「雛まつり~江戸から昭和のお雛さま~」 | 日本玩具博物館

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特別展

春の特別展 「雛まつり~江戸から昭和のお雛さま~」

会期
2023年2月4日(土) 2023年4月16日(日)
会場
6号館&ランプの家

毎春、日本玩具博物館で開催される特別展「雛まつり」は、同館の500組を超える雛人形コレクションの中から、時代の移り変わりや地域の違いなどを切り口に、様々な表情の雛人形をとり出して展示し、雛まつりの多様な世界を紹介する試みです。今春は、江戸時代後期から昭和時代に、主に江戸(東京)や京阪(関西)の町家で飾られていた40組の雛飾りを一堂に展示します。

江戸時代のお雛さま

雛人形の起源は遠く平安時代にさかのぼりますが、3月3日の上巳(じょうし)の節供(句)に雛遊びを行ったり、雛人形や雛道具を飾ったりする風習が定着したのは江戸時代に入ってからのことです。
江戸時代前期(17世紀後半)の雛飾りは、数対の立ち雛や座り雛を毛氈の上に並べ、背後に屏風を立てた平面的な形態で、調度類も数少なく簡素かつ自由なものでした。町家の室内で思い思いに雛人形を飾って楽しむ様子が文献の絵図などからも窺えます。雛まつりが盛んになるにつれて、雛人形や添え飾る人形、諸道具の類も賑やかになり、雛段の数も次第に増えていきます。安永年間(1772~81)には4~5段、天保年間(1830~44年頃)には、富裕な町家の十畳座敷いっぱいを使うような贅を尽くした雛段も登場しました。

そうして江戸を中心に「段飾り」が発展する一方、上方では「御殿飾り」が優勢でした。建物の中に内裏雛を置き、側仕えの官女、庭掃除や煮炊きの役目を果たす仕丁(三人上戸)、警護にあたる随身(左大臣・右大臣)などの人形を添え飾るものです。御殿飾りは明治・大正時代を通じて京阪神間で人気があり、戦後には広く西日本一帯で流行しましたが、昭和30年代中頃には百貨店や人形店などが頒布する一式揃えの段飾り雛に押されて姿を消していきました。

本展では、江戸時代後期から昭和時代に都市部で飾られた町雛の名品の数々を、江戸(関東)地方と京阪地方を対比させ、また地方色にも注目しながらご紹介するほか、「屏風飾り」「段飾り」「御殿飾り」「源氏枠飾り」などの雛飾りの様式をご覧いただきます。また「押絵」や「木目込」といった手法で作られた大正・昭和時代の懐かしい雛人形も登場します。――雛飾りの背景に漂う人々の夢や憧れについても思いを巡らせながら、日本玩具博物館恒例の雛まつりをお楽しみ下さい。

西室<江戸と明治のお雛さま>展示風景
東室<雛飾りの様式いろいろ>展示風景

展示総数 約50組

第一章江戸と明治のお雛さま

江戸時代のお雛さま

衣装を着せた座り姿の雛人形は、江戸時代中頃から次第に豪華なものとなり、京都と江戸を中心に、雛人形に関連する産業も発達していきました。雛人形は、その様式によって、元禄雛、寛永雛、享保雛、有職雛、次郎左衛門雛、古今雛などの呼び名がありますが、いずれも毛氈の上に内裏雛を並べ、背後に屏風を立てた「屏風飾り」が基本になっていました。

雛段は、江戸時代、宝暦・明和(1751~72)頃には2~3段、安永(1772~81)頃には4~5段、さらに江戸末期になると、7~8段もの雛も見られるようになります。内裏雛を中心に、三人官女が添えられ、天明(1782~89)頃には、太鼓や笛を奏でる五人囃子も登場します。京阪起源と思われる随身(左大臣・右大臣)や桜・橘の二樹、また諸道具類も整えられて、江戸時代末期には富裕な階層においては、今日以上に豪華な段飾りが行われていました。一方、一般の町家では箪笥などを利用した素朴な段飾りが多かったようです。  

天保ごろの雛まつり (「風流古今十二月ノ内 弥生」香蝶楼国貞画)より

享保雛(きょうほうびな)
面長で、目は切れ長、少し口を開けた立体的な表情が特徴です。装束は金襴、錦などを用い、男雛は両袖を張った形、女雛は五衣、唐衣姿で表されます。このような様式の雛人形は、江戸時代の享保年間(1716~36)頃に流行したものと後世の人々は考え、「享保雛」の名で呼び習わされてきました。明治時代初期の頃まで作られており、比較的大型のものが見られます。

享保雛 (江戸時代後期)

