菖蒲兜、毛槍、長刀などの武具や幟を勇ましく立てる屋外飾りが主流だったのが、武者人形などのつくり物を室内に飾る風習も加わります。後期には、屋外室内飾りともに大型化し、都市の富裕階級は、豪華な飾り付けで権勢を競い合いました。今日の節句飾りは、江戸時代に比べてずいぶん小型になっていますが、様式化された飾り物の中に古い時代の華やかな屋外飾りの要素を伺うことも出来ます。

18世紀後半の端午の節句飾りの様子『絵本 弄』(下川邊拾水画/安永9・1780年刊) 

本展では、近世における節句飾りの要素を受け継ぎ、幕末から明治・大正・昭和時代に京阪地方の町家で親しまれた武者人形や甲冑飾りの様式をご紹介します。関東地方が質実剛健な甲冑飾りを好んで発展させたのに対し、京阪地方では優美な武者人形が長く愛されてきました。そのような地域性に着目し、約30組の武者飾りを通して、私たちの祖先が育んできた節句飾りの特徴をご覧いただきます。   

展示総数 約30組300点

端午の節句展2022 展示風景

<衣装をつけた武者人形>

江戸後期から明治・大正時代、和漢の歴史物語に登場する大将と従者を鎧姿で人形化した一式が、京阪地方を中心に人気を博しました。なかでも、神功皇后(応神天皇の母)と忠臣の武内宿禰、また太閤秀吉と家来の加藤清正は、特に愛された主従の組み合わせです。国体意識の高まる明治・大正時代、国の武運長久を祈り、男子の成長と出世を祈念するにふさわしい人物像と考えられたためでしょう。
このような武者人形を主役に、軍扇や陣笠、陣太鼓や白馬などを添え飾る様式は、昭和時代以降、甲冑を主役とする座敷飾りに押されて退潮していきます。
本展では、明治・大正時代に京阪地方で飾られた大型の武者人形をご紹介します。

神功皇后と武内宿禰(宿禰の手にはのちの応神天皇が抱かれている)(明治後期)
太閤秀吉と従者(旗持)/大将と従者(旗持) (いずれも京都・大木平蔵製 明治30~40年代)


<ふるさとの武者人形>

江戸時代の終わりから明治時代にかけて、大都市部から隔たった地方都市や農村部などでは、豪華な衣装をつけた武者人形はまだまだ手の届かないものでしたが、それらに代わる節句飾りとして、土や紙や木などの身近な材料を使って専門的に、また農閑期を利用して季節的に、人形や玩具が作られるようになります。ここでは、ほんの一部ですが、郷土で生まれた武者人形の中から、京都府伏見や兵庫県稲畑、葛畑、滋賀県小幡、奈良県出雲、大阪など、近畿地方各地に伝わる郷土人形をご紹介します。

これらは、大都市部の豪華な鎧姿の武者人形を真似たり、農村歌舞伎などで演じられる英雄の姿をもとに製作されたり、また、他の産地の型を踏襲したりして、昭和初期頃までは、日本各地でユニークな造形が盛んに作られていました。我が国の節句飾りの多様性を表現する生活資料といえます。

近畿地方の郷土人形 金太郎を中心に  (幕末から昭和中期)


<武者絵の掛け軸飾り>

江戸時代の終わり頃から、古今の英雄や節句飾りの様子を描いた掛け軸を座敷の床の間などに飾る風習がありました。場所をとらず、また立体的な作りものに比べて安価であったことから、庶民に歓迎され、昭和時代初期頃まで各地で流行をみます。大正時代には、武者を「押絵」の人形に仕立てて絵の中に差し込んで飾る様式も盛んに作られました。掛け軸の画面からは、かつて人気のあった武将やかつての節句飾りの様子がよくうかがえ、細部まで観ていくと様々な発見があります。


<甲冑飾り>

太鼓胴型の鎧櫃の上に鎧と兜(=甲冑)を合わせ飾るようになるのは江戸後期。甲冑飾りは、本物をまねた祝祭向けの造形ですが、江戸では黒の小札に白や浅葱色の縅を用いた渋い作品がほとんどでした。一方、京阪で好まれたのは、金の小札に緋色の縅を用いた華やかな色調の甲冑飾りです。

大正時代に入ると、百貨店などがプロデュースする座敷飾りが大都市部で人気を呼びます。それは、緑色の毛氈を敷いた段飾りの上段に矢襖や金屏風を立て回して甲冑を、二段目以降に提灯、弓矢、太刀、陣太鼓、陣笠、酒器、柏餅と粽などを添え飾る様式です。戦後、高度経済成長期を経て量産され、全国各地へ大普及をみます。その陰で、節句飾りにみられた地域色は失われていきました。
本展では幕末から昭和時代へと続く甲冑飾りの移り変わりをご覧いただきます。

京阪地方の甲冑飾りいろいろ(幕末から明治前期)
京阪地方の優美な甲冑飾り(大正期)
座敷幟(左は京都・大木平蔵製)を伴う甲冑飾り(いずれも大阪・谷本要助製 昭和初期から10年代)

<鯉のぼり>

今や端午の節句の象徴とされる鯉のぼりですが、誕生したのは思いの外遅く、江戸の町人文化が独自の発展を遂げる江戸後期(19世紀)まで待たねばなりません。発想のもとになったのは、滝が連なる竜門の激流を上りきった鯉だけが竜(=皇帝の象徴)に転身するという中国の伝説です。鯉のぼりは竜門を越えて天に放たれた鯉であり、江戸庶民はその奇抜な造形に目を輝かせたことでしょう。

鯉のぼり・紙製の真鯉(明治中~後期)

地方都市へも鯉のぼりが普及した明治時代、勤勉と忍耐を徳目として立身出世を目指す時代精神は真鯉を重んじました。昭和時代に入って鯉が家族を増やすまで、鯉のぼりといえば真鯉一旒のみ。展示室には明治時代、兵庫県朝来市内の空を泳いだ長さ3.5メートルと3.0メートルの紙製真鯉を掲げています。

<ランプの家の座敷飾り>

座敷幟(昭和初期~10年代)/甲冑飾り(京都・大木平蔵製 昭和初期)

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