江戸の古今雛(こきんびな)
 江戸時代の安永年間(1772~80)頃、江戸では、京阪風を脱した新型雛が登場して人々に愛好されていました。根付師でもあった名工・原舟月は、江戸好みの雛人形を作って脚光をあびます。人形の顔は面長、両眼には硝子玉や水晶玉をはめ込んで、活き活きとした表情をもっています。衣装には金糸や色糸で華やかな縫い取り(刺繍)がほどこされ、袖には紅綸子が用いられています。

古今雛(玉山製/江戸時代後期)

京阪地方の古今雛
寛政年間(1789~ 1801)頃、江戸で「古今雛」の様式が流行するようになると、京阪地方でもその影響を受け、「享保雛」の様式とは異なる雛人形が作られるようになります。けれども、京阪地方で作られ始めた古今雛は、人形の頭も衣装の様子も、また天冠などの飾りも、江戸型とは違っていました。江戸時代の京阪型古今雛は、従来の描き目で、公家風の静かな表情が特徴的。衣装には緋や茜色、常磐色など明るい色調が好まれました。檜扇を広げてゆったりと座す女雛の姿を江戸型と比べていただくとその違いがよくわかります。


明治時代のお雛さま

今日のように、価格によって製品が画一化し、人形と道具が一式揃えで頒布されるようになるのは明治時代末期から大正時代にかけてのことです。それまでは、人形師や道具屋から気に入った品を買い集め、家ごとに個性的な飾りを行っていました。例えば、祖母の代の雛飾りに嫁いできた嫁の雛を合わせ、やがて女児が誕生すると流行りの雛道具や添え人形を買い足したりして、製作年代の異なる人形や道具が同じ雛段に飾られていました。
明治時代、都市部で飾られていた雛人形は比較的大型で豪壮な印象があり、家の権勢を誇示するような堂々とした構えの作品が目立ちます。また、雛人形の様式においても飾り方においても、江戸時代からの伝統を引き継ぎ、関西(京阪)地方と関東(江戸)地方には違いがみられました。
このコーナーでは、明治時代に町家で飾られた古今雛の名品をご覧いただきます。江戸-東京において発展を見た“段飾り”に対して、京阪を中心に人気を博した“御殿飾り”については、次の章でご紹介します。

明治時代の雛まつり(「五節句之内花月」河鍋暁翠画/明治25年)

明治時代の古今雛
 明治時代に入っても、古今雛は、東京(関東地方)と京阪(関西地方)では人形の表情や衣装の形態、衣装の色調、天冠の様式などに違いが見られました。表情における大きな違いは、関東の古今雛は、仏像彫刻にみられる“玉眼”(水晶や硝子などをはめ込んだ目)の手法が用いられて、より写実的に表現されている点です。幕末から明治時代のはじめにかけて、京阪地方では、仏像のように“玉眼”の手法で目を写実的に造形することは一般的に行われておらず、面相筆によって、墨色を繊細に重ねて、公家風の表情を描き出す手法がとられていました。
玉眼の技に長けていた江戸の人形師・玉翁は、京都の人形師たちにその手法を伝えたとされています。玉翁が作った雛人形の頭には、首にその花押(サイン)が入っており、京阪とその周辺の都市部には、時折、玉翁の花押が記された古今雛が遺されています。玉翁の雛人形は、玉眼によるうつむき加減の静かな表情が特徴的です。玉翁らの活躍もあって、明治中期になると、京阪地方の古今雛にも玉眼がほどこされるようになっていきます。

玉翁の銘のある雛人形(明治時代前期)
玉翁の銘のある雛人形(明治時代前期)

地方で飾られた古今雛
地方都市では、江戸や京阪の人形屋から安価な頭(かしら)を取り寄せ、地元で衣装を着せ付けたものが盛んに飾られました。人形屋だけではなく、仏具や神具の製作販売店などでも取り扱われていたようです。京都や大阪、東京(江戸)などの大都市部の裕福な人々の間に普及していた「まちの雛」に比べて、どこかひなびた面持ちの雛人形で、「田舎雛(いなかびな)」などと呼びならわされてきました。
ここに展示する上段の内裏雛は、基本的に「古今雛」の様式を踏襲していますが、その大きさと袖の長さに驚かされます。肩の高さまで振り上げ、高い雛台に垂らされた袖には唐獅子と牡丹の文様が金糸で刺繍されています。豪華さがことのほか強調されていることから、雛人形愛好者の間では、「見栄っ張り雛」の名で知られています。岡山や広島をはじめ、四国や九州など、瀬戸内海を取り巻く町々に残されていますが、その産地についてはまだよく知られていません。

瀬戸内周辺に残されている袖の長い古今雛

第二章雛飾りの様式いろいろ

御殿飾り源氏枠飾り

御殿飾り
京都では、内裏雛を飾る館のことを御殿といいますが、その中に一対の雛を置く形式を「御殿飾り」と呼びました。京阪を中心に、この様式の雛飾りが登場するのは江戸時代後期のことです。この頃、喜田川守貞は『守貞漫稿』の中で京阪と江戸の雛飾 りの違いを次のように記しています。
「……京阪の雛遊びは、二段のほどの段に緋毛氈(ひもうせん)をかけ、上段には 幅一尺五寸六寸、高さもほぼ同じ位の屋根のない御殿の形を据え、殿中には夫婦一対の小雛を置き、階下の左右に随身と桜橘の二樹を並べて飾るのが普通である。……江戸では段を七、八段にして上段に夫婦雛を置く。しかし御殿の形は用いず、雛屏風を立廻して一対の雛を飾り、段には官女、五人囃子を置く……」と。 
江戸時代の終わり、江戸の段飾りに対して、京阪では御殿飾りが一般的であったことがわかります。また、屋根のある御殿に先んじて、屋根のない御殿(「源氏枠飾り」でしょうか)が用いられていたこともわかります。平安貴族社会の“ひゐな遊び”を思わせるような京阪地方の御殿飾り雛は、やがて、明治時代後期になると、江戸時代以上に大型化し、家の権勢を誇るような贅を尽くしたものも登場します。
ここでは、明治、大正、昭和初期の御殿飾りを並べてご紹介します。

御殿飾り―明治・大正時代―

源氏枠飾り
御殿の中の貴族たちの暮らしを再現するような京阪地方独自の雛飾りは、遠く、平安時代の姫君たちが行っていた“ひゐな遊び”につながるものでしょうか。江戸時代、京阪地方で作られ始めた雛を飾る御殿は、最初は屋根のない形態であったようです。それはまるで「源氏物語絵巻」の“吹き抜き屋台”という構図にも似て、御殿の中の人形たち表情がよくわかり、明るい印象の雛飾りです。このような御殿が「源氏枠」と呼ばれる所以です。
ここでは、大正時代に京阪地方で飾られた比較的小型の源氏枠飾りをご紹介します。

源氏枠飾り雛(大正期)
源氏枠飾り雛(大正期)―――ランプの家展示(→3月23日まで)


段飾り

3月3日、桃の節句に雛人形が飾られるようになった江戸時代前期の頃、座敷の一角、床の間などに毛氈を敷き、屏風を立てまわして内裏雛のみを並べ置く“親王飾り”が一般的でした。今でも京都では、古式ゆかしい親王飾りを伝える家々も多くあります。幾段かの雛壇を組むと、上段に雛屏風を立てて内裏雛を置き、その次の段以降に添え人形や雛道具を並べ飾る様式は、江戸時代の江戸(東京)で生まれたものです。
最初に内裏雛に添えられた人形は能楽を演奏する五人囃子で、御殿飾りとともに京阪で飾られていた三人官女や随身、仕丁、桜橘の二樹を合わせて、現在知られる段飾りの様式が整っていくのは明治時代以降のことです。明治時代後期、大都市部に百貨店が誕生すると、様式化された五段飾りや七段飾りが都市部に普及していきます。明治時代、比較的大型であった雛人形や添え人形、雛道具は、大正時代に入ると人口が集中する都市部の家庭のために小型化し、女性たちの好みに合わせるように繊細可憐な段飾りが数多く作られました。
このコーナーでは、明治時代末期から昭和時代前期の段飾りをご紹介します。

大正時代の小型雛段飾り
昭和・戦前の童子雛・段飾り/百貨店で販売された段飾り雛
木彫彩色雛(東京かなめや製/昭和初期)

<会期中の催事>
解説会 
  日時= 2023年2月12日(日)・2月26日(日)・3月12日(日) ・4月2日(日)
      ※各回14:30~ 45分程度
  会場=6号館特別展示室
  解説者=当館学芸員・尾崎織女
  ご参加には入館料が必要です。

雛まつりのおはなし会『三月ひなのつき』
   篠山ストーリーテリングの会の小山三智子さんをお迎えし、石井桃子さんの創作童話
   『三月ひなのつき』に登場する木彫彩色の❝寧楽びな❞にとてもよく似た段飾り雛の
   もとでお話を語っていただきます。
  日時=2023年3月4日(土) 14:00~ 1時間程度
  会場=ランプの家
  参加費=無料(館内観覧には入館料が必要です。 
  定員=35名(事前に電話、FAX、メールなどでご予約下さい)

ワークショップ「貝合わせ」を作って遊ぼう!
  日時=2023年3月25日(土) 13:30~15:30
  会場=6号館前テラス&ランプの家
  持ち物=筆記用具
  参加費=300円(材料費含む)


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